「自転車」カテゴリーアーカイブ

S翁御一行様迎撃葛城ポタ

明日23日の「河内風穴」サイクの予定が危ぶまれる中、S翁が女性3名を引き連れて「葛城古道」へ来るとの事、N嬢も誘って急遽迎撃に。

←まずは笛吹神社からラッテたかまつを目指します。


「ラッテたかまつ」にて、当初S翁一行は「むすひ」でお昼を考えていたのですが「むすひ」は夏期休業中なのですよ。


「ラッテたかまつ」の後、番水の時計から九品寺と、写真は楢原の四阿前にて、大和三山が遠望できます。 木陰にいると心地よい風が吹いているのですが...


この後高天はパスして高鴨神社に向かうのですが、日頃R氏のガイドに頼りきっているので見事に道を誤って余計に登る事に、しかし暑さに参ってやっと辿り着いた高鴨神社でダウンしていました(^_^;)

一言主神社前にて


高鴨神社から風の森峠を廻って帰路に就きます。

 本日の走行、桜井から集合場所への往復を含め60.1キロ也、お馴染み「葛城ポタ」とは云え距離以上にくたびれた一日でした。


今日の「朝ポタ」

まずは明日香村に向かい石舞台にて、さすがに6時前では観光客は皆無です。



栢森から芋ヶ峠を越えて吉野側へ入ろうかとも思ったのですが、W氏に「どこがポタやねん」と云われそうなので、今日は珍しく入谷へ登りました。 入谷は標高400m余り、明日香村の中では観光客どころかハイカーもやってこない場所です。 鳥の声を聞きながらのんびりと休憩しますが、タバコを吸わないと手持ちぶさたでいけませんわ(^_^;)


栢森へ下り、再び畑へと登り返して石舞台側へ越え帰途に就き8時には戻ってきましたが、少し物足りないなぁ... 本日の走行32.1キロ。




久しぶりの自転車ネタ

暫く仕事と天気の巡り合わせの悪い日が続いて先月4日から5週以上も自転車に乗れず仕舞、昨年春に’頸’を痛めた時でも1ヶ月全くサドルに跨らない事は無かったのにネ。 このままではとても来週の「河内楓穴」にもおぼつかないので「朝ポタ」と称して少し出掛けて来ました。
←どうにか登りましたが、 調子悪う…. 当然ですよね。



コースは長谷寺?初瀬ダム?小夫?白木街道?榛原?、ほぼ一昨年の「あすか鍋」コース、冬季の定番コースですがこの季節に走るのは初めての様な... 白木街道に取り付いた頃にようやく調子が出てきましたが、久しぶりにこのサドルに跨ると堪えますわ。
←初瀬ダムで長谷寺門前の馴染み「宝園堂」で買った「山菜おこわ饅頭」他を頂きます(^_^)


旧大宇陀町野依まで南下しここも馴染みの「おごぽご」でお茶にするのですが...
 しかし’タバコ’が吸いたいよ?


天気がどうなるかも判らないのでこれ以上先に進むつもりも無く、のんびりとしていて、(写真)の寄せ木パズルに手を出してしまったのが間違い、1時間半も格闘して結局お昼を食って女寄辻経由で帰ってきました(^_^;)

本日の走行49.9キロ


湯浅~御坊ルートの謎

 昨日のツーリングで父親の郷里に立ち寄った事の報告がてら実家に電話したついでに長年の疑問を聞いてみた。
 戦後暫くしてから船場で商売をしていた父親が始めて買った自動車、と云ってもマツダの3輪トラックK360だが、それに乗って父親の郷里へ帰ったのは昭和30年代後半の事で煉瓦造りの対向困難な小さなトンネルを通った事だけを幼心にも鮮明に記憶している。 ただ当時も湯浅町から郷里のある日高町には幾つかのルートがあってどのルートをとってどのトンネルが記憶に残っているのか良く判らない。
 昭和41年に現在の水越峠が開通するまでR42は津木廻りの<21>広川川辺線?<176>井関御坊線のルートで原坂峠鹿ヶ瀬隧道を越えていた、昨日越えた切貫峠由良洞隧道はもちろんあったが由良以北はあの狭い離合困難な<177>南金屋由良線で水越峠を越えていたのかと思ってしまうのだが、よくよく地図を眺めて見ると水越峠の北側へは現在のR42を挟んで<177>南金屋由良線の反対側(南側)に黒線道があり、これで谷を詰めるだけ詰めて水越峠へ取り付くコースも存在している。
 しかし電話で話しをしていると津木廻りルートは知っていたが、衣奈を経由する海沿いの話がしきりにでてくる、しかし白崎海岸の記憶がない様で、その上当時はそのルートは存在しなかったと思われる、そうなると湯浅から海沿いに南下し衣奈から衣奈隧道で山越えし由良へ入ったのだろうか... 逆に謎は深まってしまった。 由良、日高町史か古い地形図をあたって見なければ...

←原坂峠鹿ヶ瀬隧道、但し熊野古道の鹿ヶ瀬峠の位置とはかけ離れている、現在は新しい新鹿ヶ瀬トンネルが開通している。 私の記憶では由良洞隧道の方がそれらしく思えるのだが...


←現在のR42水越隧道の真上にある水越峠、しかし前後の<177>南金屋由良線には全くと云って云い程離合できる場所がなく、車の少なかった時代とは云え湯浅?由良を結ぶ主要ルートだったとはとても考えにくい。


おまけに今日も一っ走り(^o^)

 昨日はU兄氏はお仕事で日曜なら走ろうと云う事に、当初は和歌山県湯浅付近を起点に御坊にかけての山越え旧道と海沿いの道(きららときめきロード)周回を考えたのですが、2人では勿体ないので北山村デポで熊野の一の水峠と大峪峠へ行こうかと考えてみたのですが熊野方面の天候が思わしくないので、結局は当初案の湯浅?御坊周回コースへ行ってきました。
 湯浅から水越峠へみかん畑の中を走る、これでも県道<177>南金屋由良線、斜度はそれ程でもなく私でさえインナーへ落とす事なく登りきれます、路面状態は峠に近ずくにつれて落葉や小石が多くなり水溜まりもありますが、崩れた路肩や法面もマメに補修されています。 ランドナーにはぴったりの道です、でロードの私はきっちりパンクさせられてきました(^_^;)
 水越峠に続いて、由良と御坊の間の)<23>御坊湯浅線切貫峠(157m)を越えます。
 由良洞隧道、由良町側はモルタルで補修されてしまいましたが日高町側は時代を感じさせる立派な煉瓦のポータルが残っています。 先の<177>南金屋由良線と同様にR42の上を縫う様に通じているので、まるで旧R42の様に思えますが、R42が指定された当時は東よりの<21>広川川辺線?<176>井関御坊線のルートだったそうで、このコースがR42に指定された期間は無い様です。

 今では野上電鉄も有田鉄道も無くなってしまいましたが、御坊市内では紀州鉄道(旧御坊臨港鉄道)の踏切を渡ります。 さすがにもうかつてのキハ41000系統の車両ではなく、キハ17系統の車両です、江若鉄道の残党かなぁ...
 煙樹ヶ浜海岸で昼食にしてから、さすがに日の岬は遠慮しましたが通称「キララときめきロード」<24>御坊由良線?<23>御坊湯浅線と継いで海岸沿いの道を北上します。
 白崎海岸を目指します。







 由良町小引にて、執拗にアップダウンが繰り返される海岸沿いの道。

 本日のDST80.2キロ、AVS18.0キロ、昨日の今日ましてパートナーがパートナーだけにキツいかなと思いましたが、曇り気味の天気だった事もあって暑さに苦しめられる事も左程無く意外と楽に走り抜けました。 JR湯浅駅前発着でのんびりと休憩したりしていたので所要時間は8時間弱、実走時間は4時間半程です。

梅雨入り前の一っ走り(^o^)

 週末の天気が良くなったので、童仙房へ梅雨入り前の一っ走りしようと... 釣れたのはN嬢とT御大と云う最悪の面子(*_*) とにかく集合場所の和束町へと向かいます。
 今月のカレンダーでお馴染み、童仙房への登りが始まる茶畑の中の道。 童仙房でコンビニ弁当を拡げて昼食、標高が高い事もあって少し肌寒い位です。 その後は野殿から童仙房九番を経由して多羅尾へ向かいます。
 牛場越にて

 

 信楽町杉山にて、珍しく喫茶店でお茶しました。 実は朝宮の’ぜんざい’屋も気になっていたのですが(^_^;)

 

 当初、信楽で別れて柘植から青山町方面に走り輪行で帰途に就く予定でしたが、裏白峠がトンネルになったと云う事なので、一緒に裏白トンネルから自身未踏の穀池峠を越え和束へ戻る事に。

 

 穀池峠を越え<5>木津信楽線を爆走します。
←別に手を繋いでいる訳ではありません、キャンディを手渡しているのです(^_^)
 結局、加茂でN嬢と別れT御大と大仏線跡から奈良阪、上街道経由で帰る事に、DST134.1キロ、AVS19.0キロ。

 N嬢談.>私は、走行距離144km、AVE.20.5km/hでした。 CanCanさんたちと別れ際、AVE.を見ると18.9km/h。 こんな屈辱的な数字で一日を終える訳にはいかないし、第一自転車に申し訳なく、何とか家に着くまでに20.0km/h以上に持っていかないと、と思いました。 そこで信号によるSTOP&GOではとてもAVEを上げることはできないと考え、泉大橋からサイクリングロードに入り、常にAVEを意識しながら走りました。 向かい風できつかったですが、20kmほど走ったら達成できました。 ついでに御幸橋まで走り帰宅しました。

幸か不幸か起きられなかった

今月はまだ300キロを越えた程度、先月はあわやダブルスコアと差を拡げた9氏に100キロは差をつけられている始末。 昨日今日と梅雨入り前の貴重な好天との予報、伊勢志摩まで一走りと画策していたのだが... 連日仕事がてこずって遅くなってしまいとても未明には起きられず、7時8時に目が醒めてはもう出掛ける気力が失せてしまう。
 しまったなぁ...と思っていたら客先の専務のパソコンが滞在している中国の現地法人から日本のメールサーバーへ接続できないと云うトラブル、原因は中国側プロバイダにあるのか「Outbound Port25 Blocking」あたりが絡んでいる様な気もするが、情報不足で良く判らない。 とにかく半日格闘してとうにか復旧しているが、遊びに出掛けなくて良かった良かったと云う事に(^_^;)

今日は堪えました「青山高原道路」(^_^;)

週末の天気が思わしくないので参加を画策していたキャンプが中止になってしまったのだが、土曜の午後から天気が回復、殆ど未踏のいわゆる「青山高原道路」<512>青山高原公園線を完走しようと早朝から出掛けたのだが...
 行きがけの駄賃にと名張周辺の未踏区間を消化しながら青山高原の南に位置する布引峠に着いたのは10時過ぎ、既に走行距離は70キロを越えてしまっている。 困った事に名張市街を過ぎてからうらぶれた県道ばかり縫って走っているものだがらコンビニの前を一度も通らず、当てにしていた旧青山町霧生の食品店もお休みで携行食も尽きてしまった。 まあこの先あても無いのだが青山高原に行けば何かあるだろうと予定通り<755>老ヶ野古田青山線を北上する事に。


<670>城立青山線を経て大原越に登り返し青山高原保健休養地に入るがあったのは自販機だけ。 青山峠から青山高原公園線に入る急坂は標高差200m余りとタカをくくっていたが、天気に恵まれた休日とあって単車と車が多く走りづらい事この上ない。 休日に自転車でやってくる様な処ではない、その割にロードバイクが多かったが他に走る処を知らんのかと思ってしまう。 なんか馬鹿馬鹿しくなって休み休み登って「山頂小屋」に辿りi着いたのは13時前だった(^_^;) 伊勢湾を望む視界と風力発電の巨大な風車が並ぶのは見応えがあるが...
 ところで今日はW氏とN氏夫妻一行も馬野渓から登って青山高原公園線を南下してくる予定だが一行に下りて来ない、幾つも休憩所があるのでどこかですれ違ってしまったのかと思っていたら、奥山愛宕神社への分岐をすぎたほほ最高地点の休憩所で出逢えた、さすがに馬野渓からの登りは相当てこずった様である。


青山高原公園線も北側は道路が狭い事もあって交通量は少なくなって快適でしかも榊原温泉まで標高差700m余りのダウンヒル、展望は殆どないが夏ならこちら側か標高差500mの馬野渓から登る方が余程マシだろう。 なお青山高原公園線上には休憩所やトイレは幾つもあるが食堂、売店、自販機の類は一切なかった。 夏なら絶対に途中から引き返していたに違いない(^_^;)

↑間近で見ると異様な位にデカい、それに付近には航空自衛隊の無線基地とかもあって東宝特撮映画を見ている様な感覚である。


榊原温泉側に下り<28>亀山白山線を南下、ここからは折角というか予定通りと云うか雲出川周辺の県道ヘキサ蒐集に走り回る。
←<661>二本木一志線は旧初瀬街道の道筋、雲出川八景「亀の広」雲出川面に露出した岩盤の事らしいが桜並木が有名。 県道ではないが対岸に渡る普通車が通るのが精一杯の年代物の橋が面白い。


いつも近鉄電車で名古屋伊勢方面に行くときに気になっている伊勢石橋駅と川合高岡駅の間の雲出川に架かる沈下橋に行ってみた、結構車も行きかっているのだが僅かに曲がっていたり傾斜があるので正直云って「木津川流れ橋」を渡るより怖い。 ところでここも雲出川八景「石橋」だそうである。
本日の走行134.0キロ


伊勢志摩ツーリング

 今回は計画中のプランの中から伊勢志摩へ行ってきました、但し時間的に厳しそうなので往復輪行で。なおDoblogが4日に跨るメンテナンスだったので、某BBSに報告したものを再編集した内容です。予定のコースへは近鉄で鳥羽駅まで行けば良いのですが、それだけでは勿体ないので手前の伊勢市の五十鈴川駅まで輪行し<715>館町通線と<102>伊勢鳥羽線のヘキサをGETしてからと目論んだのですが、色褪せたシールヘキサに見過ごしてしまい結局GETできず、今回は出だしからいけません。今回の目的は伊勢志摩パールロードの影に隠れて見捨てられた様な三重県道<750>阿児磯部鳥羽線を完走しようと云うもの、同線は鳥羽市から旧阿児町(現志摩市)にかけての海岸線の険しい地形に点在する漁村を結んでいる全長40キロ余りの路線ですが、パールロードへの取り付け部分を除けば未改良区間が残る上に、的矢湾で分断されていて「県道船」と呼ばれる無料の渡船で結ばれているユニークな路線なのです。しかも沿線は難読地名だらけ...安楽島(あらしま)、国崎(くざき)、相差(おうさつ)、畔蛸(あだこ)... ↑石鏡(いじか)付近にて、山腹に見えるのはパールロード、上に鳥羽展望台が見えます。この付近からは三島由紀夫の「潮騒」で有名な神島など伊勢湾に浮かぶ幾つかの島が見えますが、展望そのものはさすがにパールロードの方が良いです。でもパールロードに比べるとアップダウンは比較的マシで少し拍子抜け... 同線は畔蛸から的矢まで<47>鳥羽磯部線と併用区間となるのですが、千賀(せんが)の小さな湾を挟んで県道は未開通の様で少し山側のバイパス路を経由した上に、旧磯部町との境界になる堅子では地形図では点線道となってます、この点線道を突破しなくてはパールロードまで登らなければなりません、実際堅子漁港への県道ルートは4輪車通行不能の路地、ただ堅子漁港で聞くと地形図上の点線道は
 「舗装はしていないけど車も通っているよ」の事、しかしとんでもない激坂ダートでした、地元車強し。




 ところで的矢からの「県道船」、自転車はそのまま乗せて貰えるだろうと思っていたのですが、地元の小学生に聞くと「たぶん駄目だよ」との事、乗れなくてはパールロードまで登らなければならないので慌てて輪行袋に押し込みます。「県道船」は対岸にいる時は信号機を操作して(的矢側は蛍光オレンジに塗られた腕木式で紐で引っ張る)呼ぶのですが一応時刻表もあります。後で聞くと航路によっては死角になるらしいのです。今日は自転車は「荷物」になってしまったのですが、聞くと自転車のままで乗せるとキリが無いとの事です、通学で利用する的矢小学校と中学校は自転車ごと通学するのを認めていないのかも知れません、同乗の小学生が対岸で兄弟か友達が自転車を持って迎えに来ていました。 大きな声では云えませんがどうやらそのまま乗せて貰える様な... 但し甲板には西部劇で馬を繋ぐ様な手すりがあってそこに括りつける様です。 静かな湾で距離も知れていますが潮をかぶらないとは限りません。 航路は的矢、三ヶ所、渡鹿野島の北側を結んでいて、私は県道走破の為に三ヶ所へ渡りましたが、渡鹿野島へ渡り島の南側の一般に知られた有料の航路で安乗方面へ行く自転車が時々いるそうです。なお的矢側の乗船場は案内がなく判りにくいです。
 無事に三ヶ所へ渡り自転車を組み立てて再び<750>阿児磯部鳥羽線を走ります。 途中で磯部大王自転車道線と交差しますが、写真の様に幅員は変わりません、どちらかと云うと自転車道の方が手入れされている様な。 なお磯部大王自転車道線はれっきとした三重県道129号です。 自転車道と云っても「一般車通行禁止」とあるだけでここには物理的な規制はありません、
 実は自転車道に名を借りた農道です。 阿児磯部鳥羽線を完走し国分(こう)海岸に出て<514>安乗港線を往復しついでに安乗灯台へ寄り道、今は\150で灯台に上がって360度の展望を愉しめるそうですがオッサン一人で登っても面白くないのでやめときました。 実はこの後、波切へ走り大王崎へ寄ってからR260を西進し和具航路に乗り賢島から近鉄特急に乗ってチクワとビールで「プファーッ」と行きたかったのですが... 磯部大王自転車道線を南下していたつもりでいたのが、自転車道の案内板を見て「この案内板の現在地は間違っている」??? まわりを見渡して唖然、上の写真の処へ戻ってきているのです、まるで狐につままれた様な...
 大王崎に向かって自転車道を南下しているつもりが実は北上していて、先に通った阿児磯部鳥羽線と交点に戻ってきていたのです。 まあ「CANNAVI」はこの程度のもんですわ。 意気消沈してトボトボとそのまま自転車道を走り磯部駅から輪行する事に、駅前に停まっていた移動販売車でパン2個を買い、缶ビールではなく缶コーヒーを買って鈍行で帰ってきました。 本日の走行80.7キロ也