矢の川(やのこ)峠は三重県尾鷲市と熊野市の境をなす海抜807mの峠で、現在の国道42号線の矢の川トンネルのほぼ真上に位置していて、矢の川トンネルと大又トンネル開通までは国道として、また昭和34年7月15日の国鉄紀勢本線全通までは国鉄バスの通うルートであった。
紀伊半島の殆どの道(さすがに市街地は除いて)と峠を自転車で走ってきた私にも「矢の川峠」だけは長年の懸案であった。 奈良に住んでいるとは云え尾鷲と云うアプローチの遠さと、かつての国道とは云え熊野市側で橋が落ち廃道化してしまっている情報に躊躇せざる得なかった。 近年入手した尾鷲市の有志の方々の編纂による写真随筆集「思い出の尾鷲」に掲載された1枚の写真に、いつかは「矢の川峠」へとの想いだけはつのっていた。 世界遺産登録で脚光を浴びている熊野だが、尾鷲から熊野市にかけて海寄りの幾つかの峠を越えている熊野古道より、私にとってはこの近代の峠道の方が興味深い。
ところが自転車ツーリング仲間の情報では、旧道となった後も何組が峠を越えていると云う話もあり、最近時々ご一緒する機会のある三重県在のakuta氏も1971年に越えているとの事であった。 話の折に「ぜひ矢の川峠に行きましょう、できれば峠でキャンプを…」、この物好き極まりないプランが急遽実現する運びとなった、それも来週9月24?25日である。 水の補給もできるかどうか判らない峠でのキャンプ、熊野市側へ越えるとすれば担ぎも考慮しなければならない、しかしまるで私のために用意してくれた様なこのプラン、この機会を逃すと二度とは巡って来ないだろう話を断る訳には行かない。
←昭和30年当時、国鉄バスの停まる矢の川峠、当時は茶屋もあり尾鷲湾から熊野灘を望む展望に10分程停車したそうである。 写真は平成9年に「思い出の尾鷲」出版委員会により出版された写真随想集「思い出の尾鷲」から転載、、尾鷲市役所へ問い合わせれば現在でも入手可能かも知れない。 かつて陸の孤島とよばれた尾鷲の戦前戦後を知る興味深い資料である。
峠の北側にはNHKのテレビ中継施設があるために尾鷲側の道路状態は左程の事はないだろうが、熊野市側に至ってはかなりの難路となる事は見えている、とにかく最小限のキャンプ装備と担げる様な支度で出掛けなければならない。 まして往復輪行はあまりに勿体ないので往路は前日に桜井から尾鷲まで自走し尾鷲泊を企んでいる。
しかし峠は現在も広場状にはなっているそうであるが、果たして展望はあるのだろうか。 植林され展望は効かなくなってしまっているかも知れないが、先の写真の撮影方向も気になってカシミールでシュミレーションしてみた。 矢の川峠からほぼ北北東に28mmの画角で描画しているが、確かに写真と合致し尾鷲湾から須賀利の日和山、その向こうに志摩半島へと続く熊野灘に面した海岸線が望めるし、八鬼山の向こうにも熊野灘が-ほぼ真南側まで望める様である。
こうなってくると色々と欲が出てくる、富士山はもとより折角の峠のキャンプであるから日の出や熊野灘に映える月明かりなど拝めないかと… 調べてみると24日15時33分に月の出方位128゜、正中が20時34分で高度が32゜、月の入は25日1時40分方位243゜、月齢は10.5だから満月とは云えないが真っ暗な山中では結構明るいはずである。 ちなみに日の出は25日5時40分である。 なお月の出等データは「こよみのページ」によった。
後は天気になる事を望むだけである。
年別アーカイブ: 2004年
明日香村 助役職他を廃止
丹波篠山ミステリー?峠ツアーの写真
9/12の「丹波篠山ミステリー?峠ツアー」。 例によって例の如く写真だけですがうちのHPにアップしました。 いつもの様に、うちのHPの「輪」(自転車の頁)→「ツーリングの記録」です。
CanCan HomePage
←15名の集団走行で私を除く参加者全員が写っている走行写真は珍しいなぁと思ったけど1人足りないのかな? と思ったらTETUさんの後ろにnanaさんの足が... いつも写真を撮っているskuram翁がコースリーダー役、輪童さんが初盤のアクシデントで心身車共々に傷ついて大人しかったお陰かな。
往路は千丈寺湖青野ダムからほぼ<49>三田篠山線に沿った3つの峠を越えるルート、帰路はR176、福知山線、武庫川を何度も跨ぎながら、車の少ない道を継いで走る自転車には快適なコース。 三田市に篠山市と私には全く土地勘すら無い未踏のコースだったが、あちこちで稲刈りの行われている田園風景や里山を巡る魅力的なコースだった。
しかし走りながら適当な撮影ボイントに目星をを見つけてはダッシュしてカメラを構えるのはなかなか大変でした。
丹波篠山ミステリー?峠ツアー
兵庫県三田市の青野ダムから往路3つの峠を巡って、丹波篠山のそば処「一会庵」で蕎麦を食べると云うskuram翁の企画に参加してきました。
思わぬアクシデントで篠山到着が12時をまわってしまい蕎麦は売り切れでしたが...
帰路は福知山線に沿ったたんぼ道を巡って青野ダムへ戻り、篠山市の「薬師温泉ぬくもりの郷」へ立ち寄り帰途に着きました。 走行77.5キロ(新三田駅→青野ダムを含む)
↑写真の茅葺屋根が「一会庵」
丹波篠山ミステリー?峠ツアー
奈良、木津で乗り継ぎ0629発の片町線東西線福知山線経由新三田駅まで輪行でむかいます。
直通があるものの時間も運賃も余計に掛かるので通して乗る人は少ないだろうナ。
気楽じゃない一日
?
何だか?
WindowsXP SP1
WindowsXP/2000兼用のインストーラーを用意して安心していたら、客先のマシンではレジストリの更新時に「プロシージャエントリポイントGetIUMSがダイナミックリンクライブラリMSDART.DLLから見つかりませんでした。 」のエラーが、色々と調べて最初はMDACが正しく更新されていないのかと格闘していたが、どうやらプリインストールのマシンの場合のWindowsXP SP1での問題らしい。 どうせSP2でも一悶着ありそうだし時間もないし、ひとまずドライバを探してきてWindows2000にダウングレードしてインストールする事にした。
「弊社では、この問題をこの資料の冒頭に記載した弊社製品の問題として認識しています。 」 どうにかしてほしいねぇ、捨てぜりふにも聞こえる。
今月初めて走ってきました。
途中で石を踏んでパンク、サイドも少し切れてしまい裏からゴム板を充てて補修。
↑県道上笠間三本松停車場線の地蔵峠を下った辺りから見下ろす。
WindowsXP SP2
ショップや郵便局でも配るそうだが、とりあえずタダだから郵送を申し込んでおいた、お届けまで4?6週間だって。
あまり関わりたくもないのだがSQL Server 2000には色々と影響があるので、自動更新とかで入ってしまってからではどうにもならない(リカバリなんて信用していない)ので、とりあえず検証と対策はしておかなくては...
最近買ったCDから
「武満徹/レクイエム」(ボリグラム/PHCP-1493)、1996年に亡くなった武満徹の追悼盤としてその年に発売されたもので、1989から1996年にかけて小沢征爾とサイトウ・キネン・オーケストラが録音したノヴェンバー・ステップス他の管弦楽作品を集めたもの。 しかし亡くなってもう8年も経つのかぁ。
「ノヴェンバー・ステップス」(琵琶・尺八とオーケストラのための)、1967年ニューヨークPOの125周年記念に委嘱され同年、小沢征爾によって初演された日本を代表する管弦楽作品(他に若杉、ハイティンク、デュトワ盤がある)、手元に岩城宏之/NHKSO盤があったが、弦のふくよかさに相まって初期の一連の録音に比べて角の取れた聞きやすい演奏に仕上がっている。
「系図?若い人たちのための音楽詩」(語りとオーケストラのための)は初めて聞く、谷川俊太郎の詩集をアレンジした少女の語りと管弦楽との作品、日本初演の録音。 語りの入った音楽作品には少し抵抗があったが、武満徹ならではの美しいメロディを奏でるアンサンブルが魅力。 他に「エアー」「エクリプス」「弦楽のためのレクイエム」を収録。
武満徹なんて知らないよって人に、映画音楽では「狂った果実」に始まり「切腹」「砂の女」等の90作品、同じく映画音楽でハイファイ・セットの歌う「燃える秋」も武満徹作品です。
地震第2波
棚の上からソフトの箱(殆ど空箱ですが)や本が落ちてきました、落ちてくるのは目に見えているので逃げてましたけど。 液晶モニタのの台を外そうかなぁと思っていたけどやめておこうっと。 稼働中の2台のマシンは一応大丈夫みたいだけど...
今日のアクセス数
震度5-(奈良)
懐かしい話題
>cancan様
> 突然のメールで申し訳ございません。
> ナショナルパ?ソナルコンピュ?タ マイブレーン3000を使用されていたそうですが、
> マイブレーン3000を現在も所有されていて、もしご不要でしたら、適価で譲って
いただけませんでしょうか。
> (八方手を尽くして探しているのですが、見つかりません)
嗚呼なんと懐かしい話題、マイブレーン3000とは松下幸之助の鶴の一声でコンピュータから撤退した松下が、その後関連会社の松下通信工業で1980年台初期に細々と作っていたパソコンで、なんと日本初のMS-DOS搭載マシンであったハズである、FEPなんぞと云う意識がなかった時代MS-DOS1.25にカナ漢字変換をインプリメントしたのが、その後VJE-β(今もVer4.0を使ってます)を発売するVACSだった様に記憶している。 VACSはMS-DOS上で動くコンカレントユーティリティも出していて、同僚がバッグラウンドでNC工作機械を動かしながら、表でエディタを使って誤動作させとんでもない処に穴が開けてしまったとか、そんな話題をMSに行った東貴彦とVACSの渡辺専務?と飲みながら話をした記憶がある。
確かにマイブレーン3000を当時の勤務先で少し使っていたのは事実だが、当時NECのPC8001や8801、富士通のFM-8しか知らなかった私にとってOSと云う訳の判らないもの閉口した事を覚えている。 MS-DOSだから当然MS-BASICが載っていて、ファンクションキーに割り当てられたSYSTEMコマンドで何度か折角作ったプログラムを消してしまった事を覚えている。
いまさら業務に使う訳でもあるまいし、コレクターなのかねぇ、オークションで高値がついていたりして... マイブレーン3000の画像がないのが残念だが、返信に「懐かしい話題ありがとうございます、もし手に入ったら画像でも送って下さい、あの黒い筐体に渋い緑色のアクセントが懐かしいです。 」と書いて送っておいた。
仕事風景
「月天」富雄店にて
たばこの量
2004/1 \11,400_ / 2004/2 \9,300_ / 2004/3 \12,000_ / 2004/4 \10,500_ / 2004/5 \14.100_ / 2004/6 \15,600_ / 2004/7 \10,500_ / 2004/8 \17,100_
買い置きの誤差はあるものの仕事の忙しさにほぼ比例しているのが...しかし8ヶ月で335箱6,700本も吸っているのか、アルコールは今年はいつ呑んだのか覚えてられる位呑まないが、最近の様に世間で肩身が狭くなっても辞められないなぁ...
彼岸花 !
九度山人さんのBlogで「彼岸花」の写真を見た、つくつくぼうしの声も頼りなくなってきてもう9月なんだなぁと思いながらも、早いなぁ。 相変わらず業爆状態が続いているが9月は少し頑張って走らないと、仕事のスケジュールを見て、朝駆けでもしようと思いながらも、結局は朝寝になっていまう、トホホ。
四国中央市?
弱小自治体のツラを札束ではる上に、合併しないと「いじめ」付きの「平成の大合併」の産物だとは容易に想像できるが、結構地理には強い私にも容易に位置が想像できない、検索をかけて市のホームページを見ても川之江あたりなのかと判っても、何処と何処が合併したのか良く判らない。 「市の概要」には『当市は愛媛県の東端部に位置し、東は香川県に面し、南東は徳島県、更に南は四国山地を境に高知県に接しており、四国で唯一4県が接する地域となります。 県都松山市と高松市へは約80 ?q、高知市までは約60 ?q、徳島市までは約100 ?q、大阪市へ約300 ?q、東京都まで約800 ?qの距離にあります。 』、『四国の「エックスハイウェイ」の中心地』、『海路では四国最大規模の国際貿易港として四国ロジサイト』...
確かに四国の中央に位置しているんだ云いたい事は良く判るのだが。 調べて行くと愛媛県の伊予三島市、川之江市、宇摩郡土居町、新宮村の4市町村が合併し、同じく宇摩郡の別子山村は新居浜市と合併し「宇摩郡」の名は消えてしまった。
住んでいる人の意向を多少は汲んでの事なのだろうが「四国中央市」のネーミングはなぇ... 原野や砂漠に突然街を作った訳でもあるまいに、地名と云う「文化遺産」をあまりにないがしろにするのに多少の怒りさえ覚える。 このままでは日本中が訳の判らない「市」だらけになってしまいそうである。 まあ川之江駅が「四国中央駅」にでもならない限り「四国中央市」が全国的に認知されないと思うけど。
今月の走行実績
ちなみに月間アルコール摂取量、昨日少しビールを飲んだので100数十ml。
葛城山麓流しそうめんポタリング
←1024×768
左上:九品寺を出発/右上:設営開始/左下:まずは記念撮影/右下:流しそうめん開始
PS:写真をうちのHPにアップしました→ https://hp.canpal.site/

朝風峠にて
昨冬に整備されたベンチは御覧の様に草ぼうぼう。
470級 銅メダル\(^o^)/
でオリンピックは自転車もヨットも結果だけがチラッと出るだけ、別にレース指向ではないけど少しは活躍してほしい、と思っていたら470級が銅メダル、自転車(チームスプリント)は銀メダルだって、少しは映像が出るかな。