「道路元標」カテゴリーアーカイブ

【番外】 大宝村大字綣村元標 (滋賀県栗太郡)

  滋賀県栗東市綣(へそ)、中仙道に沿った大宝神社境内に建つ「大宝村大字綣村元標」、いわゆる里程標であるが、ここに現在建っているのはレプリカである。



隣に立派な案内板が建っているが、ここに限った事ではないがやはり’明治里程標’と’大正道路元標’の混同がある様である。
 なお大宝村は1889年(明治22年)4月1日に綣(へそ)村他9村が合併して成立しており、道路元標の根拠法は大正8年の旧道路法施行令である。 なお’里程標’については「桜村の元標(三重県四日市市桜町と智積町に在った元標についての一考察)」に妥当と思われる詳しい記述があり、大阪府及び各県県庁所在地に設置された’里程元標’と補助的な’里程標’があるとしている。

【以下引用、原文のまま】
大宝村大字綣村元標について
 元標(げんぴょう)は道路元標ともいい、道路路線の起点や終点など表示する標識であります。 各市町村一つづつ置かれるもので、石材その他の耐久性材料を用いて、里程や市町村名が記載されているものです。
 この元標は「大宝村大字綣村元標」と刻まれることから、道路元標と云えますが、同時に大津市元標や栗太郡役所などからの里程をも示しており、里程標を兼ねたものだといえます。 官公庁としては大正15年(1926)に廃止された栗太郡役所、及び昭和29年(1954)に移転した草津警察署からの里程を示すのはもちろん、京都伏見の第十六師団司令部や、大津駐屯の歩兵第九連隊(大正14=1925年に伏見へ移転)といった陸軍官庁からの里程も明らかにしており、建立時の時代背景をよく示しています。
<読み方と意味>
(正面)
大津市 大津市元標と距てること、四里十八町三十■間五尺。 (約17.730m)
栗太郡役所と距てること、二十四町三十一間4尺。 (約2.700m)
草津警察著と距てること、二十九町二十五間。 (約3.200m)
(向って右側面)
第十六師団司令部最迫より、九里八丁(町)十二間五尺(36.200m)
大津第九連隊最迫より、四里三十■町十三間五尺(約19.000m)
(向って左側面)
東は大宝村大字野尻より、十一町六間三尺 (約1.200m)
南は大宝村大字苅原より、八町四十間一尺 (約950m)
西は大宝村大字北中小路より、五町二十一間三尺 (約590m)
北は物部村大字二町より、四町五十八間三尺 (約540m)
(裏面)
大正六年二月十五日建設、寄付・西田哲太郎
元標の復元
 旧元標は設置されて80年余りの年月を経ているため、風化がひどく文字の判読が困難な状況であることと、交通事故により中程から半分に折れるなど破損が著しいので、平成12年(2,000年)に創意と工夫の郷づくり事業により復元したものです。
 尚、旧元標は栗東歴史民族博物館に保存されています。
綣行政区

【339】 藤田村道路元標 (和歌山県日高郡)

県報に拠ると’藤井2077番地先’なっており、現在地は和歌山県御坊市藤田町藤井2077の専念寺の南東角、高さや向きは建て直されたもののほぼ位置は変わってない様です。
 この交差点を北に行くと「安珍清姫」で有名な道成寺に突き当たります。


和歌山県では9基目になりますが、形状が内務省令と異なる頂部が扁平なものは始めてです。


道路元標蒐集18切符の旅(広島編)

’18きっぷ’の最終日、天気の思わしくない近畿から自転車を置いて広島へ…
 桜井0536→0608奈良0609→0707京都0715→0851姫路0910→0929相生0930→1032岡山1042→1213糸崎1216→1317中野東の行程で所要7時間45分、京都廻りしていますので余計に時間が掛かっていますが。

↑今だ移動中、山陽本線尾道?糸崎間、やっぱ広島は遠いですわ(-_-;)

広島の4つ手前の山陽本線安芸中野駅、この駅を中心にして半径2キロ程の範囲に3つの道路元標が残っている様なのですが、順番にまわって8キロ程は歩く計算になります、こちらのお天気はカンカン照り(^_^;)

3つ目の奥海田村道路元標をまわり終えた頃には、時間がかなり厳しくなってきたのですが国道2号線に出ると広島市内行きのバスが頻繁に走っていましたので、これを利用しない手はありません、おかげで広島市道路元標の近くまで直行できました、\430也。

 

広島市道路元標は原爆ドームの向こうに見える橋のそばにあります。 この後、広島電鉄の写真を撮りながら広島駅へ戻り、広島1722発で帰途に就く事に。
 実際は新井口まで戻りましたが、広島1722→1833糸崎1840→2148姫路2157→2258大阪2303→鶴橋2328→五位堂→桜井0008、所要6時間46分、
今日の往復’18きっぷ’で乗車したのは\12,600分。

本日の収穫
【325】 安芸郡 中野村 (現 広島市安芸区)
【326】 安芸郡 畑賀村 (現 広島市安芸区)
【327】 安芸郡 奥海田村 (現 海田町)
【328】 広島市

道路元標蒐集18切符の旅(岡山香川編)

今回は自転車抜きで岡山へ、桜井0528-(近鉄)→鶴橋0629→大阪0652→姫路0758→岡山0923、案の定姫路駅での乗換えは最悪です、’18切符’を利用して山陽路へ向かうには最適なスジなのですが、姫路駅改良が済むまでの事とは思うものの殆ど’18切符’いじめです、これさえ無ければ輪行するのですが…

↑JR吉備線、岡山から伯備線総社を結んでる非電化線、記憶が全く無いので始めて乗る路線だと思います、キハ40系が1~3両で運用されている様です。

 

吉備線に乗って3つ目の駅、岡山市郊外、吉備津神社のある一宮にきています。 ここに御津郡は‘一宮村道路元標’があります。

 

岡山市市街に戻り岡山県下の道路元標所在に関する資料を求めて岡山県立図書館へ向かいます、最寄りは路面電車の県庁通り駅の様です、市電では無く岡山電気鉄道と云う私鉄であの南海貴志川線を買収した会社です。

 

岡山県立図書館は岡山県庁向かいの新しい建物、お目当ての県公報は大正10年以後のものしかなく、大正9年以前のものは記録資料館と云う処へ移管されてしまった様です(^_^;)
 岡山市道路元標の建つ京橋西詰へ立ち寄ってから記録資料館へ、タクシー代\880也。

岡山県立記録資料館、大正8年11月から昭和5年頃の県公報を2時間余り探したのですが、お目当ての’道路元標ノ位置ヲ定メル告示’は見つけだす事はできませんでした。 司書の方は全県的な道路元標の存在に懐疑的な口ぶりでしたが、ここでは来月興味深い行事があります、’18切符’があれば行くのですが… でも講師の方がN大の先生とはネ。

道路元標蒐集18切符の旅(岡山香川編 その2)

岡山市を後に児島へ、倉敷行きの下津井バスに乗換え倉敷市呼松へ、水島コンビナートで埋め立てられるまでここは瀬戸内海に面した港でした、ここに福田村道路元標が残っています。 折り返しのバスが来るまでに20分程しかありませんが、無事に発見(^o^) くらしき百景にも指定されてりうレトロな郵便局もある古い街並、でも道路元標に関わらなければ訪れる事は無かったでしょうネ。

岡山1445→1507児島1515-(バス)→1539呼松1557-(バス)→1627児島

岡山県下で現存が知られている道路元標を3ヶ所回る事ができましたが、時刻表を繰ると帰りにはもう少し時間があるので瀬戸大橋線で四国へ入り、坂出で下車し王越村道路元標、高松で高松市道路元標を拾いに向かいます。

児島1638→1653坂出1724→1739高松


高松から’18切符’で戻るには鶴橋から近鉄利用でも1913が最終になりますが、山陽本線が沿線火災の影響で遅れがでているとか、1本早めの1813のスジに乗車する事にして高松での持ち時間は34分、でも場所は特定できていますし距離も片道1キロもありませんので楽勝です。

↑JR高松駅、駅ビルは新しいですが、かつて宇高連絡船で渡った四国の玄関口の雰囲気は残っています。

 

台風の影響で新幹線は大荒れだった様ですが、在来線は大きな遅れも無く桜井へ帰り着きました、香川県には小豆島も含めてまだ5基の現存が確認されていますが、今回は自転車抜きなものの3月に取りこぼした王越村がGETできたので大満足です。
高松1813→岡山1917→網干2046→大阪2207→鶴橋2227-(近鉄)→桜井2306
‘青春18切符’で乗った金額は計9,390円也
本日の収穫
【320】 岡山県 御津郡 一宮村 (現 岡山市)
【321】 岡山県 岡山市
【322】 岡山県 児島郡 福田村 (現 倉敷市)
【323】 香川県 綾歌郡 王越村 (現 坂出市)
【324】 香川県 高松市
 岡山県の3基の様式は内務省令と異なり、正面に道路元標、向かって右側面に市郡名、左側面に町村名となっています。 ただ同じ岡山県下でも遠く離れた山中の大原町道路元標は省令に従った様式です。

2970円分乗車

道路元標蒐集に有効活用するつもりだった‘するっとKANSAI3Dayチケット’が1日分を残して期限がきてしまったので、今日の仕事の前に元だけはしっかり取っておこうと‘甲東村道路元標’の残る兵庫県西宮市、阪急今津線門戸厄神駅まで始発に乗って往復してきました。 近くに未履修の元標が2,3残っていたのですが、路線バスも無さそうだし歩いて行くには遠いし、第一そんな時間の余裕もないので、今日の収穫は1基と云う事で(^_^)

実は‘甲東村道路元標’は兵庫県の道路元標探索のバイブルとも云える藤原勝永著「兵庫県の道路元標」では不明とされています、明らかに元の位置のままと思えないので、藤原氏が探し漏れていたのか、出版をきっかけに何処かに保管されていたものが出てきたのかは私の知る処でもありませんが、私がこの’甲東村’の存在を知ったのは道路元標に興味を持たれている地元の方のBlogをたまたま見つけたのです。 兵庫県では427基の道路元標が建てられたと推計され、223基が現存または最近まで残っていたと考えられますが、兵庫県でもまだまだ発掘される可能性があるのですね。


履修順道路元標一覧 (201~300)

道路元標一覧 (1~100)
道路元標一覧 (101~200)

【201】 2007/04/27 兵庫県 揖保郡 斑鳩村 (斑鳩町→現 太子町)
【202】 2007/04/27 兵庫県 揖保郡 揖保村 (龍野市→現 たつの市)
【203】 2007/04/27 兵庫県 揖保郡 龍野町 (龍野市→現 たつの市)
【204】 2007/04/27 兵庫県 揖保郡 越部村 (新宮町→現 たつの市)
【205】 2007/04/27 兵庫県 宍粟郡 戸原村 (山崎町→現 宍粟市)
【206】 2007/04/27 兵庫県 宍粟郡 蔦沢村 (山崎町→現 宍粟市)
【207】 2007/04/27 兵庫県 宍粟郡 三河村 (佐用郡南光町→現 作用町)
【208】 2007/04/27 兵庫県 作用郡 大廣村 (三日月町→現 作用町)
【209】 2007/04/27 兵庫県 作用郡 三日月村 (三日月町→現 作用町)
【210】 2007/04/27 兵庫県 揖保郡 西栗栖村 (新宮町→現 たつの市)

【211】 2007/04/27 兵庫県 揖保郡 東栗栖村 (新宮町→現 たつの市)
【212】 2007/04/30 兵庫県 加東郡 来住村 (現 小野市)
【213】 2007/04/30 兵庫県 加西郡 下里村 (北条町→現 加西市)
【214】 2007/04/30 兵庫県 加西郡 在田村 (泉町→現 加西市)
【215】 2007/04/30 兵庫県 加西郡 西在田村 (泉町→現 加西市)
【216】 2007/04/30 兵庫県 加西郡 多加野村 (泉町→現 加西市)
【217】 2007/04/30 兵庫県 加西郡 芳田村 (現 西脇市)
【218】 2007/04/30 兵庫県 多可郡 野間谷村 (八千代村→八千代町→現 多可町)
【219】 2007/04/30 兵庫県 多可郡 中町 (現 多可町)
【220】 2007/04/30 兵庫県 多可郡 松井庄村 (加美町→現 多可町)

【221】 2007/04/30 兵庫県 多可郡 日野村 (現 西脇市)
【222】 2007/04/30 兵庫県 多可郡 西脇町 (現 西脇市)
【223】 2007/05/03 兵庫県 加西郡 富合村 (加西町→現 加西市)
【224】 2007/05/03 兵庫県 加東郡 瀧野村 (滝野町→現 加東市)
【225】 2007/05/03 兵庫県 加東郡 加茂村 (滝野町→現 加東市)
【226】 2007/05/03 兵庫県 加東郡 上福田村 (社町→現 加東市)
【227】 2007/05/03 兵庫県 美嚢郡 三木町 (現 三木市)
【228】 2007/05/03 兵庫県 美嚢郡 別所村 (現 三木市)
【229】 2007/05/03 兵庫県 加古郡 八幡村 (現 加古川市)
【230】 2007/05/08 京都府 京都市

【231】 2007/05/08 滋賀県 大津市
【232】 2007/05/08 京都府 愛宕郡 修学院村 (現 京都市)
【233】 2007/05/08 京都府 葛野郡 西院村 (現 京都市)
【234】 2007/05/08 兵庫県 川辺郡 川西村 (現 川西市)
【235】 2007/05/08 兵庫県 川辺郡 長尾村 (現 宝塚市)
【236】 2007/05/08 兵庫県 武庫郡 良元村 (現 宝塚市)
【237】 2007/05/08 兵庫県 川辺郡 伊丹町 (現 伊丹市)
【238】 2007/05/08 兵庫県 有馬郡 有馬町 (現 神戸市)
【239】 2007/05/08 兵庫県 有馬郡 有野村 (現 神戸市)
【240】 2007/05/08 兵庫県 有馬郡 道場町 (現 神戸市)

【241】 2007/05/08 兵庫県 有馬郡 三田町 (現 三田市)
【242】 2007/05/08 兵庫県 有馬郡 三輪村 (現 三田市)
【243】 2007/05/08 兵庫県 武庫郡 本庄村 (現 神戸市)
【244】 2007/05/08 兵庫県 武庫郡 魚崎村 (現 神戸市)
【245】 2007/05/12 奈良県 添上郡 東山村 (現 奈良市)
【246】 2007/05/12 奈良県 添上郡 柳生村 (現 奈良市)
【247】 2007/05/12 京都府 相楽郡 笠置村 (現 笠置町)
【248】 2007/05/20 兵庫県 有馬郡 本庄村 (現 三田市)
【249】 2007/05/20 兵庫県 有馬郡 貴志村 (現 三田市)
【250】 2007/05/20 兵庫県 有馬郡 高平村 (現 三田市)

【251】 2007/05/20 兵庫県 川辺郡 西谷村 (現 宝塚市)
【252】 2007/05/20 兵庫県 川辺郡 六瀬村 (現 猪名川町)
【253】 2007/05/20 兵庫県 川辺郡 中谷村 (現 猪名川町)
【254】 2007/05/27 奈良県 宇陀郡 曽爾村
【255】 2007/06/01 京都府 乙訓郡 向日町 (現 向日市)
【256】 2007/06/01 京都府 綴喜郡 普賢寺村 (現 京田辺市)
【257】 2007/06/12 兵庫県 多紀郡 後川村 (現 篠山市)
【258】 2007/06/12 兵庫県 多紀郡 日置村 (現 篠山市)
【259】 2007/06/12 兵庫県 多紀郡 村雲村 (現 篠山市)
【260】 2007/06/12 京都府 船井郡 梅田村 (現 京丹波町)

【261】 2007/06/12 京都府 船井郡 檜山村 (現 京丹波町)
【262】 2007/06/12 京都府 船井郡 須知町 (現 京丹波町)
【263】 2007/06/12 京都府 船井郡 竹野村 (現 京丹波町)
【264】 2007/06/12 京都府 船井郡 東本梅村 (現 亀岡市)
【265】 2007/06/20 愛知県 名古屋市
【266】 2007/06/20 愛知県 西春日井郡 萩野村 (現 名古屋市)
【267】 2007/06/20 愛知県 西春日井郡 豊山村 (現 豊山町)
【268】 2007/06/20 愛知県 西春日井郡 北里村 (現 小牧市)
【269】 2007/06/20 愛知県 丹羽郡 岩倉町 (現 岩倉市)
【270】 2007/06/20 愛知県 丹羽郡 布袋町 (現 江南市)

【271】 2007/06/20 愛知県 丹羽郡 古知野町 (現 江南市)
【272】 2007/06/20 愛知県 丹羽郡 扶桑村 (現 扶桑町)
【273】 2007/06/20 愛知県 葉栗郡 草井村 (現 江南市)
【274】 2007/06/20 愛知県 葉栗郡 宮田村 (現 江南市)
【275】 2007/06/20 愛知県 葉栗郡 浅井町 (現 一宮市)
【276】 2007/06/20 愛知県 葉栗郡 北方村 (現 一宮市)
【277】 2007/06/20 愛知県 葉栗郡 木曾川町 (現 一宮市)
【278】 2007/06/20 愛知県 中島郡 奥町 (現 一宮市)
【279】 2007/06/20 愛知県 中島郡 今伊勢村 (現 一宮市)
【280】 2007/06/20 愛知県 一宮市

【281】 2007/06/20 愛知県 中島郡 大和村 (現 一宮市)
【282】 2007/06/20 愛知県 中島郡 稲沢町 (現 稲沢市)
【283】 2007/06/20 愛知県 中島郡 明治村 (現 稲沢市)
【284】 2007/06/20 愛知県 中島郡 千代田村 (現 稲沢市)
【285】 2007/06/20 愛知県 海部郡 神守村 (現 津島市)
【286】 2007/06/27 奈良県 添上郡 月瀬村 (現 奈良市)
【287】 2007/06/27 三重県 名賀郡 阿保町 (現 伊賀市)
【288】 2007/07/24 奈良県 添上郡 大柳生村 (現 奈良市)
【289】 2007/07/24 京都府 綴喜郡 宇治田原村 (現 宇治田原町)
【290】 2007/07/24 京都府 久世郡 寺田村 (現 城陽市)

【291】 2007/08/09 兵庫県 印南郡 大塩村 (現 姫路市)
【292】 2007/08/09 兵庫県 印南郡 北浜村 (現 高砂市)
【293】 2007/08/09 大阪府 岸和田市
【294】 2007/08/10 兵庫県 氷上郡 国領村 (現 丹波市)
【295】 2007/08/10 兵庫県 氷上郡 大路村 (現 丹波市)
【296】 2007/08/10 兵庫県 氷上郡 春日部村 (現 丹波市)
【297】 2007/08/10 兵庫県 氷上郡 鴨庄村 (現 丹波市)
【298】 2007/08/10 兵庫県 氷上郡 吉見村 (現 丹波市)
【299】 2007/08/10 兵庫県 氷上郡 竹田村 (現 丹波市)
【300】 2007/08/10 京都府 船井郡 下和知村 (現 京丹波町)

【287】 阿保町道路元標 (三重県名賀郡)

阿保(あお)は初瀬街道(阿保越伊勢街道)の宿場町として知られ、大正9年に町制、昭和30年に種生、矢持、上津と合併し青山町となった。 平成16年に上野市他と合併し伊賀市となり、名賀郡は消滅した。 道路元標は大正9年4月1日三重県告示第151号によると阿保橋南詰とあり、現在も阿保橋南詰に建っているが、現存していると云う情報は少なくともネット上には今までなかった。


興味深いのは正面に’道路元標’ではなく「阿保町元標」とあり書体も道路元標としてはユニークである、隣町だった阿山郡上野町の書体と同じで、同様に向かって左側面に「三重県名賀郡阿保町」、右側面に「三重県」と彫られている。 だだ塔頂の形状が省令に沿った形でどちらかと云うと度会郡の小俣町や四郷村に近い。


HP更新

先日の愛知県の道路元標の分をHPの方へ反映させましたが結構手間はかかります、いつまでもこんな事をやってられないのでデータベース化に向けて色々と模索しているのですが...


川上村道路元標は何処へ

奈良県吉野郡川上村の道路元標は上田倖弘著’「道路元標を尋ねて -奈良県ふるさとめぐり-」によると、国道169号の丹生川上神社上社前に現存していたが、大滝ダム建設により国道も神社も水没する事になり、神社の移転とともに道路元標も新しい鎮座地へ移される様な記述になっている。


↑ダムは2003年に完成の計画だったが2002年の試験湛水でダム湖岸の白屋地区で地滑りが発生し貯水を中止する事態となってしまった。 白屋地区の集団移転や地滑り対策が行われているが… 行く行くは巨大な遺物になったりして。


建設中は新旧路と激坂のバイパス路を登ったり下りたりさせられたが、ダムそのものはともかくとして国道169号の付け替えは完了し、新しい丹生川上神社上社は既に水没しているはずの旧鎮座地を見下ろす高台に建っている。


肝心の’川上村道路元標’は見当たらない、宮司さんも聞いていないとの由、はて道路元標は何処へ