さる8月31日、曽爾高原へのサイクリングの帰り道、R369で帰途に就いていた時の事なのですが…
気が付いたら救急車の中、曽爾村山粕の集落を出て栂坂トンネルへ向かって走っていた処から後の記憶がありません、自転車の後ろの方に衝撃があった記憶がかすかにあるのですが、右からなのか左からのなのか、自分で転倒したのか車と接触したのかも判らないのです。救急車の中で救急隊員と会話をしている辺りから記憶が戻ってきます、痛みはあまり感じず、桜井の済生会中和病院へ行きますからと云われた事や、今日は何月何日なのかと云う質問に答えられなかったりと、徐々に今どの辺りを走っているのかなぁと記憶は鮮明になってきます。最初に住所氏名や勤務先を聞かれて答えていた様で、ただ携帯の番号は2ヶ月程前に変更した前の番号を云っているのが。
とにかく済生会中和病院に救急搬送され、コロナの検査で暫く待たされましたが、CTとレントゲンの撮影と、擦過傷部の手当てを受け、取り敢えず格段の心配はないから、今日は一旦帰って良いから、明日、整形外科と脳外科を受診する様にとの事で病院から10分位歩いて帰宅しました。
翌1日朝、整形外科と脳外科を受診、脳に異常や骨折はないとの所見で「右肋軟骨損傷」「頭部外傷、右前額部挫創」との診断を受けて帰宅。宇陀署に連絡を入れて後続車と接触した事とasuka号は宇陀署で保管されている事を知ります。とにかくたんこぶができているのと咳をすると胸が少し痛い程度なので、1日夜は通常通り出勤。一人住まいですからね勤めている病院にいる方が余程安心なんです。
くたびれてぐっすり仮眠していたら深夜 0314 STで叩き起こされる事になるのですが、なにやら右目のまわりが腫れぼったいので鏡を見ると青く晴れ上がっています。朝出勤してきた院長(整形外科医)に診て貰ったら、血が下りてきているみたいやね、あまり心配はいらんやろとの事。とりあえず帰宅の足で済生会中和病院眼科を受診、精密検査の結果網膜はく離等の所見はないけど、1週間程は視野の欠損や酷い飛蚊症状がでないか経過観察との事。目の周りの腫れはひくのを待つしかないねとの事。
宇陀署の交通課の婦警さんから電話があって自転車を自宅まで持って行きますよとの事、エラい神対応やなぁ誰か事故と知った知り合いが気を使ってくれたのかなと思っていたら、宇陀署では証拠品保管ができないのと、相手車両のドライブレコーダーのメモリーカードが読めないので桜井へ下りるついでがあるとの事。
asuka号は手元に戻ってきましたが、見た限りでは後ろのリムとマッドガードの変形程度、あとベルクロ止めのヘッドランプが無くなってますがGPSとメーターはちゃんと付いていました。おニューのフロントバッグが無傷だったのは幸いです。まぁハンドルとサドルはあさっての方を向いてますががね。
asuka号を持ってきた貰った時に現場写真と見せて貰いましたが、道路センターライン付近に転倒していたらしく、相手車両の右前部に接触痕があるそうです。相手車両(マークXだとか)の運転手の談に拠ると、自転車が路側帯付近を走行しているを視認、先行車が過ぎた後に右折しようとしたのか道路中央に入ってきて接触してきたとの事です。ただ栂坂トンネルに向かって登っていたので、この時間から旧道に入るつもりもなく右折する必然性がないのですがネェ。ただこちらの記憶がないのと、相手のドライブレコーダーのメモリーカードが桜井署でも読めなかった様で、車や道路のキズ、転倒していた位置から現時点では右折時に接触との判断の様です。こちらの事情聴取がまだなので、まだなんとも云えませんが… (画像はGoogleMapから)
asuka号の修理見積等は「ナニワ銀輪堂」さんのお世話になるしかないのですが、作業が立て込んでいたり、Nさんが手を怪我されていたりと、asuka号の復帰には時間がかかりそうです。「モバイルグランフォンド in 奈良・吉野」のスタンプラリーは残り9ヶ所、全24ヶ所をマッドガード付きで走ろうと思っていたのですがねぇ、残るは吉野郡の山間部ばかり、非力なデモンタと延陽伯号では大台ヶ原はネェ… スタンプラリーそのものは来年2月末まで行われているのですが、奈良県道40号大台ケ原公園川上線は例年11月下旬から4月下旬まで閉鎖されるのですよね。それにせっかく80kgをきった体重がまた戻りそう…

8月は走行703.3キロ、内訳はasuka 625.3キロ、démonta 43.4キロ、erba 34.6キロ、2021年累計5224.2キロ。
8月 2日 芋ヶ峠~東吉野~一谷峠~女寄峠
8月 5日 初瀬ダム~「ミモザガーデン」~満寿寺薬師堂~室生ダム
8月 8日 竹之内峠~柏原市役所~峠八幡神社~
8月24日 芋ヶ峠~津風呂湖畔~菟田野~室生ダム湖畔~
8月31日 曽爾高原へ
スタンプラリー
「モバイルグランフォンドin奈良・吉野」 15/24ポイント 47点
瞬間風速では77kg台と順調に下がってきたのですがネェ…

日本国内での最初の感染者がでてから1年半、結構のんきに気楽に日常生活を送っていたんですがネェ… 大阪2,000人、兵庫1,000人なんて数字が毎日続くとさすがにこれはと、案の定昨日、緊急事態宣言とまん延防止措置の対象都道府県がご覧の様に拡大され、奈良県だって北部は京阪神となんら変わりはなく、回りには多くの人が相変わらず大阪へ働きに出かけ、職場では大阪から通ってきている人も少なからずいる。
職場柄、信頼に値する情報は入ってくるし指導もある。私の場合、4月5月には2度ワクチン接種を済ませ、その後も検査を受けているものの、ファイザー製ワクチンのデルタ株への効果は40%台とか云われ、抗体が出来ていてもいつまで効果が続くのやら、確かにするとしないではリスクは格段に違うのだけど、現実にワクチン接種者の感染例や発症例は少なからずあるし、最悪キャリアとしてばらまく可能性だってないとは云えない。
統計上の差異はあるけど既に15,000人が亡くなっていても、癌や内臓疾患での死亡者数の何分の一、自殺者数にも及ばない、ただ交通事故の死亡者数(昨年は3,000人を下回った)の何倍にかにはなる。積極的な対抗策が限られる中「コロナ禍」を事故と捉えれば、回避策は「危機回避」と「安全運転」、それでもオリンピックは行われたけど。
しかしその割りにスーパーとか商業施設の入り口では、以前は警備員やスタッフが立っていたのが今では見かけない、さすがに人目があるからマスクを着用していない人は殆ど見かけないけど、ワクチン2回接種したからもう大丈夫なんて云ってるのを聞くと、絶対緩んできているとしか思えない。
さて自転車は通勤と一人で走っている限りは「密」にはなりにくいし、健康とQOL維持には欠かせない日課、満員電車や京阪神のターミナルを経由しない限り輪行も良いかなと考えていたけど、どうも輪行袋担いでウロウロするのも人目が、それにキャンプもよりよってこんな時代にブームになって「密」なレジャーになってしまい、そんな事を気にしてまで行きたくもないし。
もとよりインドア趣味の人間だったから籠ってごそごそするのは嫌いではない、「床の間サイクリスト」はどうかと思うけど、残りの人生にやりたい事や愉しみたい事は山ほどある。出口が見えない処か、収束へのシナリオを描けない今の段階では有効に「コロナ下」での且つ「コロナ後」の遊び方愉しみ方を模索しなくては…

飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社にて
降り続いた雨も前線が暫し南下し、明日のお昼までは止む予報、いつもより小一時間ばかし早めに出掛け明日香村栢森まで往復してから出勤する事に。明日香村の村中へ入るとお盆15日とあってかどこからとなく線香の香りが、稲渕まで来るとポロシャツでは肌寒い様な気温、ミンミンゼミやツクツクボウシにヒグラシの大合唱の中を芋ヶ峠の入り口まで往復。明日午後からまた雨の続く予報、今月は後17,20,25,28,31日が休み、行きたい処は幾らでもあるけど、今月は後どれ位走れるかな。本日の走行23.5キロ。
せっかく取ってあった連休も雨続きでどうしようもありません、もとより自転車以外の足もありませんしね、自転車通勤をしてる限り全く走らない日が2日続くなんて滅多にない事です。ところでお盆休みとはあまり縁のない仕事を続けてきたので「毎年お盆休みは…」なんて事もないのですが、8月13~14日に絞って振り返ってみました。
2020年 昨年の夏と云えば「コロナ禍」第1波と第2波の間、GOTOトラベルが実施されていて、18きっぷの夏のシーズンとあって便乗して「まずは北陸へ」、実は直前の11日にasuka号が逆突事故に遭って戦列を離脱、デモン太とerba号で往復輪行ツーリングを何度か企てる事になった夏でした。
2017年 H夫妻が野迫川村の「アドベンチャーランド」でキャンプすると云うので便乗して往復自走を企て、九度山でvivvaさんと合流、高野辻(写真)でD女史と合流します。ただ翌14日夜が出勤でしたので、天狗木峠まで運んで貰い帰途に、しかし8月の野迫川村は避暑には最高です。

2016年 8月11日の「奥千丈林道サイク Part2」と12~13日に行われた「十津川~龍神キャンプツーリング」の連チャン。十津川村「昴の郷」から酷道で知られるR425牛廻越を越えて旧龍神村の「丹生ヤマセミの郷」へ、帰りは阪泰林道を越えてR311~R168経由で戻るキャンプツーリング。タモさん、ギンタロウさん、あびさん、なおじさん、ヤマタンさん、エビさん、vivvaさんと私、自走ではありませんが賢ちゃんと9さんが加わった超豪華メンバー。
2014年 この頃はリハビリで毎日の様に明日香村栢森へのポタリングばかり。この年芋ヶ峠は吉野側に下った処で通行止が続いてました、自転車では通れたのですがね。ちなみに8月17日に淡路島の多賀村道路元標で道路元標1,000基達成しています。
2011年8月14日 2週連続で「月うさぎ」へ行ってますね、珍しく大峠経由で。
2010年8月14日 鉄人児玉さんと9さんとで東吉野村谷尻の頃の「月うさぎ」に初めて伺ったのがこの日です。「やっぱり東吉野は涼しい…」


2009年 8月12日から15日にかけて「丹生ヤマセミの郷キャンプツーリング 」3泊4日で旧龍神村の「丹生ヤマセミの郷」へ。R168を南へ、十津川村から雨の引牛越を、現地ではakutaさん、山内さん、Liberty(麦藁)さんと合流、夜にはUG兄さんが車でですが差し入れを持ってやってきてくれました。


2008年 8月13日から14日にかけての「丸山千枚田サイク」、面子はD女史、Nちゃん、T御大と私の4人、ところが車に4人4台は載せられません、と云う訳でT御大と私の何れかが走っていなけらばならないと云う何ともカーサイクリング、往路は私が伯母峰を越えるまでと下北山村の一部、復路そこは国体チャンプのT御大が一人で橿原まで走って帰った云う顛末、なお下北山村で道路元標500基目を達成しています。
2007年 8月14日「お馴染み東吉野サイク」、面子は鉄人児玉さん、「よろづ」のmillionさん、T御大、dendenさんと私の5名。「投石の滝」でドボンしていたとは今だから云える話。


2006年 8月13日「大和高原早朝ラン」、skuram翁がD女史に作ったスポルティーフのお披露目ランだったのですが、これが「大和高原夏の早朝ラン」のルーツだったのかも。
2002年 少し日にちがずれますが8月10日から11日、十津川村からヤマタンさんと牛廻越で「丹生ヤマセミの郷」へ、遅れて十津川村から引牛越を越えてきたUG兄さんと近藤さんと合流し、翌日阪泰林道~逢坂峠~小広峠~果無越で十津川へ戻りました、写真は近露を見下ろす辺り。
2001年 8月14日から19日に5泊6日で紀伊半島キャンプツーリングに出掛けています、写真は樺の木峠への途中。
2000年 8月14日から18日は4泊5日で紀伊半島キャンプツーリング、1日目の14日は旧桃山町紀の川市)の細野まで走りskuram翁と合流し旧美山村猪谷でキャンプ。写真は天空の里天野への途中。
1999年 8月14日、急遽決まったツーリングで南紀へ、左から乾さん、私、ヤマタンさん、撮影skuram翁、那智勝浦町田垣内篭にて。
1998年 8月11日から19日まで、なんと8泊9日の紀伊半島キャンプツーリングの途中、13日は「丹生ヤマセミの郷キャンプ場」(当時は丹生川キャンプ場と云ってた様な記憶)から旧大塔村(和歌山県西牟婁郡)の百間山キャンプ場まで走っています。アナログ時代なんで画像がすぐには出てきませんし、走行記録が残っているのもここまで。
23年を振り返ってみたのですが、1998年、2001年、2002年、2009年、2016年に旧龍神村の「丹生ヤマセミの郷キャンプ場」に行っているのですね、偶然にも7年間隔で8月に、と云う事は次は2023年、「コロナ禍」が収束して生きのびていたら皆んなで行きませんか。
古稀に至ってもなお「走」「工」「趣」三拍子揃って三流のサイクリスト。ライフワークは「道路元標」と「自撮り」。なお「■ャリ」等の自転車に対する卑しい言葉をコメント等ではお使いにならないで下さい。