「道路元標」カテゴリーアーカイブ

「月うさぎ」から室生村道路元標へ

  奈良県宇陀郡曽爾村山粕の山粕郵便局前に昨年、再建された「室生村道路元標」、近いと云えば近いのですが、桜井から自転車でそれだけに往復するのも芸がないので、気候が良くなったら東吉野の「月うさぎ」経由で回ろうかと企んでいたところ。 たまたま昨日TwitterでSORAさんも走りに出ると云う事なので、11時頃に菟田野界隈で合流して一緒に走ろうと云う事に。

 東吉野へは遠回りなものの芋峠を越え、吉野川から高見川沿いに遡上するのが定番コースですが、今日は多武峰から大峠トンネル経由で宮奥へ下るルートをとる事に。 多武峰まで県道桜井吉野線も新鹿路トンネルが開通でずいぶん交通量が増えてしまったのが、とにかく脇道の使える処はそちらを走りますが、急坂の下居から百市あたりは他にルートのないのが。

 時間の余裕はあったのですが、電話があったりヘッドランプの電池交換にてこずったりと1800mの大峠トンネルを抜ける頃には10時半になってしまいました。

 「月うさぎ」は食事は予約制(その上不定休)なので、大宇陀の「アナンダ」でパンを買って行きます、「アナンダ」と「のら」のパンは持ち込みOK。 ところでSORAさんは既に菟田野へ入っている由、別に場所を決めている訳ではありませんが、 古い付き合いですので暗黙の了解で、松井橋のローソンへR166新道を直行、ところが姿が見えません。 どうやら水分神社でグローブがなくして探しているとの事。

 岩端で少し休憩の後、一谷峠を越え「月うさぎ」へ、相変わらず犬たちの歓迎?。 猫たちも暖かくなったので庭をウロウロ。 昨日奈良テレビの番組で紹介された事もあって、いくらか問い合わせの電話もあるそうです。  

 昨秋にテントを張ったスペースが整備されて、バーベキューコンロができていました。

 滝野へ一旦下り、染谷峠から大内峠を経てR369に入ります。 「室生村道路元標」は現在の曽爾村山粕の郵便局前に案内付きで昨年再建されました。 伊勢本街道の宿場山粕は、かつて室生村に属していたのですが、昭和29年に曽爾村に編入され、翌年に残る室生村域と三本松村に山辺郡東里村が合併し宇陀市となるまでの室生村となりました。 道路元標は伊勢湾台風禍で流され、その後発見されたものの元郵便局長宅に保管されていたと云う経緯があります。

 曽爾村掛から名張曽爾線へ、赤目掛線との分岐から北、三重県側はずいぶん久しぶりです。 SORAさんの案内で青蓮寺川右岸の道へ入ったりしながら北上します。 真正面に鎧岳を見上げるこちらの道はなかなかお奨めです。 ダム堰堤までは下らずに青蓮寺橋を渡り赤目口駅方面へ越えます。 こちらも私には未知のルートでなかなか新鮮です、なによりR165の夏見へ下らずに済むのが良いです。 赤目を過ぎてから少しはR165を走らざる得ませんが、三本松からは海老坂峠への旧街道に入り、大野寺に車をデポしているSORAさんとは室生口大野駅を見下ろす辺りでお別れします。 室生ダムから湖畔を走れば100キロ越えが確実なのですが、曽爾からずっと向かい風で少々くたびれてきたので、榛原までは素直にR165を走り、篠楽から女寄辻経由で暗くならないうちに無事帰ってきました。

本日の走行97.8キロ
【932】 奈良県 宇陀郡 室生村 (現 曽爾村)

灯台下暗し

 今日は久しぶりに大阪まで、例によってお昼はS翁と会食、って梅田の地下街でビジネスマン向けのお昼の定食を喰らうだけなんですがネ。

 実はS翁も REGZA Phone T-01C を買ってたりして、色はブラック、やはり黒の方がいいなぁ… と云う訳で揃い踏み。 もっぱら話題は通信コスト。 もちろん非公式ですがデザリングの方法もあるそうです、まぁ私の場合は、だからと云ってどうしようもないのですがネ。

 梅田での用事を済ませてから、今度は天下茶屋経由で南海本線へ。 実は最近、老舗道路元標サイト「国道901号~道路元標は行く~」で大阪府西成郡の粉浜村道路元標の報告があったのです。 大阪府下の道路元標設置場所の資料は昭和28年の「大阪府例規集」に頼らざるえないのですが、これは昭和4年以降の大阪府告示を元にしているとの事ですが、昭和4年には既に現在の大阪市の形がほぼできあがっており、道路元標の根拠法である大正の道路法施行当時に存在していた西成郡、東成郡、住吉郡の各町村は大正14年には大阪市に編入されています。 もとより大阪府下の道路元標は旧知の岸和田市道路元標と、2006年に私が見つけた泉南郡の熊取村道路元標の2基しか確認されておらず、まして根拠法が有効なうちに廃止された町村の道路元標が生き延びているとは考えもしませんでした。 道路元標は粉浜小学校の東側、商店街に面して、目立った欠損も深く埋没する事もなく、本来の位置とは思えませんが、さして離れていないだろう場所に良好な状態で建っており、恐らくは紆余曲折を経てこの場所に意図的に残されたのでしょう。
 しかし南海電車の粉浜とは… 関西在住のサイクリストなら知らない人はいない某有名店の近くとは、「灯台下暗し」と云いますか、お恥ずかしい次第です。

 粉浜村道路元標の後は、日本橋の電気屋街へ無核予定ですので、久しぶりに阪堺電車に乗る事にします。 いわゆるDOS/Vショップ(死語)はなんば寄りにシフトしてしまったものの、一本で恵美須町まで行けて昼間でも10分置きでやってくるので結構便利です。

 天神の森、聖天坂と下町の懐かしい駅名を思い出しながら、今はなき南海天王寺線へのオーバークロスの勾配を登って行きます。

 別にまとまった買い物がある訳でもないのですが、小物を漁りながらオタロードへ、平日なのに人が多いなと思ったらもう春休みなんですね。
 ビッグカメラでポイントをケータイからスマホへ乗せ替える手続きをしてもらって、ミナミのいつも店に少し顔をだして早々に帰ってきました。  

道路元標蒐集サイク

 いつも愛知県下に残る道路元標の情報を頂いているはづきサイクリストクラブのIさん。 教えて頂いた現存情報を昨年から溜めてしまっているので、暖かくなったら一回りしようと企んでいた処、13日(日)に予定されていた「クラシックロード走行会」に参加のために名古屋から戻ってくるT御大の車に便乗させて貰おうと、昨夜連絡を入れてみると、KHSを担いでくるつもりならBSMを奈良へ積んで帰る予定なので、そちらを貸して貰える事になった。 お陰で手ぶらで出掛ける事に。 近鉄蟹江駅にて待ち合わせてBSMを一日お借りする事に。 まずは海部郡の蟹江町道路元標南陽村道路元標を回ります。   南陽村の後は名古屋市西区に残る、庄内村道路元標に向かって、新川沿いに北上します。 決して土地勘がある訳でもないのですが、右岸の水路(萱津用水)沿いの道を見つけて走ります、堤防の下なので風もなく信号も殆どなくて快適です。 砂子橋と云う橋で左岸に渡り再び北上を続けますが、この付近はなぜか高い建物がなく、川沿いのその風景は昔の大阪市の西区や大正区辺りにタイムスリップしてしまった様な懐かしい感覚です。 庄内村道路元標の後、Iさんから頂いている情報には東春日井郡の坂下村道路元標もあるのですが、そこまで足を伸ばすと、とても戻ってこれませんので、中島郡の朝日村道路元標へ向かう事にします。 ただ庄内村から朝日村までは直線距離では15キロ程なものですが、真っ直ぐなルートがないのでかなり迷走する事に、結果的には津島街道から名古屋市水道幹線上の自転車道に入るコースに、しかしもろに向かい風を受けてなかなか前に進みません、実はこのころ東北太平洋沖地震があって名古屋でも相当揺れていたそうなのですが、全く気がつかなかったのです。  尾張サイクリングロードとも云われている様なのですが、路面状態もあまり良くありませんし、交差する道路が非常に多くて、お世辞にも快適とは云えません。 それに日光川で分断されていて案内もありませんでした。 地震を知ったのはT御大からの「地震で携帯が使えないので、6時10分に●●で…」と云うPCメールでした。 最初は状況が理解できなかったのですが、ツィッターへの書き込みで気がついた次第、その時点ではdocomoへは繋がるのにsoftbankには全く繋がりませんでした、エリアの狭さ以外でもこう云った時に弱体なのは頂けませんね。 本日の走行、メーターがついていないのでGPS計測で65.7キロでした。

2011-2-26

 今日は天気も良いので最近、現存の報告があった京都市伏見区jの醍醐村道路元標を目指すことにします。 京都市方面は自転車道を嵐山まで往復する以外は、殆どと云って良いほど自転車で走る事はありません。 とにかく上街道から猿沢池、県庁前、奈良阪を越えて京都府へ入り井関川沿いに木津川沿いの自転車道に入るいつものコースを北上する事にします。 今一つペースが上がらないのと、少し向かい風で1時間半程かかって県庁西の交差点へ、土曜日とあって9時をまわると興福寺境内や奈良公園も観光客が多くなってきます。 鹿たちも良く知ったもので、鹿せんべいの店の出るこの角へ集まってきます。   自転車道を北上して行くとかなり西側にふってしまいますが、木津川大橋まで走り国道1号線へ、京滋バイパスに沿って走り隠元橋から六地蔵駅へ抜けます。 この付近は鉄道や道路が錯綜していて、街道の変遷や巨椋池の干拓なども含めて考えると興味深い地域です、しかし不案内な人間にとっては自転車では走りににくい処です。 醍醐村道路元標を後に元来た道を折り返します、六地蔵からはJRと京阪の間の旧街道とおぼしき道を南へ、宇治村道路元標の処まで来ました。 既に2006年に履修済みですが、写真を撮っていると「天五さんの…」云々と声を掛けられました、お話とするとくろださんとお知り合いの方で凛凛さんと云う方でした。 なお宇治橋の西詰めにあるのは久世郡の宇治町道路元標で、郡は異なりますが宇治の名を関した町と村が同時に存在しました、その後宇治郡宇治村は笠取村と合併して東宇治村となり戦後宇治市となります。 また乙訓郡に淀村、久世郡に淀町が、こちらは桂川を挟んで存在していました。 帰路は少し賢くなって巨椋池排水幹線沿いの道を走り大久保バイパスへ、旧知のY氏のお店へ立ち寄って自転車談義、その後城陽市の客先へ少し顔をだして自転車道へ、木津までかなりハイペースで走り、あとはのんびりと。 ところで朝出てからはカロリーメイト1箱で済ませていたので、さすがに腹がへってきて、天理市内のコンビニで缶コーヒーとあんパンを買い食いして一息、桜井に辿り着く頃にはすっかり暗くなってしまいました。 本日の走行126.2キロ、2月としては異例の500キロ越えとなりました。

北北西へ進路を…

 結局午前中はぐずぐずと出掛けそびれる事に、明日になると天気は下り坂との事、遠くへは行けないがとにかく走り出す事に、目標は榁木(むろのき)峠と南生駒と云う事で。 三輪まで走り大和川沿いへと。 サイクリストにとって我が町は恵まれたローケション、南は吉野、東は宇陀と、あまり車に悩まされる事なく、少し走れば快適なコースに入る事ができます、京都方面へ向かう時は上街道、大阪方面へ伊勢街道と旧街道にも事欠きませんので、あえて法隆寺や生駒方面へ足を向ける事がありませんし、どちらかと云うと不案内な方角です。 しかし走っていると気持ちの良い日和です、大和川河畔を振り返ると三輪山が… 自転車道ではありませんし、土手上を強引に進むと少しダートもありますが、 休憩ポイントもあってなかなか快適なコースです。 この付近はSORA氏の方が詳しいと云うか縄張りですな。 佐保川と合流し川幅も増した辺りで北上し関西本線を跨いで富雄川沿いの自転車道に入り北上、少し寄り道して庚申堂金輪院前の生駒郡の片桐村道路元標へ立ち寄ります。 ところで金輪があるならどこかに銀輪はないのかな。 再び富雄川沿いに北上し同じく生駒郡の富雄村道路元標へ、こちらも健在ですが暗越奈良街道に面した表面が電信柱に隠れてしまっているのが。 ここから奈良街道を西へ向かいます。 第2阪奈が国道308号となっていても、こちらも立派な国道308号です。 ただ「おにぎり」どころか通行困難と書かれた看板以外は国道である事を示すものはありません。 追分本陣、大阪から来ると奈良と郡山への分岐点となります。 短いとは云え暗峠とエエ勝負のとんでもない劇阪の連続で榁木(むろのき)峠にやっと到着、残り少ない奈良県下での未踏の峠をGET。 しかし生駒側も前転しそうな位の劇阪が… 滑落する事なく無事に下って国道168号との合流点へ。  奈良県の道路元標探索のバイブルとも云える上田倖弘著「道路元標を尋ねて」、出版されて既に20年近く、その後発見されたものもありますが、その後行方知れずとなってしまった元標もあります。 竜田川に架かる小瀬橋の西詰、植田医院の庭先に倒置されていたと云う「南生駒村道路元標」は、やはり見つける事はかないませんでした。 と云うより調査された昭和63年3月とは小瀬橋周辺も件の植田医院もすっかり様変わりしている様です。 竜田川沿いを南下し大和川に入り、御幸大橋を渡り後は訳の判らないの奈良盆地の自転車道を縫って帰ってきました。 本日の走行65.1キロ。

道路元標蒐集の旅(2011九州篇)

あまりに早く寝てしまったので、未明に目が覚めてしまいました、ロビーにでると紀伊水道まで来ている様です、ロビーにあるdocomoのアンテナブースターがどれ程届いていたのか判りませんが、ここまで来ると十分にモバイル接続は可能な様です。 0730ほぼ定刻に大阪南港かもめフェリーターミナルに到着、ただ南港から宮崎と志布志へのフェリーの着くかもめフェリーターミナルはニュートラムの駅から2キロ以上離れていて路線バスを利用しなければならないのが難点です。 住之江公園からなんばへ出て、10時前に無事桜井へ帰りつき、九州道路元標の旅を終えました。

【916】 2011/01/09 佐賀県 西松浦郡 東山代村  (現 伊万里市)
【917】 2011/01/09 佐賀県 西松浦郡 牧島村 (現 伊万里市)
【918】 2011/01/09 佐賀県 西松浦郡 大山村 (現 有田町)
【919】 2011/01/09 熊本県 玉名郡 伊倉町 (現 玉名市)
【920】 2011/01/09 熊本県 玉名郡 豊水村 (現 玉名市)
【921】 2011/01/09 熊本県 玉名郡 弥富村 (現 玉名市)
【922】 2011/01/10 熊本県 八代郡 八代町 (現 八代市)
【923】 2011/01/10 熊本県 阿蘇郡 宮地町 (現 阿蘇市)
【924】 2011/01/11 宮崎県 南那珂郡 市木村 (現 串間市)
【925】 2011/01/11 宮崎県 児湯郡 上江村 (現 高鍋町)

道路元標蒐集の旅(2011九州篇 4日目)

 18きっぷは昨日で終わったのですが、今夜の南港行きフェリーに乗船するまで、今日の移動には「宮崎交通路線バス1日のり放題乗車券」を利用する事にしました。 1800円で宮崎交通の路線バスが1日乗り放題で当日でもローソンやファミマ等のコンビニの端末で購入できます。 高速バス等でよく採用されている仕組みですが、この様なフリーきっぷではあまり聞きません。 北近畿たんご鉄道や松浦鉄道等の乗り放題切符は限られた駅の窓口でしか買えず、結果早朝からフルに利用する事が難しい事を思えば非常に便利で、昨夜遅く宮崎に到着してからローソンまで買いに行きました。 ところで宮崎県下で未踏の道路元標は後4基、いずれもこのチケットのエリアに入りはするのでですが、4つの郡に分散していて1日で回る事は不可能どころか、どう考えても2つを回る事すら困難で、時間を見比べながら勿体ないですが並行するJRも利用せざる得ませんでした。 ただ1800円分の元を取るだけ宮崎交通バスには乗車してきました。

 宮崎0651発の日南線で飫肥(おび)へ、飫肥は現在の日南市に属する城下町、南那珂郡の市木村道路元標へ向かうために、ここから1日5往復の宮崎交通バス乗り継ぎます、1時間半待ちと接続が目茶苦茶悪いのですが、市街と離れているJR飫肥駅と宮崎交通の飫肥とは歩いて15~20分の距離があります。 土地勘が無いので最初判らなかったのですが、市木方面のバスはJR駅の近くを通っているものの、バス停の名も全く違っていて案内もなく、観光化されている割りには判りにくい処です。 街の真ん中を国道222号が貫いていて、なぜか「厚焼き卵」と「おび天」と云う名の練り物を揚げたものが名物です。

 とにかく時間はたっぷりありますので、あるかも知れない、かつてはきっとあっただろう飫肥町道路元標を求めて市街をウロウロします、残念ながら新たな発見はありませんでしたが。 飫肥城は大手門が再建されていますが、一応「日本の100名城」に名を連ねるお城だそうです。   

 宮崎交通の飫肥営業所を0930発のバスに乗車します。 宮崎市内からここ飫肥まで宮崎交通のバスも10数往復走っていますが、所要時間は若干長めで伊比井から南は日南線と離れて海岸線を走り日南市街に入ります、従って飫肥~油津間はそれぞれ宮崎へ向かう方向が逆になっています、日南線と宮崎交通を乗り継ぐにはこの点を理解していないととんでもない事に、結果的に日南駅か油津駅が乗り継ぐには丁度良い様ですが、同じ路線でも油津駅では駅前まで入るバスがあったりなかったりするので注意、とにかく路線バスは他所者には大変です。  

 南郷までほぼ日南線と並行して走り、山越えで串間市域へ入ります、自転車を持ってきたら越えただろう峠道を走り古都(ふると)停留所で下車、折り返しのバスまで半時間ですが、市木村道路元標は目の前、現在確認されている本土最南端の道路元標です。  

 折り返しのバスでそのまま飫肥へ戻るつもりでしたが、バスの時刻を調べていると、日南線沿線で有名な撮影ポイントである大堂津駅付近で途中下車し、日南線の列車を撮影して、再びバスで日南市まで戻っても宮崎へ戻るのは同じなので、急きょ予定を変更。 バスの運転手さんに尋ねる山王の停留所あたりが丁度良いとの事です、しかし熊本の九州産交にしても九州の路線バスの運転者さんはどこも親切です。 国道沿いに場所探しをしている内は日差しもあったのですが、列車の来る頃には陰ってしまったのが残念。

 日南駅からJRに乗換え、次の目的地高鍋に向かいますが、高鍋駅から目的の上江村道路元標までゆうに往復7キロはありますし、宮崎駅に1750までに戻ってこなくてはなりませんので、南宮崎~高鍋間を特急「にちりん」を利用する事に、「18きっぷ」なら乗車券分が無駄になるので、どうしても敬遠してしまうのですが。
 実は「にちりん」等で利用されている485系、3月のダイヤ改正で定期運用から外れる事に、まあ「くびき野」等で今ではタダで乗れる元特急車両なので、あまり有り難みもないのですがね。 独自のカラーリングのJR九州の中で国鉄時代を思い起こさせる塗色は貴重でしたが。
 高鍋駅から上江村道路元標のある高鍋西小学校前までも路線バスは走っているのですが、駅前から高鍋町中心部へのバスさえ上手く時間が合いません、結局往復歩く事になってしまいました。

 宮崎駅前1750発のバスで宮崎港へ、ここでも宮崎交通のチケットが利用できます。 宮崎港1900発の大阪南港行きフェリーに乗船、バースデー割引で半額。 1700円高いですが2等寝台を予約しています、それでも6700円です。 瀬戸内航路と違い外洋に出るのでモバイル接続は殆ど使えませんが寝台毎にACコンセントがあるのが有難いです。 大して旨いものでもありませんが1300円の夕食バイキングをたらふく食ったら、4日間の疲れがでたのか風呂にも入らず寝てしまいました。 なお船内の飲料自販機は割高ですよ。  

宮崎0651~0802飫肥 910円(JR)
飫肥0930~1034古都1104~1137山王1222~日南駅前 1110+720+370円(宮崎交通)
日南1259~1412南宮崎1413~1436高鍋1626~1700宮崎 1430+600+540円(JR)
宮崎駅前1750~宮崎港 260円(宮崎交通)

道路元標蒐集の旅(2011九州篇 3日目)

 在来線の新八代駅前から100円均一料金の「みなバス」と云う名の市内循環バスに乗って八代市街へ。 八代駅は何度も来ていますが、市の中心部へ来るのは初めてです、思っていた以上に大きな町で、確かに熊本県第二の都市には違いないのですが。 休日の早朝とあって閑散としていますが、八代町道路元標は大きな商店街と八代城址大手門からの道の交差する処にあります。 この一等地にしっかり建っているのですが、最近まで知られてなかったのは、道路元標の認知度の低さを表している様です。  

 八代町道路元標の後、今日は「18きっぷ」最後の1日を利用して宮崎へ移動します。 肥薩線経由で吉松、都城とでるのを一応は最短ですが、「いさぶろう・しんぺい」を加えても5往復の矢岳越えを通るので1日掛かりです。 どうせならと未収の宮地町道路元標を拾って大分経由のコースをとる事に、しかしこちらも1日5往復の豊肥線宮地~豊後竹田間と3往復の日豊本線宗太郎越えを経由しなければなりません、宮崎着は22時半です。 八代、熊本と決して天気は良くなかったので阿蘇はもっと悪いかと思っていたのですが、阿蘇外輪山を越える立野は晴れています。 雄大なスイッチバックも健在です。  

 宮地町道路元標は菓舗「さとう」の前に、実は宮地へは2008年にも訪れて乗り継ぎ待ちの間に道路元標を探してみたのですが、その時は見つける事はできませんでした。 今は町史跡「宮地道路元標」として案内板にも記されています。 大分方面への乗り継ぎへはまだ時間がありますので、甘味処でもある菓舗「さとう」でぜんさいを頂く事に、時々雪まじりの雨の降ってくる中で暖かいせんざいは格別です。    

 駅への帰途に阿蘇神社がありますので、今年は初詣に行っていなかったので、ここでお参りさせて貰う事に、「今年も未知の道路元標にご縁があります様に…」

 宮地1310発豊後高田行きに乗車、阿蘇外輪山の坂の上トンネルを抜けると回りは雪景色、波野駅は標高754m九州で一番高い駅との案内標が立っている。 分水嶺を超えているのですが、次の滝水駅まで熊本県です。

 大分県道路元標、いわゆる大正道路元標と同様の様式で、裏面に「位置大分県大字大分一番地 東経一三一度三九分 北緯三三度一四分」とあります。 山梨県道路元標とともにこの大分県の県道路元標と云うのは、大正の道路法に依って建てられた市町村の道路元標とはある意味矛盾すると云うか根拠に欠ける点があるので、私としては番外と云う事にしました。 そうなると東京日本橋の日本国道路元標も番外となるかも知れないのですが。

新八代駅前~市役所前~八代駅前
八代0842~0927熊本0957~1034肥後大津1040~1145宮地1310~1353豊後高田1357~1624大分~佐伯1924~2056南延岡2101~2229宮崎 7040円分乗車

道路元標蒐集の旅(2011九州篇 2日目)

 今日は午前中に伊万里周辺で駅から徒歩圏内、西松浦郡の3基の元標を回り、熊本県へ移動の計画。 まず唐津線と筑肥線で伊万里へ向かいます。
← 唐津駅、左は筑肥線の博多方面、JR九州ですが直流電化されています、4つの両開き扉だけが真っ赤なJR九州らしいカラーリングですが103系です。  

 松浦鉄道で里まで往復し東山代村道路元標をGETして伊万里駅へ戻りますが、休日の朝にしては人が多いなと思っていたら、今日は「新春古伊万里ロードレース」と云うマラソン大会が行われる様です。  

 牧嶋村道路元標の保存展示されている伊万里市歴史民族資料館へ向かうと、こちらでは消防出初め式が。

 伊万里駅はかつて国鉄筑肥線と松浦線の接続駅で、博多~佐世保のDC急行「平戸」とかも走っていたのですが、民営化後松浦線が松浦鉄道となった今、両線は完全に分断され、道路が貫通しています。
 再び松浦鉄道で大木駅まで往復し大山村道路元標をGET、三度伊万里駅に戻り、筑肥線経由で佐賀に戻ります。 佐賀駅で佐賀市在住の道路元標ウォチャーのそーつく氏にお目にかかり40分程の短い時間でしたが、お昼をご一緒しながら元標談義。 佐賀県下にはまだ未踏の道路元標を残しています、再びお目にかかれる事を願って熊本へ向かいます。

 熊本県に入り玉名駅周辺の元標を巡りますが、結構離れているので路線バスを利用して伊倉町道路元標まで、帰りもそう上手い具合にバスはありませんので、帰路は歩いて豊水村道路元標弥富村道路元標と巡りましたが、5~6キロは歩いた様な。

← 弥富村道路元標は42cmは常識外れの巨大サイズ。

今夜は東横イン新八代駅前店泊、通常料金4480円にメンバー日祝割引で3136円、ただ九州新幹線の駅として開業した新八代駅周辺は八代市街から離れている上に駅周辺に食事のできる処やコンビニすらありませんので、熊本で途中下車して補給後、新八代に向かいます。

佐賀0525~山本~0734伊万里0743~0750里0805~0811伊万里0945~0959大木1035~1047伊万里1105~1143山本1144~1240佐賀1320~1348鳥栖1355~1521玉名1748~1816熊本~新八代  5130円分乗車(JRのみ)

道路元標蒐集の旅(2011九州篇 1日目)

 Yahooオークションで3回分を6,349円で落札した「18きっぷ」が昨日届いた。 8,9,10日の3日間で使いきって11日の夜に宮崎からフェリーで帰ってくる計画である。 天気予報は相変わらず思わしくないので、自転車は持っていない事にしたが、1泊目を佐賀にするか八代にするかをまだ決めかねている、とにかく山陽本線を一路西へ向かう事に。
 「18きっぷ」で山陽本線を西に行く上でネックになるのが姫路~岡山間、一時間に1~2本は運行されているものの編成は3~4両になるので、「18きっぷ」の季節はどうしても集中してしまう、まして姫路駅乗り換えで発着ホームが異なると大変な混雑になってしまい、輪行だと余程余裕をみておかなければならない。 できればホームを跨ぐ可能性のある姫路、岡山、広島での乗り継ぎを避ける必要があるのと、長丁場なので食事や食料等の補給も考えておかなければならない、これが相反する課題なのだが。
 平日なら鶴橋まで近鉄利用で大阪0652発の新快速があるが、土日祝日は大阪0800発以降のスジしか選択できないので、桜井からJR利用でのんびり向かう事にする。 それでも長崎、八代、大分まで行こうと思えば2300円で行けてしまうのだから凄い、後は忍耐力だけ。 本屋へ行けば「18きっぷ」ガイド本も並んでいる位だから、一体1シーズンに何枚位売れるのだろう、「18きっぷ」を利用する客の多くは「18きっぷ」のオフシーズンや日頃は旅行でJRをあまり利用しないだろうから、それなりに売上げに貢献しているのだろう、少なくとも「18きっぷ」の存在がマイナスになってはいまい。 ただ日頃閑散としているローカル線は、この時期だけは何か訳の判らない連中が席を埋めてしまうのは、迷惑な話かも知れない。 しかし利用者らいしき人達を見ていると女性はグループ、男性は一人と云うのが圧倒的なのが面白い。

 長旅の必携品iPodで使っているBoseのヘッドフォオンのイヤーパッドが片側外れていたのには困ったが、季節柄耳当て付きの帽子を被っていたので不自由はなく、音楽を聴いたり居眠りしたり、倉敷を過ぎる頃には「18きっぷ」組も姿を消してしまった様である。 広島前後と北九州の通勤圏に入るまではほぼ1ボックス占有状態で下関まで行ける。
↑ 大畠水道に架かる大島大橋、周防大島にも道路元標があるので一度路線バスで渡ったが、もう3年にもなる。

 新山口で7回目の乗り換え、いまだに「小郡」ではなく「新山口」と云う駅名がどうもピンとこない。 JR西日本の塗色標準化だろうか、117系まで黄色に。
 天気予報を確認、目的の伊万里周辺も酷い降りにはならなそうなので、とにかく佐賀へ向かう事に、少し時間の余裕があるので小倉で一本遅らせて改札を出て食事をする事に。

 鳥栖で長崎本線に乗り換えて無事、佐賀駅2123着、宿はもちろん東横イン、ホームから見えている位だから殆ど濡れずに行ける。 駅構内にファミマができていたので、買い出しをして向かう事にする。 以前は九州内の東横インの中でも割安な価格設定だったが、今は4980円になってしまった。

桜井~奈良~大阪0800~0929相生0933~1037岡山1040~1207糸崎1216~1434岩国1441~1635新山口1647~1801下関1806~1812小倉1917~2054鳥栖2100~2123佐賀 10,400円分乗車。