明日明後日と山添村へキャンプのお誘いを受けていたのですが、予報は一旦持ち直したので準備を進めていたのですが、やはり日曜は80%の降水確率になってしまい、今朝中止の知らせが、残念ながら武装解除です、しかし今まで何度も雨でキャンツーが流れたなぁ…「白崎海岸」「丹後半島」「余呉湖」。ここ暫く「石川ポタ」とかで4サイドで出動する事はあってもキャンプは昨年10月の「大隅半島キャンプツーリング」以来行けていません。
今夜は能登牛ですき焼き
先日、石川県土木部道路環境課からinstagramの方にメッセージが届いていてうっかり見落とす処だったのですが…
昨年度の「いしかわ里山里海サイクリングルート」のInstagaram投稿で当選したとかで「能登牛400g」を頂ける事に。件の写真は2018年7月の「能登半島キャンプツーリング」の途上に木の浦海岸で撮影したもの。昨年は加賀地方を少し走っただけなんで、今年はまた能登へ行ってみたいなぁ。
昨日クール便で届いたので早速すき焼きで頂く事に、久しぶりのすき焼き、柔らかくて美味しくて満足、満腹。
「いしかわ里山里海サイクリングルート」では2018年度のスタンプラリーで「エリアクリア賞(羽咋)」が当って醤油とドレッシングのセットを頂いたのですが。サイクリングをターゲットにしたこう云ったイベントって応募者の絶対数が少ないかして、結構良い思いをさせて貰っているのです、和歌山県では「3万円相当とかのペア宿泊券」とか奈良県では「金魚ロールケーキ」とか。
西の海へ 2020
昨年11月からの毎月の走行距離は500キロ前後、パソコンのWindows10への移行とか、恒例のカレンダー作りとか、突然やってきたデモンタを弄ったりと、部屋の中でぬくぬくとしている事が続きましたからね。ただ今日走らんかったら何時走るねんと云った予報、暗い内からスタートして和歌山方面へ向かう予定が、昨夜フォトブックの編集で夜更かししてしまったせいで少し寝るつもり目が醒めたら7時45分、モチベーションも下がってしまったのですが、走らんかったら絶対後悔するととりあえず走り出す事に。
8時半に桜井をスタート、明日香村を抜けて近鉄吉野線の飛鳥駅前から吉野口駅へ、しかし最高のお天気ですね。
県道120号五條高取線で重阪(へいざか)峠を越える、五條方面への定番コースです。
古い街並みの残る五條新町へ、一昨年の暮れに廃業した「餅商一ツ橋」ですが、暖簾が掛かっていて饅頭が並んでいます、再び営業を始めたのかな、それに以前は休日は休みだったし。
いつもは新町通りを西へ抜けるのですが、お天気も良いので吉野川べりに出ます。五新線の遺構もこちらから見るとこんな感じに見えますよ。
JR和歌山線の隅田(すだ)駅から架け替え工事中の恋野橋の仮設橋を渡って紀の川左岸の県道へ出ますが、その先の紀の川自転車道線の橋本橋と学文路(かむろ)の間の区間が工事で3月末まで通行止で通れません。九度山で9さんを呼び出してカレンダーをお渡しして、今日の一つ目のミッション完了、既に12時ですがこのまま和歌山市方面へと進む事にします。
九度山町以西のお紀の川自転車道は三谷橋から麻生津(おうづ)橋の間と井阪橋より紀の川河口までは右岸を走りますが、三谷橋から麻生津橋までは右岸に渡って自転車道を走るよりそのまま左岸の県道とかを継いで走った方が2キロ余り距離が短くなり、和歌山市方面へ急ぐ時はそのまま走った方が早いかと、写真はかつらぎ橋を過ぎた辺りの左岸の堤防路。
左岸を走ると紀の川に浮かぶ島、船岡山へ吊橋で渡ることができます、島を一周できる遊歩道も整備されています。
麻生津橋南詰で再びブルーラインの引かれた紀の川自転車道(なおこの区間は専用道ではありません)となり井阪橋へ。上流側から来ると案内が不十分なのですが、紀の川河口へはこの井阪橋を右岸に渡ります、このまま左岸を進むと県道804号貴志川自転車線となり、紀の川左岸から支流の貴志川右岸に回りこむ事になりますので注意。今日は貴志駅へ向かいますのでこのまま真っ直ぐ行きます。
桃山橋北詰から貴志川右岸に入り6キロ程で自転車道は終わります。なお3月3日まで舗装工事中で迂回する必要があります。
諸井橋の架替工事も終わり、曲弦プラットトラスの古い鉄橋も姿を消すかと、既に通行止となっています。
お馴染みタマ駅長の和歌山電鐵貴志駅は休日とあって観光客で賑わってます。
貴志川線の撮影ポイントと云えば大池、フロントバッグに押し込んできたカレーパンをかじりながら10分程待つ事に、今朝お茶漬けをかきこんでからお昼抜きでここまでやってきましたから。
既に2007年3月に履修済みですが海草郡西山東村道路元標の生存確認、紀伊国の一宮は三つもあってその一つ伊太祁曽神社の鳥居の前に道路元標はあります。
今日二つ目のミッションは和歌山県道157号山東停車線のヘキサ、和歌山県で後存在するだろうヘキサはあと二つ。県道はこの三叉路は伊太祈曽駅までの数10m、路線延長の短さでは県道114号九度山停車場線とエエ勝負です。なお山東駅は隣の駅なのですが、前身の山東鉄道開業時の山東駅が延伸時に伊太祈曽駅と改称した名残です。
伊太祈曽駅には和歌山電鐵本社があり駅長は「ニタマ」が貴志駅長に栄転したので一昨年から「ヨンタマ」が、和歌山電鐵の猫駅長は何れもふてぶてしいのが。初代貴志駅長「たま」(2007年3月)、二代目貴志駅長「ニタマ」(2015年10月)。
今日三っ目のミッションは「WAKAYAMA800モバイルスタンプラリー」のチェックポイント海南市の「うるわし館」、正直云って昨年度と変わり映えしないポイントを巡るのも面白くないのですがネェ。
次のポイントは和歌浦ですので土木遺産になっているトンネル「鵬雲洞」(昭和42年に廃止された南海電鉄和歌山軌道線の廃線跡)を抜けて紀三井寺へ。
以前の場所にチェックポイントがなかったので少々焦りましたが、無事に23ヶ所目をゲット、今年も昨年以上にパーフェクトは無理かな、まぁパーフェクト賞のTREKのロードバイクなんか当たっても要らないんで、再び30ポイント賞を狙います。
四つ目のミッション「東西南北の海へ」の内「西の海」到着、和歌浦と雑賀崎の間の「浪早ビーチ」にて。
和歌山市の臨海部を和歌山港駅まで北上し、青岸橋と紀の川河口大橋(写真:現在は無料)を渡り紀の川右岸へ、新しくできた土入(どにゅう)川大橋(写真右上)を渡ると紀の川自転車道の起点に出ます。南海フェリーで四国へ渡る時に使えるかと思ったのですが、このルートを取ると桁高のある橋を三つも渡らなければならないのと、乗船前に補給をするにもコンビニ等がないので、やはり紀の川大橋から和歌山市街を経由した方が良さそうです。
紀の川自転車道起点付近から見た紀の川河口大橋(写真左)と自転車道から見た南海本線の鉄橋(写真右)。人口35万人の県庁所在地にあるとは思えない素晴らしい自転車道です、京奈和自転車道の一角を成すのですが、京都府や和歌山県と比べると奈良県下の整備状況のお粗末さにはね。
元より自走で帰るつもりはないのですが、とにかく陽が暮れるまで走ろうと自転車道をひた走りますが、風向きが変わって帰りも向かい風に。井阪橋で左岸に入りますが、竜門橋で右岸に戻り、粉河のオークワで補給と一息入れて、一駅進んでJR和歌山線の名手駅から輪行で帰途に就く事にしました。盛り沢山の本日の走行143.1キロ。高田乗換でJRのまま桜井まで帰れるのですが、近鉄の吉野口、橿原神宮前、大和八木乗換の方が安くて早いのでそちらで(発駅の関係で一概には云えないかも)、乗り換え3回は大変ですがasuka号に比べると軽いロードなんもんで。
黎明期の国産ツーリング車観賞会
市内のコンビニで買い物して10時少し前にはヒルホテルサンピア伊賀に到着。駐車場では到着した皆さんが運び込む自転車を囲んで既に自転車談義が始まっています。サンピアと云うのは以前は厚生年金事業振興団が運営していた施設ですが、今は地方自治体の外郭団体が運営してたりします。2015年10月の「ヴィンテージレーサー鑑賞会」以来毎年使わせて貰っていて、昨年は「イリベオーナーズミーティング」も行われました。伊賀市は2004年に上野市と周辺町村が合併した人口10万人に満たない小都市、合併して15年過ぎましたが今も伊賀上野と云った方が通じやすいかと、忍者で有名ですね。大阪と名古屋の丁度中間にあたり名阪国道のインターが近くて、大都市の施設に比べると会場代もリーズナブルかと。特別の施設がある訳でもなく、ロビーからフロントの前を通ってそのまま宴会場に運び込ませて貰ってます。まぁもっこりパンツにクリートをカチカチ云わせて闊歩する輩と比べると至って普通のいでたちの集団なんで。
今回は50~60年代の国産ツーリング車がテーマ、正月の「新春ラン」の帰りの車の中で10台集まるかどうかなんて話も出ていて、その上日程がマッドガード付き自転車の愛好者の間では良く知られた「御前崎オフ」とバッティングしている始末。ただ蓋を開ければ参加43名に30台と大盛況で、会場代で赤字にならずに済んだと主催者は一安心、午後からのプレゼンテーションの時間が足らないとの事で16時までと1時間延長となりました。 さて私の方はもとよりそないな年代の自転車の持ち合わせはありませんので、せめてうちで一番古いので参じようと先日やってきたばかりのデモンタ(1976年~)で走ってきたのですが、50~60年代縛りですので人と自転車で満杯の中には入れて貰えません(^_^;)
次々と往年の名車やら曰く付きの車やらが会場に運び込まれますが、人の方も輪界の著名人が続々と。
台数的にはさすがに東叡社が多いですが5台のアルプスが目を引きますし、関西圏とあって城東輪業のワンゲルも数台。
自転車そのもの以外のグッズや資料も。
純正?展示スタンド付きの片倉シルク、七宝のヘッドバッチが。
午後のプレゼンはUG兄さんのキングスピードから。
1961年のワンゲルを前に熱弁を奮う京都のBLKさんと、奈良の伊藤さんが高校の時に買って貰ったTOEIも還暦。
プルベな人にもお馴染みのKさんも今日は、ある自転車との因縁話を披露。
個々の自転車の解説は不勉強な私がどうのこうの云えませんので、そのうちMさんがやってくれると思います。 私の任務は例によって集合写真、なお大きなサイズの画像は例によって「サイクリングの記録」(要認証)の方にアップしてあります。
予定通り16時前には全てのプレゼンも終わって無事に「黎明期の国産ツーリング車観賞会」は終了。この季節ですので桜井まで自走で帰るのは厳しいので日没までに15キロばかし走って名張市域に入り近鉄美旗駅から些か手こずりながらデモンタでの初輪行で帰ってきました。
伊賀上野へ
今日は伊賀上野(三重県伊賀市)のヒルホテルサンピア伊賀で行われるUG兄さん主催の「黎明期の国産ツーリング車観賞会」に参加する為に暗いうちから自走で向かう事に。時間的に帰途は輪行になりますので、昨日ブレーキを入れ替えたばかりのデモンタで向かいます、別にロードでも延陽伯号でも構わないのですが、会が1950~60年台のマッドガード付きツーリング車がテーマですので、一応うちで一番古い(1976年~)を。 0510桜井を出発、伊賀市までのルートは幾つかあって、往路は大和高原を経由する事が多いですが、今日は主にR25旧道を辿る事にします、概ね併行する名阪国道の騒音が鬱陶しいとはいえるのですが。まずはR165を長谷寺まで走り県道38号桜井都祁線で針へ向かいます。深夜も含め走り慣れた道で不安はありませんが、難所の初瀬ダムへの登り、この気温で汗をかきたくないので中程でさっさと諦めて押す事にします。小夫(おぶ)辺りまできてようやく明るくなり暫くで奈良市域となる旧都祁村へ、ミモザ・ガーデンの前の並松池は凍っていました。標高500m近い針インターの中のファミマで小休止、後30キロ余りですから予定の10時には余裕ですね。
針からは自動車専用道の名阪国道を縫うように走るR25旧道を、このままでも伊賀上野へ行けるのですが、山添村勝原から上津ダムへ入ります、少し判り難い処もありますが、こちらの方が無駄な登り返しが少ないかと、上津ダムで用を済ませて下ります、県道80号奈良名張線と交差し県道181号遅瀬西波多線に入り五月橋へと下ります。
まだ供用はされていませんが新しい五月橋はほぼ完成しています、1928年に供用された五月橋が姿を消すのは残念です。
五月橋の手前でR25に戻り名張川を渡ると伊賀市。しかしサイクリングには最高のお天気になってきました、伊賀盆地からは三重県と滋賀県との境界になる山々と御斉(おとぎ)峠を望む事ができます。大野木橋では上野城が出迎えてくれました。桜井から4時間半あまり56キロばかり走ってサンピア伊賀に到着です、正直云ってもう少し走りたいのですが。(つづく)
デモンタあれやこれや
うちにやってきてから既に100キロばかり走ったデモンタですが、思う処あってせっかく新たに買ってまで付けたサブレバー仕様のブレーキ回りをセフティレバーに変更する事にしました。デモンタの場合は分解時にリアブレーキのインナーケーブルが緩むために、現在入手できるダイアコンペの復刻版セフティレバーはクイックレリーズになっていない為、ブレーキレバーの割りの入ったタイコ故に外れると結構出先では少々難儀な事になるのです。延陽伯号こと片倉シルクグロワール24に付けているのは浅麓堂のN氏から頂戴したセフティレバーはクイックレリーズになっているのです、ヘッド抜き輪行のできる延陽伯号からは同様の理由で外したくなかったのです。各々の使い道とか考えてみたら延陽伯号には元々デモンタに付いていたギドネットでも良いかもと云う結論に至ったのです。即ちデモンタと延陽伯号のブレーキを入れ替えるだけの話、最初からこうしておけばムダな買い物をせずに済んだものをと後悔しきり。まあ延陽伯号にブルホーンと云う訳にも行きませんのでダイアコンペのハンドレストを手配する事にしたのですが。
フロントバッグの固定方法ですが、とりあえずはリクセンカールのアタッチメントを付けてありますが、リーズナブルでこやつに似合う方法がないものでしょうかね。あとサドルバッグも、前後輪を金具でジョイントする形だとハンドルに干渉するので、簡単に着脱できるものがほしい処です、加えて輪行時に余計な持ち物にならない様にフレームの何処かに固定しておく工夫も。
2020年1月のまとめ
帳尻合わせ
過去の実績を見ても1月はなかなか距離が稼げないものでして、連続月間1.000キロ走行が途切れたのも2016年1月でしたもんね。昨日までの今月の走行距離が445.8キロ、月間1,000キロに年間10,000キロはもう無理としても、一年の計は元旦に…とか云いますから、まずは500キロは走っておきたいものです。 朝から寒々しい曇り空に北西の風が、お昼前位から時折晴れ間も出てきたので、意を決して走り出す事に。とりあえず五條方面へ向かう事にしたのですが。高取町に入った頃からパラパラと、北西から南東に流れる雨雲にかかっている様です、それさえかわせば快方に向かう様なのですが。
関西で云う処の「狐の嫁入り」即ち日照り雨の中の古い街並みを抜けて吉野口駅へ、少し雨宿りを。この季節としては気温は高い方なのですが、休んでいると流石に寒くなってきます、この先重阪(へいざか)峠を越えて五條市へ下るつもりだったのですが、すっかりテンションが下がって薬水から車坂峠の上に出て下市へ下る事に、裏芋を越えて帰れば目標の55キロには少し足らないかなぁと考えながら、千石橋を渡って吉野川左岸の県道を東へ。
椿橋あたりまで来ると陽射しがでてきて良いお天気に、近鉄吉野線が吉野川を渡る吉野川橋梁ではタイミング良く「青の交響曲」がやってきました。巨大なアンダートラスの吉野川橋梁ほどの威容ではありませんが、吉野川から紀の川にかけて道路橋にも幾つかのトラス橋が健在、写真は桜橋ですが、鉄橋のある風景はどこか旅ごごろを誘うものがあります。拡幅がままならない事もあって徐々に姿を消してゆくかと、最近では橋本市の恋野橋が橋脚が傾いてきたとかで架け替えら姿を消しましたね。
陽射しが出てくると現金なものでテンションも回復、せっかくですので日頃あまり走らないルートで行こうと妹背大橋で右岸に渡り、津風呂ダムへ取り付き、平尾吊橋を渡って小島峠の東側に出ます。
県道28号を走りR370の三茶屋交差点へ、いつもは入野峠から来て小名方面へ入るのが定番コースなのですが。
17時には関戸峠(402m)へ、このまま「おごぽご」の手前まで行けば女寄経由で楽に帰る事ができるのですが。
宮奥ダムから標高600m近い大峠トンネル(1,806m)へ。ここまでくれば殆ど漕がずに桜井市街まで下れるはずなのですが、強い西風のせいで下り基調にも関わらずトンネル内は風洞実験をさせられている様な具合で漕がないと進みません。ともかくすっかり暗くなった18時過ぎに無事に今日のノルマを果たして帰ってきました、本日の走行64.8キロ。
半月ぶりにasuka号で
大和川河畔にて
今日から4連休、恒例の「御前崎オフ」に伊勢湾フェリーを利用して往路自走で2日目だけにでも顔を出そうかと企んで一応休みをとってあったのですが、なかなか日程的に厳しいのと、2月2日に伊賀上野で「黎明期の国産ツーリング車観賞会」が行われ、そちらに顔を出す事にしたので時間の余裕が。
さて先月フリーボディを交換したasuka号ですが、手持ちのお古パーツの流用で不安ですし音が些か嫌な感じ、ベアリングはともかく9速用の互換パーツが今なお入手可能なのは有難いです、早速取り寄せて交換する事に。この手の作業ではカップ入りのグリースを詰めるのも不自由ななのでそろそろ簡易なものでもグリースガンを買おうかな…
昨日から天気は不安定ですが温かい日が、最高も最低も3月並みの気温だとか。試運転を兼ねて大和郡山まで献血に向かう事に、帰りに買い物もあるのでフロント2サイド支度で、橿原から下ッ道(中街道)をのんびりと北上します。
血小板成分献血、いつもより時間がかかったのはスタミナ不足? 相変わらず変わり映えのしない粗品。
帰りは大和川河畔を走ります、正面に見えるのは多武峯、左は三輪山ですね。橿原~田原本~大和郡山~天理と回って30キロ少々、今月はデモンタに構っていた事もあってasuka号の走行は稀な事に100キロ未満、明日ももう少し走ろうかな。
晴耕雨読
昨日の予報より少しはマシなった様ですが暫く鬱陶しいお天気が続くとの予報、26日(日)にスミ旦那率いる輪音RUNの「吉例!大阪市内七福神めぐりポタ」に顔だけでも出そうかと思っていたのですが、無理そうですね。
そうなると自転車なぶりと一向に進まない部屋の片付け、部屋を見渡しすと相変わらず15パズルの如く1駒抜かないと何も動かせない状況なので、例によって貯めこんだコンピュータ関連書籍の処分、「雨読」ならぬ「雨捨」。MovableTypeからWordpressに移行して早3年、もう絶対に必要にならないよね。ところで本棚の一角の自転車関係の雑誌やムック。資料やマニュアル的なムック本はともかく月刊雑誌の類は…
YAHOO!JAPAN 2003年4月号 もう休刊(事実上の廃刊)してから12年、峠おやじナワード氏が載っています、彼のホームページ「自転車・峠おやじ」は24年を迎え今も健在。写真の「祝 千峠達成」の幟は私が作ったもの、文字の下のイラストは乾さん作。 CYCLE SPORTS 2009年7月号 誰の紹介だったのかサイスポ編集部から同行取材の依頼があったのですが、仕事が忙しかったのか気が乗らなかったのか、お勧めコースだけ紹介してお断りしたら、NCAのSさんの処へお鉢が回ったもの。取材一行はお勧めの一つ「牛廻越」へ、記事中に「CanCanさんオススメの峠」云々とあります。
2010年5月発行の自転車人 vol.19では我等が鉄人児玉さんが、この翌年には年間20,000キロを達成されたかと、最近ご一緒する機会がありませんが、お元気なのでしょうか。
2011年5月発行のCYCLO TOURIST Vol.2、日本の峠100選でナワさんが大阪和歌山府県境の蔵王峠を紹介している、写真に写っているのは鉄人児玉さんとYさん、マイナーな峠ですが2009年6月の「ナワ弐千峠記念サイク」の折の印象が良かったのかな。
2011年12月発行のCYCLO TOURIST Vol.5、街道特集で鈴鹿のあびさんの紹介で2日目だけご一緒させて貰いましたが、雨に祟られた一日でした。
2012年8月発行CYCLO TOURIST Vol.7では「月うさぎキャンプ」のレポートが8頁にわたって。 同じく2012年8月は発行の自転車人 Vol.28では、今は造り酒屋の女房となった園原さんが。ツーリング系自転車雑誌は山と渓谷社をしても継続は難しかった様で2014年秋号で休刊に。
自転車雑誌にとって「峠」特集は売れるネタの様で、2013年8月発行のCYCLO TOURIST Vol.10では「日本の峠200選+ベスト20」が。
2017年12月発行のBICYLE CLUB別冊「旅する自転車 ランドナーの本」、美山で行われた「なおちゃんTOEIお披露目ツーリング」の折に某所で撮影が行われたのですが、外に置いてあったasuka号が編集者に見つかり俎上に載せられる事に、ボツになると思っていたらおつねさんのTOEIと同じくドロドロのサイドのまま掲載される事に。表紙はチネリ怪人Vivva氏のエルス。
他にUG兄さんの記事がどこかにあったのですが、見つかりませんでした。と云う訳で「雨読」となって片付けものは捗らなかった訳でして…