「鉄」カテゴリーアーカイブ

道路元標蒐集の旅 (北関東篇 前夜)

週間予報をにらみながら、九州行きを画策している内に「青春18きっぷ」の使用期限が迫ってきたが、天気の目処がたたないので、自転車はあきらめて、南東北から関東にかけての駅から近い元標巡りに計画を変更。

一日かけて東京を経由するしかないかと考えていたが、3月のダイヤ改正で「ムーンライトながら」の定期運用がなくなるらしいので、最後に乗ってみるのもと、ネットで検索すと空席がある様なのでJR桜井駅へ買いに、近鉄で名古屋へ出て乗車する事に。
 実はムーンライトながら」と云う愛称になってから乗るのは初めてです、かつて「大垣夜行」と呼ばれ確か165系だった様な、その頃を思えばリクライニングシートの373系は快適ですが、最近は夜行高速バスが安くて早くて快適ですからネェ、しかし名古屋からだと「18きっぷ」の期間中なら日付の変わる大府駅までの乗車券320円と指定券の510円(閑散期なら310円)を買えば良い訳ですから、かなりお徳です。

道路元標蒐集の旅 (紀州篇)

FI2613201_1E.jpg 昨日から「18きっぷ」のシーズンが始まり、天気と仕事の予定がうまく合わさったので、早速紀伊半島を一周してきました。 最初はKHSを輪行して2日間探索するつもりでいたのですが、ところが金曜の午後に予定が入ってしまったので、自転車抜きで現存情報のある処だけ1日で回る事になってしまいました。

←  紀勢本線御坊駅にて紀州鉄道の車両、いわゆるバス窓のディーゼル車両は絶滅危惧種です。 この車両は今は無き大分交通耶馬渓線のお古です。

FI2613201_2E.jpg 和歌山県日高郡は南部町道路元標、少しは移動しているか少なくともかさ上げされている様ですが、告示どおりの南部町南道一番地先、旧熊野街道沿いの金物屋さんの前に建っています。 和歌山県下で幾つかの現存情報を戴いている方から教えて貰いました。  

FI2613201_3E.jpg 次の目的地への列車の接続に時間があるので、南部から一駅戻って岩代村道路元標を探索してみましたが不発、新宮へ向かいます。 紀伊田辺駅で乗り継ぎの間に「めはり寿司」を探しに出てみると、小径車を輪行支度している方が、同じ様に新宮行きに乗られたので声を掛けてみると、今日東京から白浜空港まで来られたそうで、これから古座へ向かい今夜は串本泊まりとか。

← 海に面した熊野古道の岩代王子に立ち寄ってきました。

FI2613201_4E.jpg 紀伊田辺1301発で新宮1600着、陽の短いこの時期ではぎりぎりの時間です。 ちなみにこの区間は車窓から太平洋を望める風光明媚なところなのですが、車両は桜井線と同じロングシートの105系、ワンマン運行で全ての扉が全開にはならないものの、温暖な南紀とは云えどうにかしてほしいものです。 ちなみに紀伊田辺以北はセミクロスシートの115系になっています。  東牟婁郡は新宮町道路元標、国道42号線沿いに建っていますと云うか、「新宮町道」以下は埋まっています、和歌山県では珍しく裏面にも彫られているようで、どうやら和歌山県の「和」の様に見えます。

FI2613201_5E.jpg 新宮まで来ると、桜井へ帰るには松阪から近鉄経由が断然楽になります、「18きっぷ」だけで帰ろうとすると亀山経由となり、新宮を15時台の列車に乗らなければなりませんし、既に元は充分にとっています。 新宮から東はJR東海で非電化区間、最近まで旧国鉄色のキハ58系が頑張っていて、狭いデッキと適当なスペースがないので輪行の時には苦労しましたが、現在はキハ48が入ってきています。 新宮1746発多気行き、多気、松阪、伊勢中川、名張と乗り換えて5時間がかりで桜井へ戻ります。 ところで今日も「18きっぷ」で何度か改札を通りましたが、今までになく日付印をしっかり確認している様です、何か不正使用が目立っているのでしょうかね。

本日の収穫
【591】 和歌山県 日高郡 南部町
【592】 和歌山県 東牟婁郡 新宮町 (現 新宮市)

信州まで行ってきます

FI2613153_1E.jpg 今回は「きたぐに」で直江津まで行って信越、篠ノ井、中央線経由で小海線信濃川上まで切符を買いました、予定ははっきりしているので、途中で乗車しない区間があってもこの方が1000円近く安くなります。












FI2613153_2E.jpg 今回は連休中なので「きたぐに」には始発の大阪駅から乗車する事にしましたが、思った程に混んでいる訳でもなく、京都で自由席のボックスが一人ずつ埋まってしまう程度です、地震で運休になった以降、乗客はまして減ったようですね。 「きたぐに」にははるか30数年前の客車時代からお世話になっていますが、お盆やスキーシズンには乗車には列ができて、通路まで満席だった事が今となっては懐かしいです。

道路元標蒐集18切符の旅(新潟篇 2日目)

FI2613144_1E.jpg 米沢0603の始発で坂町へ向かいますが、始発前の米沢駅には3本分の編成が待っていています、どうやら米沢方キハ52+キハ47が基本の様です、右の国鉄色のキハ52は回送で先に出ていってしまいました。









FI2613144_2E.jpg 今泉駅にて、試運転と掲げたキハ110系が、既に磐越西線や飯山線で置き変わっている車です。










FI2613144_3E.jpg 越後金丸駅で行き違いになったのはキハ58、最近まで紀勢線であたりまえに走っていたのですがネェ…










FI2613144_4E.jpg< 保内村道路元標は坂町駅前の公園に保存されています。











FI2613144_5E.jpg 中条町道路元標へ向かう途中で羽越本線から米坂線に入る快速「べにばな」を、こちらは予想に反して坂町方にキハ52が付いてました。










FI2613145_1E.jpg 新津駅にて、キハ110系が幅を効かせています。











FI2613145_2E.jpg 時刻表とにらめっこしながら悩んだのですが、上越線沿線の道路元標を回る余裕はないので飯山線に入り、中魚沼郡の中条村道路元標と十日町道路元標を回ります。 中条から十日町へは越後交通のバスを利用。










FI2613145_3E.jpg 十日町道路元標のある十日町市本町、最近は何処へ行っても寂れた地方都市ばかりですが、意外と十日町は活気のある街でした。











FI2613145_4E.jpg 戸狩野沢温泉駅にて、今夜は松本まで。

本日の収穫 【526】 新潟県 岩船郡 保内村 (現 荒川町)
【527】 新潟県 北蒲原郡 中条町 (現 胎内市)
【528】 新潟県 北蒲原郡 葛塚町 (現 新潟市)
【529】 新潟県 中蒲原郡 川東村 (現 五泉市)
【530】 新潟県 中魚沼郡 中条村 (現 十日町市) 【531】 新潟県 中魚沼郡 十日町 (現 十日町市)

道路元標蒐集18切符の旅(新潟篇 1日目)

FI2613141_2E.jpg 今回は\7,350を払って糸魚川まで「きたぐに」でワープします。
いつものように最後尾の1号車クハネに陣取ったのですが、コンプレッサーがうるさくて参りました、もう30年以上酷使され続けている車両ですからね。









FI2613141_3E.jpg 糸魚川にて











FI2613141_4E.jpg 各駅停車で途中下車しながら道路元標を… 信越本線青海川付近











FI2613141_5E.jpg 柏崎から越後線を乗り継いで新潟へ、関西から陸路で来るとさすがに遠いですわ











FI2613142_1E.jpg ようやく米坂線までやってきました、越後下関で途中下車し岩船郡は関谷村道路元標を、

← 国鉄色のキハ58系も今や貴重な存在とか








FI2613142_2E.jpg まだ明るいのですが乗車するのは米沢行き最終になります、お目当てのキハ52は3両編成の中間に挟まっていたりして撮れませんでしたが、そのキハ52に2時間揺られて今夜は米沢泊まり、こうやって”乗り鉄”を愉しめるのも「18きっぷ」のお陰です、明日の始発で再び坂町へ戻ります。








本日の収穫
【520】 新潟県 中頚城郡 直江津町 (現 上越市)
【521】 新潟県 中頚城郡 八千浦村 (現 上越市)
【522】 新潟県 刈羽郡 鯨波村 (現 柏崎市)
【523】 新潟県 中頚城郡 潟町村 (現 上越市)
【524】 新潟県 西蒲原郡 和納村 (現 新潟市)
【525】 新潟県 岩船郡 関谷村 (現 関川村)

丹後山田駅資料室

FI2613137_1E.jpg 北近畿タンゴ鉄道宮津線野田川駅(旧 国鉄宮津線丹後山田駅)の駅舎内には、ここから分岐していて昭和60年に廃止された加悦鉄道関連の資料等が「丹後山田駅資料室」として展示保存されています。









FI2613137_2E.jpg 元鉄ちゃんの私が見ても結構愉しめる展示品が充実しています。











FI2613137_3E.jpg 加悦鉄道時代の旧丹後山田駅をなかなか良く再現した9mmゲージのレイアウトセクションがあります。










FI2613137_4E.jpg 右側は加悦鉄道が国鉄から払い下げを受けたキハ40(今のキハ40ではなく改番されキハ08となった方)、既製品などあろうはずのない珍車まで再現しているのがマニアックな驚きです。 実は私はHOゲージで小高模型のオハ61系キットを改造して作った事もある思い入れのある車です、

加悦SL広場

FI2613138_1E.jpg 旧加悦駅駅舎や転車台(張った水に鯉が泳いでいたりして)を中心に主に加悦鉄道所縁の車両が保存されています。

FI2613138_2E.jpg C57やC58は加悦鉄道と所縁はないのですがネ、京都市電とかもあったりしますから。

FI2613138_3E.jpg 事前に情報を持っていなかったので、元芸備鉄道(のちの国鉄芸備線)のガソリンカーがあるのには驚きました、国鉄時代はキハユニ40900。

FI2613138_4E.jpg車内には郵便の仕分け棚も残っています。

FI2613138_5E.jpg これも珍品、片ボギー車です。

FI2613139_1E.jpg 軌道自転車が2台ありますが、残念ながら動かす事はできません、かつて本線上走っているのを見た事があるだけでも貴重ですが、一度乗って漕いでみたいです。

FI2613139_2E.jpg 丹後山田駅資料室にあった9mmゲージのキハ08の本物は食堂になっています。 板張りの床板が懐かしいです。

FI2613139_3E.jpg< キハ08の車内、反対側にはカラオケセットが置いてあったりしますが…

道路元標蒐集 18切符の旅 (九州編 3日目)

FI2613130_1E.jpg 朝から佐賀県神埼郡の境野村道路元標をGET!! 鳥栖駅にて、「アスパラ天うどん」食って これから熊本県三角に向かいます










FI2613130_2E.jpg 風光明媚な三角西港











FI2613130_3E.jpg 史跡として整備されていますが、かえって道路元標探しには邪魔になった様な。 結局三角町道路元標は諦めかけた頃に何度も通り過ぎていた三角西港バス停前で発見、電柱とブロックに挟まれて死角になっていました。









FI2613130_4E.jpg 阿蘇 宮地駅にて、今夜、別府から八幡浜へフェリーで渡ります

道路元標蒐集 18切符の旅 (九州編 2日目)

FI2613133_1E.jpg 今日は佐賀県東松浦郡の道路元標を回るつもりだったが天気の回復が思わしくない、予報によると長崎の天気が比較的良さそうなので佐賀0537発の長崎行きに乗車、諌早で長与回りに乗換えて道ノ尾駅で下車し長与村道路元標を、てこずるかなと思っていたが駅前の県道道ノ尾停車場線のヘキサ傍に傾いて建っていた。

FI2613133_2E.jpg 喜々津、諌早で乗換えて大村線彼杵駅へ、駅を降り立つと目の前に妙な石標が、判読困難だが道路元標より一回り小さい。







FI2613133_3E.jpg 怪訝に思いながら国道まででると同様のものが、こちらは判読できたので県道の起終点標だと判る。 彼杵駅近くの長崎街道には案内が整備されているがそれらしき処を回ってもお目当ての彼杵村道路元標は見当たらない。 探し回った末に残り時間を睨みながら歴史民俗資料館まで行き尋ねると中庭に保存されていた。 元は先の県道起点標の処にあったとの事。

FI2613133_4E.jpg 幸いにも所在がはっきりしていなかった長崎県下の2基をGET、唐津方面へ向かうが、天気は芳しくない。 久保田経由でも時間は変わらなかったが、別途運賃を払って第三セクターの松浦鉄道に乗車し伊万里経由で唐津へ。




FI2613133_5E.jpg 唐津駅に降り立つと案の定雨、唐津町道路元標まで歩き、向かいのバスターミナルで経路や時刻を見てみるが、周辺の何れの元標へ往復するのは難しい。 唐津駅へ戻り悩んだ末、ここまで来た事だしと奮発してタクシーで近場の鏡村と浜崎村を回って貰う事に。 筑肥線浜崎駅、福岡で地下鉄に乗り入れているので、JR九州の事だからどんな車両が走っているのかと思ったら、何と103系でした。

FI2613129_1E.jpg 奮発したお陰で後の行程がうまく行き厳木町と小城町を回る事が。 唐津線厳木駅、かつて炭鉱で賑わった駅構内も今では山峡の静かな駅です。






FI2613129_2E.jpg 給水塔が保存されています。











FI2613129_3E.jpg 小城町道路元標目当て降りた街、大した名所旧跡もない小さな街なのに 何故か羊羹屋さんばかりが並んでいる 聞くと30軒はあるとか…







FI2613129_4E.jpg で、甘党の私としては買ってきましたよ(^_^)

道路元標蒐集 18切符の旅 (九州編 1日目)

3~4日の予定で九州に向かっています、自転車抜きで(^^; 今日は基本的に移動するだけなので良いのですが、お天気が気になる処です。 実はなんとカメラDIMAGE A2を忘れてきたのです(^^; LUMIX FX35があるので道路元標なら充分間に合いますが、外部ストロボと予備のバッテリが余計な荷物になってしまいました。

FI2613128_2E.jpg 東岡山から糸崎までは213系なので快適

FI2613128_3E.jpg ちょっと岩徳線へ寄り道、実は未踏路線だったのです

FI2613128_4E.jpg 山口県吉敷郡 秋穂町道路元標 岡山県、広島県と降っていなかったのですが、山口県に入った途端に雨が

青春18きっぷの旅 (鳥取篇)

今日は「18きっぷ」で鳥取まで往復する事に、自転車はもちろん一応道路元標も抜きで、記念すべき500基目は8/13に奈良県下北山村で達成させる予定です。 でも鳥取県は全く以て現存情報のない県ですから、もしも「元標」が目の前に突然現れれば話は別ですが、基本的に今日は”乗り鉄”モードです。
 鳥取市へはまともに「18きっぷ」で行くと午前中には辿り着けませんので、鶴橋まで近鉄、上郡から佐用、智頭と第3セクターの智頭急行の区間を特急「スーパーはくと1号」に乗車(特急券込みで\1,670)、関西圏から高速道路のない鳥取市へ最も早く行ける手段なので5両編成となった今も結構混んでいます。

FI2613115_2E.jpg 案の定上郡からだと座れませんでしたが、再びJRとなる因美線智頭駅で下車して普通列車を待ちます、鳥取まで乗ってしまうと後\1,300余分にかかってしまいます。 智頭急行区間内は運転手も車掌も入れ替わります。

FI2613115_3E.jpg 鳥取駅1055着、市内は全く以て勝手が判りませんがバスターミナルへ行くと市内循環のバス「くる梨」が\100均一運賃で走っているので、これを利用する事に。 鳥取砂丘とかの観光地へこそ行きませんが、県庁、市役所、文化会館と云った公共施設をまわってくれます。 右周りと左周りがありますが、ルートが違うので青コースと赤コースと呼んでいる様で、なんと\300の1日券もあります。 ただ市内を周回するので場所によっては余計に時間がかかってしまう場合もありますが、従来の路線バスも「くる梨」と重なる区間は運賃が\100になっているのです、帰りは路線バスが早く来たので乗ったら半分以下の時間で鳥取駅に戻ってしまいました。
↑ 廃食油利用のバイオディ?ゼル燃料車です。

FI2613115_4E.jpg道路元標抜きと云いましたが… 県立公文書館へ資料の探索に。 ネット検索で大正9年県告示を見ることができる事はわかっていましたが、現実は…

FI2613115_5E.jpg 書庫から出してもらうと その薄さにびっくり、智頭町役場が編纂したもので、かなりと云うか殆どといって良い程、抜け落ちています。 大正12年、13年に至っては未記入の目録用紙が1枚はさまっているだけで、恐らく後年智頭町役場が散逸している古い県公報をまとめようしかけていたのでしょう。
 大正9年4月1日、鳥取県告示第135号「県道ノ路線左ノ通認定ス」と云うのがあったものの、その次は4月22日の第155号まで抜けています、「道路元標ノ件」はこの間にあったのでしょうか。 お隣の島根県は秋鹿村、高知県は田野町でしたが、大正期とは云え近代の県公報が逸失してしまって、周辺市町村に頼っていると云うのは、日本の公文書管理ってどうなっているのでしょうかねぇ…

FI2613114_1E.jpg鳥取から「18きっぷ」を利用して鶴橋経由で桜井に戻る最終は、山陰~福知山線経由か山陰~播但~山陽経由の何れでも1622発、因美線で東津山、姫新線で姫路と云う’ヲ’なルートでは1526発となりますが、接続が良く意外に早く帰る事ができます。 今日は余裕があるので、38年ぶりに若桜鉄道(旧国鉄若桜線)に乗車、終点の若桜まで往復し、これも38年ぶりの因美線智頭以南に乗車して姫路経由で帰途に就くことにしたのですが、郡家駅で乗り換える頃から雲行きが怪しくなってきた上に、因美線のダイヤが乱れ始め、若桜行きは10分以上遅れて到着します。

FI2613114_2E2.jpg並行する国道29号線が立派になって交通量が多い事を除けば、駅舎や鉄橋、沿線風景に結構昔の雰囲気が残っています。

← 若桜駅構内、第3セクターとなって駅舎の手前に車庫が新設されています。



FI2613114_2E.jpg 若桜駅の奥にC12 187が保存されていますが、これは兵庫県多可郡の旧加美町役場に保存されていたものを譲り受けてきたものです。 私の知る往年の国鉄若桜線ではC11が使用されていて、C12が使われていた記憶はありませんでしたが、C12 167は終戦前後に若桜線で使われていた様で、その後加古川線に転出した様です。

FI2613114_3E.jpgさすがに一閉塞の盲腸線、終点の若桜駅に着く頃には殆ど遅れを回復していたのですが、若桜駅での定時での折り返し時間は6分、夕方の通勤通学時間帯に備えて職員総出で2両編成に。 天気が良くて時間があれば若桜の街並でも見てみたかったのですが… しかし郡家駅に戻る頃には雨は激しくなり、凄まじい雷雨に。

FI2613114_5E.jpg若桜駅では今も窓口で硬券の乗車券が買えます。





FI2613113_1E.jpg JR因美線は智頭を境に、智頭急行と直通運転もされ1日13往復もの特急が走る北側と、数往復の普通列車だけが走る南側に別れてしまっていて、今では全線を通して運転する列車はありません。 ← 智頭駅にて、鳥取側はJRのキハ40系((殆どは首都圏色)に若桜鉄道、智頭急行の車両が乗り入れてきます、津山側はキハ120の単行です。

FI2613113_2E.jpg 東津山での姫新線への接続がタイトなので遅れが気になる処なのですが、間に合わなくても津山線経由で岡山回りでどうにか帰る事はできます。 どうやら雷雨も収まり、単行の津山行きキハ120が物見峠の長いトンネルを越え岡山県側に入ったものの、美作河井駅で停まってしまい、その後運転士と運転指令とのやりとりで降水量が規定値を越えたとかでこの先の運転が中止になってしまいました。

FI2613113_3E.jpg 「18きっぷ」の期間とあっていつになく多い乗客、どうやら代行バスが用意される様で、運転士は一人一人に目的地を訪ねて回ります、どうやら大阪へ向かうものも私を含めて2,3人いる様です。 運転士に食ってかかる様な人はいませんでしたが、明らかに’鉄’とおぼしき族がなにやら嬉しそうにウロウロしたり、運転士に何だかんだと云うのがいささか目障りです。 代行バスは既にこちらへ向かっているのかと思っていたら、18時を回ってからようやく代行バスが津山を出たの情報が、津山駅と美作河井駅は道路で約28キロ、往復1時間半はかかる計算になります、それでは岡山に出ても「18きっぷ」では大阪まで帰れても、とても桜井へは帰りつけません。 大阪の実家で泊まると云う手も無くは無いし、最悪大枚はたいて新幹線で帰る手も。 岡山なら安いビジホもあるし、Let’Note持参で来ているので資料は整うので、岡山南部に残している元標3つを回る手も、香川県立図書館に行ってみたい気もするのですが、明日は夕方には帰っておいた方が都合が良い予定もあるので、とにかく大阪へ向かう事を優先する事にします。
 私の向かいに座っていた人も大阪で、御堂筋線が動いている時間に帰れればどうにかなるそうです。 実は彼も”;隠れ鉄”;だったのですが(^_^)

FI2613113_4E.jpg  18時45分、津山駅へ向かう代行バスと途中駅へ向かう2台のタクシーが到着、見送る運転士に「お世話になりました」と労ってバスに乗車、とりあえずは19時51分津山発の津山線岡山行きの快速には乗れそうなのですが。 ところでここ美作河井駅は元の加茂村ですから、「八つ墓村」のモデルになった津山事件のあった処です、この話を先の’隠れ鉄’氏と話していたら、バスの運転手が右手の山腹を示して「二十七人殺し」の場所はあの辺りですよとの事、ん、津山事件は三十人殺し(「八つ墓村」では三十二人殺しとなります)では、二十七人ってこのバスの乗客の数ですよ(*_*)  信号の無い県道で思ったより早く津山市街に、接続を再度「乗換案内NEXT」で検索すると、19時28分津山発の姫新線佐用行きに乗り智頭急行で上郡へ出ると、智頭急行の\470を払う事にはなりますが、大阪へ2258着で帰れる事が(^_^)v バス内でJR職員の電話でのやりとりを耳にしたのですが、「18きっぷ」で広島へ向かっていた乗客もいるとか、本来何の補償もない「18きっぷ」ですが、場合によっては新幹線利用で送って貰えるのかも、ゴネ得だったりして。 幸い八つ墓明神の祟りもなく無事に津山駅到着、佐用行きにぎりぎりで乗車でき、先の’隠れ鉄’氏とともに大阪へ帰ってきました。

FI2613113_5E.jpg 大阪環状線ホームの雑踏へ、後はいつもの鶴橋23時28分の八木行き快速急行にさえ乗れば、五位堂で榛原行き最終が待っています。  






桜井 0528 → 鶴橋 0622 (610円)
鶴橋 0629 → 大阪 0645 2,210円
大阪0652 → 姫路 0754
姫路 0800 → 上郡 0834
上郡 0902 → 智頭 0942 (1,260円+410円)
智頭 1009 → 鳥取 1055 570円鳥取 1410 → 郡家 1423 230円 郡家 1438 → 若桜 1508 (若桜鉄道420円)
若桜 1516 → 郡家 1546 (若桜鉄道420円)
郡家 1550 → 智頭 1619 1800円
智頭 1629 → 津山 ****
津山 1928 → 佐用 2027
佐用 2034 → 上郡 2053 (470円)
上郡 2121 → 姫路 2154 2820円
姫路 2157 → 大阪 2258
大阪 2303 → 鶴橋 2318
鶴橋 2328 → 桜井 0008 (610円)

「青春18きっぷ」で7,630円分乗車

青春18きっぷ「道路元標蒐集の旅」

FI2613108_1E.jpg桜井0533発に乗車、桜井線、奈良線、湖西線と継いで近江今津に向かいます

FI2613108_2E.jpg近江今津駅

 

 

FI2613108_3E.jpg 今津町道路元標は旧街道の分岐する住吉神社向かいの酒屋の角に残っていますが、初老の酒屋の主人曰く、ここには木製の背の高い道標(おそらく里程標の事)が建っていて、代わりにこの道路元標が建てられたと云う、その時の記憶があるので戦後の事だと云う、場所はその折に少し西に移動したとの事。 書体は滋賀県としては珍しく豪快な字体、道路に面せず東を向いている。
 ちなみに今津町は明治39年に町制、昭和30年に周辺2村と合体、平成17年に高島市となった。  

 

FI2613108_4E.jpg反転し0911発姫路行きで次は加古川に向かいます

 

FI2613109_1E.jpg兵庫県加古郡氷丘村道路元標、加古川駅と日岡駅の中間にあり、バスの時間も合わないので炎天下歩く事に、今日は少し曇っていたのがせめてもの救い。 以前加古川周辺に来たときには見つけられなかったのですが、本来の位置からは動いている様に思えます。

 

 

FI2613109_2E.jpg帰りは少しは近い加古川線日岡駅へ、読みこそ同じですが旧村名や小学校は’氷丘’ですが駅名は’日岡’となっています。

FI2613109_3E.jpg

加古川線の車両のこのペイントはどうもねぇ

 

FI2613109_4E.jpg姫路、相生と乗り継ぎ三原行きに乗車、倉敷へと向かいます。 姫路?岡山間はボトルネックになっていて「18きっぷ」の季節は結構混むのですが、中途半端な時間なのかして割りと空いていました。

FI2613109_5E.jpg倉敷駅で児島行きの下津井電鉄バスに乗り換えますが、乗換時間は7分の上に少々延着、勝手の判らない倉敷駅前のバスターミナルを右往左往(^_^;)
FI2613110_1E.jpg岡山県児島郡藤戸町道路元標、藤戸寺下バス停すぐ藤戸饅頭本舗の前に建っています。 次のバスまで20分ですが数分遅れて到着、この写真を撮るために藤戸寺境内まであがったりしていて、店を覗いてみたりしたものの、次のバスも遅れてくるとは限らないので買えず仕舞い、案の定買っていたら乗り遅れる処でした。

FI2613110_2E.jpg風待ち港として栄えた下津井港、瀬戸大橋のたもとにあります。

FI2613110_3E.jpg岡山県児島郡下津井町道路元標
道路元標の位置から瀬戸大橋が見えたら面白いのですが…

FI2613110_4E.jpg帰途に就きます、岡山駅










本日の収穫
【496】 滋賀県 高島郡 今津町 (現 高島市)
【497】 兵庫県 加古郡 氷丘村 (現 加古川市)
【498】 岡山県 児島郡 藤戸町 (現 倉敷市)
【499】 岡山県 児島郡 下津井町 (現 倉敷市)

「18きっぷ」で10.880円分乗車、
下津井電鉄バスで1,360円、田舎のバスは高いですわ。

青春18きっぷ 2008夏

FI2613100_1E.jpgこの夏も駅近くで歩いて回れる処だけでも行こうと一応は買いました、リハビリのない木曜と日曜の日帰りではそう遠くへは行けませんが、。 実は今日も企んでいたのですが… くじけてしまいました、まぁ9/10までには充分消化できるでしょうから、このクソ暑いのに無理に出かけなくとも。

北陸~信州ツーリング 2日目

FI2613052_1E.jpg糸魚川から大糸線0611発南小谷行きに乗車、先月に続き首都圏色のキハ52でした。 

 

 

FI2613052_2E.jpg平岩駅にて、大糸線のキハ52にはいずれもトイレがありません、交換でも無いのですが14分停車、即ちトイレ停車。 

 

 

FI2613052_3E.jpg南小谷で松本行きに接続、小熊黒沢林道に入るには簗場駅辺りから走り出すのも良いのですが、今朝は食料等の補給できていないので、近くにコンビニのある信濃木崎駅からスタートする事に。  

FI2613047_1E.jpg白馬近辺では嶺方峠を二度超えていますが、小熊黒沢林道へはなかなか来る機会がありませんでした、今年のGWはMさんが、昨年のGWはU兄が、他にも多くのサイクリング仲間が訪れています。  

FI2613047_2E.jpg木崎湖畔の南側から入るのがお奨めと云うのが共通した意見の様です、とっつきはかなりキツいですが、眼下に木崎湖を見下ろせる辺りから勾配にも緩急が出てきて幾分登り易くなります。 林道支線への分岐を過ぎ稜線を西側へ越えるとアルプスの山並みが見え始めます。   
FI2613047_3E.jpg苦労してガード付きの「あすか」を輪行してきて正解です、KHSやロードでは絵になりません。

 

 

FI2613047_4E.jpg2つ目のピークがパラグライダーの練習地になっていて、再び木崎湖が見下ろす事ができます。 

 

 

FI2613047_5E.jpg3つ目のピークを越えると一気にサンアルピナのスキー場まで下ります、ここまで出会った車は3台だけ、紀伊半島のボコボコの県道の事を思えば、路面状態は非常に良いです。 スキー場の中をを抜け2枚目の写真で見下ろしていた西側の谷の下り大町市街へと向かいました。

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飯田線完乗

長野県へ入ったこころで、北へ戻るか南に向かうかは翌朝の天気次第として予定を1日伸ばして松本市内泊。 翌朝雨の残る中を上諏訪町道路元標下諏訪町道路元標をこなして岡谷から飯田線で伊那市へ。

← 建物は立派な伊那市役所の前に平成の伊那市道路元標


飯田線飯島駅


飯島町役場前にある上伊那郡飯島村道路元標


再現されたものですが飯島本陣、廃藩置県後に伊那県庁として使われたそうです。


飯田線天竜峡駅、豊橋行きへの接続を待つ一時間半程の間に天竜峡を散策。


18切符の旅 (5日目)

当初の予定では昨夜に別府から四国八幡浜に渡り、予讃線から瀬戸大橋経由で帰るつもりでしたが、昨日の雨で酷く濡らされたので、大分泊まりにして、小倉経由で帰る事に、ただし小倉までは日田経由で(^.^)

大分0619→日田0937→小倉1223→下関1315→1830三原1842→2154姫路2157→2258大阪2303→2318鶴橋、
無事に鶴橋まで帰ってきました、終電なので桜井に着くのは0008です、JRだけで\10,500分乗車。


今回の収穫
【418】 佐賀県 藤津郡 鹿島町 (現 鹿島市)
【419】 佐賀県 藤津郡 浜町 (現 鹿島市)
【420】 佐賀県 杵島郡 佐留志村 (現 江北町)
【421】 佐賀県 杵島郡 武雄市 (現 武雄市)
【422】 佐賀県 神埼郡 神埼町 (現 神埼市)
【423】 長崎県 南高来郡 深江村 ( 現 南島原市)
【424】 宮崎県 北諸県郡 高崎村 (現 都城市)
【425】 宮崎県 宮崎市
【426】 児湯郡 美々津町 (現 日向市)
【427】 宮崎県 東臼杵郡 細島町 (現 日向市)


18切符の旅 (4日目)

今日の予定は宮崎県下に残るうちの4基の道路元標ですが、あいにくの雨は風もあって結構本降りです。 今夜別府から四国に渡り、帰途に就く明日のルートも絡め検討中です。

← 都城駅にて


吉都線を高崎新田駅まで戻り北諸県郡の高崎村道路元標を、宮崎市に移動して県庁前で宮崎市道路元標を、今や宮崎県庁は観光スポットで次々と観光バスが乗り付けてきます。


日豊本線を北上し美々津へ、駅から美々津の町並みまでは結構な距離がありますが、雨は一向におさまる気配がありません。 美々津町道路元標は美々津の古い町並みの南外れに、美々津の名は僅かの間ですが明治4年から6年までの間、都城県とともに美々津県として宮崎県の前身となった事もあり、町並みが保存されています、かなりこじつけた謂れですが日本海軍発祥の地とか。

 

幸い美々津から日向市中心部へ宮崎交通の路線バスがあり、良いタイミングで次の細島町道路元標へ歩いて行ける処まで移動する事ができました。
←18切符にとっての難所、日豊本線の宗太郎越えです。 普通列車は一日3往復しかありません。 乗っている乗客も半分以上はその筋の方々かと…比較的若い女性もいたのはご時世なのかと。

 

知っている人は知っている、次の駅は…

18切符の旅 (3日目)

今月限りで島原外港以南が廃止となる島原鉄道に乗車、もちろん道路元標も、長崎県南高来郡の深江村道路元標(左下) 後ろは雲仙普賢岳?

 

島原鉄道加津佐駅、Mさんの好きなキハ20系ですが、南線廃線とともに引退とか。

 

島原外港、ヲだらけの島原鉄道を後にしフェリーで熊本に向かいます。

 

肥薩線矢岳越え、真幸駅
38年ぶりの大畑ループとスィッチバックてす。

 

今日は都城まで。

肥薩線吉松駅、ここで吉都線へ乗り換えますが、吉松は鹿児島県ですので九州6県を回る事になります。

18切符の旅 (2日目)

早朝から道路元標求めて次の肥前浜駅まで歩きます、長崎街道肥前浜宿。

 

肥前浜駅

 

肥前山口駅で佐世保線に乗り換え武雄温泉駅に向かうつもりが列車を乗り違えて戻ってしまうと云う、元鉄にしてはお恥ずかしいチョンボをしてしまいました。 肥前鹿島からバスで武雄温泉へ向かう手もありましたが、結局は肥前山口へ戻り先に佐留志村道路元標を探索する事に、幸い思っていたより早く見つけ出す事ができて武雄温泉へ。

 

杵島郡の武雄町道路元標は武雄温泉楼門脇にあります、この楼門は重文です。

 

佐賀県県下の道路元標5基をGRTして佐賀県立図書館へ向かいますが、大正期の県報は多くが逸失していて揃っていません、県庁南別館にある「歴史的文書閲覧室」を紹介して貰い、そちらには大正9年他の県報がありましたが、目的の「道路元標ノ件」は見つかりませんでした。

18切符の旅 (1日目)

青春18切符を利用して九州へ向かいます、もちろん道路元標もありですが、自転車抜きです。 まずは一日がかりで佐賀県鹿島市に向かいます、
桜井0528→鶴橋0622(近鉄)、鶴橋0629→0645大阪0652→0754姫路0800→0916東岡山0922→1101糸崎1144→1650下関1709→1722小倉1736→1917鳥栖1931→2024肥前鹿島

 

このスジは18切符の期間ともあってずっと満員状態、今月のダイヤ改正で姫路駅の乗換には僅かにゆとりができましたが、やはり輪行するのは顰蹙ものです。 倉敷を過ぎてようやくすいてきました。 このスジを乗り継ぐと、長崎、熊本、大分まで行く事が可能ですが、相応の忍耐力と云うか好きでないと… まぁかって大阪から札幌まで33時間も乗り続けた事を思えば。

糸崎で下関行きに乗り継ぎ、すぐに乗り継いでもこの先岩国で後続に追い付かれるのでちょっと途中下車して食料調達。 昔ながら何もない駅前ですが、少し行くと地元スーパーがあります。

 

1650下関着、今日は肥前鹿島まで行くのでまだ3時間半乗ります。

 

鳥栖からの長崎本線では817系でした、木材と一部に本革を利用したデザインには(@_@) 座り心地は長時間向ではありませんが。

桜井を出発してから14時間弱、肥前鹿島2024着、JRだけで\10,080分乗車。

古いネガから(1970年2月23日)

最近まで天王寺駅から南紀方面への夜行が出ていたのですが、当時は紀勢本線経由名古屋行きと云うとんでもない列車でした、当然普通の人は通して乗らないです、かく云う私は亀山まで乗った記憶はありますが。 その後新宮行き、紀伊田辺行きと短縮されついに先年廃止されました。 この頃は南紀への釣り客も多く結構混雑していました。 和歌山までは電化されている阪和線を経由するので鳳区のED60が牽引していましたが、SG(蒸気発生装置)をもたない機関車なので天王寺?和歌山間は暖房車と呼ぶ客車にスチームを供給する車両を繋いでいました。


那智勝浦駅、記憶にはないのですがここまで乗っていたのでしょうね。


紀勢本線の和歌山側はSLがまだまだ活躍していたのですが、南へ行く程亀山区のDF50が結構入ってきていました。


江住駅、今は何処もかも無人駅になってしまいました。


古いネガから(1971年2月15日)

この日は岡山へ向かいました、当時既に「布原の三重連」が人気となっていましたが、天の邪鬼な性格は今に始まった事ではありません、伯備線備中川面駅にて。


伯備線備中川面駅?方谷駅間


伯備線方谷駅、駅舎や停まっている乗用車もさる事ながら、舗装もされていない駅前が時代を感じさせます。


古いネガから(1971年2月11日)

信楽と水口の間、国道307号線は現在のルートとは異なり小野峠を越えていました、当時は未舗装で積雪凍結ともなるとご覧の様に。


水口行きの国鉄バスも


現在のR307はこの踏切を渡らず線路の向こう側を平行して走っています。


1日1往復も貨物列車は亀山区のC58が受け持っていました。 信楽駅には転車台なぞ無いので上りは逆向で牽引します、信楽線には33‰勾配が続くせいでしょうか名松線の様にC11を投入する事はできなかったのでしょうね。


現在は橋上駅になってしまいましたが、草津線貴生川駅です。


古いネガから(1971年2月7日)

1971年当時の国鉄信楽線信楽駅、右に写っているバスは関西線加茂駅と結んでいた国鉄バスではないかと。


当時ももちろん’陶器の町’なのですが、今の様に観光化はされてはおらず、山間の小さな終着駅でした。


 信楽駅構内


 もちろん民営化前ですが、草津駅行き直通が走っていました。 あの忌まわしい列車衝突事故はJRの臨時列車が乗り入れていたもので、以来直通運転は無い。


キハ53 4、信楽線には33‰と云う急勾配があるせいでしょうか、2エンジンの当時新鋭のキハ53が投入されていました。


道路元標蒐集の旅(愛知編)

昨日からT御大の名古屋の事務所の引っ越しを手伝いに行ったついでに、今日は愛知県三河地方の道路元標を蒐集してきました。 自転車ではなく名古屋鉄道の「まる乗り1DAYフリーきっぷ」\3,000を利用したのですが...
名古屋→藤川 \770
藤川→本宿 \220
本宿→名電長沢 \180
名電長沢→名電赤坂 \160
名電赤坂→豊橋 \340
蒲郡→形原 \220
西浦→西尾 \440
西尾→名古屋 \770
 と普通運賃だけでは\3,100分しか乗れませんでした(^_^;) 確かに岐阜?豊橋が片道\1,780ですが、でないと元を取るのはなかなか大変です。 なお「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」と云うのがあってこちらは\3,800ですが、連続した2日になり特別車不可です。

名古屋鉄道に乗る事など滅多にないので、現役のうちに一度乗っておきたかったのですが...


「まる乗り1DAYフリーきっぷ」では特急の特別車に乗れる(但し10?16時で座席指定なし)ので、折角ですので国分?豊橋の間だけ乗ってきました。


豊橋市道路元標の帰りに豊橋市内を走る路面電車(豊橋鉄道 東田本線)には初めて乗りました、停留所に路線や運賃の案内がないので先払い運賃に戸惑いましたが、均一\150也。


本日の収穫
【386】 愛知県 額田郡 藤川村 (現 岡崎市)
【387】 愛知県 額田郡 本宿村 (現 岡崎市)
【388】 愛知県 宝飯郡 長沢村 (現 豊川市)
【389】 愛知県 宝飯郡 赤坂町 (現 豊川市)
【390】 愛知県 豊橋市
【391】 愛知県 宝飯郡 御津町 (現 豊川市)
【392】 愛知県 宝飯郡 三谷町 (現 豊川市)
【393】 愛知県 宝飯郡 蒲郡町 (現 蒲郡市)
【394】 愛知県 宝飯郡 塩津村 (現 蒲郡市)
【395】 愛知県 宝飯郡 形原村 (現 蒲郡市)
【396】 愛知県 宝飯郡 西浦村 (現 蒲郡市)
【397】 愛知県 幡豆郡 西尾町 (現 西尾市)



古いネガから(1971年1月30日)

この頃、信楽線(現在の信楽高原鉄道)の1日1往復のSLを撮りに足繁く通っていたものです。 その行きすがら京都駅で撮ったスナップ。 現在の31番ホームでしょうか、朝の通勤時間帯に次々と山陰線の列車が到着し機関車を付け替えて引き上げて行きます。


DD54は当時、山陰線や福知山線等に投入されていた、ドイツのメーカーのエンジンと液体変速機をライセンス生産し積んだ新鋭機、40両が生産されたが、脱線転覆事故や保守コストの高さから悲運にも僅か10年余りで姿を消した。


山陰線ホームから東海道線上りホームを見ていたのでしょうか、良し悪しはともかくとしてのどかですね、当時莫大な赤字を抱えていた国鉄、でも100人を超す死者を出す事故は起こしていませんでした。


出雲市行きのサボをさげた寝台車スハネ30をはさんだ夜行列車、ブルトレ格上げ前の急行「出雲」でしょうか。


草津駅構内を通過するEH10の牽く貨物列車、草津駅って今も印象は変わっていませんね。


大社駅

14日に訪れた旧国鉄大社駅です。 正確にはJRだった時期も少しありますが。


丸ポストは利用できません(^_^)


中へ入ると思わず息をのんでしまいます。 私の微かな記憶の現役時代と違い、ポスターや今風のものが無いのでもっと昔へタイムスリップしてしまったようです。 ホーム側改札口の開口部が塞がれているのが残念です。


ホーム側、まるで横溝映画のセットみたいです。


このレールは何処にも繋がっていませんが、駅舎だけでなく駅構内全体がD51 774とともに保存されています。 出雲大社前からバス停で4つ程JR出雲市駅寄りですが、一見の価値はあります。


ぐるっと中国地方(3)

朝から山口県立図書館へ、山口県下の道路元標の所在情報の載った山口県報の存在は知られていましたから、見つけ出してコピーをお願いするだけです。 ついでに現存情報のある周防大島へ向かうべくゼンリン住宅地図で地番を探しだします、その間30分、図書館近くのバス停から防府行きのJRバスに、さすがにJRと云っても’青春18きっぷ’は使えずバス代\790は高いですが、大幅に予定を繰り上げる事が。


大畠駅から防長バスに乗り大島大橋を渡り周防大島へ、島と云っても今や陸続きでセプンイレブンもコメリもパチンコ屋もあります。
折り返しのバスの時刻まで約30分しかありませんが、住宅地図で確認していたのが幸いしてすぐに発見。 久賀町道路元標は地番どおりと思われる場所にしっかり立っていました、しかしバス代往復\1,300は高い。


山口で時間が短縮できたので欲をかいて広島へ、しかし時間は2時間半程しかありませんし、広島県報に道路元標に関する記載があると云う情報はありません。 とにかく一番便利な市役所前の広島市立文書館へ、しかしここにある県報は昭和21年以降だけ、広島県立文書館を教えて貰いますが、念のために問い合わせて貰うと県報があるのは広島県立図書館の方だとか、歩いて20分程掛かるそうなので、結局今回は諦めて帰途に就く事にしました。
↑広島に来ると退屈しません、元とは云え鉄ちゃんにはひろでんはたまりませんわ。


今回の収穫
【382】 島根県 八束郡 玉湯村 (現 松江市)
【383】 島根県 簸川郡 大社町 (現 出雲市)
【384】 島根県 邇摩郡 温泉津町 (現 太田市)
【385】 山口県 大島郡 久賀町 (現 周防大島町)
 いずれもネット上に先人により現存情報が掲がっているものをなぞっただけですし、島根県下の道路元標に関する情報をぜひとも見つけ出したかったのですが、残念。



ぐるっと中国地方(2日目)

松江市内で一泊、暗いうちから一畑電鉄の始発で出雲へ移動します。 一畑電鉄は京王のお古が使われているものだと思っていたのですが、松江しんじ湖温泉駅から乗った始発電車はなんと元の南海高野線の21000系ではありませんか(写真右)、しかし思い出しましたよこの車両、窓枠からのすきま風が酷いのに、ねぇ9さん(^_^)


レトロな一畑電鉄出雲大社前駅です。
 なお一畑電鉄には有料(\300)ですが、曜日時間帯により自転車持ち込み可能になっています。



出雲大社、この反対側に大社町道路元標が。


出雲ってぜんざい発祥の地なんですかぁ...


で、’おみやげ’は...