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年忘れ「石川ポタ」

「あすか鍋サイク」とともに年末の恒例行事になっている「石川ポタ」、大和川の支流石川沿いのサイクリングロードの10km程を往復する、掛け値なしの「真性ポタ」です。 昨年は少し寝過ごしてしまいKHSで往復輪行の体たらくでした。 今年は幹事役のUG兄氏から炊き出し隊の要請を受けましたが、食材と装備を積んだ4サイドで大阪柏原までの30キロを往復するには、タイヤとガードを交換して足回りを強化しなければ不安で、今週は時間と加えてモチベーチョンもないので。 柏原まで車で来られる大黒屋さんに食材の準備をお願いして、集合場所から私が2サイド装備で運ぶ事にしました。

桜井から柏原までは近鉄大阪線沿いにR165を走って行けば良いのですが、例によって旧道や裏道を縫って田尻峠を越えます。 写真は近鉄の旧玉手山トンネル、トンネルの上を現在のR165が走っています。 この旧道には奈良県と大阪府の県界標が建っていて「従是東奈良県管轄」「従是東大和国北葛城郡二上村田尻」とあり、奈良市元標、高田町元標、北葛城郡役所までの距離が里町間で記されています。 奈良県下の道路元標探索のバイブルとも云える「道路元標」を尋ねて~奈良県ふるさとめぐり~の著者上田倖弘氏はこの県界標の調査がきっかけで道路元標探索を始めたそうです。
 なお現在この旧道は橋が陥没していて通行止になっていますが、自転車を押して抜ける事は可能でした。

のんびりと走って行っても集合場所の柏原市役所前には9時過ぎに着いてしまい一番乗り、暫くするD女史が到着、食材をサイドバッグに押し込みますが、ほぼ30人前の「ぜんざい」は相当な重量です。 しかし今回は事前の参加表明が少なく、全てを積んで行かなくても良かったのですが、お見送りを含めて結局15名程が集まってきました。 作業服のまま駆けつけて少しだけご一緒したご仁はダイバーてっちゃん(^o^)

さあ、いよいよ出発。 ロードレーサーが行き交う石川サイクリングロードをサイドバック装備のランドナーを中心にした異様な集団が走って行きます。






たいした距離でもないのですが、途中一度の休憩と云うかお喋りタイムを挟んで通称「OHCHOの森」へ到着。 UG兄さんの鍋、まっちゃんさんの「おでん」、大黒屋さんの「ぜんざい」の準備が始まります。




20091227h.jpg「石川ポタ」では毎年お世話になっているUG兄さん、今年は「豚骨醤油味」です。








 

恒例のビンゴゲームで持ち寄りの賞品交換。 今年は携帯ツールを賜りました。








20091227b.jpg 本来の参加者で
走ったのは14名だったのですが… 「振る舞いぜんざい」でKHSの1名をGET!
 私が小さい頃、正月に大阪船場では厄落としに店の前で「ぜんざい」を振る舞う処があって、良く食べに行って来いと云われたものです。


柏原市役所まで戻り解散。 輪行の用意もしていたのですが頑張って自走で帰途に就きます。 久しぶりの竹之内峠です、私が自転車で最初に越えた名のある峠と云える峠ははここなんです、もちろん当時はダートでしたが。 ちなみにここにも県界標が建っています(写真右上)。 すっかり暗くなった18時前に桜井へ無事帰着、本日の走行78.9キロ。

 

PS:くたびれたのと眠たいので早々にダウンしてしまいましたが、未明に起きだしていつもの様にうちのHomePageの「ツーリングの記録」に写真をUPしました、集合写真も大きな画像(1280×960)で掲載しています。 なおログインには認証が必要です、ログイン名は’pal’ パスワードはFAX番号の下4桁です、カレンダー等をご覧ください。

道路元標蒐集の旅(信越編前夜)

仕事が一段落したら11月は新潟から長野か、島根県を回るプランを色々と練っていたのですが、思わしくない天気が続くなぁと思っていたら、しょうもない怪我をしてしまって。 乗って乗れなくもないのですが、輪行支度やパンクでもしようものなら難儀するだろうなぁと思い、今回は乗り鉄モードで信越方面を回る事にしました。

おなじみ大阪駅2327発、急行「きたぐに」で直江津に向かいます。 連休ですがこんな季節ですので自由席も列をなして並ぶ程の事はありません、糸魚川を目指す鉄ちゃんがチラホラと云う処でしょうか、それでも大阪でマスはほぼ埋まってしまいました。
 実は身軽なのを良い事に、ミナミでちょっと飲みすぎたのでしんどいですわ。

金沢まで

 この週末は四国か山陰方面へKHSを担いで「道路元標」漁りに行こうかと画策していたのですが、土曜日の天気が思わしくないのと、仕事の段取りも微妙なので頓挫。 「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」の消費期限が18日なので、金沢まで往復してきました。
 「鼓門」金沢駅東口の大屋根と云うかモニュメント、出来てもう3~4年になるらしいのですが、天気の良い日に東口の地上に出るのは久しぶりなので…
 木造の巨大構造物として意義はあるとは思いますが、金沢の此処に相応しいものかどうかは。
こんなのも「やかん」

もちろん「道路元標」も一応、撤去された「森本村道路元標」は移転保存されていました。 後ろは建設中の北陸新幹線の高架、完成すると第三セクター化とか在来線も色々と様変わりするでしょうが、北陸本線そのものは日本海縦貫としての役割もありますが、あれだけの難工事で金も時間もかかった北越急行ほくほく線なんか一転して赤字第三セクターに転落じゃないですか。 東京からの夜行「能登」や「北陸」はきっとなくなるでしょうが、私にとっては「きたぐに」だけは残してほしいものですが、583系も年季が入っていますから、後3年すら危ういかも、車に乗らない輪行派サイクリストにとって「ちくま」無き後、唯一とも云える信州へのアクセス手段なのですが。
 帰りは1638発の敦賀行きに乗車、のんびりと帰ります、もう475系も北陸本線だけになってしまいました、と云うより80系~153系の流れを汲む2ドアデッキ付き電車ってもう最後になる様な、ところで国鉄時代の塗色に復元されたものも走っている様で、かつての急行「立山」を思い起こします。 途中何度も「サンダーバード」や「雷鳥」に抜かされながら敦賀で京都行きに乗り継ぎ、山科で姫路行き新快速に乗り継ぎ、鶴橋経由で2241桜井に帰着しました。

南紀ツーリング前日

 お盆の「ヤマセミキャンプ」、先月のシルバーウィークは「小口キャンプ」と、久しぶりに紀伊半島づいているのですが、さて明日12日はU兄氏の「南紀ツーリング」、120キロの全行程は厳しいので、後半をご一緒させて貰おうと、前日に現地入りする事にしました。 今夜の宿は川湯温泉、R168を自走して行く事も考えたのですが、十津川までは8月にも走っているので、久しぶりに田辺側からR311で入る事にしました。

R42を殆ど走る事なくR311に入れるJR紀勢本線朝来駅まで輪行する事に、今回も「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」を利用したのですが、紀伊田辺以南は0753発から1051発まで3時間近くも普通列車がありません、車が多いですが一山越えるつもりなら紀伊田辺からスタートした方が早いかも知れません、まぁ桜井からのんびりと和歌山線経由で向かう事にします。
 朝来駅は島式ホームですが跨線橋はなし、輪行袋を担いで乗り降りが楽、少し走れば近所にコンビニやクロネコヤマトの営業所もあります。 無人駅ですがトイレもリニューアルされていました。

R311と云っても鮎川までは交通量の少ない富田川左岸の県道を走って行きます。 ところが市ノ瀬橋まで遡ってしまいR311沿いのコンビニへ寄るつもりが行き過ぎてしまいました。 紀伊半島の内陸部はメジャーのコンビニは皆無なので、さて。


日頃、特にソロツーリングの時は食事に入ったりする事はあまり無く、殆どコンビニ弁当やおにぎりで済ませてしまう事が多いのですが、今回は道の駅「ふるさとセンター大塔」 に立ち寄る事に、あんかけうどん定食、汗だくになって食べました。


R311も道がずいぶん良くなり熊野古道ブームで交通量も増えて、結構飛ばしているので。 極力旧道を選んで走って行きます。 写真は逢坂峠の旧逢坂随道、直線なので出口は見えているのですが、結構長いのでランプ必携です。



逢坂随道の西側は殆ど人も車もやってこないのですが、東側は熊野古道の牛馬童子像から箸折峠へのルートと重なるために熊野古道のはっぴを着た案内人が引き連れた団体やハイカー、それに送迎のタクシーまでやってきます。 正直云って世界遺産となってからの熊野は、至って天の邪鬼の私は敬遠していたのですが。

 

 

↑ 箸折峠からの山道と再び合流する辺り、果無の山々をバックに近露の里を見下ろせます。

 

 
近露から再び登り返し、小原峠を経て有名な「とがのき茶屋」へ、おかみさんに挨拶したものの、写真と撮っている内の後から来たグループに残り僅かのお団子をさらわれてしまい、日も短くなった事もあって時間も押してきていますし、先を急ぐ事にします。



かつてツーリングマップルに「西日本随一の不気味随道」と書かれた「高尾随道」、凄まじい漏水でカッパを着こみ、中央に排水溝があるため押してくぐり抜けたものです。 もう塞がれて十年にはなろうかと思いますが、新トンネルができても前のバス停は「高尾随道」のまま健在です。



ここもR311旧道の小広峠です。










17時過ぎに川湯温泉に到着しましたが、明日も早いのでR168まで出てデイリーヤマザキで買出しを済ませてから宿へ。 一昨年の「仙人風呂ツーリング」の時に泊まった「まつや」、温泉観光地にしては珍しく洋室シングルもあって、どちらかと云うとビジネスホテルの雰囲気ですが、ちゃんと温泉もあって加えて本館にあたる「みどりや」の露天風呂や、ちょっと豪勢ですが食事も利用できます。 仙人風呂の始まる来月までは格安プランもあったのですが、先週の台風のお陰で早めに予約を取る事ができなかったのが残念。

本日の走行66.1キロ。

小口キャンプツアー (三日目)

 

 

 

いよいよ3日目の朝、朝食の準備や撤収の段取りと結構忙しいです。 今日はT御大が自走でR168を走って帰途に、T5さんと鉄人Kさんと私は<229>古座川熊野川線で古座川町へ越えR371経由でJR紀勢線の古座駅を目指し、輪行で帰途に就く計画です。




<229>古座川熊野川線、こちらは和田川沿いに遡って行くルートですが<、44>那智勝浦熊野川線とかなり様相が違っていて畝畑までは深い渓谷にへばりつく様にデンジャラスな道が続いています。 写真の様にちゃんとガードレールがある箇所は少ないです。




素堀りのトンネルも三つ程あります。










畝畑で近年ようやく開通したホイホイ坂林道が分岐していますが、現在舗装工事中との事、完成すれば川湯方面へのコースとして使えますね。 ここから先は10数年ぶりで、その頃は県道にはなっていたものの未舗装区間が結構残っていました。




標高550m程の足郷トンネルへ到着










古座川町西川、通り雨でしたが雨宿り中です。









2007年6月の「CanCan謹製カレンダー」で使った古座川に架かるあぜちの吊り橋はご覧の様に「耐風索ワイヤー破断の為通行止」と渡れなくなっていました。





 

一部で話題になっている月の瀬の「ゆうや」、連休とあって賑わっている様で、次回一人の時にチャレンジしてみます。







古座駅で和歌山回りの特急「スーパーくろしお」で帰途に就くT5さん達と別れ、私はのんびりと新宮~多気~松阪~伊勢中川~名張と普通列車を6時間余り乗り継いで帰途に就きます。
 紀伊半島有数の険道<44>那智勝浦熊野川線、<740>小船紀宝線、<229>古座川熊野川線を久しぶりに堪能して充実したツアーを無事終える事ができました、 本日の走行68.9キロ。

 

 

 

 


↑ 新宮駅にて、新宮~多気間はキハ48の2両編成です。 まだまだ全国で活躍していますが、国鉄時代末期のディーゼル車です。

小口キャンプツアー (一日目)

5連休となった今年の9月の祝日、なにやら’シルバーウィーク’と云うらしい。 キャンピング装備による自転車ツーリングは8月に充分に堪能させて貰ったし、そちら方面のメンツもTOM(トーエーオーナーズミィ-ティング)とかで出払ってしまうだろうし、BBS「風のたより」のメンツで2泊3日の日程で往復は車で、中一日だけは走ろうと云うキャンプメインの軟弱な企画をあげたものの、元より車を持たない私が音頭取りするのも億劫だったのですが、R氏の車を段取りして貰える事で話が進み出しました。
 ホームグラウンドの紀伊半島で2日目のツーリングも考慮して’百間山'(旧和歌山県大塔村)、’小口'(旧熊野川町)、’おくとろ'(北山村)と候補にしてみましたが、連休とあっていずれも混んでいるものかと思っていたら、’小口自然の家’が空いていそうで簡単に取れてしまいました。 自転車やら荷物やら車載のキャパが限られているのですが、自走組やら復路輪行組やらと、なんやかやと7名の乗り合いがまとまりました。

往路は2台の車に4人4台が分乗し、T御大、T5さん、鉄人Kさんの3人が素直にR168を南下するのではなくR309~行者還~R169を経由して走ってくる事に。 朝から買出しを済ませ、猿谷ダム、風屋ダム、十津川村の道の駅で休憩や食事をしながら、最近情報を得た本宮村道路元標へ立ち寄って貰ったりしながらも。 今は新宮市熊野川町となった「小口自然の家」へ1時過ぎには着いてしまいました。

 ↑ お盆のキャンプツーリングで昼寝をしていた’風屋ダム’にて、あの時はたっぷりの貯水量があって放水を行っていたのですが、今はかなり水が少ない様です。

小口は熊野川に支流赤木川がさらに小口川、和田川、東川に別れる処で、熊野古道の大雲取越と小雲取越の間にあり、県道<44>那智勝浦熊野川線から<229>古座川熊野川線が分岐しています。 「小口自然の家」は旧熊野川町立小口小学校の廃校跡を利用した施設で、宿泊施設とテントサイトがあり10年以上前に2度程ソロで利用した事があります。 今は小口川を挟んで「小口キャンプ場」と云うオートキャンプ場ができていて、生け垣で区画整理されたまるで建て売り住宅の様なサイトで、そちらは満員の様ですが、こちらは殆ど貸し切り状態です。 なお料金は1張3200円となっていますが、ソロテントによる7名2泊で12800円と云う事にして貰いました。

↑ 16時到着を目標に走って貰ってりる自走組を待ちながらターフとテント等の設営を終えるまで結構忙しいです。  

郵便局と「南方商店」と云う一軒の商店があるだけの小口の集落の道、新しい道と橋ができているので、こちらは他所の車も入ってくる事も無く、郵便局がJPになった以外は昔のままです。 なお「南方商店」でも大概の食料やアルコールを含む飲料類や日用品は調達できます。



折々連絡を入れて貰っているのですが、自走組の到着は17時を回りそうなので、自走組には「自然の家」の風呂を使わせて貰う事にして、我々4名は熊野川温泉「さつき荘」まで車で往復する事に。





温泉の帰途、標高1000m越えの行者還を含む150キロ近いの距離を走ってきた自走組を補足。







 

食べるのが忙しくて、宴会の写真がありません(^_^;)

道路元標蒐集の旅(西日本編)

倉敷から笠岡まで輪行、ここから井笠鉄道廃線跡を辿りながら木之子村道路元標へ向かいます。     資料を持ってきていなかったので、ちゃんとトレ-スできてはいないのですが、井笠鉄道廃線跡は通勤通学に生活道路として有効に利用されている様です。 山陽道をくぐるあたりから少しダートになり県道に吸収されてしまいます。 井笠鉄道記念館、朝早いので開いてませんでした。 井原鉄道矢掛駅、井原鉄道には初めて乗車します。 清音で伯備線に乗り換えて次の目的地邑久郡美和村道路元標の最寄り駅、赤穂線の長船へ向かいます。 所在のはっきりしていなかった美和村道路元標もi意外と簡単に見つかってしまったので、お昼過ぎには長船駅に戻ってきてしまいました。 一応履修済みですが赤穂市民俗資料館中庭に保存されている赤穂町道路元標の撮り直しとか加里屋元標跡へも寄ってみたかったのですが、さすがに船中泊とかで疲れもたまってきているので、素直へ帰途に就く事にしました。 本日の走行41.8キロ、1日抜けていますが5日で284キロ。 【756】 香川県 香川郡 仏生山町  (現 高松市) 【757】 香川県 木田郡 川島町  (現 高松市) 【758】 愛媛県 宇摩郡 妻鳥村  (現 四国中央市) 【759】 愛媛県 北宇和郡 泉村  (現 鬼北町) 【760】 愛媛県 北宇和郡 三島村 (現 鬼北町) 【761】 高知県 幡多郡 大川筋村  (現 四万十市) 【762】 高知県 高岡郡 興津村  (現 四万十町) 【763】 佐賀県 佐賀郡 新北村  (現 佐賀市) 【764】 佐賀県 杵島郡 山口村  (現 江北町) 【765】 佐賀県 杵島郡 錦江村  (現 白石町) 【766】 佐賀県 杵島郡 須古村 (現 白石町) 【767】 佐賀県 杵島郡 福富村 (現 白石町) 【768】 広島県 豊田郡 幸崎町 (現 三原市) 【769】 岡山県 後月郡 木之子村 (現 井原市) 【770】 岡山県 邑久郡 美和村 (現 瀬戸内市)

道路元標蒐集の旅(西日本編)

 

今日は佐賀05:38の始発に乗車、鹿児島本線から山陽本線経由で、途中広島県三原市で豊田郡幸崎村道路元標に立ち寄って帰途に就く予定ですが、→08:23小倉08:24→08:41下関08:42→ と云うタイトな乗り継ぎで、案の定小倉駅での乗り換えは無理で出てゆく電車を見送ってしまいました。 階段を渡る必要もありますが、この1分接続は手ぶらでも無理な様でした。

↑ 下関駅にて列車待ち、小倉で1分乗り遅れて安芸幸崎へは50分遅れに。

今回は「18きっぷ」を後1回分残して、10日に岡山県下の道路元標を回る予定でいたのですが、今日中に無理して帰る必要もなくなり、改めて10日に出直す方が大変なので、今夜は倉敷泊で明日岡山県を回って帰る事に。 倉敷には東横インもあるし、月曜は会員20%引き中、ビジホ業界も大変ですね。 しかし余計な荷物は佐賀で宅急便にしてしまったので、着替えなので無駄にはなりませんが倉敷で買い物に行かなくては。
 安芸幸崎駅から幸崎村道路元標までは往復500m程、駅のベンチに輪行袋を繋いで徒歩で、従って本日の走行0.0キロ。

道路元標蒐集の旅(西日本編)

Image0906a.jpg八幡浜0:20分発の宇和島運輸フェリーで別府へ、この便は到着後もそのまま朝5時まで船内で仮眠ができます、但し到着後すぐに下船しないと5時まで下船できなくなります。 しかし昨日の爆走の疲れで船内放送があるまで良く寝ていました。
←別府駅前のレトロな建物の別府高等温泉、24時間営業なのでここでゆっくりする手もあるのですが。

Image0906b.jpg大分06:19の久大線で久留米へ向かいます。 昨年から大分駅は工事中で久大線と豊肥線が高架ホームになって地上ホームの日豊線との乗り換えが大変です、勝手が判らないとか輪行袋を担いでいると10分は見ておかなくては危ないです。

Image0906c.jpg久留米から筑後川沿いに下り、前回渡れなかった昇開橋を福岡県側から渡ろうとしたのですが、自転車は押してもダメだと云う事でした。 wikiや一部のBlogでは押して渡れるとか、渡っている旨の記載があるのですが。 係りのおっちゃんは頑として通してくれません、保存財団の正式の対応と云うので、引き下がるしかありません、輪行袋に入れて意地でも渡る手もありますが、大川橋まで迂回する事にしました。

Image0906d.jpg皮肉な事に昇開橋の佐賀県側は良く整備された桜並木のサイクリングロードが続いています。 これらは昇開橋を含めて元国鉄佐賀線の廃線跡です。
 今夜は佐賀駅前の東横イン伯、日曜なので会員は30%割引中、しかしチェックインには早いので、サイクリングロード沿いにあったコインランドリーで洗濯と休憩を。

Image0906e.jpgサイクリングロードは東佐賀駅跡で終わります。 この後佐賀市街を少し走り、荷物を預けて佐賀駅から肥前山口駅で下車、輪行袋を駅前の自転車置き場に括り付けて、歩いて200m程の道路元標が建つとされる処へ向かいます。 

090909x.jpg実はこれは佐賀市在住の方が見つけておられたのですが、場所や様式的に「道路元標」に間違いなさそうなものの、表面が隔離していて全く読めなくなっています。 丁度建っている処の民家から年配の方が出てこられてので、尋ねてみると間違いなさそうで、ウラがとれたと云う事で山口村道路元標と。 再び肥前竜王駅まで 輪行して杵島郡の道路元標4基を夕方まで巡りました。 本日の走行67.1キロ

道路元標蒐集の旅(西日本編)

Image0905a.jpg予土線の始発で近永駅まで輪行します。 ところで過去輪行での四国入りはいずれもKHSですが、徳島県、高知県、香川県とパンクしていますので、次は愛媛県か… 慎重に走る事に。





Image0905b.jpg近永駅近くで、キハ32とキハ54の2連、軽量化で全長16mのキハ32と2エンジン搭載で21mのキハ54の差がよく分かりますが、どこかJRらしくないです。 ここでのんびりと鉄ちゃんしていたのが、後に響く事に。
 この後、愛媛県北宇和郡の泉村道路元標三島村道路元標を回り、四万十川沿いに中村まで下り、土佐くろしお鉄道12:03の列車で窪川へ向かう計画なのですが、迂闊にも中村まで結構距離があって平均20キロ前後で走って行かなければ間に合いません、四万十川沿いの下り基調とは云え、標高差も大してありませんし、結構アップダウンがあったりするのです。 その上、中村から窪川はJRではないので切符を買わなくてはならない上に小銭も千円札も無いと、条件が整うものです、こんな時には。

Image0905c.jpgR381出目(いずめ)峠、バス停さえなければ気づかずに通過しているのですが、峠おやじナワさんの足跡のない峠ゲット!!




Image0905d.jpg江川崎もノンストップで通過し四万十川畔に、ようやく岩間の沈下橋に見える処で一旦停まります。 前回はマラソン大会とかち合ったので、次はのんびり写真を撮りながら走ろうと思っていたのですがネ。 実は今回は LUMIX G1と交換レンズ は持たずにDIMAGE A2を持って来ているのです、やはり14-140mmを買って普通は一本でまかなえるまで、無理に持って来るのはやめました。 と云っても道路元標撮影用にDIMAGE A2でワイヤレスシンクロのできる外部ストロボを持ってきているので、荷物は減っていないのですが。

Image0905e.jpg 
大川筋道路元標、道端のこんな場所なのに前回通った時には全く気が付きませんでした、まだまだ修業が足りませんネェ…
 無事パンクもせず、平均速度を20キロ以下にする事なく、旧中村市街は前回迷ったのが幸いしたのか、今回はどうにか15分前に到着、KHSなら余裕のある時間です。

Image0905f.jpg中村から窪川へ、次の目的地は興津村道路元標、そこは標高350mの峠の向こうの海沿いの村で、一日5往復のバスが通っています。 その高南観光自動車の営業所が窪川駅前にあるので尋ねてみると、輪行させて貰える様なので、標高差350mの劇坂の帰途の心配もなく向かう事に。
 途中の道の駅「あぐり窪川」で補給に立ち寄ると3台の揃いのALPSのバッグで4サイドが、3台とも「YAMANE」ブランドですが、これは地元高知のヤマネなんでしょうが、キャンピング車健在です。
 

Image0905g.jpg現在はトンネルが開通していますが、旧道の興津峠も健在です。 話に違わず素晴らしい展望の峠ですが、興津へはこの道しかなく、自転車ツーリングのコースにはしにくいですよね。 ナワさんはどうしたんでしょうかね、きっと中腹からトンネルで戻ったのかなぁ…

 興津村道路元標の写真を撮っていると一台の小径車が、緑色のBD-1ではありませんか、高知から来られていて、やはり夕方のバスで戻る様です。 私は今夜八幡浜まで輪行しフェリーで別府へ渡るので、窪川へ戻っても時間が余りあるので、最終のバスまで海水浴場のある浜辺でのんびりする事にし、午前中の爆走の疲れを、のんびりと癒します。 本日の走行124.5キロ、平均速度もまだ19.8キロになっています。

道路元標蒐集の旅(西日本編)

Image0904a.jpg今回は神戸三宮からジャンボフェリーで高松(東港)へ渡ります、ここは自転車込みで2,140円と格安、それに三宮へは阪神なんば線の開通で、近鉄沿線から乗り換えで改札を何度も通らずに行ける様になりました。 三宮~高松のJR普通運賃が3,760円ですから半額です、車でない一般乗客も多く、結構ツーリングでない自転車やスクーターもいたりします。

Image0904b.jpg今回の最初の目的地は四国民家博物館「四国村」内に保存されている川島町道路元標ですが、開園の8:30には時間があるので、香川郡と木田郡の道路元標を探索してみます、香川県は仲多度郡と観音寺市の一部しか設置情報がないので、勘でそれらしき処を走りまわるだけですが、そうは簡単に見つかる訳でもなく、そろそろ諦めかけていた6件目でありました仏生山町道路元標、久しぶりの未知の道路元標です、これだから道路元標探しはやめられませんわ(^_^;)

Image0904c.jpg気を良くして「四国村」へ向かいますが、週末にもかかわらず8時半の開園になっても入口には係りの人がいません。 暫くして係りの人がやってきましたが、自転車置き場はなく下の自動販売機あたりに置いといてくれとの事、なお入村料は800円なり、私の目的は川島町道路元標だけなので高いですが、次の屋島駅からの列車の時刻までのんびり村内を散策しました、屋島の山腹にあるので、上まで行くと結構展望もあります、、行くなら秋が良いかも、「かずら橋」のサブセットもあってこの手が苦手な人には結構怖いかも。 ちなみに時間も時間なので村内では掃除のおばさん以外に誰にも遭いませんでした。

Image0904d.jpg川島町道路元標は「旧丸亀藩御用蔵」の前に他の道標等と並んで建っています。 なお川島町は屋島と同じ木田郡ですが、「四国村」より8キロ程南にあった町でした。





Image0904e.jpgせっかく四国なので「うどん」を、乗り換え時間待ちで高松駅構内の立ち食いですが、それでも「麺」は旨い、本場だけに駅の立ち食いと云えどもエエ加減のものは出せないでしょ。 それにしても鳥羽駅の「伊勢うどん」は不味かったけど。



Image0904g.jpgこれまで愛媛県には道路元標の現存情報は皆無だったのですが、先日ネット上で地元の方のBlogに現存情報を見つけました、地元とは云え結構広い愛媛県で200ヶ所以上回って2基を発見されています。 今回の最大の目的はこの愛媛県下の道路元標だったのですが、まずは東の端の宇摩郡妻鳥村道路元標です。 今は四国中央市となった川之江駅と伊予三島駅の間位にあります。

Image0904f.jpg明日の予定もあるので今夜の内に宇和島まで移動、6時間余りの長丁場です。 基本的に観音寺以西の予讃線、予土線、土讃線の普通列車にはトイレ付き車両が運用されていない様です。 「18きっぷ」で長時間にわたって普通列車を乗り継いで行くのは「もの好き」なのかも知れませんが、結構お遍路の方が乗車されているのを見るので、JR四国のこのサービスの悪さはは考えものです、まぁ結構停車時間が長い駅とかあったり、緊急時には列車が待っていたりしている光景を見かけたりしますが。
 松山からキハ32の2連、伊予大洲からキハ54の単行です。  
明日も朝から輪行状態のまま移動しますので、宇和島駅前のビジホ泊まり、宇和島駅に降り立つのは10数年ぶりですが、駅も駅前もずいぶん変わった様です。

本日の走行51.3キロ

道路元標蒐集サイク

 思いついた様に京都府北部へ「道路元標蒐集」に行ってきました。 「18きっぷ」でまず大阪0643発の福知山線で福知山に向かい、天田郡と何鹿(いかるが)郡の未知の元標を幾つか探索してみましたがいずれも不発、中筋村道路元標の後、綾部から胡麻へ移動します。
← 由良川河岸からも福知山城は良く見えます。

既に履修済みですが竹野村道路元標、もう秋の風景ですね。 藁葺き屋根だったらなんて贅沢は云いませんが、電気柵がなかったらKHSではなく、もう一度来てみたい風景です。

中山峠を越えて南丹市域へ、西本梅、稗田野、吉川村と廻り、並河駅から帰途に就きました、
本日の走行80.0キロ。

【751】京都府 何鹿郡 中筋村 (現 綾部市)
【752】京都府 船井郡 胡麻郷村 (現 南丹市)
【753】京都府 船井郡 西本梅村 (現 南丹市)
【754】京都府 南桑田郡 稗田野村 (現 亀岡市)
【755】京都府 南桑田郡 吉川村 (現 亀岡市)

「丹生ヤマセミの郷」キャンプツーリング (4日目)

 今日は御坊まで走り輪行で帰途に就く予定です、明るくなりだしたらさっさと起き出して食事を済ませ撤収にかかります。 できる事ならテントを乾かしたい処なのですが、真夏のキャンプツーリングでは日差しが入って気温が上がりだす前に走り出す準備を済ませておかないと、暑さに走る前にくたびれてしまいます。

7時には出発する事ができました、最高に気持ちの良い朝です、基本的に日高川沿いに下り基調の道ですし。

← 県道735号から「丹生ヤマセミの郷」を見下ろす。

丹生川沿いに下ってきて殿原地区、山深い紀伊半島の山中にあって由緒ある晴明神社や、撃墜されたB29搭乗員の慰霊碑があります。 搭乗員7名死亡4名生存、この話には色々な後日談もある様ですが、POW研究会の近年の調査によると4名の生存者は信太山演習場と真田山陸軍墓地で処刑されているそうです。

せっかくですから未知の道路元標の探索も行います、平成の大合併で田辺市となる前の龍神村は旧道路法施行時は龍神村、上山路村、中山路村、下山路村でした。

← この付近に上山路村道路元標が建っていたはずなんですが。

日高川沿いにR425を走り、椿山ダム上流の金比羅橋から対岸路を走ります、車が殆ど入ってこない快適な道です。 この後再びR425に戻り県道26号御坊美山線~県道25号御坊中津線と継いでかまきりトンネルを抜けて日高川左岸の県道193号船津和佐線を走りJR和佐駅を経て御坊市街へ、少し遠回りになりますが、自転車にとっては快適に御坊市へ出る事ができるルートです。

4つのサイドバッグをひきずって輪行する訳にも行きませんのでサイドバッグは宅急便にして送ります。 平日なら龍神村の郵便局で「ゆうパック」にすれば良いのですが、あいにく土曜日で郵便局が使えません、取り次ぎ店で空箱が貰えればそれでも良いのですが、クロネコヤマトの営業所のある御坊まで走る事にしました。 いつも箱を買うのですが、使い古しのハコを分けて貰えました。 某A産業のタコなサイドバッグと汗だくになって格闘、バッグ4つを2つの箱に入れて奈良まで2340円、輪行は「18きっぷ」を使うのでこれが一番の出費だったりして。

紀州鉄道のキハ603もそろそろ引退とかで、西御坊駅に立ち寄ったらお盆休みに週末とあって’鉄ちゃん’の姿がチラホラと思っていると、丁度やってきました。


しかし荷物を降ろすと羽根が生えたように軽くなって快調に県道24号御坊由良線を飛ばして、父方の実家へ向かいます。

 本日の走行101.4キロ

1日目 2日目 3日目 4日目

道路元標蒐集の旅(会津編)

今日は「青春18きっぷ」を利用して帰途につきます、新潟~桜井599.7キロの行程ですが、途中石川県下で道路元標4基を回る予定です。

← 萬代橋

新潟0518発の信越本線の始発に乗車、115系です。

  




長岡0641発、直江津行きに乗り換え、柏崎を過ぎると日本海が… しかし行き帰りだけは天気は良いようで。  





直江津0813発、富山行き、こちらは食パン電車419系、寝台電車581系改造のマニアアックな車両です、固定さえできれば置き場所はたっぷりありますが、ここは2つのトイレ(使用できるのは1つ)の向かい、元は洗面所のあった場所です。 しかし幅700mmの折り戸で輪行袋を担いで乗り降りするのが大変です。  

遠足か社会見学でしょうか、狭くて段差のあるデッキを一列にならんで降りて行きました、お陰で少し発車が遅れましたが、これはこれで和む光景です、市振駅にて。  


倶利伽羅駅1057着、石川県河北郡の倶利伽羅村道路元標を回り、余分な荷物を「ゆうパック」にして身軽になろうと、5万図に載っている郵便局を探しますが見つかりません、結局は道の駅の向かいに移転していたのですが、1本乗り遅れて、再び次の津幡駅から加賀笠間駅に移動します。

能美郡の安宅町道路元標は勧進帳の安宅の関の対岸にあります、今では殺風景な川岸ですが架け替えられる前の橋の北詰にあたる場所です。  


 
小松1541発の敦賀行きに乗車、こちらは455系ですが、この車両は輪行袋の置き場に苦労します。 距離が短かければ運転台の後ろが丁度良いのですが。
 敦賀から米原経由の新快速播州赤穂行きに乗り継ぎますが、敦賀直流化で随分楽になりました。 やはり京都からは近鉄利用が早いのですが、奈良線~桜井線経由でフルに「18きっぷ」を利用させて戴きました。 しかし一番接続の悪かったのは奈良駅の29分だとは…
 

 本日の走行34.5キロ。 ずいぶんと天気には悩ませられましたが、道路元標32基、走行256.3キロと充実した4日間でした。
【747】 石川県 河北郡 倶梨伽羅村  (現 津幡町)
【748】 石川県 石川郡 比楽島村  (現 白山市) 
【749】 石川県 能美郡 寺井野村  (現 能美市) 
【750】 石川県 能美郡 安宅町  (現 小松市)

道路元標蒐集の旅(会津編)

本当にあてにならない天気予報では、昨日よりはマシな天気らしいのですが… 昨日行けなかった山都を含めて午前中は会津を回り、磐越西線で新潟に移動する事にしました。

最初は河沼郡の八幡村道路元標、走って行っても15キロ余りですしきっとその方が早いのですが、0559発の只見線に9駅(26キロ)乗って塔寺駅まで輪行します。 只見線は直通列車は1日3本の超ローカル線、10数年前に一度通しで乗りました。← 右側は旧会津線の会津鉄道

塔寺駅、片面ホームでかなり秘境駅の雰囲気なんですが、近くの国道49号をひっきりなしに車が走っているので結構騒がしいです。




今回唯一とも云える峠、鐘撞堂(かねつきどう)峠、もちろん峠おやじナワールドさんの足跡はここにもあります。



山都駅近くの一ノ戸川鉄橋、磐越西線では有名な撮影ポイントの様です。 山都町は現在では喜多方市となっていますが、こちらの名物は「そば」、11時前ではどこも開いていませんでしたが。


山都駅1128発の快速「あがの」で新潟へ向かいます。

← 今回はサイドバック装備なので、こんな感じで輪行状態に。 バックの右は付けたまま、左は外して写真の様に。 オーストリッチの輪行袋「ちび輪」にもどうにか入ります。

山都駅で輪行支度をしていると、丁度話題の日食に、雲の合間に見え隠れしている状況で結構暗いので、ND4とND8の2枚重ねでトライしてみました。 40何年か前は小学校でしたが、2009年の日食を東北の山峡の駅前で、駅を委託されているおばちゃんや客待ちをしているタクシーの運転手さんと一緒に見上げているとは、26年後は生きているのでしょうかね。
新潟県の天気の具合も怪しげで、あまり南部や山沿いに行くと降られそうなので、越後線に乗り換えて越後赤塚駅から西蒲原郡の道路元標を回る事にします。 結果的にはこれが正解で一度も降られる事もなく、7月の暑い時期に新潟平野のど真ん中を結構涼しげに走り回る事ができました。← ようやく信濃川の信濃川水門(本川大橋)まで走ってきました。


今夜は東横イン新潟古町ですが、新潟市道路元標はすぐ近くです。 本日の走行86.5キロ




【731】 福島県 河沼郡 八幡村 (現 会津坂下町)
【732】 福島県 河沼郡 高寺村 (現 会津坂下町)
【733】 福島県 耶麻郡 相川村 (現 喜多方市)
【734】 福島県 耶麻郡 木幡村 (現 喜多方市)
【735】 福島県 耶麻郡 山都村 (現 喜多方市)
【736】 新潟県 西蒲原郡 赤塚村 (現 新潟市)
【737】 新潟県 西蒲原郡 松野尾村 (現 新潟市)
【738】 新潟県 西蒲原郡 角田村 (現 新潟市)
【739】 新潟県 西蒲原郡 鎧郷村 (現 新潟市)
【740】 新潟県 西蒲原郡 曽根村 (現 新潟市)
【741】 新潟県 西蒲原郡 大原村 (現 新潟市)
【742】 新潟県 西蒲原郡 四ッ合村 (現 新潟市)
【743】 新潟県 西蒲原郡 升潟村 (現 新潟市)
【744】 新潟県 西蒲原郡 中野小屋村 (現 新潟市)
【745】 新潟県 西蒲原郡 黒崎村 (現 新潟市)
【746】 新潟県 新潟市

道路元標蒐集の旅(会津編)

東横インには無料の朝食サービス(7~9時半)があるのですが、あまりその恩恵に与かる事はありません、今日は朝飯前に南西部を一回りしようと明るくなったら出発、ところが走り出した途端パラパラと、結局ポンチョを被って走る事に。
 大沼郡の本郷町道路元標まで南下して雨が酷くなってきたので雨宿り、本郷も大内宿に続く旧街道の宿場町なので、この様な休憩所が整備されています。
 今回もポンチョが大活躍なのですが、後ろバックをキャリヤ上からサイドに変更したため後輪のハネをモロに受ける事に、小さな泥よけを装備するのが良さそうです。 新鶴村まで足を伸ばして朝飯前に5基ゲット、雨は治まったものの、こんどは風が、おかげでポンチョはきれいに乾きましたが、宿に戻ったのは9時半を回って朝食タイムには間に合わず、まぁギリギリに戻ったのでは残っているかどうか判りませんがね。

靴を乾かしたりして、体制を立て直して再び出かけますが、せっかくやんでいた雨が再び降り出して来る始末、どうやら今回はとことん降られそうな雰囲気です。 ネットでみるとSORAさんもふて腐れているようです。← 会津盆地を北へ、磐梯山は雲の中です。 やはり日本の風景に全く似合わないKHSですが、その機動力は魅力です。

耶麻郡の上三宮道路元標、ここに倒置されていたと云う情報は2005年8月まであるのですが、行方不明に。 向かいの商店のおばさんも放置されていた頃の記憶もない様です。


晴れていれば喜多方から山都に抜けて、輪行で若松へ戻る事も考えていたのですが、山越えするのも川沿いに迂回するのも、この天気では大変なので、喜多方でラーメンを喰って戻る事にします。

当然ですがラーメン屋だらけなので、何処に入ってよいものやら、結局「らーめん館」と云う道の駅みたいな処の横の「たんぽぽ亭」と云う安直な名前のお店に、麺もチャーシューもなかなかでしたよ。 でもここでも無意識に焼き飯の付いたセットメニューを頼んでしまう処が痩せない原因なのでしょうネ(^_^;)
喜多方を後にし耶麻郡の慶徳村道路元標に向かいます、磐越西線の踏切を跨いだのが15時24分、この天気ではバックに磐梯山を望むべくもありませんが、休日の昨日なら「SLばんえつ物語」号が後30分程でやってくるのです、残念。
 この後、雨と風に苦しめられながら走りに走ってなんと111.9キロ。 タイヤ周長が間違っているのかと思いましたが、GPSも120キロ近い値がでていました、朝飯前に40キロ近く走っていますし、結構迷走しましたからねぇ…  

【720】 福島県 大沼郡 本郷町 (現 会津美里町)
【721】 福島県 北会津郡 川南村 (現 会津若松市)
【722】 福島県 北会津郡 舘之内村 (現 会津若松市)
【723】 福島県 北会津郡 荒井村 (現 会津若松市)
【724】 福島県 大沼郡 新鶴村 (現 会津美里町)
【725】 福島県 河沼郡 堂島村 (現 会津若松市)
【726】 福島県 耶麻郡 駒形村 (現 喜多方市)
【727】 福島県 耶麻郡 北山村 (現 北塩原村)
【728】 福島県 耶麻郡 岩月村 (現 喜多方市)
【729】 福島県 耶麻郡 喜多方町 (現 喜多方市)
【730】 福島県 耶麻郡 慶徳村 (現 喜多方市)

道路元標蒐集の旅(会津編)

SORAさんが車で会津に行くと云うので、無理やり便乗させて貰う事に、しかし今週の天気はあまり思わしくありません、まぁ梅雨なんですから仕方もないのですが、天気予報が全くアテにならないのは…
 天理で5時半に落ち合う事にしたのですが、桜井を出る頃には雨もあがり路面も乾き初めていたものの、佐味田あたりから再び降り出し早速ポンチョを被って走る事に、待ち合わせ場所も屋根等ないので、お馴染み上街道の丹波市で落ち合う事に、ここなら全く濡れません。

途中では雨に降られる事もなく、米山PAからは佐渡も見えるお天気です、 何ヶ所かのPAで休憩したり食事したりしながらでも700キロ余りを走り、16時前には会津若松ICに到着、SORAさんとは目的も宿も違うので此所でお別れ。 10時間余りの長旅とはいえ乗っているだけなので楽チンです、有難うございました。


思っていたより早く会津若松に着いたので市街の道路元標を早速巡る事に、会津には20基あまりの道路元標が残ってますが、21日22日と回って23日に「18切符」で帰る予定ですが、天気がネェ…

← 若松市道路元標、昭和30年にのちに北九州市となった福岡県若松市との混同を避けるために改称、先に市制をひいていた福島県若松市が改称するのは稀な例。

今回も宿は東横インです。 味気ないと云えば味気ないですが、携帯とかネットで予約やキャンセル(~16時)ができて、コインランドリーとか何処でも均一の設備とサービスが受けられるのは安心です、会員なら休日30%引き、今は月曜20%引きと連泊300円引きとかキャンペーンも。 ここで連泊して2度目の10ポイント達成、1泊タダになる得点獲得。 SORAさんに利くと最近YHも安くない様ですね、東横インは都市部の便利の良い処にしかありませんが、コンビニも絶対と云って良いほど近所にありますし、輪行や道路元標蒐集にはぴったりです。
本日の走行 23.4キロ。

↑ 東横イン会津若松は雨に濡れずに自転車を固定できる場所が此処しかないのが… ちょっと目立ち過ぎ。

【718】 福島県 若松市 (現 会津若松市)
【719】 福島県 北会津郡 門田村 (現 会津若松市)

TOPEAK Tour Guide HandleBar Bag DX

モンベルのツーリングフロントバッグ、可能ならば修理をお願いしようと思っているのですが、マップケースの材質に疑問があるのに、代わりに同じものを用意するのも何んなので、他社で適当なものを探していたのですが...

TOPEAK Tour Guide HandleBar Bag DX が格安(4,880円)ででていたのでポチっと。 旧モデルになって在庫処分だったのでしょう、もう売り切れになっていました。 幅と奥行きこそモンベルとほぼ同サイズですが高さが高く、スペック上はモンベルの容量9リットル、重量360gに対して容量7.7リットル、重量1.1kgとかなり重くなっていますが、単純に数値では比較するのとは違う感じです。 絶対条件は後開きだったので、良しとします。

付属しているハンドルマウントは使うつもりがないので、さっそくバラしてみます、と云っても内張りがファスナー式になっているので、簡単に芯材が外せます。 フロントキャリアがなくハンドルマウントだけで保持するために、かなり頑丈な金属プレートが付いています、これだけで435gもありました。 モンベルの様にコの字型のフレームだけで吊り下げようとするのとは全く違います。

ハンドルマウントを固定している4つの穴のうち2つが寸法的に使えたので、手持ちのリクセンカール用のフラケットを試しに付けてみました、これでKHSにも使用可能です。

asukaに付けるとこんな感じです、モンベルより数字以上に背が高く感じられます。 マップケースはモンベルの様に蓋部分が袋状になっているではなく、二つ折りにしてマジックテープで固定する様になっています 、手提げベルトが付いているので、これをはさみこむ様に考えているのでしょうか、実際に使ってみないと使い勝手の良し悪しは判断できません。 前面と左右にポケットがついていますが、ランドナーバーだと狭いので左右のポケットは使いにくいかも知れませんが、輪行時にバックとして使っていると重宝するかも知れません。

あまりにがっしりしていて融通のきかなそうな形で、荷物を押し込みにくそうなので、芯材の重い金属プレートを外し、コの字型の樹脂板の前面を切り落とし、後面にプレートを固定しました。 それでもプロテクションは充分です、ただ前面を切り落とした事で、多少前が左右に振れる様です。 実際に走って酷い様ならば、針金でも入れてやれば良いでしょう。 軽量化したにもかかわらずブラケットの重さか加わったせいか重量は960gになりました。

ついでに内装はこんな感じで、前面側と蓋の内側にポケットがついています。

 

まぁハンドルマウントのフロントバックとしては大きい方なので、タイヤとかSTIワイヤーとの干渉を考えると、なかなか難しいアイテムでしょうね、ステム等への取り付けが可能なら、小径車には良いかも知れませんね。 底はゴム質の外張りが貼ってあります。 なお肩掛けベルトとレインカバーが付属しています。

PS : 付いていたTOPERKのハンドルマウントは不要ですので、ほしい人がおられれば。 但し誰でもって訳でもなく、面識のある方に限ります。

道路元標蒐集サイク (北陸篇3日目)

3日目の日曜、予報では雨のち曇、午前中の降水確率は60%との事。 駅までポンチョを被って走り、輪行でのんびり帰途に就く予定でいたのですが。 夜中に降っていた雨も朝9時頃にはすっかりあがり日差しが、あっと云う間に路面も乾き、暑い上に蒸せてくる始末です。

 せっかくなので金沢港近くの大野町の古い街並みと「からくり記念館」を見学したりして、金沢市周辺の道路元標を回り走行36.6キロ、北陸本線美川駅から帰途に就きました、結局3日間で350キロ程走った事に。

輪行用ヘッドセット

  具体的にどうするのか、できるのかはともかくとして、T御大がカト-サイクルで買ってきてくれました。
 asukaの親爺さんが元気な頃はなにもかも任せきりだったので、工具も揃えていないし、こと自転車に関してメカ音痴なんですよ、私は(^_^;)

 

某イベント下見サイク

今日は某イベントの下見サイクにRさんと9さんと和泉山脈の蔵王峠?七越峠?鍋谷峠と3つの峠を巡るコースを走ってきました。 このコースはRさんが数年前に走っているのですが、蔵王峠から七越峠の間にダートがあって現在の状況が判りません、どうせ乗れないだろうと云う変な理屈で3人は28cクロス,23cロード,28cランドナーと云う出でたちです。

 私は桜井を6時に出発、明日香?吉野口?重阪峠と云う馴染みのコースでR24へ、五条市街に入る頃に旧道に入ろうと信号待ちしていると、輪行の予定だったRさんが走ってきました。 2人で集合場所の高野口駅へ向かったのが… 後の事も考えずついつい調子に乗って飛ばしすぎ、8時半には高野口駅近くのコンビニに着いてしまいました。

 

1241938528.jpg地元の9さんと合流し、中飯降駅から中谷川に沿った谷間の道を登って行きます、路面は決して良くないですが渓谷沿いの快適な道を登って行きます。 蔵王峠そのものは府県道61号「堺かつらぎ」線の峠になるのですが、このルートは県道ルートではなく大畑集落へ行く古い道なので車は全くやってきません。

 

 

 

 

 

1241938536.jpg しかし最初の蔵王峠は標高560m、500m近くを登らなければならないので斜度は徐々にきつくなってきます、谷間から稜線に取り付くこのカーブでまだ標高は270m程です。 実はこの時後続の9さんは道を間違えて、より急な道へ迷い込んでしまっていて、そのまま登って行って貰う事に、幸いdocomoは通話可能です

 

 

 

 

 

1241938542.jpgどうにか標高500m台の大畑集落に取り付くと1台の自転車が、迷子の9さんにしてはと早すぎると思っていると蔵王峠で迎撃しようとやってきたMさんでした。

 

 

 

 

 

1241938548.jpg紀の川を望む展望の中を9さんが登ってきました、お疲れさま。

 

 

 

 

 

 

 

1241938554.jpgようやく11時、2時間掛かりで蔵王峠に到着、蔵王峠は高野街道のひとつで、れっきとした分水嶺の峠ですが、峠に立っても川のせせらぎが聞こえてきます、実はあの石川サイクリングロードの石川は峠の北側ぎりぎりから流れ出し、滝畑ダムを経て流れて行っているのです。

 

 

 

蔵王峠から堀越観音へ向かう拡幅された道を1キロを走り、七越峠への道に入りますが、コンクリート舗装の道とダートがアップダウンを繰り返しながら続き840mまで登ります。 正直云って朝、高野口駅までの40キロ余りの自走で調子に乗りすぎたの堪えてきました(^_^;)

1241938559.jpgかつらぎ町の神野(手前)と大久保(奥)の集落を見下ろします、間が「文蔵の滝」のある堂川の谷で、蔵王峠?七越峠間を舗装路で走ろうとするとこの谷へ標高330m位まで一度下らなくてはなりません。

 

 

 

 

 

 

1241938565.jpgダートと云ってもウィンチが運び込まれている位ですから、四駆の軽なら充分走れる道です、ただ昨日までの雨でぬかるんでいたりして、ガード付きの私は悲惨な目に、きっとMTBにはとっても愉しい道だと思いますよ。

 

 

 

 

 

  1241938570.jpg13時半、七越峠(840m)へ到着、大阪側からの車道はありませんが、ここもかつても高野山参詣道のひとつ、茶屋もあったそうです。

 

 

 

 

 

1241946829.jpg一気に鍋谷峠(670m)直下の分岐点まで下ってきました、ここから国道480号に入りし「串柿の里」として有名な四郷を経て紀の川河畔まで下ります。 (写真を撮るのを忘れたので昔の写真をば)

 

 

 

 

 

1241938576.jpgおまけ、地形図には表記はありませんがR480から笠田へのショートカット路に140m程の峠、「めのこ峠」のバス停が。

 

 

 

 

 

1241938582.jpg笠田駅に到着、すこし下りで寄り道していますが高野口駅から30キロ程でしょうか。 すぐに15時37分発の和歌山線王寺行きがあるのですが、ガード付きの私は輪行支度がとても間に合いませんので、3人でのんびりと「幹事会」をしながら次の列車を待ちます。 Rさん、9さん「下見サイク」ご同行有難うございました、私一人では蔵王峠でくじけてましたよ(^_^;)

コ?ス的には、蔵王峠への500mの登りを考えるとリジットのMTBやパスハンターが最適です、でも30c以上のタイヤのクロスやランドナーなら高い乗車率で走破可能でしょう。

 

道路元標蒐集の旅 (信州篇 4日目)

少し青空も見えているのですが、午後からは確実に降られそうな予報です。 今日の予定は南佐久郡の畑八村道路元標を回ってから帰途に就く予定なので、そこまでは持って貰えればいいのですが。

1241601541.jpgR141を南下していると何やら奇妙なものが、最初はアドバルーンかなと思っていたら、ますます数が増えて熱気球だと、「佐久バルーンフェスティバル2009」と云うのが行われている様です。

1241601547.jpg離陸するのを近くで見るのも、なかなか見応えがあります。

 

 

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「陶都有田」と書かれた気球もあるので、九州から遠征してきているのですね。


 

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 畑八村道路元標をまわり終え、ヤマト運輸の営業所で必要のなくなった荷物を宅急便にして小海線八千穂駅から帰途に就く事に。

 

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小渕沢、塩尻、名古屋経由で帰途に就くのですが、中央本線が混みそうなの帰りはフロントキャリアとガードも外す事にしました。
八千穂駅は民間委託駅の様ですが、塩尻からの指定券が買えたので特急で買える事に、小海線ではハイブリット車のキハE200の2両編成がやってきたのですが行楽客で混雑していたものの、中央東線の松本行きはガラガラはともかく、塩尻から名古屋への特急「しなの」も空席がチラホラ、これもETC効果だったりして、いったいどれ位のCO2を余計に出したのでしょうかね。本日の走行27.5キロ、4日間で372.5キロでした。

道路元標蒐集の旅 (信州篇 1日目)

1241329008.jpg 直江津で長野行きに乗換、上越市郊外の脇野田駅からスタートします。 この駅は北陸新幹線金沢延伸でなくなってしまうとか。 1241329026.jpg 新潟県下で3基の元標を巡ったあとR292で長野県へ、 1241329122.jpg 県境を越えても峠はまだ先なんです(-_-;) 1241330685.jpg標高600m弱の湧井峠をようやく越え飯山側へ、 飯山線沿線ではその筋の方が多いなぁと思っていたらこんなのが走ってました、DD16の牽く旧型客車4両、なんと最後尾は荷物合造車のオハニ、まだ残っているのですね、あとで調べたら「いいやま菜の花まつり号」とやらでした。 1241329059.jpg千曲川河畔にて、しかしGWとあって車の多い事、高速道路も渋滞している様で、なかなかシャッターチャンスが(^_^) 1241329070.jpg どうにか1700過ぎに予定の「上田千曲長野自転車道線」へ、基本的に千曲川左岸の堤防上を走るのですが、案内が不備で路面状態が悪い区間が多く、おまけに工事で途切れていたりと決してお勧めできる道ではありません。

今夜から行くのですが

大阪へ出る用事ができたので、一部の荷物を先に大阪駅まで持って行ってコインロッカーに入れておこうと...

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コインロッカーはどこも一杯、小銭も鍵も要らないICOCA専用なるものが1つだけ空いていまし、。 あまり使わないけどICOCA持ってて良かった。 これで夜は輪行袋一つで出られます。

1241205846.jpgノートPCのACアダプタを荷物に入れ忘れているのに気がついたので、ついでにこんなものを買って帰りました。
ACアダプタのAC側のケーブルの代わりに使うコネクタ、荷物はコンパクトにできるグッズです。 HPのノートPCあたりには標準でついていたりするのでご存じの方も、単品として売られています。
日本橋シリコンハウス共立に480円、これは2Pの眼鏡プラグですが、ミッキーマウス型と呼ばれる3Pもありました。

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地下鉄日本橋駅にて、この人とは何故か偶然に良く出会います、お仕事中だそうで、ごくろう様です。

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GW中の週末とあって23時前に行ったのですが既に並んでる人が、平日なら楽に1ボックス占領できるのですが、どうにか座れましたし輪行袋も予定の荷物置き場に鎮座。 京都からだととんでもない目に遭う処でした。

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今夜の「きたぐに」は12両編成(でも座席車は同じ4両)、いくつかの駅でお尻が出てしまいます。

信州へ行ってきます

明日の夜から信州へ行ってきます。 「きたぐに」で直江津へ行き南下します、基本的に道路元標巡りなんですがネ

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、今回はasukaで、先日後ろを分割式ガードのしたので少しは楽になったのですが、ロードやKHSと比べると大変です、ヘッド抜き輪行ができればかなりコンパクトになるのですが、前後キャリアを付けた状態でもハンドルさえ抜けば、どうにかTAIOGAの巨大な輪行袋に入る事が、リアキャリアとバック(中身は空)がリアメカをガードしてくれるので縦置きもできそうです。

 

家島へ行ってきました

 家島は姫路市の沖合いにある島で、2006年3月に姫路市に編入されるまで家島町でした。
 もちろん目的は道路元標ですが、わざわざ自転車を輪行して行く処でもありませんし、神戸で所用があって向かうついでに、するっとKANSAI2dayチケットで姫路まで足を伸ばす事にしました。 実は阪神なんば線のおかげで姫路まで改札を出入りする事なく行けてしまいます。 ただ山陽電車って結構時間が掛かるので、JRの新快速を利用する方が確実に早いですが。
姫路駅から市営バスで姫路港へ、残念ながらここはするっとKANSAIは使えません。 家島本島へ「高速いえしま」と「高福ライナー」の2社が高速艇をそれぞれ一日数往復運行していますが、料金は1,000円と900円と違い、乗り場も少し離れています。 高い方の「高速いえしま」は時間帯によって大きな船が就航していますが、小さい方の船だと差がありませんし所用時間も殆ど変わらない様です。

1240662046.jpg 手前の小さな船が「高福ライナー」、後ろは小豆島行きのフェリーです。 ちなみに家島諸島へはフェリーはありません、島に自動車は走ってますがネ。 料金表によると自転車は荷物扱いで載せて貰える様です、200円位。  

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 高速艇で25分程で着いてしまいます、家島村道路元標のある国保家島診療所(写真上)まで急いで往復すれば、すぐに折り返しの船に乗れなくもないのですが、せっかく船に乗ってきたので2時間程歩ける範囲で散策する事に、と云って釣り客がくる位でさしたる名所旧跡や見どころのある様な処でもありません、漁港と云うより造船や砂利運搬船の基地になっている様な港です。 小さな島と云っても郵便局や交番はもちろん、銀行や信用金庫、高校までありますが、コンビニやファーストフードの店はありません。 とにかくスクーターやカブが街中を忙しく走り回っている、そんな処です。  

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とにかく港のある入り江は奥が深いので反対側へ行くのでも相当歩く必要があります、防波堤に小学校の卒業制作の絵が歴代並んでいます。

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スクリュー専門でしょうか、フレ取りとか芯出しするのでしょうね、かなり巨大です。  

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ようやく対岸の家島神社の鳥居までやってきました、一の鳥居は海に面していますが、本殿は岬の先端にあたる場所にあり、百段以上はあろう石段を登って行かなければなりません、一応車道も来ているのですがね。  

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ようやく神社まで登り、車道を歩いて展望のある公園へ、元は江戸幕府の番所があった展望の良い処です。  

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お昼の便で姫路港へ戻り、同じく飾磨郡に属する英賀保村道路元標をまわり今日の元標蒐集は終わり神戸三宮へ向かいます。  

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所用を済ませ、まだ時間があったので新神戸のクラウンプラザホテルの下に、アウトドア用のニッカホースを作っているハリソンホージャリーの直営店(本社は加古川)を覗いてみました。 普通の靴下ならセール品も並んでいますが、ニッカホースは定価、買うなら「好日山荘」やネットで買ったほうが、ただカラーサイズはさすがにちゃんと揃っている様です。  

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おまけ(^_^)

コンビニの扉の前でちゃんと待っているシーズー、うちのQ太郎が生きていたら爪の垢でも貰って行きたいところです。

道路元標蒐集の旅 (九州篇 4日目)

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今日は昨日の雨がうらめしい好天、せっかくの九州なのでもう1日でも色々回りたいところだが、明日に仕事の予定が入ってしまっているので、早めの時間設定で帰途に就きます。

福岡0537発、小倉、下関、新山口、岩国、糸崎、相生と乗り継ぎます、春休みの日曜、お天気とあって倉敷辺りから結構混んでいます、相生~尼崎は座れず仕舞い。

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尼崎からは東西線、おおさか東線、関西線経由の直通快速で奈良まで乗り換えなし、おまけにこっちはガラガラ、元城東貨物線のおおさか東線に初めて乗ります、奈良で桜井線に乗り換えて桜井1947着、14時間10分、10,020円分乗車。

道路元標蒐集の旅 (九州篇 3日目)

今日は佐賀市周辺に残る5基の道路元標を巡る予定ですが、天気だけは期待通りにはならず予報通りの雨、でもお昼前後から雨は止むような予報なのでとりあえず最寄の久保田駅まで輪行し様子をみる事にしたのですが、一向に止む気配がなく無人駅で2時間以上待つ事に、途中から降り出した雨なら諦めもつきますが、なかなか最初から雨の中を飛び出すのも、ここまできて手ぶらで帰るのも、そろそろタイムリミットなので、覚悟を決めてポンチョを被って飛び出す事に…

 

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佐賀市を囲む様に佐賀環状自転車道がありますが、天気が良ければ少しコースをアレンジして走ってみたかったのですが、ここは元標巡りの途中で交差した自転車道の「徐福サイクルロード」と呼ばれる区間で、旧国鉄佐賀線の廃線跡で見事な桜並木が続いています、今日は花散らしの雨となってしまいましたが。   

 

 旧国鉄佐賀線が筑後川を渡るところに架けられた昇開橋、廃線後も保存され重要文化財となっています、自転車、バイク、ペット連れ不可となっています、こちら岸にまだ道路元標が1基残っているのでここで渡らずに、下流の新しい橋を渡りましたが、次回はきっと押してでも渡ります。  

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筑後川を渡って福岡県に入り水郷柳川へ、雨なのに水郷めぐりの観光客が、まぁ雨の中を自転車で道路元標漁りをしている方がよっぽど物好きでしょうがネ。

水郷柳川と云えば「柳」でしょうが、「桜」もあり。  

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柳川と云えばこれ「柳川丼」だと、ところが「柳川丼」とここ柳川は何の所縁もないとか、でも「うなぎ」の店は多かったです。 日頃一人旅ではあまりグルメしないのですが、西鉄駅前まで走り終えて駅前のお店で1,600円の定食を戴きました。 結構キツいものが出てくるのかと思っていたのですが、臭みはなく綺麗に開いてあって、和え物まで付いていてなかなかも美味しかったです。
ところで柳川は大林宣彦監督で映画化された「廃市」の舞台なのですが、柳川駅はありきたりの私鉄電車の駅でした。
本日の走行41.4キロ

道路元標蒐集の旅 (九州篇 2日目)

青島村道路元標を昨日のうちに回ってしまったので、今日は「石」ではなく「鉄」の日に。 まず宮崎から始発で吉都線京町温泉駅まで輪行し、肥薩線真幸駅まで走ります、距離は6キロ余りですが標高差が150m程あります。

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と云っても一応は未知の元標の捜索は、見つけたのは明治の里程標でした、残念。  

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肥薩線真幸駅、肥薩線は最初鹿児島本線として開業したので、この駅は宮崎県最初の駅。  

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真幸駅は有名なスイッチバック駅、人吉?吉松間は一日5往復、うち日中の二往復は「いさぶろう・しんぺい」と云う観光列車、一応自由席が7席ありますが。 次の上りで大畑駅まで輪行します。  

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大畑駅で下車、ここもスイッチバック駅でループ線の途中にあります。 戻ってきた下り列車を待ってから人吉へ200m程のダウンヒル。 本日の走行26.1キロ。

人吉から佐賀まで輪行、明日は佐賀市周辺の道路元標を回る予定なのですが、天気が…

道路元標蒐集の旅 (九州編 1日目)

1238713354.jpg大阪南港から13時間20分の船旅、宮崎にやってきました。 1238713361.jpg 綾町に向かって大淀川河畔の「綾宮崎自転車道」を走ってます。 1238713779.jpg綾町道路元標八代村道路元標を回った後、再び自転車道を走って宮崎市街へ戻り「宮崎県文書センター」、もちろん目的は「道路元標ノ件」が掲載されているかも知れない「県報」の閲覧です。 開館日や開館時間は事前に調べてあったのですが、閲覧には本人と住所の確認できる身分証明が必要との事、遠方からとのことで閲覧はさせて貰えましたが、別に借り出す訳でもないのに身分証明が必要なんでしょう、HPにはその旨の記載がない事も言っておきましたが。 ところで肝心の「道路元標ノ件」、大正9年と10年の県報を閲覧しましたが残念ながら見つかりませんでした、この手がかりあるのとないのでは大違いです。 P1000902.jpg まだ時間があるので、KHSを宿に置いて明朝の予定だった青島村道路元標まで往復。 青島駅では20吋のタイヤを背負った輪行の若者が、鹿屋経由の計画を断念して、国分までショートカットするそうです。 1238713790.jpg 夜は食事の後、ネットで見つけておいた市内のJAZZSPOT「LIFE TIME」に、アマチュアでしょうかノーチャージでライブをやっていました、珍しい女性のチューバで「Stella by Starlight」他を演奏していました。