「道路元標」カテゴリーアーカイブ

道路元標蒐集サイク

 いつも愛知県下に残る道路元標の情報を頂いているはづきサイクリストクラブのIさん。 教えて頂いた現存情報を昨年から溜めてしまっているので、暖かくなったら一回りしようと企んでいた処、13日(日)に予定されていた「クラシックロード走行会」に参加のために名古屋から戻ってくるT御大の車に便乗させて貰おうと、昨夜連絡を入れてみると、KHSを担いでくるつもりならBSMを奈良へ積んで帰る予定なので、そちらを貸して貰える事になった。 お陰で手ぶらで出掛ける事に。 近鉄蟹江駅にて待ち合わせてBSMを一日お借りする事に。 まずは海部郡の蟹江町道路元標南陽村道路元標を回ります。   南陽村の後は名古屋市西区に残る、庄内村道路元標に向かって、新川沿いに北上します。 決して土地勘がある訳でもないのですが、右岸の水路(萱津用水)沿いの道を見つけて走ります、堤防の下なので風もなく信号も殆どなくて快適です。 砂子橋と云う橋で左岸に渡り再び北上を続けますが、この付近はなぜか高い建物がなく、川沿いのその風景は昔の大阪市の西区や大正区辺りにタイムスリップしてしまった様な懐かしい感覚です。 庄内村道路元標の後、Iさんから頂いている情報には東春日井郡の坂下村道路元標もあるのですが、そこまで足を伸ばすと、とても戻ってこれませんので、中島郡の朝日村道路元標へ向かう事にします。 ただ庄内村から朝日村までは直線距離では15キロ程なものですが、真っ直ぐなルートがないのでかなり迷走する事に、結果的には津島街道から名古屋市水道幹線上の自転車道に入るコースに、しかしもろに向かい風を受けてなかなか前に進みません、実はこのころ東北太平洋沖地震があって名古屋でも相当揺れていたそうなのですが、全く気がつかなかったのです。  尾張サイクリングロードとも云われている様なのですが、路面状態もあまり良くありませんし、交差する道路が非常に多くて、お世辞にも快適とは云えません。 それに日光川で分断されていて案内もありませんでした。 地震を知ったのはT御大からの「地震で携帯が使えないので、6時10分に●●で…」と云うPCメールでした。 最初は状況が理解できなかったのですが、ツィッターへの書き込みで気がついた次第、その時点ではdocomoへは繋がるのにsoftbankには全く繋がりませんでした、エリアの狭さ以外でもこう云った時に弱体なのは頂けませんね。 本日の走行、メーターがついていないのでGPS計測で65.7キロでした。

2011-2-26

 今日は天気も良いので最近、現存の報告があった京都市伏見区jの醍醐村道路元標を目指すことにします。 京都市方面は自転車道を嵐山まで往復する以外は、殆どと云って良いほど自転車で走る事はありません。 とにかく上街道から猿沢池、県庁前、奈良阪を越えて京都府へ入り井関川沿いに木津川沿いの自転車道に入るいつものコースを北上する事にします。 今一つペースが上がらないのと、少し向かい風で1時間半程かかって県庁西の交差点へ、土曜日とあって9時をまわると興福寺境内や奈良公園も観光客が多くなってきます。 鹿たちも良く知ったもので、鹿せんべいの店の出るこの角へ集まってきます。   自転車道を北上して行くとかなり西側にふってしまいますが、木津川大橋まで走り国道1号線へ、京滋バイパスに沿って走り隠元橋から六地蔵駅へ抜けます。 この付近は鉄道や道路が錯綜していて、街道の変遷や巨椋池の干拓なども含めて考えると興味深い地域です、しかし不案内な人間にとっては自転車では走りににくい処です。 醍醐村道路元標を後に元来た道を折り返します、六地蔵からはJRと京阪の間の旧街道とおぼしき道を南へ、宇治村道路元標の処まで来ました。 既に2006年に履修済みですが、写真を撮っていると「天五さんの…」云々と声を掛けられました、お話とするとくろださんとお知り合いの方で凛凛さんと云う方でした。 なお宇治橋の西詰めにあるのは久世郡の宇治町道路元標で、郡は異なりますが宇治の名を関した町と村が同時に存在しました、その後宇治郡宇治村は笠取村と合併して東宇治村となり戦後宇治市となります。 また乙訓郡に淀村、久世郡に淀町が、こちらは桂川を挟んで存在していました。 帰路は少し賢くなって巨椋池排水幹線沿いの道を走り大久保バイパスへ、旧知のY氏のお店へ立ち寄って自転車談義、その後城陽市の客先へ少し顔をだして自転車道へ、木津までかなりハイペースで走り、あとはのんびりと。 ところで朝出てからはカロリーメイト1箱で済ませていたので、さすがに腹がへってきて、天理市内のコンビニで缶コーヒーとあんパンを買い食いして一息、桜井に辿り着く頃にはすっかり暗くなってしまいました。 本日の走行126.2キロ、2月としては異例の500キロ越えとなりました。

北北西へ進路を…

 結局午前中はぐずぐずと出掛けそびれる事に、明日になると天気は下り坂との事、遠くへは行けないがとにかく走り出す事に、目標は榁木(むろのき)峠と南生駒と云う事で。 三輪まで走り大和川沿いへと。 サイクリストにとって我が町は恵まれたローケション、南は吉野、東は宇陀と、あまり車に悩まされる事なく、少し走れば快適なコースに入る事ができます、京都方面へ向かう時は上街道、大阪方面へ伊勢街道と旧街道にも事欠きませんので、あえて法隆寺や生駒方面へ足を向ける事がありませんし、どちらかと云うと不案内な方角です。 しかし走っていると気持ちの良い日和です、大和川河畔を振り返ると三輪山が… 自転車道ではありませんし、土手上を強引に進むと少しダートもありますが、 休憩ポイントもあってなかなか快適なコースです。 この付近はSORA氏の方が詳しいと云うか縄張りですな。 佐保川と合流し川幅も増した辺りで北上し関西本線を跨いで富雄川沿いの自転車道に入り北上、少し寄り道して庚申堂金輪院前の生駒郡の片桐村道路元標へ立ち寄ります。 ところで金輪があるならどこかに銀輪はないのかな。 再び富雄川沿いに北上し同じく生駒郡の富雄村道路元標へ、こちらも健在ですが暗越奈良街道に面した表面が電信柱に隠れてしまっているのが。 ここから奈良街道を西へ向かいます。 第2阪奈が国道308号となっていても、こちらも立派な国道308号です。 ただ「おにぎり」どころか通行困難と書かれた看板以外は国道である事を示すものはありません。 追分本陣、大阪から来ると奈良と郡山への分岐点となります。 短いとは云え暗峠とエエ勝負のとんでもない劇阪の連続で榁木(むろのき)峠にやっと到着、残り少ない奈良県下での未踏の峠をGET。 しかし生駒側も前転しそうな位の劇阪が… 滑落する事なく無事に下って国道168号との合流点へ。  奈良県の道路元標探索のバイブルとも云える上田倖弘著「道路元標を尋ねて」、出版されて既に20年近く、その後発見されたものもありますが、その後行方知れずとなってしまった元標もあります。 竜田川に架かる小瀬橋の西詰、植田医院の庭先に倒置されていたと云う「南生駒村道路元標」は、やはり見つける事はかないませんでした。 と云うより調査された昭和63年3月とは小瀬橋周辺も件の植田医院もすっかり様変わりしている様です。 竜田川沿いを南下し大和川に入り、御幸大橋を渡り後は訳の判らないの奈良盆地の自転車道を縫って帰ってきました。 本日の走行65.1キロ。

道路元標蒐集の旅(2011九州篇)

あまりに早く寝てしまったので、未明に目が覚めてしまいました、ロビーにでると紀伊水道まで来ている様です、ロビーにあるdocomoのアンテナブースターがどれ程届いていたのか判りませんが、ここまで来ると十分にモバイル接続は可能な様です。 0730ほぼ定刻に大阪南港かもめフェリーターミナルに到着、ただ南港から宮崎と志布志へのフェリーの着くかもめフェリーターミナルはニュートラムの駅から2キロ以上離れていて路線バスを利用しなければならないのが難点です。 住之江公園からなんばへ出て、10時前に無事桜井へ帰りつき、九州道路元標の旅を終えました。

【916】 2011/01/09 佐賀県 西松浦郡 東山代村  (現 伊万里市)
【917】 2011/01/09 佐賀県 西松浦郡 牧島村 (現 伊万里市)
【918】 2011/01/09 佐賀県 西松浦郡 大山村 (現 有田町)
【919】 2011/01/09 熊本県 玉名郡 伊倉町 (現 玉名市)
【920】 2011/01/09 熊本県 玉名郡 豊水村 (現 玉名市)
【921】 2011/01/09 熊本県 玉名郡 弥富村 (現 玉名市)
【922】 2011/01/10 熊本県 八代郡 八代町 (現 八代市)
【923】 2011/01/10 熊本県 阿蘇郡 宮地町 (現 阿蘇市)
【924】 2011/01/11 宮崎県 南那珂郡 市木村 (現 串間市)
【925】 2011/01/11 宮崎県 児湯郡 上江村 (現 高鍋町)

道路元標蒐集の旅(2011九州篇 4日目)

 18きっぷは昨日で終わったのですが、今夜の南港行きフェリーに乗船するまで、今日の移動には「宮崎交通路線バス1日のり放題乗車券」を利用する事にしました。 1800円で宮崎交通の路線バスが1日乗り放題で当日でもローソンやファミマ等のコンビニの端末で購入できます。 高速バス等でよく採用されている仕組みですが、この様なフリーきっぷではあまり聞きません。 北近畿たんご鉄道や松浦鉄道等の乗り放題切符は限られた駅の窓口でしか買えず、結果早朝からフルに利用する事が難しい事を思えば非常に便利で、昨夜遅く宮崎に到着してからローソンまで買いに行きました。 ところで宮崎県下で未踏の道路元標は後4基、いずれもこのチケットのエリアに入りはするのでですが、4つの郡に分散していて1日で回る事は不可能どころか、どう考えても2つを回る事すら困難で、時間を見比べながら勿体ないですが並行するJRも利用せざる得ませんでした。 ただ1800円分の元を取るだけ宮崎交通バスには乗車してきました。

 宮崎0651発の日南線で飫肥(おび)へ、飫肥は現在の日南市に属する城下町、南那珂郡の市木村道路元標へ向かうために、ここから1日5往復の宮崎交通バス乗り継ぎます、1時間半待ちと接続が目茶苦茶悪いのですが、市街と離れているJR飫肥駅と宮崎交通の飫肥とは歩いて15~20分の距離があります。 土地勘が無いので最初判らなかったのですが、市木方面のバスはJR駅の近くを通っているものの、バス停の名も全く違っていて案内もなく、観光化されている割りには判りにくい処です。 街の真ん中を国道222号が貫いていて、なぜか「厚焼き卵」と「おび天」と云う名の練り物を揚げたものが名物です。

 とにかく時間はたっぷりありますので、あるかも知れない、かつてはきっとあっただろう飫肥町道路元標を求めて市街をウロウロします、残念ながら新たな発見はありませんでしたが。 飫肥城は大手門が再建されていますが、一応「日本の100名城」に名を連ねるお城だそうです。   

 宮崎交通の飫肥営業所を0930発のバスに乗車します。 宮崎市内からここ飫肥まで宮崎交通のバスも10数往復走っていますが、所要時間は若干長めで伊比井から南は日南線と離れて海岸線を走り日南市街に入ります、従って飫肥~油津間はそれぞれ宮崎へ向かう方向が逆になっています、日南線と宮崎交通を乗り継ぐにはこの点を理解していないととんでもない事に、結果的に日南駅か油津駅が乗り継ぐには丁度良い様ですが、同じ路線でも油津駅では駅前まで入るバスがあったりなかったりするので注意、とにかく路線バスは他所者には大変です。  

 南郷までほぼ日南線と並行して走り、山越えで串間市域へ入ります、自転車を持ってきたら越えただろう峠道を走り古都(ふると)停留所で下車、折り返しのバスまで半時間ですが、市木村道路元標は目の前、現在確認されている本土最南端の道路元標です。  

 折り返しのバスでそのまま飫肥へ戻るつもりでしたが、バスの時刻を調べていると、日南線沿線で有名な撮影ポイントである大堂津駅付近で途中下車し、日南線の列車を撮影して、再びバスで日南市まで戻っても宮崎へ戻るのは同じなので、急きょ予定を変更。 バスの運転手さんに尋ねる山王の停留所あたりが丁度良いとの事です、しかし熊本の九州産交にしても九州の路線バスの運転者さんはどこも親切です。 国道沿いに場所探しをしている内は日差しもあったのですが、列車の来る頃には陰ってしまったのが残念。

 日南駅からJRに乗換え、次の目的地高鍋に向かいますが、高鍋駅から目的の上江村道路元標までゆうに往復7キロはありますし、宮崎駅に1750までに戻ってこなくてはなりませんので、南宮崎~高鍋間を特急「にちりん」を利用する事に、「18きっぷ」なら乗車券分が無駄になるので、どうしても敬遠してしまうのですが。
 実は「にちりん」等で利用されている485系、3月のダイヤ改正で定期運用から外れる事に、まあ「くびき野」等で今ではタダで乗れる元特急車両なので、あまり有り難みもないのですがね。 独自のカラーリングのJR九州の中で国鉄時代を思い起こさせる塗色は貴重でしたが。
 高鍋駅から上江村道路元標のある高鍋西小学校前までも路線バスは走っているのですが、駅前から高鍋町中心部へのバスさえ上手く時間が合いません、結局往復歩く事になってしまいました。

 宮崎駅前1750発のバスで宮崎港へ、ここでも宮崎交通のチケットが利用できます。 宮崎港1900発の大阪南港行きフェリーに乗船、バースデー割引で半額。 1700円高いですが2等寝台を予約しています、それでも6700円です。 瀬戸内航路と違い外洋に出るのでモバイル接続は殆ど使えませんが寝台毎にACコンセントがあるのが有難いです。 大して旨いものでもありませんが1300円の夕食バイキングをたらふく食ったら、4日間の疲れがでたのか風呂にも入らず寝てしまいました。 なお船内の飲料自販機は割高ですよ。  

宮崎0651~0802飫肥 910円(JR)
飫肥0930~1034古都1104~1137山王1222~日南駅前 1110+720+370円(宮崎交通)
日南1259~1412南宮崎1413~1436高鍋1626~1700宮崎 1430+600+540円(JR)
宮崎駅前1750~宮崎港 260円(宮崎交通)

道路元標蒐集の旅(2011九州篇 3日目)

 在来線の新八代駅前から100円均一料金の「みなバス」と云う名の市内循環バスに乗って八代市街へ。 八代駅は何度も来ていますが、市の中心部へ来るのは初めてです、思っていた以上に大きな町で、確かに熊本県第二の都市には違いないのですが。 休日の早朝とあって閑散としていますが、八代町道路元標は大きな商店街と八代城址大手門からの道の交差する処にあります。 この一等地にしっかり建っているのですが、最近まで知られてなかったのは、道路元標の認知度の低さを表している様です。  

 八代町道路元標の後、今日は「18きっぷ」最後の1日を利用して宮崎へ移動します。 肥薩線経由で吉松、都城とでるのを一応は最短ですが、「いさぶろう・しんぺい」を加えても5往復の矢岳越えを通るので1日掛かりです。 どうせならと未収の宮地町道路元標を拾って大分経由のコースをとる事に、しかしこちらも1日5往復の豊肥線宮地~豊後竹田間と3往復の日豊本線宗太郎越えを経由しなければなりません、宮崎着は22時半です。 八代、熊本と決して天気は良くなかったので阿蘇はもっと悪いかと思っていたのですが、阿蘇外輪山を越える立野は晴れています。 雄大なスイッチバックも健在です。  

 宮地町道路元標は菓舗「さとう」の前に、実は宮地へは2008年にも訪れて乗り継ぎ待ちの間に道路元標を探してみたのですが、その時は見つける事はできませんでした。 今は町史跡「宮地道路元標」として案内板にも記されています。 大分方面への乗り継ぎへはまだ時間がありますので、甘味処でもある菓舗「さとう」でぜんさいを頂く事に、時々雪まじりの雨の降ってくる中で暖かいせんざいは格別です。    

 駅への帰途に阿蘇神社がありますので、今年は初詣に行っていなかったので、ここでお参りさせて貰う事に、「今年も未知の道路元標にご縁があります様に…」

 宮地1310発豊後高田行きに乗車、阿蘇外輪山の坂の上トンネルを抜けると回りは雪景色、波野駅は標高754m九州で一番高い駅との案内標が立っている。 分水嶺を超えているのですが、次の滝水駅まで熊本県です。

 大分県道路元標、いわゆる大正道路元標と同様の様式で、裏面に「位置大分県大字大分一番地 東経一三一度三九分 北緯三三度一四分」とあります。 山梨県道路元標とともにこの大分県の県道路元標と云うのは、大正の道路法に依って建てられた市町村の道路元標とはある意味矛盾すると云うか根拠に欠ける点があるので、私としては番外と云う事にしました。 そうなると東京日本橋の日本国道路元標も番外となるかも知れないのですが。

新八代駅前~市役所前~八代駅前
八代0842~0927熊本0957~1034肥後大津1040~1145宮地1310~1353豊後高田1357~1624大分~佐伯1924~2056南延岡2101~2229宮崎 7040円分乗車

道路元標蒐集の旅(2011九州篇 2日目)

 今日は午前中に伊万里周辺で駅から徒歩圏内、西松浦郡の3基の元標を回り、熊本県へ移動の計画。 まず唐津線と筑肥線で伊万里へ向かいます。
← 唐津駅、左は筑肥線の博多方面、JR九州ですが直流電化されています、4つの両開き扉だけが真っ赤なJR九州らしいカラーリングですが103系です。  

 松浦鉄道で里まで往復し東山代村道路元標をGETして伊万里駅へ戻りますが、休日の朝にしては人が多いなと思っていたら、今日は「新春古伊万里ロードレース」と云うマラソン大会が行われる様です。  

 牧嶋村道路元標の保存展示されている伊万里市歴史民族資料館へ向かうと、こちらでは消防出初め式が。

 伊万里駅はかつて国鉄筑肥線と松浦線の接続駅で、博多~佐世保のDC急行「平戸」とかも走っていたのですが、民営化後松浦線が松浦鉄道となった今、両線は完全に分断され、道路が貫通しています。
 再び松浦鉄道で大木駅まで往復し大山村道路元標をGET、三度伊万里駅に戻り、筑肥線経由で佐賀に戻ります。 佐賀駅で佐賀市在住の道路元標ウォチャーのそーつく氏にお目にかかり40分程の短い時間でしたが、お昼をご一緒しながら元標談義。 佐賀県下にはまだ未踏の道路元標を残しています、再びお目にかかれる事を願って熊本へ向かいます。

 熊本県に入り玉名駅周辺の元標を巡りますが、結構離れているので路線バスを利用して伊倉町道路元標まで、帰りもそう上手い具合にバスはありませんので、帰路は歩いて豊水村道路元標弥富村道路元標と巡りましたが、5~6キロは歩いた様な。

← 弥富村道路元標は42cmは常識外れの巨大サイズ。

今夜は東横イン新八代駅前店泊、通常料金4480円にメンバー日祝割引で3136円、ただ九州新幹線の駅として開業した新八代駅周辺は八代市街から離れている上に駅周辺に食事のできる処やコンビニすらありませんので、熊本で途中下車して補給後、新八代に向かいます。

佐賀0525~山本~0734伊万里0743~0750里0805~0811伊万里0945~0959大木1035~1047伊万里1105~1143山本1144~1240佐賀1320~1348鳥栖1355~1521玉名1748~1816熊本~新八代  5130円分乗車(JRのみ)

道路元標蒐集の旅(2011九州篇 1日目)

 Yahooオークションで3回分を6,349円で落札した「18きっぷ」が昨日届いた。 8,9,10日の3日間で使いきって11日の夜に宮崎からフェリーで帰ってくる計画である。 天気予報は相変わらず思わしくないので、自転車は持っていない事にしたが、1泊目を佐賀にするか八代にするかをまだ決めかねている、とにかく山陽本線を一路西へ向かう事に。
 「18きっぷ」で山陽本線を西に行く上でネックになるのが姫路~岡山間、一時間に1~2本は運行されているものの編成は3~4両になるので、「18きっぷ」の季節はどうしても集中してしまう、まして姫路駅乗り換えで発着ホームが異なると大変な混雑になってしまい、輪行だと余程余裕をみておかなければならない。 できればホームを跨ぐ可能性のある姫路、岡山、広島での乗り継ぎを避ける必要があるのと、長丁場なので食事や食料等の補給も考えておかなければならない、これが相反する課題なのだが。
 平日なら鶴橋まで近鉄利用で大阪0652発の新快速があるが、土日祝日は大阪0800発以降のスジしか選択できないので、桜井からJR利用でのんびり向かう事にする。 それでも長崎、八代、大分まで行こうと思えば2300円で行けてしまうのだから凄い、後は忍耐力だけ。 本屋へ行けば「18きっぷ」ガイド本も並んでいる位だから、一体1シーズンに何枚位売れるのだろう、「18きっぷ」を利用する客の多くは「18きっぷ」のオフシーズンや日頃は旅行でJRをあまり利用しないだろうから、それなりに売上げに貢献しているのだろう、少なくとも「18きっぷ」の存在がマイナスになってはいまい。 ただ日頃閑散としているローカル線は、この時期だけは何か訳の判らない連中が席を埋めてしまうのは、迷惑な話かも知れない。 しかし利用者らいしき人達を見ていると女性はグループ、男性は一人と云うのが圧倒的なのが面白い。

 長旅の必携品iPodで使っているBoseのヘッドフォオンのイヤーパッドが片側外れていたのには困ったが、季節柄耳当て付きの帽子を被っていたので不自由はなく、音楽を聴いたり居眠りしたり、倉敷を過ぎる頃には「18きっぷ」組も姿を消してしまった様である。 広島前後と北九州の通勤圏に入るまではほぼ1ボックス占有状態で下関まで行ける。
↑ 大畠水道に架かる大島大橋、周防大島にも道路元標があるので一度路線バスで渡ったが、もう3年にもなる。

 新山口で7回目の乗り換え、いまだに「小郡」ではなく「新山口」と云う駅名がどうもピンとこない。 JR西日本の塗色標準化だろうか、117系まで黄色に。
 天気予報を確認、目的の伊万里周辺も酷い降りにはならなそうなので、とにかく佐賀へ向かう事に、少し時間の余裕があるので小倉で一本遅らせて改札を出て食事をする事に。

 鳥栖で長崎本線に乗り換えて無事、佐賀駅2123着、宿はもちろん東横イン、ホームから見えている位だから殆ど濡れずに行ける。 駅構内にファミマができていたので、買い出しをして向かう事にする。 以前は九州内の東横インの中でも割安な価格設定だったが、今は4980円になってしまった。

桜井~奈良~大阪0800~0929相生0933~1037岡山1040~1207糸崎1216~1434岩国1441~1635新山口1647~1801下関1806~1812小倉1917~2054鳥栖2100~2123佐賀 10,400円分乗車。

18きっぷの旅

 今シーズンの「青春18きっぷ」の利用期間は今日が最終日、最後の一回分をきっちり消化しに行ってきました。 自転車抜きですが、元標を2基ばかり拾いに北近畿へ向かいます。
 今回は京都府天田郡の2つの道路元標、中夜久野村と福知山町を、いずれも近くを通過したり、探索したりもした事があったのですが、見つけ出す事ができませんでした。 自転車でR9や市街地をあまり走りたくはなかったので、この機会に訪れる事にしました。 京都から山陰線、福知山で乗り継いで下夜久野駅へ、中夜久野村道路元標は上夜久野駅から2キロ程の距離ですが、数少ない市営バスの時間を見計らって利用する事に。 市営バスと云っても、民間が撤退した後をカバーしている福祉バスの様なものです。 運賃は均一200円で乗客は私一人、車内はアナウンスも表示も無いマイクロバス、よそ者が利用する事は前提にない様です。

 上夜久野駅は雰囲気の良い山峡の駅です、峠のトンネルを越えると兵庫県です。
 和田山駅まで往復します。 播但線ホームにいたのは珍種のキハ41、片運転台のキハ47を両運転台化したもので、通常見せる事のない回送運転台ならともかく、切妻断面がそのままと云った感じです。 この様な例は湘南型サロ85のクハ85改造や、キハ44200からの改造車でも見られましたが、これはそのままと云う雰囲気ですね。
 この時間、福知山駅のホームには「たんば」「文殊」「きのさき」「北近畿」が並んでいます。
 せっかくの「18きっぷ」なので久しぶりに小浜線を「乗り鉄」して、敦賀経由で帰ろう考えて東舞鶴へ向かいます。 Twitterを見るとランニングバギーを押して日本縦断をしているKAY.Tさんが小浜を出発して舞鶴へ向かっているとの事、R27を走っているには違いないものの、舞鶴市街に入ってしまうととても判らないので、小浜線とR27が接近している松尾寺で待ち構えてみようと。 松尾寺1649着、R27へ出た処で20分程待ってみたが一向にやってこない、県境トンネルに入る直前の書き込み時間からすると、タッチの差ですれ違ってしまった様です、そうこうしていると舞鶴市街へ入った様な書き込みが。 敦賀経由で帰れる時間はもうないので、東舞鶴へ戻り、履修済みだが東舞鶴市道路元標を確認して、食事でもして帰ろうとしていると、駅付近にいるとの書き込み、2度のニアミスをしていた様です。

【914】 京都府 天田郡 中夜久野村 (現 福知山市)
【915】 京都府 天田郡 福知山町 (現 福知山市)

信州ツーリング(3日目)

 予定では今日は軽井沢から碓氷峠を越えて群馬県へ、高崎でもう一泊すれば群馬県下の道路元標を結構回れるのですが、ちょっと天気も仕事も気がかりな事で。 とにかく佐久平からは浅間山を見ながら中仙道を行きます。
  中仙道の宿場を辿って行くつもりだったのですが、途中御代田駅近くでレタス畑と別荘地に迷い込んでしまいましたが、どうにか軽井沢へ。 浅間山をこれだけ綺麗に見たのは始めてです。

 旧軽井沢駅舎、既にJRとしての在来線はないのですが、裏側にEF63が保存されています。

 軽井沢駅から碓氷峠までは僅かの距離、新幹線の駅から最も近い峠では、碓氷バイパスの開通でR18もこの区間は非常に車が少ないです。

 旧道と云っても、今もちゃんと整備が行われていて、最近アスファルトを引き直した区間もありました。 ただ台風の影響で風が強くて、木の枝が散乱しているのには参りましたが、木陰が多くてなかなか魅力的なコースです。
 碓氷峠に来た目的の一つにこのめがね橋こと旧信越線の第三橋梁、他にも幾つかの橋梁が保存され案内板も設置されています。

  第三橋梁へは「アプトの道」として遊歩道が整備されていて登ってくる事ができます。

 自転車を置いて階段を上まで登ってきましたが、旧線上を遊歩道が横川まで続いています、自転車はダメとは書いてありませんでしたが、どうなのかな。

 横川では「碓氷峠鉄道文化むら」へ寄って帰ろうと思っていたのですが、火曜は定休日(>_<)。 夏休みはやっていたので先週なら開いていたそうです、とにかく周わりを一周して外側から展示車両を遠目に見てきました。
 関門で活躍したEF30とお馴染みEF58。
  他にEF53かなEF59かなも見えました。

 横川駅、ここから碓氷峠を目指すのでしょうか、輪行でやってくる人が結構多い様です。




 有名な「峠の釜めし」は健在、駅前には「資料館」まであります。

 幸運な事にSLイベント列車の試運転に遭遇しました、なぜか後藤デフにされたD51が。







 SLや古い駅名標と、昔の佇まいが。

 横川からは「18きっぷ」で高崎、籠原、二宮、熱海、浜松、豊橋と乗り継ぎ、JRのままでは桜井には辿り着けませんから、名古屋から奮発して近鉄特急に。

 横川駅で買った「峠の釜めし」、高崎線~東海道線とローカルの乗り継ぎでは店を」拡げるのははばかられ、ようやく近鉄特急の中で晩飯がわりに頂きました。

本日の走行45.8キロ

【904】 長野県 南安曇郡 小倉村 (現 安曇野市)
【905】 長野県 東筑摩郡 入山辺村 (現 松本市)
【906】 長野県 小県郡 和田村 (現 長和町)
【907】 長野県 小県郡 大門村 (現 長和町)
【908】 長野県 小県郡 長久保新町 (現 長和町)
【909】 長野県 小県郡 長窪古町 (現 長和町)
【910】 長野県 北佐久郡 三岡村 (現 小諸市)
【911】 長野県 北佐久郡 西長倉村 (現 軽井沢町)
【912】 長野県 北佐久郡 軽井沢町 (現 軽井沢町)
【913】 群馬県 碓氷郡 坂本町 (現 安中市)