ちょっと散歩に


 昨日から三連休、キャンツーでも行こうと先月から休みを取ってあったのですがネ、恨めしいお天気です。
 買い物ついでにG3を持って山之辺の道へ、自粛と云ってもこのお天気ですからね、結構歩いている人が、年配の人が多い様な、例年だとハイカーの行列で自転車で走るのが憚られるのですが。
 G2とは使い勝手が結構違います。LVF/LCDの自動切換がなくなったとかスリープモードがあったりとか、慣れるまでちょっと時間が掛かりそうです。
 お昼に一旦帰宅し、午後から明日香村へ、自粛はどこ吹く風、観光バスこそいないもの結構家族連れとかいます。何処へも寄らず誰とも話さず、本日の走行38.3キロ。


人間、勝手なもんです。

 「コロナ禍」で世間はピリピリしていますが、1月頃から続く体調不良、季節柄風邪様の症状はありますが35℃台の平熱、そちらの心配はなさそうなんですが、胸の傷みに倦怠感。先月の熊野行きの折の車中でUG兄さん(即ちY先生)に聞かれて、5年前に寛解と云われた持病の再発もあるなと、そう考え出すと納得する点も少なくない、半年に一度は検査に来いと云われていたのを4年ほったらかし、そちらの先生の処へ行くのも気が引けるので、同じく自転車繋がりで高田のS先生の処でレントゲンと血液検査、レントゲンでは疑わしい点はなく、血液検査の結果待ち。
 その結果がでたので高田まで走ります。自分では覚悟して行ったのですが、何んちゃない、極めて平常値。ただコレステロールや中性脂肪の値が良くないので食生活の改善が必要と、暫く走らん割に同じ様に食らってますからね。

 すっかり気を良くして、いつもなら横大路を真っ直ぐ東に帰るのですが、葛城川沿いの自転車道を北上、「コロナ禍」に逼塞していては体に良くないと「生活改善」の大義名分に有要有急の外出を、幸いにも仕事と買い物以外は三密環境で過ごせる田舎暮らし。しかし平日にも拘わらず自転車道では3台のローディとすれ違いましたよ。何れもソロですが、自宅待機で体をもて余している人が多いのかな。
 県道天理王寺線のパイパス路の工事も終わり、曽我川を渡る新しい橋との交差、自転車道はアンダーパスする様になっていました。御幸橋まで出たら大和川沿いに桜井へ、桜の季節は終わりましたが河川敷や土手の菜の花や蓮華まだまあ色を添えてくれます。本日の走行40.7キロ、とりあえずの不安は払拭できたし暫くはソロで頑張って走ろう。


2台目のLGA1156マザー


 自転車以外の話題が続きます。昨年11月に輪童さんから譲って頂いたLGA1156マザー、インテルのDH55TCなのですが、PS/2コネクタはキーボードとマウスが兼用になっているタイプ(写真左)なのですが、PS/2用のKVMスイッチ(切替器)をかますと正常に切替操作ができません。
 この様なスプリッタケーブルで変換させているのですが、切替ボタンの反応が悪い上にキーボードショートカットは全く使えません。せっかくCPUやメモリ等も付けて貰ったのですが、そんな事で今もメインマシンの座には。
 最近、MSIのP55A-GD55マザーを入手、同じくLGA1156ソケットのP55チップセットですが、これも同様にPS/2コネクタが一つのみ。載せ換えてみると、なんと写真上の下のスプリッタケーブルを使うと正常に切替ができるのです。以前からこの接続方法は機種依存性があるのですが、同じチップセットでもPS/2まわりはマザーボードによって変わるものなんですね。
 とにかくCPU、メモリ、ビデオカードを載せ変えて切替器を介するクライアント用にはP55A-GD55を使って、DH55TCはぼちぼちとパーツを集めて頻繁に切替の必要のないサーバー用として構成するストーリーを。
 ところでP55A-GD55ってオーバークロックに特化した機能を持った結構高いマザーボードだったのですが、特長としてSATA3をサポートしている事、ただLGA1156はチップセットがSATA3には対応していない為に、サードパ-ティ製のチップを経由していて、SATA3のスペックはでないとか。
 毎年パソコンを触るのは冬場だったのですが、このご時勢ですからね… でも部屋の中に籠もってばかりは不健康だよね。

LUMIX G VARIO F3.5-5.6 14-140mm


 先日買い換えたLUMIXですが、レンズの方も無事入手、以前のLUMIX G VARIO 1:4-5.8/14-140の後継モデルでF3.5と少し明るくなっているものの、重量は約460gから約265gへ、全長が約84mmから約75mm一回り小さくなっています。G3との組み合わせで230g軽く、G1時代こ組み合わせから比べると重量が71%に。ボディ同様ブラックモデルより安くかえるかなと思っていたのですが、ヤフオクで18,000円スタート(即決38,000円)、意外にぎりぎりまで競り合って28,000円(ヤフオクが5%引いてくれるキャンペーン中だったので実質26,600円、送料無料)、元箱にフィルターが付いて、ボディ同様かなり状態の良いものが手に入りました。とにかく保険のおかげと云うか範囲内で、G2→G3のリプレイスが実現できました、合焦速度も速くなっているとか、まさに災い転じて何とかです。
 見た目の大きさはそうは変わらないのですが、実際以前のソフトケースではぶかぶか、フィルター径が62mmから58mmになったとか、予備バッテリーも必要なので、まだ出費が続きますけど。
 難儀な世情ですが一人で人のいない山の中へ「自撮り」に出掛ける位ならよしとしましょうね。

ユニクロのアノラックもどき

 ライドレポートが憚られる様な昨今ですので、たまにはファッションネタを。さてツーリング派、ラ系サイクリストの定番スタイルと云えばアノラック(ヤッケ)にニッカスタイル、元は登山者(山屋)のスタイルから来ているのでしょうけど、最近は山屋もそんな格好はしないですよね。アノラックに関しては以前からモンベルがODアノラック(写真上)と云う名称で細々と続けてくれていますが、最近は普通のアパレルメーカーが時折り出したりする事もあり、以前からベージュ色を探しているのですが、なかなか見つかりません。
 ところがユニクロがオーバーサイズアノラックパーカーと云う名称で昨年秋から出している事に今頃気付いた次第、ベージュのツートンがあったのですが、ユニクロオンラインでも既に欲しいサイズが残っていません、ただ価格は3,990円から1,990円に値下がりしていますが。実店舗でこの色のLを見つけて買ったのですが(写真上)、オーバーサイズと云うだけにモンベルのXLより身幅が広いです。モンベルのオレンジ色と同じ様な色に見えますが、実際は下の色に近いカーキ色、ユニクロのHPではイエローとなっていますが。
 アノラックと云えばプルオーバーで胸にドラえもんポケットの様な上から出し入れする大きなポケットと、左右のポケットが繋がっていて中でいけいけになっているものだと思っていたのですが、なんとユニクロのこのアノラックには胸のポケットがありません、ポケットの天蓋ですよとばかりに立派なフラップが付いているのですがそれはただの飾り、そして左右のポケットは真ん中で仕切られています、これってアノラックやないでしょ。なおポケットの口はモンベル製の様なファスナーではなくスナップボタンになっています。ただ素材や裏側のメッシュ地や縫製も悪くないので欲しいサイズと色があれば1,990円はお買い得です。

 ドラえもんポケットのないアノラックなんて許せないと云う方にはこちら、UNITED ATHLEのアノラックパーカー、ちゃんとアノラックの要件を満たしていて、ネットで4K前後で買えます。胸ポケットはファスナーですが、左右はあいたまま、生地はモンベルやユニクロより少しごついですが、裏地がありません、残念なのは明るい色がない事。

LUMIX DMC-G3

 LUMIX DMC-G3を手に入れました、もう8年も前に発売されたGシリーズの3世代目、発売当初の実売価格が7万円前後ですから、その何分の一かの価格でメルカリにて。
 実はあまりにお恥ずかしい話で今まで話題にしてなかったのですが、先月17日の「熊野ツーリング 尾鷲市~熊野市」の折りにDMC-G2で「自撮り」中、風に煽られたかして、戻ってきたら三脚ごと倒れていたのです。レンズフィルターが割れて、カメラ本体の電源も入りません。
 不幸中の幸いで倒れる前までの撮影は記録されていて、左が最後のショットです。「自撮り」の際はカメラから離れるので、日頃から注意していたのですが、この日は荷物を減らすために持って行った三脚がSILKのスプリント MINI II 、転倒防止の重しにするストーンバッグも用意していなくて、なんとも自重が780gしかない三脚ですからね。
 DIMAGE A2の後10何年ぶりにレンズ交換式カメラを手にしたのが2009年3月、当時話題となったマイクロフォーサイズ規格を最初に採用したパナソニックのLUMIX DMC-G1を購入、以来G1、G2と何台か潰してきたのです。最近ではDC-G9PROとDC-G99と云った少し趣の変わった後継とフルサイズ機を発表しましたが、カメラマニアでもないし新しいモデルが欲しい訳でもなく、使い勝手の良いものが中古でも安く手に入れば良い訳でして。
 実は先の一件がなくとも後継としてDMC-G3辺りをヤフオクとかで物色していた処だったのです。CCDの劣化でいずれ発色がおかしくなってくるでしょうし、アイピースも剥がれたままです。
 幸いにもヤフーちょこっと保険で携行品の破損や盗難を補償して貰える事を思い出して、早速手続きを進めました。DMC-G2はとっくの昔に製造は終わって保守部品の保持期間が過ぎて修理不能、レンズの方もショック品としてレンズユニット交換で高額な修理見積もりがでてきました。免責額は引かれますが相応の補償が受けられたのは幸い、なにより書類を整えて送ったのが先週木曜、1週間も経たずに振り込まれるとは。

 DMC-G1DMC-G2DMC-G3DMC-G5
カメラ有効画素数1210万画素1600万画素1605万画素
連写撮影高速(H)約3コマ/秒
低速(L)約2コマ/秒
高速(H)約3.2コマ/秒
中速(M)約2.6コマ/秒
低速(L)約2コマ/秒(M, Lはライブビュー表示対応)
(SH)約20コマ/秒(電子シャッター)
(H)約4コマ/秒
(M)約3コマ/秒
(L)約2コマ/秒
(M, Lはライブビュー表示対応)
バッテリーDMW-BLB13(1250mAh)DMW-BLD10
(1010mAh)
DMW-BLC12
(1200mAh)
外形寸法(突起部を除く)幅 約124×高さ 約83.6×奥行 約45.2mm幅 約124×高さ 約83.6×奥行 約74mm幅 115.2×高さ 83.6×奥行 46.7mm幅 119.9×高さ 83.2×奥行 70.8mm
本体重量約385g約371g約336g約346g
販売開始2008年10月2010年4月2011年7月2012年9月

 気になる処を比較したのですが、画素数や連写速度の進化も魅力ですが、私がG3に目を付けていたのはコンパクトさと、純正品ではありませんが、USB充電のできるバッテリチャージャーが存在する事なんです。カメラ本体へのUSB充電は無理としてもモバイルバッテリーから充電できればメリットは大きいです。後継のG5では再び大きくなっています、コンパクトさは傍系のGFやGXに譲ると云う事なんでしょうね。
 後ろがG2で手前の白いのがG3ですが、Gシリーズに関してはやはりブラックモデル以外は人気がない様で、状態の良いものが格安で手に入りました。高さ以外の寸法と重量がG2より小さくなって一回りコンパクトに、グリップ部が無くなってホールド性が少し悪くなった様に思えます、確かに男性の手には微妙に小さく、それよりシャッターボタンの位置がボディ上にあるので些か使い難いです。G1,G2では左側にあったフォーカスモードダイヤルや、モードダイヤルからドライブモードの選択がなくなり、タッチパネルのメニューから選ばなければなりません。これは慣れるしかありませんね、ドライブモードのダイヤルはG7で復活した様ですが。
 さてレンズはどうしたものか、保険金額を睨みながら物色中です。

自粛と云うか停滞中…

 自粛ムードが続いてテンションが下がりっぱなし、気が滅入って体調まで今一つ。外出は月10回程の通勤と買い物だけになっています、もちろん自転車ですが、幸い往復10数キロ、少し遠回りして名残の桜を見ながら走っています、次の雨で終わりでしょうね。

 時間もあるので部屋の中でしたい事やせなアカン事は一杯あるのすが、捗らないどころか手につきません、何時まで続くのでしょうかね…

ストレス溜まりますよね

  日ごと状況が悪くなる「コロナ禍」、予定していた「月うさぎ」でのお花見宴会も中止になり、桜並木と良いお天気が恨めしい限り。しかし病は気からって云いますからね、こんな状況が長く続くと健康な人だっておかしくなります。幸い田舎暮らしですので、適度に運動して、滋養のあるものを程々に戴いて、良い音楽でも聴いて、ツーリングのプランでも練りながら、ストレスのない様に過ごします。こんな状況でも仕事や通勤、家庭や家族と、ストレスを避けられない人が多い中、望ましい事が出来るだけでも恵まれているかと。

 せめて桜の季節の「自撮り」写真を…
 久しぶりにサイスポ買って見ました、50年600号の記念誌だそうなんですが、2月2日に伊賀上野で行われた「黎明期の国産ツーリング車観賞会」、内輪で小冊子を作ったのですが、オオマエジムショの大前さんによる記事が載るとかでAMAZONでポチったのです。相変わらず広告が多いですが、一時の事を思えばツーリング関連記事が増えた様な、まぁ好ましい事です。
 しかし何処に載っているのと探したら、特集「スポーツサイクルの半世紀を彩る名車」の中程(44~45頁)にありましたよ。
 買い物に行くついでに大和川べりを少し走ってきました。先日ポチったアノラックを着て、ウェアは赤以外の暖色系が多いのですが、ベージュを探していて、なかなか見つからずにこんな色を、アンチークグリーンと云ってますが、青銅色なのかな。七分丈のレーパンと組み合わせたクラシックなスタイルです、走行12.9キロ。

再び熊野シーサイドツーリング

熊野市甫母(ほぼ)町にて

 先々週17日に行ったばかりなのですが、尾鷲市と熊野市を海岸沿いに結ぶR311を再び走る事に。素晴らしいロケーションと紀伊半島を巡る交通網が最後に繋がった難所に魅力を感じた何人かが集う事になり、ガイド役を仰せつかり、先日16年ぶりに走った私は期せずして1週間余りで再訪する事になってしまいました。ただ天気予報は二転三転、コロナ騒ぎでモチベーションの上がらない中も、前々日夜になって当日は午後から晴れとの予報にGOサインが。
 先日は往路6時間以上もかけて「青春18きっぷ」輪行でしたが、今回は助手席に乗って楽チン、桜井からR169~R309~R42経由で尾鷲市の九鬼駅まで2時間20分足らず、道中の下北山村では満開間近の見事な桜並木に、思いがけなく車中からお花見を満喫。
 当初は尾鷲から一駅熊野市寄りの大曽根浦駅前に集合だったのですが、雨雲のきれるの待っていると遅くなるのと駐車スペースが微妙なので、最初の山越えを端折って更に一駅熊野市寄りの九鬼駅前に集合する事にし、6名が集まりました、全員がマッドガード付き。九鬼から紀勢本線なら三木里、賀田、二木島、新鹿、波田須、大泊、熊野市と7駅、営業キロで23.2キロをほぼ海岸沿いをなぞるR311では50キロ程の行程になります、なお帰途は短時間ですが輪行でデポ地の九鬼駅に戻るプランです。
 幸い8時半には雨もほぼ落ち着き熊野市に向かってスタートします。この先熊野市まで集落毎にアップダウンが繰り返される行程、ただ当初の予定の大曽根浦~九鬼間を除けば最大標高150mにも届かないのですが。
 雨雲がとれないので少し雨宿りしたりしながら、三木浦~三木里~古江~賀田~曽根と賀田湾を巡ります。先日の晴れた眺めを見て貰えなくてちょっと残念。
 曽根では立派な破風を持った建物が、今は郷土資料館となっていますが、元は小学校の建物の様です。開放されていませんが外側を見学していると少し晴れ間が出てきました。
 曽根を出るとR311が最後に開通(2001年11月)した区間になる訳で、熊野古道の曽根次郎坂太郎坂の区間に相当しますが、3キロ程東側に迂回して位置になっています。現在では曽根(1,106m)、梶賀(1,370m)、須野(197.5m)の3つのトンネルで結ばれていますが、私が始めて訪れた1995年8月は現在の曽根トンネルの岬寄りの梶賀第1トンネルを抜けて梶賀漁港でR311は終わっていました。当初は梶賀漁港を橋で跨ぎ2つのトンネル(梶賀第2、第3?)で須野トンネル側に繋がる計画の様でしたが、結果的には梶賀漁港の背後を通る形で曽根梶賀バイパスが作られ現在のR311となっています、図は手元にある最も古い昭和62年の1/25000地形図ですが、須野トンネル(1981年)の建設がもっと遅ければ、R311のルートは更に西寄りになっていたのかも知れません。
 旧道トンネルとなってしまった梶賀第1トンネルですが、地図では更に岬よりに道が見えます、今回皆で走れば怖くないとばかりにゲートをくぐって突っ込んでみます。(写真 : UG兄さん)

 現在は林道と云う事で、海側に路肩が崩れていたりと車では危険な状態ですが、幅員もそれなりにありガードレールや白線も残っていて、暫く進むと熊野灘の展望が開けます。
 驚いたのはR311の国道標識が、このルートはR311旧々道だったのです。R311が国道認定されたのが1970年、梶賀第1トンネルが完成したのが1985年ですから、15年間、梶賀漁港への唯一の陸路は国道だったのです。
 かつて国道だった事が信じられないような漁港の中の通路を抜けて登って行くと曽根トンネルと梶賀トンネルの間の橋をくぐり現在のR311に戻ります。なおここまでの経緯はヨッキれんさんの「道路レポート 国道311号旧道 梶賀の計画変更ルート」に詳しくあります。
 曽根トンネルを行きます、1台の車もやってきませんでした。(写真 : UG兄さん)
 須野トンネルを抜けると熊野市域、12時前には楯ヶ崎の展望台に到着。ただ楯ヶ崎そのものは反対側にあって死角になるので見る事はできません、往復1時間半の遊歩道か遊覧船を利用する必要があります。
 甫母漁港を望む処まで下りてきました、お天気も良くなり近くの防波堤で持参のお弁当とかでお昼にする事にします。沿線は海水浴シーズンでもなければ外食できる処はあてにできません。
 甫母漁港からまえださんが撮ってくれた写真(左)、対岸の山腹には山桜が。
 二木島湾を巡り荒阪、二木島と2つのトンネルを抜けます。
 新鹿の美しい砂浜が見えてきました。
  新鹿にて、先日は時間切れでここから帰途に就いたのですが、今日は余裕、新鹿の海水浴場を望む四阿にて、ofはやまさんが持ってきたジェットボイルでお湯を沸かしてコーヒータイム。

 新鹿を過ぎるとR311はやや内陸側に入りますが、波田須では素晴らしい展望が、眼下を紀勢本線が走っています、ここは徐福伝説の地でもあります。
 大吹峠を下ると大泊、対岸は名勝鬼ヶ城です。なおR311はここからR42との併用区間となります。

 鬼ヶ城見物の後、R42の旧トンネルになる鬼ヶ城歩道トンネル(旧木本隧道、歩道トンネルと云いながら実は東行一方通行で車も通ります。)を抜けて熊野市街へ、1525に熊野市駅前に到着、九鬼へ戻る普通列車は1605、1652、1827、1605に乗ろうとそそくさと輪行支度を始めますが、今日はヘッド抜き輪行のasuka号、リアは分割式に交換して出てきましたが、2台のデモンタには適いません、ちょっと段取りを間違えてまえださんに負けてしまいました。熊野市駅は上り普通列車は跨線橋を渡って2番ホーム、特急も停まる駅にしてはエレベーターもありません。僅か37分間の鉄旅で九鬼駅1642着、エンジン音を響かせて出て行くディーゼルカーを一同で見送り、今日のツーリングを終えました(写真右 : UG兄さん)。本日の走行52.3キロ。


古稀に至ってもなお「走」「工」「趣」三拍子揃って三流のサイクリスト。ライフワークは「道路元標」と「自撮り」。なお「■ャリ」等の自転車に対する卑しい言葉をコメント等ではお使いにならないで下さい。