榛原(はいばら)町は明治22年の町村制施行で榛原村として成立、明治26年には町制、戦後に伊那佐村、桜井町の一部、内牧村を編入し、平成18年1月に大宇陀町、菟田野町、室生村と合併して宇陀市となった。
元標は現在の国道165号線と国道369号線のそれぞれの旧街道が分岐する三叉路に「左あをこ江みち」「右いせ本かい道」と彫られた道標近くに建っている。
「道路元標」カテゴリーアーカイブ
内牧村道路元標(奈良県宇陀郡)
内牧(うちのまき)村は榛原町への編入を経て現在は宇陀市となっている。
伊勢本街道の道筋にあり、桜などで知られる仏隆寺の手前になる。
元標は現在、国道369号の高井集落内の旧道区間、伊豆神社の南東にある。
元標は現在、国道369号の高井集落内の旧道区間、伊豆神社の南東にある。
伊那佐村道路元標(奈良県宇陀郡)
宇太村道路元標(奈良県宇陀郡)
宇太村は昭和3年に町制、昭和31年に宇賀志村と合併して菟田野町となり、平成18年1月に榛原町、大宇陀町、室生村と合併して宇陀市となった。
元標は国道166号線の旧道区間、宇太水分神社境内、道路には面しているには面しているが、玉垣の内側に建っているので判りにくい。
元標は国道166号線の旧道区間、宇太水分神社境内、道路には面しているには面しているが、玉垣の内側に建っているので判りにくい。
松山町道路元標(奈良県宇陀郡)
江戸時代に織田松山藩三万石余の城下町として栄えた宇陀郡の中心地であった、松山町は昭和17年に神戸村、政始村、吉野郡上龍門村と合併し大宇陀町となり、平成18年1月に榛原町、菟田野町、室生村と合併して宇陀市となったが、榛原町役場が宇陀市役所となった。
奈良県で最初に乗合自動車が走った大宇陀、菟田野も近鉄電車の通じる榛原に宇陀の中心地を奪われてしまったが、お陰で古い街並みが良く残っている。
↑国道166号線が西側に並行して走っているものの旧街道は今も国道370号線である。
32
↑国道166号線が西側に並行して走っているものの旧街道は今も国道370号線である。
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神戸村道路元標(奈良県宇陀郡)
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神戸村道路元標は上田倖弘著「道路元標を尋ねて」では行方不明となっているが、著者の上田氏と電話でお話する機会があって、出版後に宇陀川の川底から発見され本来の橋の西詰めに再建された伺った。
神戸村道路元標は上田倖弘著「道路元標を尋ねて」では行方不明となっているが、著者の上田氏と電話でお話する機会があって、出版後に宇陀川の川底から発見され本来の橋の西詰めに再建された伺った。
高取町道路元標(奈良県高市郡)
高取町は明治25年に町制、昭和29年に越智岡村、船倉村を編入して現在の形になった。
元標は高取町の古い街並み、土佐街道?大淀古道と呼ばれる吉野への道筋の三叉路に建っている。
城南村道路元標(兵庫県多紀郡)
城南村は篠山市街のすぐ南、篠山川をはさんだ南側に位置していたが、’古市村’と同様に昭和30年に’丹南町’となり、平成11年に’篠山市’となっている。
元標の位置を特定できる資料がなく少し手間取ってしまったが、駐在さんに尋ねると親切にも探して頂いたりした、元標は派出所の目の前の県道<49>三田篠山線沿いのJA丹波ささやま城南支店の玄関脇に建っていて、元の位置からは移設され保存された様である。 ‘城南’の名はこのJA支店や郵便局、派出所に残っている。
元標の仕様として指示されてはいないが篠山付近の元標には裏面に設置されただろう年月が掘られたもの幾つか見られる、ここ’城南村’は大正11年11月とある。
元標の位置を特定できる資料がなく少し手間取ってしまったが、駐在さんに尋ねると親切にも探して頂いたりした、元標は派出所の目の前の県道<49>三田篠山線沿いのJA丹波ささやま城南支店の玄関脇に建っていて、元の位置からは移設され保存された様である。 ‘城南’の名はこのJA支店や郵便局、派出所に残っている。
元標の仕様として指示されてはいないが篠山付近の元標には裏面に設置されただろう年月が掘られたもの幾つか見られる、ここ’城南村’は大正11年11月とある。
八上村道路元標(兵庫県多紀郡)
‘八上(やかみ)村’は篠山川の南側’城南村’の東隣に位置していて、昭和30年に’篠山町’となった。
元標は現在の国道372号線の南側、京街道の道筋にあり、篠山五十三次として紹介されている「重兵衛茶屋」の近くにある。
元標は現在の国道372号線の南側、京街道の道筋にあり、篠山五十三次として紹介されている「重兵衛茶屋」の近くにある。
畑村道路元標(兵庫県多紀郡)
‘畑村’は’八上村’と同様に昭和30年に’篠山町’となっている。
元標は県道<301>本郷東浜谷線を篠山市畑宮で少し南に入った畑郵便局向かいに建っている。
元標は県道<301>本郷東浜谷線を篠山市畑宮で少し南に入った畑郵便局向かいに建っている。
城北村道路元標(兵庫県多紀郡)
‘城北村’は’八上村’や’畑村’と同様に昭和30年に’篠山町’となっている。
元標は県道<301>本郷篠山線城北交差点で<544>丸山南新町線を南に入ったJA近くに建っている。
元標は県道<301>本郷篠山線城北交差点で<544>丸山南新町線を南に入ったJA近くに建っている。
岡野村道路元標(兵庫県多紀郡)
‘岡野村’は篠山市街の北西側に位置していて昭和30年に’篠山町’となっている。
‘岡野’の名は’岡屋’と’野尻’の合成地名だが小学校等に名前が残っている。
元標は<140>長安寺西岡屋線と<301>本郷篠山線がぶつかる付近の産業高校西南角に建っている。
元標は<140>長安寺西岡屋線と<301>本郷篠山線がぶつかる付近の産業高校西南角に建っている。
南河内村道路元標(兵庫県多紀郡)
‘南河内村’は篠山盆地の西端にあって隣接する’北河内村’と’草山村’と昭和30年に合併して’西北村’となった即日改称し’西紀村’となり、昭和35年に町制をしき’西紀町’となった後、平成11年に’篠山市となった。
元標は県道<77>篠山山南線と<97>篠山三和線のそれぞれの旧道が交差すると思われる地点のJA丹波ささやま南河内支店の向かいに建っている。
元標は県道<77>篠山山南線と<97>篠山三和線のそれぞれの旧道が交差すると思われる地点のJA丹波ささやま南河内支店の向かいに建っている。
船城村道路元標(兵庫県氷上郡)
‘船城(ふなき)村’は’黒井町’と同様に’春日町’となった後、’丹波市’となっている。
元標は’老人福祉センターふなき荘’向かいのグラウンド奥に放置されている。
グラウンド奥に放置された道路元標
元標は’老人福祉センターふなき荘’向かいのグラウンド奥に放置されている。
グラウンド奥に放置された道路元標
黒田庄村道路元標(兵庫県多可郡)
‘黒田庄村’は昭和35年に町制をしき’黒田庄町’となり、平成17年10月1日に’西脇市’となった。
元標は県道<294>黒田庄多井田線沿いの旧黒田庄町役場前に由緒を記載した銘板と並んで保存されている。
元標は県道<294>黒田庄多井田線沿いの旧黒田庄町役場前に由緒を記載した銘板と並んで保存されている。
越智岡村道路元標(奈良県高市郡)
越智岡村は現在の高取町北西部の地域、昭和29年に船倉村と共に高取町に編入されている。
元標は今は<35>橿原高取線の旧道沿いの車木駐在所近くに建っている。
「越智岡」の名は長らく農協に残っていたが、現在はこの標識以外に見当たらない。 ただ「越智」の名は字名として残っている。
元標は今は<35>橿原高取線の旧道沿いの車木駐在所近くに建っている。
「越智岡」の名は長らく農協に残っていたが、現在はこの標識以外に見当たらない。 ただ「越智」の名は字名として残っている。
大阿太村道路元標(奈良県宇智郡)
大阿太村は明治22年の町村制施行時阿太村として成立したが同24年には大阿太村と南阿太村とに分立した。
昭和27年佐名伝地区を大淀町に編入、昭和32年に五條町を始めとして7町村と共に五條市となった。
現在では字名は「阿田」と表記されているが、小学校等に「阿太」の名が残っている。
なお宇智郡の名は昭和34年の南宇智村の五條市編入を以て消滅した。
元標は国道370号線と並行する東阿田の県道時代の旧道区間沿い、一時は倒されて民家の軒先に転がっていた様だが、今はまるで田圃の畔の土留めとも思えなくもないが建つには建っている、従って裏側の「奈良県」の文字は読めないが、裏側に府県名を入れる事は例外的だし、裏表を逆にならなかっただけ幸いかと。
元標は国道370号線と並行する東阿田の県道時代の旧道区間沿い、一時は倒されて民家の軒先に転がっていた様だが、今はまるで田圃の畔の土留めとも思えなくもないが建つには建っている、従って裏側の「奈良県」の文字は読めないが、裏側に府県名を入れる事は例外的だし、裏表を逆にならなかっただけ幸いかと。
下市町道路元標(奈良県吉野郡)
下市町は明治22年に下市村として成立したが翌23年には町制、同45年には現在の近鉄吉野線の前身の吉野軽便鉄道が吉野川右岸(北岸)沿いに敷設され当時の大淀村に現在の下市口駅ができ、大峯への玄関口としての役割を奪われてしまった感がある。
昭和31年に秋野村、丹生村を編入している。
元標は国道309号線沿い札が辻バス停近く下市町商工会館前に建つが、元の位置から動かされ一時は商工会館裏に目立たず建っていたそうだが、現在は国道に面して位置に消火栓と仲良く並んでいる。 電柱と消火栓に挟まれどうやらここが安住の地になりそうである。
元標は国道309号線沿い札が辻バス停近く下市町商工会館前に建つが、元の位置から動かされ一時は商工会館裏に目立たず建っていたそうだが、現在は国道に面して位置に消火栓と仲良く並んでいる。 電柱と消火栓に挟まれどうやらここが安住の地になりそうである。
飛鳥村道路元標 (奈良県高市郡)
飛鳥村は昭和31年に高市村、阪合村と合併して現在の明日香村となった。
飛鳥寺近くの三叉路に立つ。
写真正面突き当たりは飛鳥坐神社。
「飛鳥村道」より下はアスファルトに埋ってしまっている。
「飛鳥村道」より下はアスファルトに埋ってしまっている。
高市村道路元標 (奈良県高市郡)
上田倖弘氏著「道路元標を尋ねて」では高市村道路元標は行方不明と云う事になっていたのですが、過日著者に電話を差し上げた処、出版後に著者の活動を聞いて何処からか出てきた事を教えて頂いた。
本来は岡の鳥居前に建っていたそうであるが、現在は少し東の観光会館と交番の間に鎮座している。
元の場所ではないが、恐らく奈良県の道路元標の中で最も未来永劫に安住の地を得られたのではないだろうか。
元の場所ではないが、恐らく奈良県の道路元標の中で最も未来永劫に安住の地を得られたのではないだろうか。
阪合村道路元標 (奈良県高市郡)
阪合村、現在の明日香村を構成する旧村の中で馴染みのない名前だろうが、近鉄飛鳥駅や高松塚古墳、キトラ古墳は阪合村域に属している。
阪合村の中心は大字平田で、稲渕の棚田で知られる朝風峠はかつては上平田峠と呼ばれた。
また飛鳥駅はかつて橘寺駅と云う名称であった。
ところで阪合村道路元標は現在国道169号線沿いの「榎龍神」の向かって右側の門柱になっていて、阪合村の名や裏側の奈良県の文字もモルタルで埋められてしまっている。
ところで阪合村道路元標は現在国道169号線沿いの「榎龍神」の向かって右側の門柱になっていて、阪合村の名や裏側の奈良県の文字もモルタルで埋められてしまっている。
畝傍町道路元標 (奈良県高市郡)




「道路元標」を尋ねて ?道路元標探索ポタ?
今日も用事が午前中に片づいてしまったので、昼から「道路元標探索ポタ」に出掛ける事に、ほんの1?2週間前までなら昼から自転車で出掛けようなんて考えもしなかったのですが、風もあって随分過ごしやすくなったものです(^_^)
しかしガイド本があると云うのは気楽で便利なものです、あるかないか判らない県道ヘキサを探して県道を起点から終点まで走って無かった時の事を思うと...
まずは横大路(初瀬街道)を西へ走り、八木町、今井町、真菅村、金橋村、高田町とゲットし次の磐園(いわぞの)村へ向かいますが、目標の春日神社前の商店が無く駐車場になって元標もありません。 近くの日影で話し込んでいる3人の年配の人達に尋ねると親切に答えてくれて、「確かに道路元標は建っていたけど、そう云えば無くなっているなぁ...」と。 道路元標を取り巻く状況は厳しい事を目のあたりにします、同じ大和高田市でも文化財扱いの「高田町道路元標」とは大違い、しかし何処へ持って行かれたのでしょう?
気を取り直して馬見村を目指し北へ走りますが、「道路元標を尋ねて」記載の場所がなかなか特定できません、ようやく掲載されている写真と同じ場所へたどり着きますが、馬見村道路元標は既に昭和63年の時点で破損した状態で放置されていたとなっており、案の定今ではどこにも見当たりません。
←三宅村から都村へはかつて飛鳥と斑鳩を結んだ筋違道(太子道)を走りますが、今では頭上を京奈和道が走ります。
この後河合村、三宅村、都村、田原本町、多村と順調にゲットでき、畝傍町、阪合村、飛鳥村へと南下しようかとも思いましたが、そろそろ陽も傾いてきたのでおとなしく帰途に就く事に(^_^) 本日の走行42.7キロ也
しかしガイド本があると云うのは気楽で便利なものです、あるかないか判らない県道ヘキサを探して県道を起点から終点まで走って無かった時の事を思うと...
まずは横大路(初瀬街道)を西へ走り、八木町、今井町、真菅村、金橋村、高田町とゲットし次の磐園(いわぞの)村へ向かいますが、目標の春日神社前の商店が無く駐車場になって元標もありません。 近くの日影で話し込んでいる3人の年配の人達に尋ねると親切に答えてくれて、「確かに道路元標は建っていたけど、そう云えば無くなっているなぁ...」と。 道路元標を取り巻く状況は厳しい事を目のあたりにします、同じ大和高田市でも文化財扱いの「高田町道路元標」とは大違い、しかし何処へ持って行かれたのでしょう?
気を取り直して馬見村を目指し北へ走りますが、「道路元標を尋ねて」記載の場所がなかなか特定できません、ようやく掲載されている写真と同じ場所へたどり着きますが、馬見村道路元標は既に昭和63年の時点で破損した状態で放置されていたとなっており、案の定今ではどこにも見当たりません。
←三宅村から都村へはかつて飛鳥と斑鳩を結んだ筋違道(太子道)を走りますが、今では頭上を京奈和道が走ります。
この後河合村、三宅村、都村、田原本町、多村と順調にゲットでき、畝傍町、阪合村、飛鳥村へと南下しようかとも思いましたが、そろそろ陽も傾いてきたのでおとなしく帰途に就く事に(^_^) 本日の走行42.7キロ也
八木町道路元標 (奈良県高市郡)
八木町は昭和31年に今井町、畝傍町、鴨公村、真菅村と合併し橿原市となっています。
元標は横大路(初瀬街道)ではなく国道165号線と下ツ道の交差する処に建っています。
移設された様で北西向きに建っています。
移設された様で北西向きに建っています。
今井町道路元標 (奈良県高市郡)
古い街並みの保存で今や観光スポットの今井町、近鉄八木駅から歩いて行くとその今井町の入り口にあたる蘇武(ソンボ)橋を渡った処に元標は...埋っています。
道路に面した面をつま先で掘ってみるとどうにか「奈」、反対側もどうにか「今」の文字が判読できます。
街並み保存とか偉そうに云っていても「今井町」の名を冠した「道路元標」の扱いはお粗末ですね、まあ観光客はこんなの見ても喜ばないけど。
道路に面した面をつま先で掘ってみるとどうにか「奈」、反対側もどうにか「今」の文字が判読できます。
街並み保存とか偉そうに云っていても「今井町」の名を冠した「道路元標」の扱いはお粗末ですね、まあ観光客はこんなの見ても喜ばないけど。
真菅村道路元標 (奈良県高市郡)
真菅(ますが)村は昭和31年に八木町、今井町、畝傍町、鴨公村と合併し橿原市となりました。
元標は横大路(初瀬街道)沿いの北側にあり (ますが)
悲惨な状態でコンクリで固められ縁石になっています、「奈良」の文字と「真」の文字がかろうじて元標である事を...
悲惨な状態でコンクリで固められ縁石になっています、「奈良」の文字と「真」の文字がかろうじて元標である事を...
金橋村道路元標 (奈良県高市郡)
金橋村は昭和31年に橿原市に編入されています、横大路(初瀬街道)沿いの曲川簡易郵便局の前に丸ポストと共に並んでいます。
元標はかなり埋っていますが、東南方向を向いているので恐らく何かの都合で埋め変える際に間違ったのでしょう。
元標はかなり埋っていますが、東南方向を向いているので恐らく何かの都合で埋め変える際に間違ったのでしょう。
高田町道路元標 (奈良県北葛城郡)
高田町は昭和23年に市制、その際に新潟県高田市(現上越市)と名称が重複するので大和高田市となった。
元標は横大路(初瀬街道)と下街道の交差する場所にあります、なお横大路はこの前後はれっきとした国道166号線です。
「元標」と由来を記した案内も建っていて文化財扱い、ちょっとやりすぎではと思う位にガードされていますが、傷から見るとなければどうなっていたか...
「元標」と由来を記した案内も建っていて文化財扱い、ちょっとやりすぎではと思う位にガードされていますが、傷から見るとなければどうなっていたか...
河合村道路元標 (奈良県北葛城郡)
河合村は昭和46年に河合町となっていて、今では西大和ニュータウンのある町西部の新興住宅地が町の中心の様になっています。
元標は河合町の古くからの集落のある北東端の川合地区にあり、現在の県道<5>大和高田斑鳩線の旧道の様な道筋にあります。
「道路元標を尋ねて」によると、位置の移動はない様ですが、車に当てられ傾いていたものを建て直したとあります。
しかし長年奈良県に住んでいて河合町、三宅町、安堵町、川西町の位置関係が良く判りません(^_^;) 桜井からわざわざサイクリングに行くような処でもありませんし...
「道路元標を尋ねて」によると、位置の移動はない様ですが、車に当てられ傾いていたものを建て直したとあります。
しかし長年奈良県に住んでいて河合町、三宅町、安堵町、川西町の位置関係が良く判りません(^_^;) 桜井からわざわざサイクリングに行くような処でもありませんし...
都村道路元標 (奈良県磯城郡)
都村は昭和31年に合併して田原本町となりました、現在の地名は田原本町宮古。
元標は飛鳥と斑鳩を結ぶ筋違道(太子道)と呼ばれる街道沿いにあります。
かなりきわどい状態にあります。
かなりきわどい状態にあります。