もう15年以上も毎年、サイクリングなどでご一緒して頂いた皆さんにお配りしている「CanCan謹製卓上カレンダー」 そこで使用した写真の中から、私の撮ったものと私を撮って戴いたものを集めてみました。 うちのHPから[Gallery]→[カレンダーに使った写真から…]とたどって下さい。
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奈良県下、特に国中と呼ばれる奈良盆地をスポーツサイクルで走っている人なら多かれ少なかれ自転車道のお世話になっていると思います。 まぁ中には障害物の多い自転車道を避けて一般道を自動車とせめぎあいながら走る人もいるかとは思うのですが、あえて云えばそんなに使い勝手の良いものでもありません。 ところで県下には現在3つの自転車道が設定されている訳ですが…
その奈良県の自転車道ですが、奈良県における広域的な自転車利用ネットワーク「ならクル」をはじめ県の案内によりますと「奈良自転車道」「大和中央自転車道」「飛鳥葛城自転車道」の3つが挙げられています、ところが実際に走ってみると「奈良西の京斑鳩自転車道」「大和郡山田原本橿原自転車道」「明日香大和郡山自転車道」と云った聞きなれない名称の自転車道の標識が現れます。
これには本名と云って良いのか「奈良自転車道」は奈良県道266号奈良西の京斑鳩自転車道線(添付図赤線)、「大和中央自転車道」は奈良県道273号大和郡山田原本橿原自転車道線(添付図青線)、「飛鳥葛城自転車道」には奈良県道274号明日香大和高田広陵自転車道線(添付図緑線)と云う道路法に従って認定された正式名称がある事に起因しているためなのですが、他所から走りに来た人が案内標識を頼りに走っていると戸惑う事でしょうし、不親切以上にかえって混乱させる案内標識なのです。
その上場所によってはこんな事も、なければ全くない自転車道の標識、ある処には異なる表記で並んでいる、無駄と云うか違う名称で予算の二重取りでもしているのかと疑われても仕方ありません。
ところでその自転車道、実際のルート設定はどうなんでしょう、奈良公園から平城宮跡を経て法隆寺を結ぶ奈良自転車道(奈良西の京斑鳩自転車道線)はまぁ良しとして、大和中央自転車道(大和郡山田原本橿原自転車道線)や飛鳥葛城自転車道(明日香大和高田広陵自転車道線)は意図が理解できません。 自転車道ですから目的を決めずのんびりポタリングを愉しむ人もおれば、トレーニングにと行ったり来たりする人もいるでしょう、しかしあくまでも道なのですから、目的地を結んで行くのが本来の形でしょう。 私が見聞きする範囲では奈良県北部や大阪方面から見所の多い橿原市や明日香村、また吉野方面へのアプローチとして自転車道を利用する人の多くは、御幸橋から曽我川沿いの飛鳥葛城自転車道へ一旦入るものの保橋で県道<36>天理王寺線を少し走り保田橋で飛鳥川沿いの大和中央自転車道へ入り、橿原市今井町界隈(厳密には四条町)で再び飛鳥葛城自転車道に戻っています。 大和中央自転車道の起点の県浄化センターから保田橋にかけては盲腸の様なもので私の知る限り利用者も皆無で、また田んぼのあぜ道を舗装しただけの様な処もあります、また飛鳥葛城自転車道の大和高田市域と先の橿原市四条町付近までは高田バイパスの高架下の側道で決して走りやすいコースとは云えません。 と云う状況から利用者は自然と最良のルートを選択している訳です。 自転車道策定の段階で何故無駄のないルート設定ができなかったのでしょうか、無駄があると云う事は税金が有効に使われていないと云う事に他ならないのです、どう見ても格好さえ整えておけば良いと云ったお役所仕事が見え隠れしてきます。
予算あっての事ですから未整備区間がある事や、長期的な周辺の整備計画や開発計画もある事でしょうが、橿原市今井町付近の様にルートが判りにくいにも拘わらず案内標識が途切れてしまう箇所があると思えば(写真左)の様に無駄に標識が並んでいる箇所も少なくありません。
当然道路なんですから維持管理も必要です。 最近高度成長期に造られたトンネルや橋梁の多くが老朽化してきていて問題になっていますが、自転車道も造ってやったぞみたいな感じで後はほったらかし、維持管理する予算もないのか草ぼうぼうでほったらかしと云うケースも時々見られます。 別にこれは奈良県だけに限った事ではなく、和歌山県道<801>白浜日置川自転車道線の様に廃道寸前みたいな処もありますが、大阪府の南河内サイクルライン(いわゆる石川サイクリングロード)や京都府の嵐山八幡木津自転車道の様にちゃんと整備維持管理されている処もあります(羽束師橋以北の案内は不十分だとは思いますが)。
決して何もかもほったらかしとまでは云いません。 写真は飛鳥葛城自転車道の「おやなぎ橋」です、以前はご覧の様にクランクカーブに急坂で大きな段差、まるでこけてくれと云わんばかり、案内標識に気をとられでもしたら見事なトラップです。 もちろん現在では補修されていますが、僕の様な天の邪鬼から見れば誰か転倒して怪我でもしたから改修したのかなと想像してしまいます。 本来は自転車道として設定された時点で整備されていなければならないはずです、利用者すなわち自転車に乗る人の視点に立っていないと云う事はこう云った事でもあきらかです。
【余談】(写真左)奈良県道助命下萩線の正しい路線番号は245号である、山添村助命(ぜみょう)と都祁村(現奈良市)下深川の2ヶ所で間違いを見つけ県に報告、後日再訪した折には直されていた。 (写真右)は2009年12月14日に県道155号多武峰見瀬線が供用される前日の写真、従って多武峰方面への案内がマスキングされているが、Y字路の左方面は15号ではなく155号である。 安全や利害に関係する道路標識に対して案内標識に対して興味や注意を払うのは一部のマニアだけなのかも知れないが、故なのかこの様に自転車道の名称然りやっている事がエエ加減なのである、当然これらの訂正にはそれなりの費用がかかっただろうし、間違えた部署なり業者が費用を捻出したのだろうが、場合によっては税金が無駄に使われていたかも知れない。
実は先週火曜から風邪気味でダウンしていました。 いつもならひき始めに市販薬を飲んで1日大人しくしていると治るのですが一向に良くなりません、土曜に覚悟を決めてお医者さんへ行ってきたのですが、インフルエンザの検査ではかすかに陽性反応が、まあ軽症なのか治りかけなのか、土日と大人しくして、月曜日いつもは自転車で走って行く京都行きは電車にして養生していました。 そろそろ良くなってきたので今日もちょっと走りに、と云ってもまだまだ本調子じゃないので、大和川河畔の平坦路を汗をかかない様にのんびり行きます。 馬場尻橋~太子橋~御幸橋と走り富雄川河畔へ入り法隆寺近くまで走って折り返します。
御幸橋まで戻ってきていつもなら飛鳥葛城自転車道から大和中央自転車道を走って帰るのですが、今日はライフワークの道路元標の生存確認をしながら走ろうと、河合村道路元標から三宅村道路元標と走って行きます。
三宅村道路元標から次の都村道路元標へ繋がる道は太子道(筋違道)と云って、奈良盆地を南北に走る古代の官道、上ッ道、中ッ道、下ッ道とは異なり、法隆寺から藤原京への最短コースとして斜めに走っています、これが筋違道の名前のゆわれなのです。 この旧街道に沿って街が発達した訳ですから、近代の道路元標もこの街道に沿って建っている訳です。 「ならクル」でもC-21として設定されていますが、太子道は完全な形では残ってなく、ルートが判りにくい上に大和中央自転車道が平行しているので利用者は少ない様ですね。
太子道から田原本の古い街並みに入ります。 古い商家が狭い道を挟んで並んでいます。
現在の田原本町域に残る3基の道路元標(都村、田原本町、多村)は喜ばしい事に他の道標等とともに再建されたりして案内板が設置され保存されています。
田原本からは下ッ道(中街道)に入り南下し橿原市へ、八木札の辻では旧旅籠が交流館として展示公開されています。 ここから東西に走る旧街道である横大路へ入り桜井への帰途に就きました。 本日の走行47.8キロ、のんびりと旧街道巡りの午後を過ごしました。
このなんとも奇妙な形をしたものが「フィンガー・カバー」なんです。 実はネットのお知り合いのきんちゃんさんが試験的に作られたもので、お願いして分けて頂きました。 「フィンガー・カバー」の名前から想像が付くかと思いますが、「シューズ・カバー」の手指版なのです。
寒い冬の朝夕やダウンヒルでは、ブレーキレバーを握る4本の指にはもろに冷たい風が当たって、感覚がなくなるまで冷たくなるのは非常に辛いものであります。 最近ではヒーター付きのグローブも出ているそうですが、毎朝夕に淀川べりを通勤ライドで走っているNちゃんのフラットバーロードにはご覧のフードが、しかしドロップハンドルには使えません。
ご覧の通り「フィンガー・カバー」はグローブの上から被せて使います、マジックテープをくるっと手首に巻きつけて止めるシンプルな方法ですから、片手をはめた後から残りの手にはめるのも簡単です。 使用前に気掛りだったのは私の様にセフティレバーやエイドレバーの類を使って上ハンを握り、フロントバッグとの隙間が狭い、そしてシフトはダブル・レバーと云う人も使えるのだろうかと云う事でした。
結果的にはマジックテープが多少邪魔になるシーンがありましたが、問題なく使用できます。 そしてなによりも実際に使用して暖かい、指の隙間に冷気が入らないだけでこれだけ違うのかと云う感覚です。 日中の暖かい時間ならグローブの中で汗ばむ位の保温性がありますから、必要がなければ外してコンパクトにしまっておけます。
まだ試作品の段階ですが、寸法的にちょっと大きいかなと云う感じ、手の甲側はもう少し長さがあった方が良いのでは、それとあとデザイン的にもうすこしお洒落になってくれないかな、と云ったところでしょうか。 まだまだ寒さの続く季節、少しは快適に自転車を愉しむ事ができそうです。
デジカメを買い換えました、と云ってもヤフオクで中古をポチッたのですが。 2009年3月に購入し6年近く愛用と云うか酷使してきたPanasonicのLUMIX DMC-G1ですが、アイキャップが剥がれボディはもうボロボロ。
ところでカメラとして良い悪いを云うよりも、正直云ってPanasonicのカメラは好きではありません、と云いながら同じくGシリーズのGF1にコンデジまで持っているのですが。 ボディの表面処理が悪いし、ショルダ-ストラップ取付部が外れたりと、カメラ本来の機能や性能はともかく、一生使い続け様なんてカメラではありません、まあデジカメ自体がその様なものかも知れませんが、伝統のあるカメラメーカーとはモノ作りの姿勢が違うと云うか、家電製品の感覚なんですね。 それでも自分のニーズにはマッチしている事もあって使っている訳なんですが、昨年暮れくらいから調子が思わしくありません、調子が悪いと云うか色がおかしいのです。 暮れにskuram氏と話をしていた時も氏のGH1も紫色が出ないなんて事を云っていました。 LUMIXのGシリーズは今では6代目のG6ですが、別に最新機種がほしいなんて気持ちもありませんし、第一余裕もありませんし、フロントバッグの中で揺すられ、いつ自転車で転倒して壊してしまうかも知れません。 G1は2008年12月の発売ですが、バッテリの互換性のある2010年5月発売の後継のG2位が安く出ていたらと、暮れからヤフオクを物色していたのですが、G1はともかくG2は高いかなと眺めていたら年が変わると10,000円以下で出てきました、結果的に取説が欠品ですが状態の良さそうなものを送料込みで8,950円で落札しました。 アイカップの交換だけでも数千円とられるなんて話ですから、ちゃんと動けば安い買物です。
お天気はも一つなんですが、今日はG1と両方提げて明日香村まで少し走ってきました。 一通りの動作には全く問題はありませんが。 いずれも左側がG2の画像、右側がG1の画像です、もちろん同一条件での撮影です。 原因がCCDの経年によるものだとしたらG2もいずれこうなるのかも知れませんが。 あまり出番のないGF1も一度並べて撮っておこうかな。
ここで5年も前のカメラのレビューをしても仕方ないのですが、自分にとって操作性は何より重要、基本的なスペックは同等、G2の大きな売りは兄弟機のGH1と同様の動画が撮れる様になったのと、タッチパネル操作に対応した事なんですが、両方とも私にはあまり関係なさそうです。 フォーカスモードの選択がメニューから左肩のダイヤルになった事、これは嬉しいです。 シャッタースピードや絞りの選択他に多用するダイヤルが右肩前から後へ変わった事、理屈では便利そうですが、こちらに慣れるまで時間がかかりそうです。 後こまごまと違いがある様で、マニュアルを確認しながら学習中です。
三脚を立ててセルフタイマーで自分の走行中の写真を撮る「自撮り」写真、アルバムを更新しました。 うちのHPから[Gallery]→[自撮り写真集]とたどって下さい。
正月明けにこんなものポチッてました。 ライトホルダーブラケット(左)とライトアダプター(中)と右は以前から使っているLEDライトGENTOS NEXERA 903Dです。 この組み合わせで前輪ハブ軸にライトを付けようという算段です。 先日の「南紀ツーリング」の往路、真夜中に王寺駅まで20キロ回送した折に、もう少し明るいライティングがほしいなと思ったのと、「スマートフォンフォルダー」の件でKHSのハンドル回りにはスペースの余裕がない事もあっての事なんですが。
組み合わせてKHSに取り付けてみましたが、こんな感じです。 同じメーカーの製品の推奨された組み合わせではないので仕方はないのですが、LEDライトが上下方向にガタつきます、ゴムをかませて径を調整してやると多少はマシになるのですが。 このライトホルダーブラケット、本来はハンドル回りに付けるものなのでしょうが、弾力のあるプラスチックでできていて、片側はボルトナットで締め付ける様に(写真ではハブ軸側)なっているのですが、ライト側ははめ込むだけなのです、今日日中ですが20キロ程走ってきましたが、脱落する心配はなさそうです。 なお固定側とライト側の軸は90度の角度になっているのですが、これは自由に回転させる事ができます、従って径が合えばステムに取り付ける事は可能ですが、アヘッドの太いステムにはどうみても無理そうです。
ハブ軸にライトを付けると云えば昔はこれでした「ヤジロベエ」、見たまんまのネーミングです。 これにナショナル製の探検ライトを取り付ける訳です。
こんな感じになります、今も探検ライトの方はお飾りでasuka号に付けていますが。 昔はこんなほの暗い明かりで走ってたんですよね、今の強力なLEDライトの事を思うと信じられません、自転車用LEDライトが出たのはいつ頃だったんでしょうね、金沢まで22時間がかりで走った2000年は当時としては最も明るいCATEYEのハロゲン球のものを何度も電池を入れ替えながら走っていましたからね。
以前から使っているのですが、ライトホルダーには(右)の様なものもあります、こちらはゴム製でハンドル側とライト側をマジックテープで締め付けて固定する様になっています、こちらはハンドル側がどうしても緩くて回ってしまいます。 この両方を足して2で割ったような商品があれば良いと思うのですが。
ここまで書いておいて何なのですが、ハブ軸にライトを付けるのはあまり好きではありません、光軸が低すぎて、路面の凹凸や小石などの影が長く誇張されて見えるのに違和感があるのです、20吋のKHSはなおさらです。 やはり自転車のライトは可能ならばマッドガードやフロントキャリアに取り付けるのが一番ですね。
余談ですが、一緒にこんなものもポチッてます、GARMINのeTrex用のハンドルバーマウントです、(右)の様に割れてしまいました、ああまた「いいよねっと」に頼まなあかんのかと思っていたのですが、AMAZONにもあるのですね、送料分得しました。 届いた商品には「いいよねっと」のホログラムシールが貼ってあるのを見ると、さすがのAMAZONも「いいよねっと」経由なんですね、売る以上のサポートができない代理店なのにね。
20年目を迎える阪神淡路大震災関連で「地震で崩壊する土地は地名でわかる!!」と云う記事がネットで流れていました、なる程ねと半分納得したり。 地震からは話がそれますが、いつもお世話になっている古民家カフェ「月うさぎ」、奈良県吉野郡は東吉野村谷尻にあるのですが、谷尻は(たんじり)と読ませます。 2007年3月の事、吉野側から走って行く途中の県道<221>小村木津線と<251>谷尻木津線には新しくそれまで無かった路線番号標識(いわゆるヘキサ)が設置されていました、谷尻集落内にも設置されていた訳ですが、表記が’Tanijiri'(たにじり)となっているではありませんか、帰宅後メールで東吉野村役場に問い合わせてみたら、正しくは「たにじり」であると一蹴されてしまいました。 地名辞典や索引の類を調べてみても東吉野村谷尻は「たんじり」、地名は文化であり歴史、然るべき検証もなしに役所がそれらを勝手に変えてしまっては困るので、それをするなら同村の小(おむら)や木津(こつ)は何故そのままなのでしょう、まして難読地名だらけの奈良県。 大阪市内では旧東区(現中央区)に対して地元意識の希薄な住民の多かった旧南区(同じく現中央区)から多くの由緒のある地名が消えてしまいました。 過疎化から多くの地名、特に字名が消えようとしています、中には忌まわしい歴史的経緯から住民自らが古い地名を捨ててしまった処もなくはないですが。 また開発によってこじゃれた地名に改変された処も少なくありません(馬見村→真美ヶ丘など)。 名は体を表すで先の記事の様に地名が地盤の弱い土地を表している場合もあるかも知れませんが、含めて地名は守るべき大切な文化遺産や歴史遺産に他ならないと思うのですがどうでしょう。
今日は昨年10月に続いて「大和川CC」の皆さんが初詣を兼ね「春日大社・初詣サイク!和食&和スィーツの旅」と銘打って奈良へお見えになるので迎撃に出かけたのですが… 跨って行くのは昨年11月の「笠置山紅葉狩りサイクリング」以来のKoga-Miyataロード、昨夜のうちにエアーを規定圧目一杯にまで入れておいたのですが、天理辺りで後輪に違和感が、停まって確かめてみると後輪がちゃんと回りません、よくよく見るとビートが数センチ外れているではありませんか、これはまたもや後輪に「パンク大魔王降臨」かと(あの一応シャレになってますんで)、その時は走行距離の短さからケチって後輪だけ交換したのですが、その時前後ローテーションしたんだっけ???やはりもう1本も経年劣化か悪うなっとんたんやなと、よく見ると後輪は買ったばかりなんぼも走っていないTourerPlusの方ではありませんか(帰宅後調べると走行距離は1,200キロ)、圧を下げてビートを押し込みエアーを入れるとどうにか走れるまでは上げられます、さてどうしたものか、桜井に一旦引き上げるかとも思ったのですが、奈良までは桜井線沿いなので、最悪は最寄り駅に置いて、輪行袋と入るか入らないかはともかく28CのTourerならあるので取りに帰る手もあるしと、ぼちぼちと上街道を北上したのであります。
「大和川CC」のメンバーがいったいいつ到着するのかちょっと読めないのですが、先にお参りを済ませ春日大社の二の鳥居で待つ事にします、ここには手水があるので表参道を来ても、駐車場側から来ても通るはずです。 そのうちfacebookに法隆寺あたり?なんて書きこみがあります、自販機の暖かいココアで暖をとったり鹿をなぶったりしながら待ちますが一向にやってきません。 ちょっと遅すぎるなぁと思いだした頃に「●●さんですか」 と女性に声を掛けられます、どうやら一行は宝物館の裏から入って行った様なんです、そこで合流した参加者の女性が二の鳥居で僕を見かけたと呼びに来てくれた次第なのです。 ハンチングとニッカやなくて良かったです、ヘルメットかぶって多少はローディぽい格好でしたから。
とにかく「大和川CC」御一行様とは無事合流できて、お昼を予定している国立博物館前の釜めし屋「志津香」へ向かったのですが、奈良公園は車が渋滞、お店は行列。 一旦は並んでみたのですが1時間待ちとの事、協議の結果、他所へ行こうかとなったのですが奈良公園は大変な人出それにお昼どき、12名が入れようなんて店がある訳もありません、そこで冗談混じりに少し走って自転車乗り御用達のお店「銀座カリー」と云ったら、そこへ行こうと云う事になったのであります、 ここで「和食」は消えました。 ところで僕、昨夜カレーだったんですけど。
オーナーのYさんはどっか走りに行って不在でしたが、少し待って全員が店内に入る事ができました。 シェフの案内で自転車は少し担がなあきませんがビル横のスペースへ入れさせて貰えました、でも重いツーリング車はちょっと辛いかも。
美味しいカレーで暖まりお腹が一杯になった処で次の目的地は郡山の「慈光院」、紅一点の女性がはぐれても良い様にと場所を確認中、ほって行くなんて少なくとも僕はしませんよとか云って、後輪に爆弾を抱えてこのまま付いて行っていいの、僕。
まぁ山の中へ行く訳やあるまいし、どっち向いて押し歩いて行っても線路にブチ当たる大和盆地の中、居なくなったら遠慮せずほって行ってねと断って付いて行く事にします、まずはJR奈良駅前に出て<745>を南下。
岩井川沿いの道を走って、京奈和道の下を走り、なんやら走ってはならない橋を渡って、近鉄郡山駅横の踏切渡って。
富雄川沿いの自転車道に入ります、しかし向かい風のキツいのには往生します。
14時半には「慈光院」に到着、近くには片桐村道路元標が現存している事もあって、片桐氏所縁の寺院がある事を知っている位で初めて境内へと、茅葺の山門が出迎えてくれます、 ここでおうすとお菓子を頂きます、スィーツと云うか餡入り落雁ですが、拝観料込みで1,000円です。 格段の心得がある訳でもないのですが母が長年やっていた事もあって多少の作法は聞きかじっているものの、何十年も畳のない暮らしをしていて正座など1分とできないたちなので足を崩して頂く無頼です。 そんな中へ住職が見えられて、どうぞ作法にとらわれず気楽にやって下さいとの気遣いのお言葉なのですが、亭主と云え「ようこそお参りを…」云々の挨拶もなく、こちらのやり取りに割って入るのは些か失礼な話です、その後、茶、庭、堺~大阪~奈良~京都の文化についてなかなか興味深いお話を聞かせて頂いたのですが、たたみかける話法はいわゆる宗教家のまぁそれでして、今度は京都の仲間と来たらどんな展開になるのだろうと、いつもの天の邪鬼な想像を。 「慈光院」についてはググって頂ければ幾らでもでてきますが、見事な書院と刈り込みの庭園、大和盆地の遠望と一見の価値はあります、他の観光スポットから離れている事もあり、私達の様な団体と鉢合わせしなければ静かで落ち着ける場所です。
15時をまわってしまいましたので 「慈光院」を後にする事に、一行は柏原から大阪方面へ帰られるのですが、私はここで失礼して富雄川から大和川沿いのルートで帰途に就かせて貰う事にします、しかし相変わらずの風、時折のみぞれと横風にあおられながら堤防沿いの道を行きますが、大阪組はもろに風を受けながら走られているのでは。 ところで爆弾を抱えた後輪の事をすっかり忘れていました、どうにか無事に桜井へ帰り着きましたが、さてパナの Tourer どうしたものか。 本日の走行59.2キロ。
一昨日に続いて「青春18きっぷ」を使って南紀へ輪行、ただ今日は亀山経由の東回りです。 桜井からですと近鉄で松阪へ出るのが距離的にも近いのですが、多気まで行けてもその先の普通列車がありません、結果的に奈良~亀山と回っても一緒なのです、2時間以上早く出る必要がありますが、そこが「18きっぷ」の「18きっぷ」たるところなんです。
奈良、加茂、亀山、多気と乗り換え紀伊長島ではなんと28分停車。 駅のトイレへ行ったり、自販機でコーヒー買ったり、ミラー相手に「自撮り」 したり、さすがに「元鉄」も時間をもてあまします。 外は最高のお天気、早く走り出したいのですが。
桜井を出て約7時間、1238ようやく目的地の大泊へ到着。 真横を紀勢道が開通していて風景が一変しています。 高速道路と1日10往復しか停まらない駅。
「ツール・ド・紀伊」のポイントである鬼ヶ城へ立ち寄ってから熊野市へ、R42の鬼ヶ城トンネルは自転車通行禁止ですので、北側の鬼ヶ城歩道トンネルへ回ります。 こちらは旧R42の木本隧道で、現在は車両は東行き一方通行で歩道が設置されています。 土木遺産に指定されていて大正期最長の道路用煉瓦トンネル(509m)なんだそうです。 ちなみに三重県南部のR42には旧トンネルを歩行者、自転車用に供用している処が何ヶ所かあります。
R42の熊野市から新宮の間は七里御浜の海岸に沿った平坦路なんですが、向かい風がきつくって前に進みません。 道の駅「七里御浜」の手前から次の道の駅「紀宝町ウミガメ公園」を過ぎるまで山側に旧道があるので、そちらを走った方が楽です。
かつて日本で一番面積の小さく一番人口密度の高い村であった現在は紀宝町になっているが鵜殿村へ、熊野川(新宮川)が見えてきました、これを渡ると和歌山県です。
今日4つ目のポイント、新宮市の「熊野速玉神社」へ到着、あわよくば太地まで輪行し5つ目をGETできるかなと思ったのですが、ここで紀伊田辺行きの発車時刻へ15分、さすがに間に合いませんので、ゆっくりお参りをする事にします。
速玉神社の境内では「もうで餅」を売っています、なかなか美味しいのですが箱入りでフロントバッグに入れにくいので、試食だけさせて貰って「長寿いも」を購入、芋餡を皮でくるんだお菓子です。 顔見知りなんかしてバスガイドとおばちゃんの会話が面白い。
余裕かまして新宮町道路元標の生存確認へ、以前は半分程まで埋没していたのですが、最近再建された様です。 新宮駅付近にはコンビニがないのでオークワへ行って帰りの車内での食料にと「めはり寿司」を調達、後で気が付いたのですが、製造者は橋本市だったりして。
新宮駅へ着いてれ列車のの時刻を確認すると、予定の1700発の1本前の1556発多気行発車11分前、駄目元で輪行支度を済ませ地下道を通って2番乗り場へ、さすがKHS余裕で乗車できました。 乗った車両は今朝と同じキハ11の2連、同じ乗るなら旧国鉄色に塗られたキハ40系の方が良かったな、写真は紀伊長島駅で交換の下り列車。
1本前に乗ったところで「18きっぷ」のままで桜井へ辿り着く事はできません、亀山経由では奈良が限界で、今日は走り足りないからって奈良から走って帰るのはね。 素直に松阪から1,140円払って近鉄に乗車、2150桜井駅に帰着しました。 往復輪行に13時間掛けて本日の走行1時間50分で30.4キロ、18きっぷで7,020円分乗車。