長野県へ入ったこころで、北へ戻るか南に向かうかは翌朝の天気次第として予定を1日伸ばして松本市内泊。 翌朝雨の残る中を上諏訪町道路元標と下諏訪町道路元標をこなして岡谷から飯田線で伊那市へ。
← 建物は立派な伊那市役所の前に平成の伊那市道路元標が

飯田線飯島駅

飯島町役場前にある上伊那郡飯島村道路元標

再現されたものですが飯島本陣、廃藩置県後に伊那県庁として使われたそうです。

飯田線天竜峡駅、豊橋行きへの接続を待つ一時間半程の間に天竜峡を散策。

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Mさんへ
糸魚川にて

Mさんへのとどめに写真追加しておきます。

これでもか

これでもか

頸城大野駅にて、やはり国鉄色が良いです。
近くに大野村道路元標があります。

お花見サイク
明日香村石舞台前
明日香村石舞台
明日香村栢森
津風呂湖畔
で、吉野山はまだ早かったです。
18切符の旅 (4日目)
今日の予定は宮崎県下に残るうちの4基の道路元標ですが、あいにくの雨は風もあって結構本降りです。 今夜別府から四国に渡り、帰途に就く明日のルートも絡め検討中です。
← 都城駅にて
吉都線を高崎新田駅まで戻り北諸県郡の高崎村道路元標を、宮崎市に移動して県庁前で宮崎市道路元標を、今や宮崎県庁は観光スポットで次々と観光バスが乗り付けてきます。
日豊本線を北上し美々津へ、駅から美々津の町並みまでは結構な距離がありますが、雨は一向におさまる気配がありません。 美々津町道路元標は美々津の古い町並みの南外れに、美々津の名は僅かの間ですが明治4年から6年までの間、都城県とともに美々津県として宮崎県の前身となった事もあり、町並みが保存されています、かなりこじつけた謂れですが日本海軍発祥の地とか。
幸い美々津から日向市中心部へ宮崎交通の路線バスがあり、良いタイミングで次の細島町道路元標へ歩いて行ける処まで移動する事ができました。
←18切符にとっての難所、日豊本線の宗太郎越えです。 普通列車は一日3往復しかありません。 乗っている乗客も半分以上はその筋の方々かと…比較的若い女性もいたのはご時世なのかと。
18切符の旅 (3日目)
18切符の旅 (2日目)
早朝から道路元標求めて次の肥前浜駅まで歩きます、長崎街道肥前浜宿。
肥前山口駅で佐世保線に乗り換え武雄温泉駅に向かうつもりが列車を乗り違えて戻ってしまうと云う、元鉄にしてはお恥ずかしいチョンボをしてしまいました。 肥前鹿島からバスで武雄温泉へ向かう手もありましたが、結局は肥前山口へ戻り先に佐留志村道路元標を探索する事に、幸い思っていたより早く見つけ出す事ができて武雄温泉へ。
杵島郡の武雄町道路元標は武雄温泉楼門脇にあります、この楼門は重文です。
佐賀県県下の道路元標5基をGRTして佐賀県立図書館へ向かいますが、大正期の県報は多くが逸失していて揃っていません、県庁南別館にある「歴史的文書閲覧室」を紹介して貰い、そちらには大正9年他の県報がありましたが、目的の「道路元標ノ件」は見つかりませんでした。
美術珈琲「鳳来館」
愛知県八名郡、秋葉街道(鳳来寺道)の宿場町大野に残る大野町道路元標の向かいにある建物、大野銀行本店として大正末期に建てられ、東海銀行、豊川信用金庫等を経て、現在は書画やアンティクを並べた美術珈琲「鳳来館」として営業している。
一階、喫茶
二階、ホール

古いミシンやカメラ、ハーモニカ、SPレコード等が並べられているが、こんな演出も。
ぐるっと中国地方(2日目)
国鉄民営化後の1990年に廃止された大社線の終点だった大社駅、線路跡は道路になってしまいましたが、かつて夜行急行「だいせん」等の長距離列車が発着した駅舎と構内は保存され、今では重要文化財に指定されています、無人、無料です。

出雲市駅へは一畑バスで移動し、山陰本線を西へ、因美線と同じく39年ぶりですが、かつて「まつかぜ」「やくも」等の長編成のディーゼル特急が走っていたものですが、今では「スーパーまつかぜ」と’スーパー’とは名ばかり2両編成で走っています。
← これは普通列車、1両か2両のワンマン運転です。

出雲市を出て暫くすると海岸沿いを走る区間が多くなります、朝の内は少し雨模様でしたが、西に向かうにつれて冬の山陰とは思えない良い天気になってきました。 国道9号線もこの辺りまで来ると交通量もそれ程でもありません、是非自転車で来てみたいものです。
温泉津駅で途中下車し次の列車までの33分間に大急ぎで温泉津町道路元標を探しに行きました、無事GET!!

車窓からの風景、三保三隅駅付近。 実は1970年にSLの写真を撮りに訪れた場所です。 でも海岸線は大陸からの漂着ゴミで汚い処も見られます。

益田駅で山口線に乗り換えて津和野へ、もしや未知の道路元標が残っていないかと散策しますが、そう易々とは...
太鼓谷稲荷から見下ろす津和野、山口線を見下ろせますから「SL山口号」が走る日はマニアだらけでしょうね。
3日目に続く

別府鉄道
昨日、Dさんと話題になった別府鉄道、「べっぷ」では無く「べふ」と読む。 現在の山陽本線土山駅と別府港、および国鉄高砂線野口駅と別府港を結んでいた合わせても10キロに満たない小私鉄、1984年2月に廃止された。 懐かしく思って1971年当時のネガを引っ張り出して何枚かスキャンしてみた。

何とのどかな、駅構内で遊ぶ子供と見守る運転手。

いずれも野口駅構内かと。

C11の牽く国鉄高砂線の貨物列車、大きなポプラの木が何本も写っているが、今も残っているのだろうか...

加古川線の何処かの駅、入換作業中のC12。 昨日行った三木線の分岐する厄神駅なのか、北条線の分岐する粟生駅の何れかだと思うのだが...

道路元標蒐集サイク (2日目)
今日はお昼には岡山市内へ行きたいので、屋島山上行きのバスを待つ訳にも行きません、屋島村道路元標は標高300m近い屋島寺仁王門にあるそうなのですが、とりあえず朝5時過ぎから屋島を目指します。
← 八栗山と同様にここも本来の参道は県道<14>屋島公園線です、それよりも21%の標識が…(^_^;)
早朝の参道は遍路と云うより地元の人のお参りを兼ねたウォーキングコースになっているのです、その皆さんの元気な事と云ったら(*_*; とにかく石段の始まる処まで押し上げ、後は徒歩で…
とにかく屋島村道路元標をGETし、次はフェリーで小豆島へ渡り土庄町道路元標、再びフェリーで岡山へ渡ります。
今回の「道路元標蒐集サイク」のきっかけになったのは岡山県立記録資料館で開かれている企画展「近代のみち?岡山県の道路交通網整備?」と記念講演「岡山県の陸上交通網の整備と近代化」、さすがにそれだけでは勿体ないので、香川県の道路元標の残り5基蒐集を兼ねる事にしたのですが、道路元標に関して目新しい情報はありませんでした。
新見で宿をとり輪行で移動、本日の走行 37.8キロ







