「鉄」カテゴリーアーカイブ

道路元標蒐集の旅(信越編4日目)

今日で帰途に就く予定で、昨夜T御大に電話を入れると明日名古屋から奈良へ戻るとの事、これ幸いと名古屋から車に便乗させて貰う事に。 ところで昨夜、中野町道路元標について調べていると、道路整備に伴って11月に元の場所と思われる場所に設置されるとの新聞記事を発見、昨日回れなかった須坂町道路元標(但し復元もの)を絡めて再訪する事に。

須坂駅にて、朝だけここで長野発のB特急と湯田中行きのA特急が接続されるので、須坂から乗車すると展望室最前列に陣取る事も、B特急はあずき色塗装の2000系がやってきました。





展望室から見たりんご色塗装の2000系、
県庁記念館の開館は10時からなので湯田中駅まで往復して信州中野駅へ戻ります、しかし標高600mの湯田中駅までりんご畑の中の急坂を登るロマンスーカーはなかなかのものです。
県庁記念館で尋ねると道路元標は中町交差点との事、昨日前を通り過ぎていたとは…
お土産を買うのに小布施で途中下車し、
長野、松本と各停を乗り継ぎ、広丘駅で途中下車して今日最後の予定の広丘村道路元標、これが799基目となり今年の目標800基へ残すところ後1基となりました。 今回は「18きっぷ」ではないし待ち合わせ時間もあるので贅沢に塩尻から特急「しなの」に乗車し4日間の信越道路元標の旅を終えました、しかし今回はかなり鉄分多めでしたが。

長野0748→0819須坂 520円
須坂0919→0948湯田中 760円
湯田中1010→1022信州中野 320円
信州中野1130→1143小布施1223→1248長野 880円
長野1303→姨捨 400円
2880円分乗車

【797】 長野県 上高井郡 須坂町(現 須坂市) 
【798】 長野県 下高井郡 中野町(現 中野市) 
【799】 長野県 東筑摩郡 広丘村(現 塩尻市)

道路元標蒐集の旅(信越編3日目)

「えちごツーデーパスSP」にい続いて今日明日と「信州北回廊パス」を使用、同じく2500円で2日間有効で長野周辺のJR線と長野電鉄としなの鉄道の上田以西と川中島バスの一部路線が利用できます。 通年発売ですが時刻表の「おとくキップ」にも紹介されていない様ですし、JR線だけを利用するのではメリットは少ないですが、長野電鉄をフルに乗車してしっかり元をとってきました。

今年5月へ長野へ来た時には千曲川左岸の飯山線んい沿って走りましたが、今回は千曲川右岸の長野電鉄の駅に近い道路元標を回ります。 支線の屋代線沿いにも幾つかありますが、こちらは日中の運転本数が少ないので、本数の多い朝の時間帯に回る事にし綿内村道路元標のある綿内駅を目指します。 長野からなら須坂経由が早くて安いのですが、「信州北回廊パス」利用なので、未踏ですし廃線話も出ているので、遠回りしてしなの鉄道屋代駅経由で向かう事に。
屋代駅の長野電鉄ホーム、長野電鉄にはレトロな駅が多いですが、車両は元営団地下鉄(東京メトロ)の車両、扉は半自動扱いですが、冬場に3ドアロングシートの車両は寒々しいです。

 

 

長野電鉄と云えば小田急ロマンスカー10000系が譲渡され特急「ゆけむり」として活躍している事くらいは知っていたのですが、延徳村道路元標へ行く途中で狙ってみました、天気が良ければ北信五座がバックに望めるのですが。



私の世代で長野電鉄と云えば昭和40年代に活躍したOSカーなのですが、2代目OSカーが須坂駅構内に留置されていました。







午前中に上高井郡と下高井郡の5基の道路元標を回り、中野町道路元標が中野市の県庁記念館(長野県ではなく前身の中野県の)内に保管されている情報があったので向かいますが、火曜日休館ですごすご帰ってきました、ただ玄関から覗いた限りでは、らしきものが見当たりませんでした。
 意気消沈して信州中野駅に戻り、特急へは全線均一100円の特急券を買えば乗れるので、1214発で長野へ、当然ロマンスカーがやってくるものと思っていたら、なんと代走の2000系、ラッキーなのかアンラッキーなのか…

特急は善光寺下駅には停車しないので権藤駅で下車し、善光寺まで歩いて長野市道路元標をGET、長野駅まで川中島バスの「びんずる号」に乗り、JRで1駅の安茂里駅まで乗車し安茂里村道路元標へ、折り返し長野駅へ戻り、飯山線で常盤村道路元標最寄りの信濃平駅へ、実はここへは今年5月に来ているのですが、メモリーカードのデータが破損して画像がなく、再訪する事に。

長野0620→0639屋代0645→0713綿内 1040円
綿内0801→0804井上 180円
井上0843→0848須坂0908→0915小布施 320円
都住1014→1018桜沢 180円
桜沢1057→1104信州中野 240円
信州中野1214→1245権堂 460円
善光寺前→長野駅前(バス) 100円
長野1347→1351安栖里 140円 
安栖里1436→1440長野1503→1600信濃平 650円
信濃平1638→1738長野 650円
3960円分乗車

【790】 長野県 上高井郡 綿内村(現 上越市) 
【791】 長野県 上高井郡 井上村(現 須坂市) 
【792】 長野県 上高井郡 小布施村(現 小布施町) 
【793】 長野県 上高井郡 都住村(現 小布施町) 
【794】 長野県 下高井郡 延徳村(現 中野市) 
【795】 長野県 長野市 
【796】 長野県 上水内郡 安茂里村(現 長野市)

道路元標蒐集の旅(信越編2日目)

今日は「えちごツーデーパスSP」の2日目で新潟県下の道路元標を回り長野へ移動する計画です。 思わしくない天気ですが、徐々に快方へ向かうとの予報で、とりあえず新潟市では朝には雨はあがっています。 広い新潟県の事ですから一番天気の良さそうな方向へ向かう事にし、それに今日は磐越西線の「SLばんえつ物語」号の運転日なので、あわよくばと中蒲原郡の亀田町道路元標から五泉町、東蒲原郡下条村と磐越西線方面へ向かう事にします。

大阪から到着した眠たそうな「きたぐに」、新津駅にて、ここから「きたぐに」は急行ではなく新潟まで快速となります。 新津から一駅ですが通勤客も乗りこむ事も、まぁ新潟まで自由席を利用する客も少ないでしょうが迷惑な話です。



新潟0943発の「SLばんえつ物語」のためにEF81に牽かれる回送列車に遭遇。 撮り鉄どもは会津方面に行くのでしょうから、意外と鉄ちゃんは少ないです。

磐越西線の五泉駅で途中下車し五泉町道路元標まで往復した後東下条駅へ、折り返しの54分間に下条村道路元標までの1.6キロ余りを往復し「SLばんえつ物語」号を狙うのですが、土地勘もないしロケハンする余裕もないし順光側に回ったらご覧のように電線とかぶってしまいました。 まぁおまけの様なものですから良いでしょう。

新津行はキハ40系がやってきてくれました。

ところで「えちごツーデーパスSP」はJRのレンタルサイクルが無料で貸して貰えるので、 刈羽郡の枇杷島村道路元標下宿村道路元標を回るのに柏崎駅で借りてみました。 五泉駅に置いてあったのは変速付の結構綺麗な車でしたが、柏崎駅はかなりのシロモノです、ベルが付いていないのは法令違反、チェーンがケースをこすってうるさい事、それでも歩いてでは10キロ以上とちょっと大変な2つの道路元標を回ってきました。 でも調子に乗って高田村や田尻村へ足を伸ばしていたら危うくにわか雨に遭遇するところでした。

本日の予定は終了、長野へ移動する列車にはもう少し時間があるので日本海の見える海岸まででてみました。 でも他の駅と違ってさしたる 観光地のない柏崎って誰がレンタサイクルを借りるんでしょうねぇ。 結構、周辺企業の社員が重宝していたりして。

直江津からは元特急「あさま」用の189系使用の普通列車「妙高」号、485系使用の快速「くびき野」と云いJR東日本の太っ腹な事、JR西日本は少し見習えよ。

長野でも例によって東横インに2泊します。 今まで長野県下では松本、上田、佐久と長野市にはなかったのですが、先月善光寺口にオープン、11月24日までは「オープンキャンペーン」で曜日関係なく会員30%OFF、今回の信越遠征は来春まで限定の「えちごツーデーパスSP」のこの割引がきっかけで、これで長野市周辺の未踏の道路元標を回るつもりです。
 長野駅を降りるとドンドンと雷の様な音、この季節に花火?、犀川河畔で行われる長野えびす講煙火大会でした。 幸い最上階13階の南向きの部屋 でビルの間からしばし花火見物をする事ができました。 写真はしょぼいですが今年は7500発と云うなかなかの規模の立派な花火大会です。

新潟→亀田 190円
亀田→五泉 320円
五泉→東下条 230円
東下条→新津→長岡→柏崎 1890円
柏崎→直江津→妙高高原 1280円
3910円分乗車

【785】 新潟県 中蒲原郡 亀田町(現 新潟市) 
【786】 新潟県 中蒲原郡 五泉町(現 五泉市) 
【787】 新潟県 東蒲原郡 下条村(現 阿賀町) 
【788】 新潟県 刈羽郡 枇杷島村(現 柏崎市) 
【789】 新潟県 刈羽郡 下宿村(現 柏崎市)

道路元標蒐集の旅(信越編1日目)

 今は「青春18きっぷ」のシーズンではないので、今回は来年3月28日までの限定ですが、新潟県下のJR線と北越急行ほくほく線が2日間乗り放題で2500円の「えちごツーデーパスSP」を利用します。

 北越急行に乗るのは初めて、保倉村道路元標へ向かうために「ほくほく大島駅」で途中下車、この駅は難工事で完成まで22年もかかった鍋立山トンネルの入り口にあります。 しかし北陸新幹線の延伸で北越急行を経由している特急「はくたか」等は当然なくなるでしょうから、そうなると北越急行は一転赤字転落になるのでしょうね。

 上越線石打駅で下車、往復4キロ余りを歩いて石打村道路元標を目指します。 豪雪地帯なのであちこちで雪囲いとか冬支度が始まっています。



大巻村道路元標、今日が最終回ですが、魚沼は直江兼継ゆかりの地とあって、どこへ行っても「天地人」ばかりです。




 小出町道路元標の後、時間があったので一日5往復しか走っていない只見線を、魚野川を渡る数連のガーター橋ですが、遠目にはデッキガーター橋だと思っていたのですが、なんと スルーガーター橋で足回りが隠れた不細工な写真になってしまいました。


 小千谷駅まで行き、2基の道路元標を回った後、駅前に「へぎそば」と掲げた蕎麦屋があったので入ります、、本来は「へぎ」と云う木の器に盛られたのが語源だそうですが、布海苔をつなぎにした蕎麦をそう読んでいるそうです。 暖かいものがほしかったので本来のへぎに盛ったへぎそばではなく、布海苔をつなぎに使ったやまかけそばを注文、関西ではやまかけそばと云えば温いのを頼んでも汁は殆どないのが普通だと思うのですが 、たぷたぷの汁にとろろが浮かんできたのにはちょっと閉口しました。

 再び小出に戻り只見線で越後須原駅へ、只見線は十数年前に完乗していますが、今年7月に会津若松側から9駅乗車したのに続いて、今回は小出側から4駅往復する事に。 なかなか全線乗るには大変な路線です。

 須原村道路元標の後、時間があるので、またまた蕎麦屋へ、駅からは5分位の距離ですが国道252号に沿いのお店。 関西人には蕎麦はともかく東日本の汁には抵抗があるのですが… なめこそばを頼みましたが、ちょっと感動もののお味でした、もちろん麺も。 もうどこかの「笠そば」なんて蕎麦やないです。 ググってみるとここもつなぎに布海苔を使っている様ですが、小千谷の和田の様に茶そばの様な色合いではありませんでした。 しかし車に乗らない人間には一日5往復の越後須原へはちょっとやそっとでは行けません。

直江津0626→0636犀潟0638→065ほくほく大島 530円
ほくほく大島0738→0812六日町0837→0852石打 930円
石打1036→1057五日町 320円
五日町1147→1201小出 230円
小出1352→1409小千谷 320円
小千谷1545→1603小出1610→1633越後須原 570円
越後須原1721→1742小出1751→1821宮内1826→1927新潟 1890円
4790円分乗車

【778】 新潟県 東頚城郡 保倉村(現 上越市) 
【779】 新潟県 南魚沼郡 石打村(現 南魚沼市) 
【780】 新潟県 南魚沼郡 大巻村(現 南魚沼市) 
【781】 新潟県 北魚沼郡 小出町(現 魚沼市) 
【782】 新潟県 北魚沼郡 ひ生村(現 小千谷市) 
【783】 新潟県 北魚沼郡 山辺町(現 小千谷市) 
【784】 新潟県 北魚沼郡 須原村(現 魚沼市)

道路元標蒐集の旅(信越編前夜)

仕事が一段落したら11月は新潟から長野か、島根県を回るプランを色々と練っていたのですが、思わしくない天気が続くなぁと思っていたら、しょうもない怪我をしてしまって。 乗って乗れなくもないのですが、輪行支度やパンクでもしようものなら難儀するだろうなぁと思い、今回は乗り鉄モードで信越方面を回る事にしました。

おなじみ大阪駅2327発、急行「きたぐに」で直江津に向かいます。 連休ですがこんな季節ですので自由席も列をなして並ぶ程の事はありません、糸魚川を目指す鉄ちゃんがチラホラと云う処でしょうか、それでも大阪でマスはほぼ埋まってしまいました。
 実は身軽なのを良い事に、ミナミでちょっと飲みすぎたのでしんどいですわ。

金沢まで

 この週末は四国か山陰方面へKHSを担いで「道路元標」漁りに行こうかと画策していたのですが、土曜日の天気が思わしくないのと、仕事の段取りも微妙なので頓挫。 「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」の消費期限が18日なので、金沢まで往復してきました。
 「鼓門」金沢駅東口の大屋根と云うかモニュメント、出来てもう3~4年になるらしいのですが、天気の良い日に東口の地上に出るのは久しぶりなので…
 木造の巨大構造物として意義はあるとは思いますが、金沢の此処に相応しいものかどうかは。
こんなのも「やかん」

もちろん「道路元標」も一応、撤去された「森本村道路元標」は移転保存されていました。 後ろは建設中の北陸新幹線の高架、完成すると第三セクター化とか在来線も色々と様変わりするでしょうが、北陸本線そのものは日本海縦貫としての役割もありますが、あれだけの難工事で金も時間もかかった北越急行ほくほく線なんか一転して赤字第三セクターに転落じゃないですか。 東京からの夜行「能登」や「北陸」はきっとなくなるでしょうが、私にとっては「きたぐに」だけは残してほしいものですが、583系も年季が入っていますから、後3年すら危ういかも、車に乗らない輪行派サイクリストにとって「ちくま」無き後、唯一とも云える信州へのアクセス手段なのですが。
 帰りは1638発の敦賀行きに乗車、のんびりと帰ります、もう475系も北陸本線だけになってしまいました、と云うより80系~153系の流れを汲む2ドアデッキ付き電車ってもう最後になる様な、ところで国鉄時代の塗色に復元されたものも走っている様で、かつての急行「立山」を思い起こします。 途中何度も「サンダーバード」や「雷鳥」に抜かされながら敦賀で京都行きに乗り継ぎ、山科で姫路行き新快速に乗り継ぎ、鶴橋経由で2241桜井に帰着しました。

道路元標蒐集の旅 +α

今日は天気も良さそうだし滋賀県の水口あたりまで走って行く予定をしていたのですが、昨夜仕事で少しミスしてしまって、一応復旧はさせてあるのですが、万が一の事もあるので、いつでもトンボ帰りできる様に「乗り鉄」モードで「道路元標蒐集の旅」へ出ることにしました。

Image2.jpg秋は「青春18きっぷ」はないのですが「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」と云うのがあります。 3回分で9,180円、「18きっぷ」よりは割高ですが、こども用があるのが特徴です。 利用期間は鉄道記念日の前後の2週間程で、今年の場合は10/3~18となってます。 なお同時にJR西日本版も発売されていて、こちらは1回分で3,000円と気持ちだけ安くなってます。 南紀(串本前後)までの片道運賃がどうにかペイできるる金額です。 桜井線0538の始発奈良行に乗車、もちろん自転車抜きの身ひとつで身軽なものです。 奈良、京都。 米原と乗り継ぎ東海道本線を東に向かいます。 仕事の方は問題もなさそうで、このまま「道路元標蒐集の旅」を続けられそうです。 米原からのJR東海の車両の車内吊り広告で、飯田線中部天竜駅構内の「レールパーク」が11/1で閉園する事を知ります、土日祝のみの開園なので、どうにかこの機会に行けないかと画策してみますと、1532着で行けそうなのですが、閉園は16時入園は15時半までとは。

 最初の目的地は知多郡の東浦村道路元標、名古屋から武豊線に乗り換えて緒川駅へ。

 ← 道路の拡幅工事が行われているのでしょうか、道路元標は適当な場所に立て直して貰えれば良いのですが。

次の目的地は刈谷町道路元標なので2キロ余りを歩いて行く事にします、しかしツーリングには最高の天気なのが残念ですが、この辺りはツーリング向けのローケーションではないので、まぁよいでしょう。  
 安城駅で次の列車までの14分間に御幸本町交差点まで駆け足で往復、安城町道路元標は昨年3月に訪れた時は歩道工事で撤去されていましたが、無事に再建されていました。


 豊橋で飯田線本長篠行きに乗車、長篠城駅で下車し舟着村道路元標へ、これで本日の道路元標の予定は無事終了です。





 「佐久間レールパーク」は中部天竜駅構内にあるので飯田線の車窓から見えるのですが、中に入るのは初めてです。 なお乗車券を持っていれば入場無料です、外からだと140円すなわち入場券と同じ扱いなのです。 飯田線もここまで来ると一日12往復程度、臨時も出ていますが、車で来る人の方が多い様です。

 JR東海や飯田線所縁の車両が主です。 キハ48000(のちのキハ11)は新製当時の塗色と云う事で、大糸線のキハ52と比べるとかなりくすんだクリーム色です。



 お目当ては戦前に京阪神緩行線用として登場した流電モハ52、その後阪和線にも居たらしいのですがさすがに知りません。 晩年は飯田線に移って湘南色で活躍していたと思うのですが。 新製当時の塗色でスカートも復元されているのが、逆に奇妙に思えます。

 ポツンと軌道自転車が置かれていました。 保線用とかに使われていて、実際に本線上を走っているのを見た事がありますが、結構な速度が出るようですが、乗り心地は悪いでしょうね。 当然ハンドルはありませんが、握るための鉄棒、2人分のサドル、クランク、チェーンがついていますが、変速はありません。

 屋外展示だけではなく、展示室もありこんなのもあります。









 Mさん垂涎ものも、私は元HOゲージャーなので、9mmは…  壁には飯田線の駅名標がずらりと並んでいます。 平成23年春に「JR東海博物館」として名古屋の金城埠頭にオープンするそうですが、飯田線の山峡の駅の手作り感のあるミュージアムがなくなるのは残念です。



桜井0532~0604奈良0608~0709京都0716~0825米原0845~0958名古屋1022~1051緒川 3,890円分
刈谷1146~1151安城 190円分 
安城1205~1230豊橋1243~1342長篠城 1,280円分
長篠城1439~1532中部天竜 570円分
中部天竜1624~1813豊橋1834~2041米原2057~2148京都 4,940円分
計 10,870円分乗車

 

【772】 愛知県 知多郡 東浦村(現 東浦町) 
【773】 愛知県 碧海郡 刈谷町(現 刈谷市) 
【774】 愛知県 碧海郡 大濱町(現 安城市) 
【775】 愛知県 八名郡 舟着村(現 新城市) 
 

 

 

40年前のネガから (1969/8/9)

鹿児島駅だと思ったものの、最初この車両(ディーゼルカー)が何者なのか判りませんでした。 どうやら鹿児島交通が伊集院から鹿児島本線に乗り入れていたのですね。
当時、小樽とここにしか残っていなかったB20、戦時型Bタンク、マスコット的な存在でした。
D51とC61、同じボイラの兄妹分ですネ。
D51重連に牽く客車列車、回送なのでしょうか、今となっては判らない事ばかりです。

40年前のネガから (1969/8/8)

 この日は再び久大本線沿線に戻って、豊後森区の8620、当時の時刻表がほしくなってきました。
湯布岳をバックに久大本線のD60
大分運転所でしょうか、「富士」のヘッドマークを付けた DF50 553  この頃は幸崎まで電化されていました。
大分交通キハ602が写っているのですが、どこの駅かは、僚機のキハ603と604は後年、紀州鉄道に。

40年前のネガから (1969/8/7)

最近、SORAさんもブログに書いていますが、フィルムのスキャンは手間のかかる作業で、エエ加減そろそろ嫌気がさしてきました。 第一デジカメでは全く必要のない工程ですもんね。 ネガの劣化とか埃とか触りだすと全く持って捗りませんので、どんどんやって、必要があれば後からやり直す位のつもりで。
この時は久大本線の夜明駅付近で撮影してから、日田彦山線で筑豊へ出ている様です。
きっと夜明駅前後、D60

キハ17系と混成のキハ55系の一次型、国鉄型DCファンならきっと判る光景ですね。

40年前のネガから (1969/8/6)

この時の九州行、さすがに夜行ばかりと云う訳にも行かず、ユースホステルも利用していました、しかし何処に泊まったとか、全くと云って記憶がなかったのですが、こんなものが出てきました(^_^;) 日田とか霧島高原とかに泊まった様です。

ちなみにY.H.会員だったのは1979年度が最後で、写真はその年のものです、念のため。
C57 36 ネガ袋にある記録ではこの日は都城駅、志布志区、宮崎区となっていますが。 当時の所属区と運用線区から類推してみるのですが、いずれも撮影場所ははっきりとしません。

C56 92 5年後の1974年の鹿児島国体とその翌年の宮崎植樹祭でお召列車を牽引したC56です。
C58 427 C58のラストナンバー、4次型と云うのでしょうか、船底型テンダー、門鉄デフが正式採用されるはずだった幻のC63を彷彿とさせます。

40年前のネガから (1969/8/5)

門司港発の肥薩線経由鹿児島行の夜行で熊本に向かいます。 熊本着は真夜中で、待合室で豊肥本線の始発を待ったのですが。 熊本に着いてから目が覚め慌てて下車していたので、方向感覚を失っていて、乗るべき列車を目の前で見送ってしまいました。 熊本駅ってのは駅の西側に山があるのですが、大阪からやってきた少年達は熊本は東側に山があるって感覚でいたのでしょうね、ホームの端から出て行く豊肥本線の列車を見送り、本州からの夜行が思わぬ方向からホームに入ってくるのを見て、始めて方角を間違っていた事に気がついたのでした。

丁度、電化が熊本まで進んでいた頃ですね。 写真のキハ55は大分行き、真夏に窓を置けているのは、冷房なんか付いていない時代だからです。

立野駅、雄大なスイッチバックは今も健在ですが、風景は…

高森線、現在の南阿蘇鉄道、C12の牽く混合列車です。

終点の高森駅。

40年前のネガから (1969/8/4)

元ネガによると1969/8/4 行橋区となっているのですが、それにしてもコマ数が少なすぎます、もしかすると8/3分の直方駅周辺の光線状態から見て8/4かも、今となっては…
9600の門デフってなんか可笑しい、個人的な感想ですが。 同時代の8620なんて結構似合っているのに。
行橋区にはC11 9600 と九州には少ないC50 が配置されていました。

40年前のネガから (1969/8/3)

筑豊本線のどこかの駅だと思いますが、SL撮影旅行でSLの牽く列車で移動するなんて、なんて贅沢な、あたりまえの時代だったのですが。
直方駅近辺ではないかと思うのですが、D60 33、D50ではなくD60なら関西でも紀勢線にいたのですが、集煙装置がついていました。
同じく直方駅では、当時の筑豊は網の目の様に国鉄線があったのですが、今ではその多くが廃線となってしましました。 昨年日田彦山線に乗りましたが、福岡県は道路元標の現存情報が皆無と云って良い位なので通過してばっかりです。

40年前のネガから (1969/8/2)

ネガフィルムのホルダー以外には何の記録も残っていないのだが、この日は夜行で佐世保へ行き、松浦線、現在の松浦鉄道の佐々へ行っている、当時の松浦線には臼ノ浦線、柚木線、せ知原線と云った短い支線があって、元祖レールバスと云えるキハ02が活躍していで佐々区に配置されていた、それが目的だったのだが、この年には既になくなっていた。
佐々駅構内(だと思う)、当時の松浦線ではC11と8620が活躍していた。
早岐機関区、左にDD11、右に「あかつき」のヘッドマークを付けたDD51が見える。
右端に国鉄バスへののりかえ案内が写っていて、どうやら有田駅ではないかと、そう云えば昨年、早岐駅と有田駅は乗り換えで降り立ったが、雰囲気的にも有田駅に違いない様です。 この様に昔写した写真を頼りに訪れる旅も面白いかも。 
鳥栖機関区にて 39641
同じく 68649、九州には原型に近い美しい機関車が多かった。

左から D51 924 68649 39641
暢気な時代と云えば暢気だが、北九州には多くの機関区があって、中学生のグループでも簡単に写真撮影の為の見学が許して貰えた。 ただこの頃構内で突放入換中の貨車に轢かれて死亡する事故が発生し、見学が厳しくなったとか聞いた。

「逃亡列車」

  森谷司郎監督の「首」以来の’日本映画’カテゴリです、「首」も房総周辺のC58が出てきましたが、どちらかと’鉄ちゃん’ネタですね(^_^;)
 昭和41年(1966年)12月公開の日活映画で、「鉄道ファン」誌で紹介されたので、中学生だった私ですがなんとロードショーで見ています。 今年は石原裕次郎23回忌とか、といっても全くの話題にもされない作品です。 で思い出した様に検索すると、ありましたありましたVHSで出ていたのですね、レンタルビデオ落ちをYahooで発見、競ることなく落とせました、少なくともオールド鉄道ファンには感涙ものの隠れた名作です。
 小海線沿線でC56を使ってロケされたのは一目瞭然なのですが、シールドビームに架線注意のSLをバックに石原祐次郎が機関銃を構えるパッケージにケチを付けたりとマニアックな野暮は云わずに、舞台となる駅のセットや、実際の走行シーンと見どころたっぷり、フィクション作品とは云え、高林なんとかの作品より、余程にリアリティのある映像が随所にみられます。 共演者には伊藤雄之助、若かりし十朱幸代、と云うより少年にはロボタンのパパの娘さんと云う方が(^_^)
物語の舞台は終戦を迎えた南満州ですが、ロケ地の小海線野辺山高原も、今ではかなり様変わりしてしまっていますよね。
C56 112 や159が登場しますが、ボロボロにウェザリングされたC56 112は廃車体ではなく、当時はまだ現役だったはずなんですよ。 このC56を祐次郎率いる大映の「兵隊やくざ」みたいな連中が、修理して「逃亡」する訳なんです。
これって大門沢の鉄橋? まさか鉄橋まではセットやないのと思うので、爆破シーンは実際の鉄橋に煙幕だとは思うのですが。
 貴重な35mmフィルム映像ですから、是非DVD化してほしいものです。

40年前のネガから (1969/8/1)

 折につけて古いネガフィルムの整理をしたいのですが、デジカメに慣れたきった身にはフィルムスキャナを操作するなんて非常に邪魔くさい作業なんで、すぐに挫折してしまいます。

1969年の夏休みは九州周遊券を利用して友人たちと九州へ、宿泊はYHと九州内の夜行を利用、8月1日は一日かけて門司まで移動、当時は門司港発で大村線経由佐世保長崎行き、肥薩線経由鹿児島行、日豊本線経由鹿児島行きと3本の鈍行夜行があったので、門司港駅は拠点になっていました。
写真は門司駅でしょうか、門司港駅でしょうか、客車を牽くC11 299、日田彦山線の列車でしょうかね。
これは門司駅です、ナハネフ22が写っていますので、上りのブルートレインが関門トンネルをくぐるため、塩害対策のステンレス車体の交直両用機EF30に付け替えているところです、左はED76の様です。

週刊 鉄道絶景の旅

 Mさん絶対に買ってるで(^_^)

しかしこの手の本って、最終号の部数って創刊号の何分の一になるんだろう。

付録の「鉄道線路図」、最近ではJTB時刻表1000号にも同様のものが付いていたけど、これは一応業務用だけに裏面が面白い。 「旅客及び荷物運送規則抜萃」(昭和35年)の中の有料手回り品、「自転車振興会連合会の発行した選手登録証票を所持するものが携行する解体して帆布製の袋に収納した競輪用自転車」、その他扱える荷物の種類など当時の世相がかいま見られて面白い、手荷物も懐かしいなぁ通称「チッキ」、乗車券を提示すると小荷物よりずっと安く送ってくれる、北海道の国鉄バス中央長沼営業所から阪和線鳳駅まで一度だけ利用した事があります、確か一週間程はかかったと記憶しています。

道路元標蒐集の旅 (信州篇 4日目)

少し青空も見えているのですが、午後からは確実に降られそうな予報です。 今日の予定は南佐久郡の畑八村道路元標を回ってから帰途に就く予定なので、そこまでは持って貰えればいいのですが。

1241601541.jpgR141を南下していると何やら奇妙なものが、最初はアドバルーンかなと思っていたら、ますます数が増えて熱気球だと、「佐久バルーンフェスティバル2009」と云うのが行われている様です。

1241601547.jpg離陸するのを近くで見るのも、なかなか見応えがあります。

 

 

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「陶都有田」と書かれた気球もあるので、九州から遠征してきているのですね。


 

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 畑八村道路元標をまわり終え、ヤマト運輸の営業所で必要のなくなった荷物を宅急便にして小海線八千穂駅から帰途に就く事に。

 

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小渕沢、塩尻、名古屋経由で帰途に就くのですが、中央本線が混みそうなの帰りはフロントキャリアとガードも外す事にしました。
八千穂駅は民間委託駅の様ですが、塩尻からの指定券が買えたので特急で買える事に、小海線ではハイブリット車のキハE200の2両編成がやってきたのですが行楽客で混雑していたものの、中央東線の松本行きはガラガラはともかく、塩尻から名古屋への特急「しなの」も空席がチラホラ、これもETC効果だったりして、いったいどれ位のCO2を余計に出したのでしょうかね。本日の走行27.5キロ、4日間で372.5キロでした。

道路元標蒐集の旅 (信州篇 1日目)

1241329008.jpg 直江津で長野行きに乗換、上越市郊外の脇野田駅からスタートします。 この駅は北陸新幹線金沢延伸でなくなってしまうとか。 1241329026.jpg 新潟県下で3基の元標を巡ったあとR292で長野県へ、 1241329122.jpg 県境を越えても峠はまだ先なんです(-_-;) 1241330685.jpg標高600m弱の湧井峠をようやく越え飯山側へ、 飯山線沿線ではその筋の方が多いなぁと思っていたらこんなのが走ってました、DD16の牽く旧型客車4両、なんと最後尾は荷物合造車のオハニ、まだ残っているのですね、あとで調べたら「いいやま菜の花まつり号」とやらでした。 1241329059.jpg千曲川河畔にて、しかしGWとあって車の多い事、高速道路も渋滞している様で、なかなかシャッターチャンスが(^_^) 1241329070.jpg どうにか1700過ぎに予定の「上田千曲長野自転車道線」へ、基本的に千曲川左岸の堤防上を走るのですが、案内が不備で路面状態が悪い区間が多く、おまけに工事で途切れていたりと決してお勧めできる道ではありません。

今夜から行くのですが

大阪へ出る用事ができたので、一部の荷物を先に大阪駅まで持って行ってコインロッカーに入れておこうと...

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コインロッカーはどこも一杯、小銭も鍵も要らないICOCA専用なるものが1つだけ空いていまし、。 あまり使わないけどICOCA持ってて良かった。 これで夜は輪行袋一つで出られます。

1241205846.jpgノートPCのACアダプタを荷物に入れ忘れているのに気がついたので、ついでにこんなものを買って帰りました。
ACアダプタのAC側のケーブルの代わりに使うコネクタ、荷物はコンパクトにできるグッズです。 HPのノートPCあたりには標準でついていたりするのでご存じの方も、単品として売られています。
日本橋シリコンハウス共立に480円、これは2Pの眼鏡プラグですが、ミッキーマウス型と呼ばれる3Pもありました。

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地下鉄日本橋駅にて、この人とは何故か偶然に良く出会います、お仕事中だそうで、ごくろう様です。

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GW中の週末とあって23時前に行ったのですが既に並んでる人が、平日なら楽に1ボックス占領できるのですが、どうにか座れましたし輪行袋も予定の荷物置き場に鎮座。 京都からだととんでもない目に遭う処でした。

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今夜の「きたぐに」は12両編成(でも座席車は同じ4両)、いくつかの駅でお尻が出てしまいます。

道路元標蒐集の旅 (九州篇 4日目)

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今日は昨日の雨がうらめしい好天、せっかくの九州なのでもう1日でも色々回りたいところだが、明日に仕事の予定が入ってしまっているので、早めの時間設定で帰途に就きます。

福岡0537発、小倉、下関、新山口、岩国、糸崎、相生と乗り継ぎます、春休みの日曜、お天気とあって倉敷辺りから結構混んでいます、相生~尼崎は座れず仕舞い。

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尼崎からは東西線、おおさか東線、関西線経由の直通快速で奈良まで乗り換えなし、おまけにこっちはガラガラ、元城東貨物線のおおさか東線に初めて乗ります、奈良で桜井線に乗り換えて桜井1947着、14時間10分、10,020円分乗車。

道路元標蒐集の旅 (九州篇 3日目)

今日は佐賀市周辺に残る5基の道路元標を巡る予定ですが、天気だけは期待通りにはならず予報通りの雨、でもお昼前後から雨は止むような予報なのでとりあえず最寄の久保田駅まで輪行し様子をみる事にしたのですが、一向に止む気配がなく無人駅で2時間以上待つ事に、途中から降り出した雨なら諦めもつきますが、なかなか最初から雨の中を飛び出すのも、ここまできて手ぶらで帰るのも、そろそろタイムリミットなので、覚悟を決めてポンチョを被って飛び出す事に…

 

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佐賀市を囲む様に佐賀環状自転車道がありますが、天気が良ければ少しコースをアレンジして走ってみたかったのですが、ここは元標巡りの途中で交差した自転車道の「徐福サイクルロード」と呼ばれる区間で、旧国鉄佐賀線の廃線跡で見事な桜並木が続いています、今日は花散らしの雨となってしまいましたが。   

 

 旧国鉄佐賀線が筑後川を渡るところに架けられた昇開橋、廃線後も保存され重要文化財となっています、自転車、バイク、ペット連れ不可となっています、こちら岸にまだ道路元標が1基残っているのでここで渡らずに、下流の新しい橋を渡りましたが、次回はきっと押してでも渡ります。  

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筑後川を渡って福岡県に入り水郷柳川へ、雨なのに水郷めぐりの観光客が、まぁ雨の中を自転車で道路元標漁りをしている方がよっぽど物好きでしょうがネ。

水郷柳川と云えば「柳」でしょうが、「桜」もあり。  

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柳川と云えばこれ「柳川丼」だと、ところが「柳川丼」とここ柳川は何の所縁もないとか、でも「うなぎ」の店は多かったです。 日頃一人旅ではあまりグルメしないのですが、西鉄駅前まで走り終えて駅前のお店で1,600円の定食を戴きました。 結構キツいものが出てくるのかと思っていたのですが、臭みはなく綺麗に開いてあって、和え物まで付いていてなかなかも美味しかったです。
ところで柳川は大林宣彦監督で映画化された「廃市」の舞台なのですが、柳川駅はありきたりの私鉄電車の駅でした。
本日の走行41.4キロ

道路元標蒐集の旅 (九州篇 2日目)

青島村道路元標を昨日のうちに回ってしまったので、今日は「石」ではなく「鉄」の日に。 まず宮崎から始発で吉都線京町温泉駅まで輪行し、肥薩線真幸駅まで走ります、距離は6キロ余りですが標高差が150m程あります。

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と云っても一応は未知の元標の捜索は、見つけたのは明治の里程標でした、残念。  

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肥薩線真幸駅、肥薩線は最初鹿児島本線として開業したので、この駅は宮崎県最初の駅。  

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真幸駅は有名なスイッチバック駅、人吉?吉松間は一日5往復、うち日中の二往復は「いさぶろう・しんぺい」と云う観光列車、一応自由席が7席ありますが。 次の上りで大畑駅まで輪行します。  

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大畑駅で下車、ここもスイッチバック駅でループ線の途中にあります。 戻ってきた下り列車を待ってから人吉へ200m程のダウンヒル。 本日の走行26.1キロ。

人吉から佐賀まで輪行、明日は佐賀市周辺の道路元標を回る予定なのですが、天気が…

道路元標蒐集の旅 (島根篇 3日目)

今回の旅は19日(金)に予定があるので、3泊4日までと考えていたのですが、昨日予定の8基をこなせたのた、ノートPCの充電器を忘れて来たのと、いささか風邪気味の様なおかしな体調なので、3日目で切り上げ明日はゆっくりしようと、今日は国道187号線で岩国側に抜けて帰途に就く事にして、益田駅始発0625発の山口線で日原駅へ向かいます。

1237408873.jpg山口線と岩徳線に使用されているキハ40、キハ47のこのカラーは結構好きですね。  

 

 

1237408879.jpg日原は津和野川と清流高津川の合流する山峡の町、津和野より大きく感じられる町ですが、平成の大合併で今は津和野町になってます。

 

1237408889.jpg 一路国道187号線を旧柿木村、今回の最後の目的、、柿木村道路元標を収めて、郵便局で余計な荷物を「ゆうパック」にして、七日町、六日町と探索しながら山口県境の傍示ヶ峠へ向かいます、しかし国道187号線は中国道六日市ICへのアクセス路になるので結構車が多いのが、ただほぼ8割方、段差の少ない歩道部分が整備されているのが救いです。 岩国側へ超えると元の国鉄岩日線、現在の錦川鉄道があって、錦町駅1414発に乗車すれば余裕で桜井に戻れる訳です。 ちなみに津和野駅だと1158発がリミットとなってしまいます。  

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六日町を出ると4キロ程で標高400mにも満たない傍示ヶ峠です、ふと前を見ると一人のローディが、適度な斜度なのでそっ?と詰め寄って楽をさせてもらっていると、気づかれてしまいました、どうぞお先にとの事(^_^;) 抜かしてヘタる訳にも行かないのでハァハァしながら勢いであっと云う間に峠へ、もしかすると錦町駅で1本前の1223発に乗れるかも。
もちろんこの峠にも峠おやじナワさんの足跡が、県界標があるとの事なので探していたり、峠から岩国側は結構な急坂で減速帯があったり、工事で交互通行になっていたりしていて、時間がかかってしまい1223発は駅手前で見送ってしまいました。

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錦町駅周辺の旧広瀬町を探索したり食事をしたりして、「18きっぷ」は使えないので川西駅までの930円の切符を買って1414発岩国行きに乗車、帰途に就きました。
※ 錦川鉄道の列車はすべてJR岩徳線で岩国駅まで乗り入れていますが、ここでは錦川鉄道の列車に乗車していても「18きっぷ」が有効な様です。

本日の走行59.1キロ

道路元標蒐集の旅 (島根篇 2日目)

今日は出雲市から益田市にかけて山陰本線に沿って8基の元標を巡る予定で、「18きっぷ」は元が取れない計算なので利用しません。 まず1駅戻って直江駅前の伊波野村道路元標、5駅西へ小田駅で下車、久村道路元標、田儀村道路元標と巡ります。

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途中でしっかり日本海をバックに「鉄」な写真をば... 国道9号上からなんですけどね。

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次の鳥井村道路元標まで国道9号や海岸沿いの道を西へ、天気はよいのですが、向かい風が強いのには閉口します、それに黄砂も発生している様です。

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大田市の手前で国道9号を避けて海岸寄りの道を、ちゃんと標識も地図にもでているのですが、これがなんとダート、しっかり踏まれているので走りやすかったですが。

鳥井村道路元標の後、静間駅から再び山陰本線に乗車、浜田駅で次の列車までの56分間に約1キロ程の距離にある浜田町道路元標まで往復、徒歩でも行けなくない時間と距離ですが、輪行袋のままのKHSをほっては行けないので、組み立てて往復して再び輪行支度、ほぼ30分あまりで浜田駅のホームへ戻ってきました、さすがKHS。

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三保三隅駅で下車、三保村道路元標を回って山間部を経て益田へ向かう県道171号線、小さな峠を越えます。


 

1237408865.jpg益田市域に入り北仙道村道路元標吉田村道路元標を回って益田着。 昨年1月の来た時に目をつけていた駅前のビジネスホテル泊、3,500円とリーズナブルで部屋も清潔で悪くはありません。 そして山陰の片隅と云えば失礼ですが、この益田駅前には著名なジャズメンが時々ライブもやっている、ご機嫌なJAZZの店があるのです、朝夕の寒暖の差に少し風邪気味ですが、しっかり飲んで2時間程過ごしてきました。

本日の走行63.3キロ 

道路元標蒐集の旅 (島根篇 1日目)

今回は島根県下で新たに確認された道路元標を巡ります。 と云ってもいつもの「青春18きっぷ」での旅ですから、1日目は移動だけで終わってしまいます。 平日ならば大阪駅0652発の新快速で伊波野村道路元標近くの山陰本線直江駅へ1655着がとどうにか明るいうちに可能なのですが、日曜なのでそれはあきらめて姫路からのんびりと姫新線経由で向かう事に、と云っても本数の少ない姫新線を新見まで乗り継げるスジは限られていて、桜井からでは姫路駅1012発にしか乗る事ができませんので、桜井から近鉄には乗らずにオールJRで向かう事にします、それでも余裕の出発時間になるのですが、休日とは云え込んでそうな時間帯に輪行袋を担いで大阪市内を通過したくないので、桜井0532発の奈良行きの始発に乗り奈良から学研都市線経由を考えたのですが、余裕をかましすぎたせいか、駅で輪行支度を済ませた後で携帯電話を忘れた事に気がつく始末、0552発の王寺行き始発で関西線経由で大阪へ向かう事になりました、でもまだまだ余裕です。
 しかしこの季節朝夕の温度差が大きくて着るものには悩んでしまいます、自転車で走る事は考えると厚着で準備すると荷物になるだけなので軽装にすると、早朝の電車で移動している時が一番寒い思いをする事に...

それでも姫路駅では1時間程の余裕があるので、駅までのロッテリアでお茶して、ファミマで補給をして姫新線ホームへ、姫路駅の改良工事も進んで姫新線も播但線も上に上がってしまいました、以前の跨線橋は解体されるのでしょうが、駅ビルも新しくなるのでしょうかね。
やってきた車も新系列のもの。 しかし18きっぷのシーズン、休日、春休みと相まって「鉄」ちゃんの多い事。  

津山以西は38年ぶりに乗車、佐用、津山で乗り継ぎ、新見の3つ手前の刑部駅1356着、ここから僅かの距離です未知の元標を求めて少し走ります。  

姫新線岩山駅付近、この写真を撮ったのは正面の山からでしょうか... 

刑部駅は改修されていましたが、岩山駅は昔のままで感激ものです。  

未知の道路元標は見つかりませんでしたが、再び訪れてみたい場所でした。 この後、新見1624発で岡山県を後にして出雲市へ、今夜はいつもの東横イン泊まり、日曜はメンバーなら30%引きなんです、それに今回で10泊目になるので無料宿泊券が貰える事になります。

道路元標蒐集の旅 (北関東篇 3日目)

FI2613226_1E.jpg再び常磐線を北上していわきから磐越東線へ、磐越西線には何度か乗っていますが、郡山以東の東線は初めてです。 神俣駅で下車し滝根村道路元標へ。 25分で次の列車に乗り郡山へ、再び水郡線に乗り、今日は棚倉町道路元標のある磐城棚倉駅まで往復の予定だったのですが…←磐越東線神俣駅道路元標探索には現存情報をノートPCに入れていますし、予定している場所は地図をプリントアウトして持って行く他、ハンディGPSにもウェイポイントとして登録してあるのですが… 福島県東白川郡の棚倉町道路元標を尋ねて磐城棚倉駅を下車、プリントアウトした地図に従って目的地に向かいますが、何故かハンディGPSの示す位置と違うのです、距離で1キロ余り、駅からの方角だと全く反対になってます。 ひとつは街の中心から少し外れた神社の鳥居の前、もうひとつは街の中心に近いそれっぽい場所、いずれかが間違って登録しているか、オンライン地図の印刷時に中心点をずらせてしまったのか、道路元標が移設されたかして参考にしている複数の現存情報にズレがあったのか。 その場でノートPCを起動して情報を再確認すればよいのですが、次の列車への時間が微妙なので、GPSの示す街の中心に近いポイントに引き返したものの、道路元標やらしき場所も見当たりません、ぐずぐずしている内に列車の時間が迫ってきて、仕方なく1本送らせる事にしてノートPCを開く事に。 どうやら先の神社前が正しかった様で、そちらへ向かう事にしましたが、なんと次の列車は2時間先。 まぁのんびり道路元標を尋ねて、この山あいの盆地の街で昼食でもする事にします。


FI2613226_2E.jpg ← 棚倉城址、丹羽長秀の息子が江戸時代初期に築城して、戊辰戦争で板垣退助に攻め落とされたそうです、立派な石垣こそありませんが規模の割りにしっかりした堀が残っています。  城址内には町立図書館があったので時間潰しも兼ねて立ち寄ってみます、県告示の棚倉町道路元標の字番地を調べると、やはり先の神社前になっていて、移動はしていない様で、どうやら間違いはハンディGPSへデータを転送したカシミールへの登録間違いだった様です。  図書館で色々見ているとここ棚倉からは東北本線の白河へJRバスの路線があって、それも1時間に1?2本も出ている様です、これ利用すると水郡線で郡山へ戻らずとも、2時間の遅れを回復できそうです、大急ぎで図書館を後にしバス停へ。

FI2613226_3E.jpg 棚倉と白河を結ぶJRバスは白棚(はくほう)線と云って、国鉄の廃線跡の専用道を利用していました、ただJRバスの地方路線にしては本数が多いので五新線の様に一般車が入ってきたり自転車で走ったりなんて事はできそうにありません、間違って走って出くわすと高野山の南海バス専用道の様に怒鳴られる事請け合いです。 それに一般道との交差は専用道優先の様です、踏切こそありませんが。  ところで棚倉町へは時間の掛かる水郡線を利用するよりも東北新幹線の駅もある新白河からこのバスを利用する方が安くて早い様なのです。


FI2613226_4E.jpg ハンディGPSのデータを見ていると白棚線沿線にも道路元標がある様で、調べて見ると福島県西白河郡の金山村道路元標が、それもバス停から適当な距離、次のバスへは1時間ありますが、再び乗る機会があるか判らないバス路線、これは途中下車しない訳には行きません、転んでもタダでは起きません。 ← 雪が積もっていると吹き溜まりの様な処にある道路元標探索には不利ですが、雪をなすりつけてやるとご覧の様に、でも気温が高いとすぐに溶けてしまうので、いつもうまく行くとはいかない様です。



FI2613226_5E.jpg 結局、棚倉では食事をする時間はなかったので、次のバスを待つ間に適当な店が無いかと探すと、「手打中華」なる店が、東日本へ来るとそばやうどんの黒いつゆには閉口するのですが、ラーメンならば(^_^;) チャーシュータンメンを戴きます、チャーシューそのものは今一つでしたが、麺もスープもなかなか美味しかったです。


FI2613230_1E.jpg 東北本線新白河から東北本線に乗車、栃木県に入り黒田原駅で下車、那須郡の那須村道路元標を尋ねます。

← 古い街並に廃郵便局舎、黒田原郵便局

FI2613230_2E.jpg 今も営業しているのか、いないのか判らない様な自転車屋のすすけたショーウィンドの中に PEUGEOT が、私は旧車やオールドパーツの目利きはできないので価値の程は?

FI2613230_3E.jpg 今夜は群馬県の前橋泊まりなので、小山から両毛線へ乗換えるのですが、両毛線は伊勢崎近くで踏切事故があった様で運休や遅れがでている模様、その上高崎線でも人身事故で遅れがでている様です。 とにかく両毛線は30分以内の遅れで運転はされている様で無事に前橋へ、実は両毛線は未踏区間でして、これで沖縄を除く46都道府県の全ての県庁所在地に降り立った事になりました。

← 前橋駅にて、一部の列車には湘南色の115系が健在でした。

道路元標蒐集の旅 (北関東篇 1日目)

FI2613224_1E.jpg 「ムーンライトながら」は名古屋駅を2355に発車するので、24時を回って最初に停車する大府駅までの\320の乗車券を買って乗車し、大府駅から「18きっぷ」を利用するのが常識みたいなものなのですが、関西線の列車が遅れているとかを待っていて発車はとっくに24時をまわってしまってしまった、その事について大して気にも留めなかったのですが、検札の時に、名古屋駅の出発が遅れたので大府までの\320の乗車券は払い戻しを受ける事ができるとの事、これには少し驚いた、この理屈だと「18きっぷ」で乗車していて列車が遅れて24時を過ぎてしまった場合はどうなるのだろう?↑「全ハモヨロ 390Mレチ」のサインの入った切符は記念に払い戻しは受けずに持って帰ってきました。

FI2613224_2E.jpg 途中結構遅れて走ってもいたのだが、東京駅には定刻のの0520到着。 よくよく考えると久しぶりの東京です。  東京→上野→北千住→我孫子→北小金→土浦→石岡→岩間→水戸と乗り継ぎながら、千葉県東葛飾郡我孫子町、小金町、茨城県新治郡土浦町、石岡町、西茨城郡岩間町と常磐線沿線の駅から近そうな道路元標を回ります。

FI2613224_3E.jpg 関西人にとって茨城県って今一つピンとこない、さしたる観光地も思い浮かばないが、水戸と云えばさすがに駅前には…

FI2613224_4E.jpg JR水郡線上菅谷駅、実は今回このコースを考えてみたのは、この水郡線に乗ってみたかった事、その名の通り茨城県水戸と福島県郡山を結ぶ142.4営業キロの非電化のローカル線。 JR東日本では定番のキハ110でも走っているのかと思っていたら新鋭のキハE130系でした、さすがに2扉のキハ110では水戸寄りの朝夕の通勤通学時間帯には無理があるのでしょうね。

FI2613224_5E.jpg 水戸1215→1229中菅谷/上菅谷1333→1403山方宿1506→1533常陸大子1635→1823郡山と北上しながら那珂郡菅谷村、山方村、久慈郡大子町の元標を回ります、そんなに山深い処でもないのですが、さすが県境を越えると福島県は東北、外は雪景色になります。 ←JR水郡線山方宿駅、