今日は昨日回れなかった佐久市街周辺を時計回りに一周してから西へ。 日本一長い市町村名だった五郎兵衛新田村(昭和30年に浅科村に)の元標を回って、道の駅で少し休憩。
中津村、南牧村、本牧村の元標は、中山道の塩名田宿、八幡宿、望月宿を辿って行く事になります、大した峠でもありませんが中仙道瓜生坂です。 帰りの時間を睨みながら、小県郡の4基を回り都合14基、予定では千曲川沿いの自転車道を走り埴科郡を回って篠ノ井あたりまで行きたかったのですが、帰途に就く頃には少し雨も降り出してき事だし、3日間で34基を回る事ができて、これで良しとしましょう。 本日の走行83.6キロ、KHSとは云え3日間で250キロ以上走った計算になります。 【555】 長野県 北佐久郡 岩村田町 (現佐久市) 【556】 長野県 北佐久郡 南大井村 (現 小諸市) 【557】 長野県 北佐久郡 御代田村 (現 御代田町) 【558】 長野県 北佐久郡 平根村 (現 佐久市) 【559】 長野県 北佐久郡 志賀村 (現 佐久市) 【560】 長野県 南佐久郡 桜井村 (現 佐久市) 【561】 長野県 北佐久郡 五郎兵衛新田村 (現 佐久市) 【562】 長野県 北佐久郡 中津村 (現 佐久市) 【563】 長野県 北佐久郡 南御牧村 (現 佐久市) 【564】 長野県 北佐久郡 本牧村 (現 佐久市) 【565】 長野県 小県郡 滋野村 (現 東御市) 【566】 長野県 小県郡 祢津村 (現 東御市) 【567】 長野県 小県郡 和村 (現 東御市) 【568】 長野県 小県郡 神川村 (現 上田市)
「峠」タグアーカイブ
道路元標蒐集サイク(信州篇 2日目)
今日は小海線の信濃川上駅まで輪行してから走り出す予定でしたが、折角なので2つ手前の清里駅で下車し、日本の鉄道最高地点の踏切を越えて川上村へ向かう事に。 残念ながら八ヶ岳の全貌は見えませんでした。 丁度、小海線に沿った処に出たので少し待ってみました、後ろはあの御巣鷹山の方角だと思うのですが。
川上村から南牧村へ越える大蔵峠、川上村側の登りは楽勝なのですが、南牧村側に一旦下ってから再び同じ高さまで登り返さないといけません。
南牧村の広瀬集落で道を間違えて余計に登ってR141へ出てしまいました、お陰で八ヶ岳が望めましたが。
ほぼ小海線沿いに北上しているので、時刻を見ながら折々に写真を撮ったり、結構探すのにてこずった道路元標もあったり、南相木村まで遡って寄り道したりしてしまったので、結構時間を食ってしまいました。
←馬流(まながし)駅付近にて
予定では10基以上は回りたかったのですが、8基目の田口村道路元標で本日は終了、浅間山を正面に佐久市街まで夕刻の道を急ぎます。
本日の走行99.05キロ。
【547】 長野県 南佐久郡 川上村
【548】 長野県 南佐久郡 南牧村
【549】 長野県 南佐久郡 北牧村 (現 小海町)
【550】 長野県 南佐久郡 小海村 (現 小海町)
【551】 長野県 南佐久郡 南相木村
【552】 長野県 南佐久郡 海瀬村 (現 佐久穂町)
【553】 長野県 南佐久郡 栄村 (現 佐久穂町)
【554】 長野県 南佐久郡 田口村 (現 佐久市)
道路元標蒐集サイク(信州篇 1日目)
今回は信越本線黒姫駅からスタートです。 ここへは2002年9月に峠おやじN氏の千峠達成の折に信州へ先乗りしてS翁他と走りましたが、今日は黒姫山も飯縄山も綺麗には見えませんでした。
日本三大車窓と云われる姨捨駅ですが、少し霞んでいて善光寺平の展望は今ひとつです。
姨捨の棚田、稲刈りの真っ最中です。
午後には少し晴れてきました、NHKの取材クルーがきています。
差切峡と呼ばれる峡谷沿いの県道を生坂村に向かっています、車が少ないのは良いのですが、大した展望でもありませんでした。 本日の走行71.5キロ、道路元標は12基、KHSとは云え輪行の繰り返しでくたびれました、今夜は松本泊りで明日は小海線沿線に向かいます。
【535】 長野県 上水内郡 信濃尻村 (現 信濃町)
【536】 長野県 上水内郡 高岡村 (現 飯綱町)
【537】 長野県 上水内郡 中郷村 (現 飯綱町)
【538】 長野県 更級郡 八幡村 (現 千曲市)
【539】 長野県 更級郡 桑原村 (現 千曲市)
【540】 長野県 更級郡 稲荷山町 (現 千曲市)
【541】 長野県 更級郡 塩崎村 (現 長野市)
【542】 長野県 東筑摩郡 坂井村 (現 筑北村)
【543】 長野県 東筑摩郡 麻績村
【544】 長野県 東筑摩郡 坂北村 (現 筑北村)
【545】 長野県 東筑摩郡 本城村 (現 筑北村)
【546】 長野県 東筑摩郡 生坂村
東吉野サイク
一昨日、T御大から何処か走りに行こうとのお誘い、体力もモチベーチョンも下がりきっているのであまり気も進まないのですが、一応石舞台0930、芋峠から津風呂、東吉野方面約90キロと云う事にしてR氏の掲示板の告知していたのですが、急な事だし3~4人でも集まればと思っていたら、集合場所には7人も集まってしまいました、鉄人Kさんを別にすると、病み上がりとか最近走っていないとか、どうやら今日は程々のペースで済みそうなのでとにかく一安心。
石舞台前にて、相変わらず元気一杯な鉄人Kさん(左)
稲渕まで行くと毎年恒例の「案山子コンテスト」をやっているので見物がてら朝風峠まで往復する事に
稲渕から栢森、定番の芋峠(498m)へ向かいます。 最近この峠道もロードやクロスバイクの姿をよく見かける様になりました、これも天五さんのお陰(^_^)
かねてから問題のGARMIN GPSの不具合、この芋峠への登りでは確実に発生するのですが。 最近気圧高度計内蔵のVista HCxに買い換えたA氏と私のLEGEND HCx(右)を並べるとなんと示す高度は396mと140m、この付近の標高は約400mですから、私のLEGENDは無茶苦茶な値を示している訳です、原因はGPSの測位が狂っている訳ですからVistaの方の軌跡も同様に狂っている事には違いないのですが。 この不具合については日本語版代理店の「いいよねっと」の方に今年6/26に報告し、調査するとの返事は貰っていますが、今だに回答は来ません。
芋峠を下ります
津風呂湖畔でお昼の休憩の後、湖畔から入野峠、東吉野小村に「みたらし団子」屋に立ち寄ってから「投石の滝」を目指します。
← 芋への登りでは元気だったR氏も、50キロを越えたあたりからお疲れモードに
「投石の滝」、遅れて着いたので見ていませんが、昨年のお二人に続いてT御大が「行水」をしていたとか.. .昨年は8月14日でしたが、さすがにもう寒いとは思いますが。
「投石の滝」を後に染谷峠(712m)まで、本日最後の登り
染谷峠
本日の走行92.4キロ
道路元標蒐集サイク(丹後編)
豊岡から北近畿タンゴ鉄道で3駅目の甲山駅まで輪行し走り出す事に。 実は「青春18きっぷ」を持っていると北近畿タンゴ鉄道内を\500で乗り放題の「KTR青春フリーきっぷ」なるものが買えるのですが、豊岡駅では8時からの発売なので買う事ができませんでした、西舞鶴や福知山では7時半からの発売で、前売りもしてくれませんので、前日に現地入りすると買いにくいと云うおかしな事に。
まずは熊野郡の川上村道路元標から、ちょっと道路元標の建つ場所とは思えない鄙びた処、農家の庭先にちょこんと建っています。
上佐濃村と五箇村を回り、北近畿タンゴ鉄道を峰山駅から野田川駅まで2駅輪行しますが、ここ野田川駅には「丹後山田駅資料室」と云うのがあって ここにはM氏垂涎の…が(^_^) 私も鉄分補給をば…
なぜだか道路元標の横で仕事中、インターネットさえ繋がれば大概の事はできます。
加悦町道路元標の向かいにあった、レトロな旧加悦町役場(府指定文化財)の建物を利用した喫茶と土産物のお店
「道の駅かや」の向かい側にある「加悦SL広場」、元の加悦鉄道の終点加悦駅です、入場料は\500、平日なので誰もいません、隣の食堂「蒸気屋」で切符の形の入場券を求めます。 左に見えているのはキハ10、大糸線などで話題になっているキハ52を含むキハ20系より一世代前の気動車(ディーゼルカー)です。
与謝峠を越えて福知山側へ越える事も考えたのですが、大江山の方は雲に覆われていて、いつ降って来てもおかしくない様子、で「加悦SL広場」で折り返す事にして「加悦岩滝自転車道」全線を突っ走って岩滝まで走ります、サイクリングロードと言うより、地元の人の通学や買い物にと利用されていて、トイレやベンチと良く整備されていていますが、ただ岩滝側の入り口など自転車道へ入るまでの案内が非常に少ないです。
岩滝口駅では次の列車に時間があるので次の天橋立駅まで行きますが、まさに雲行きは怪しいです。
天橋立1508発の西舞鶴行きに乗車し早めの帰途に就く事に。
あくまでも普通列車なのですが、実は天橋立まで特急で来て、JRの特急「北近畿」に接続するので、残りの西舞鶴までは回送の様な運用で、ご覧の豪華な車両に女性車掌付きで乗車できます、通学の高校生も乗ってきたりしますが。 【514】 京都府 熊野郡 川上村 (現 京丹後市) 【515】 京都府 熊野郡 上佐濃村 (現 京丹後市) 【516】 京都府 中郡 五箇村 (現 京丹後市) 【517】 京都府 与謝郡 山田村 (現 与謝野町) 【518】 京都府 与謝郡 石川村 (現 与謝野町) 【519】 京都府 与謝郡 加悦町 (現 与謝野町) 本日の走行58.6キロ
出石そばと城崎温泉サイク
以前からD女史と平日の空いている時に出石へそばを食べに行こうと云うプランがあったのですが、長期海外出張を控えたそば通のら~氏に「食べ納め」にと代休と取って貰って3人で行く事に。 スタートは和田山駅から、小さな峠越えで出石に向かいます、南側からとしては楽そうなルートを選んだのですが、影の少ない正午前後で結構堪えました、個人的に(^_^;)
3人で都合41皿頂きましたが、大の男なら20皿はいかないとと云う話です、まだ城崎温泉まで走らないといけないので少々遠慮気味です。
出石から豊岡市街を避け円山川右岸の未知のルートを5万図頼りに1時間余りで走り抜け、駅前の立ち寄り湯に入って少し飲んで帰途に…
城崎温泉駅にて、私は豊岡泊まりと云う事にお別れします。 .
本日の走行50.9キロ
丸山千枚田サイク(1日目)
予定通り今日明日と三重県熊野市(旧紀和町)の湯の口温泉1泊で丸山千枚田周辺を走りに行ってきます。 以前からDさんからのリクエストがあったのですが、千枚田だけでは面白く無いので、運休していた湯の口温泉のトロッコの再開を待っての企画、つぃでに吉野郡下北山村で道路元標500基目を達成する予定です。 一応車載での計画だったのですが往路は私が自走、復路はT御大が自走、T御大はともかく、私は頚の方の調子は今一つ、果たしてどこまで走って行けるでしょうか… 0530 新鹿路トンネル、ずいぶん楽になりましたが、あの旧道を経由しなくなったので格段に交通量は増えてしまいました、さすがにこの時間はすいていますが。
小島峠、三茶屋、入野トンネルを経由して0612「紙すきの里」として知られる吉野町窪垣内へ
大迫ダムの少し手前 0754 柏木、あまり知られていませんが、旧道に入ると廃業した古い旅館が並んでいます、かつて大峰登山口として賑わいました、朝日館は今も営業しています。
0934 伯母峰ループの5つのトンネルと新伯母峰トンネルを無事通過、しかしこの時期は車が多くて命懸けです。
Dさんの車は予定より早く走ってきた様で、行者還への分岐のある天ヶ瀬の手前で追いつかれてしまいました。 走行約65キロ、ここでT御大と交替する事に。
下北山村池峯で再び合流、T御大と2人で走る事に。 ここには明神池と云う池と巨木に囲まれた神社があって、ちょっとした穴場の休憩ポイントです。
下北山村寺垣内で、道路元標500基を達成。 、峠おやじN氏の1000峠達成の時も私が作ったのですが、誰も作ってくれないので自分で作りました(^_^;)
14時過ぎには湯の口温泉元湯に到着、最近は近辺に多くの温泉ができましたが、ここは鉱山跡にある古くからの湯治場です。
ここには廃坑を利用したトロッコがあります、何度も乗っていますし、正真正銘のトロッコで乗り心地の方は…’頚’に良くないので今日は遠慮させて頂きました。
青春18きっぷの旅 (鳥取篇)
今日は「18きっぷ」で鳥取まで往復する事に、自転車はもちろん一応道路元標も抜きで、記念すべき500基目は8/13に奈良県下北山村で達成させる予定です。 でも鳥取県は全く以て現存情報のない県ですから、もしも「元標」が目の前に突然現れれば話は別ですが、基本的に今日は”乗り鉄”モードです。
鳥取市へはまともに「18きっぷ」で行くと午前中には辿り着けませんので、鶴橋まで近鉄、上郡から佐用、智頭と第3セクターの智頭急行の区間を特急「スーパーはくと1号」に乗車(特急券込みで\1,670)、関西圏から高速道路のない鳥取市へ最も早く行ける手段なので5両編成となった今も結構混んでいます。
案の定上郡からだと座れませんでしたが、再びJRとなる因美線智頭駅で下車して普通列車を待ちます、鳥取まで乗ってしまうと後\1,300余分にかかってしまいます。 智頭急行区間内は運転手も車掌も入れ替わります。
鳥取駅1055着、市内は全く以て勝手が判りませんがバスターミナルへ行くと市内循環のバス「くる梨」が\100均一運賃で走っているので、これを利用する事に。 鳥取砂丘とかの観光地へこそ行きませんが、県庁、市役所、文化会館と云った公共施設をまわってくれます。 右周りと左周りがありますが、ルートが違うので青コースと赤コースと呼んでいる様で、なんと\300の1日券もあります。 ただ市内を周回するので場所によっては余計に時間がかかってしまう場合もありますが、従来の路線バスも「くる梨」と重なる区間は運賃が\100になっているのです、帰りは路線バスが早く来たので乗ったら半分以下の時間で鳥取駅に戻ってしまいました。
↑ 廃食油利用のバイオディ?ゼル燃料車です。
道路元標抜きと云いましたが… 県立公文書館へ資料の探索に。 ネット検索で大正9年県告示を見ることができる事はわかっていましたが、現実は…
書庫から出してもらうと その薄さにびっくり、智頭町役場が編纂したもので、かなりと云うか殆どといって良い程、抜け落ちています。 大正12年、13年に至っては未記入の目録用紙が1枚はさまっているだけで、恐らく後年智頭町役場が散逸している古い県公報をまとめようしかけていたのでしょう。
大正9年4月1日、鳥取県告示第135号「県道ノ路線左ノ通認定ス」と云うのがあったものの、その次は4月22日の第155号まで抜けています、「道路元標ノ件」はこの間にあったのでしょうか。 お隣の島根県は秋鹿村、高知県は田野町でしたが、大正期とは云え近代の県公報が逸失してしまって、周辺市町村に頼っていると云うのは、日本の公文書管理ってどうなっているのでしょうかねぇ…
鳥取から「18きっぷ」を利用して鶴橋経由で桜井に戻る最終は、山陰~福知山線経由か山陰~播但~山陽経由の何れでも1622発、因美線で東津山、姫新線で姫路と云う’ヲ’なルートでは1526発となりますが、接続が良く意外に早く帰る事ができます。 今日は余裕があるので、38年ぶりに若桜鉄道(旧国鉄若桜線)に乗車、終点の若桜まで往復し、これも38年ぶりの因美線智頭以南に乗車して姫路経由で帰途に就くことにしたのですが、郡家駅で乗り換える頃から雲行きが怪しくなってきた上に、因美線のダイヤが乱れ始め、若桜行きは10分以上遅れて到着します。
並行する国道29号線が立派になって交通量が多い事を除けば、駅舎や鉄橋、沿線風景に結構昔の雰囲気が残っています。
← 若桜駅構内、第3セクターとなって駅舎の手前に車庫が新設されています。
若桜駅の奥にC12 187が保存されていますが、これは兵庫県多可郡の旧加美町役場に保存されていたものを譲り受けてきたものです。 私の知る往年の国鉄若桜線ではC11が使用されていて、C12が使われていた記憶はありませんでしたが、C12 167は終戦前後に若桜線で使われていた様で、その後加古川線に転出した様です。
さすがに一閉塞の盲腸線、終点の若桜駅に着く頃には殆ど遅れを回復していたのですが、若桜駅での定時での折り返し時間は6分、夕方の通勤通学時間帯に備えて職員総出で2両編成に。 天気が良くて時間があれば若桜の街並でも見てみたかったのですが… しかし郡家駅に戻る頃には雨は激しくなり、凄まじい雷雨に。
若桜駅では今も窓口で硬券の乗車券が買えます。
JR因美線は智頭を境に、智頭急行と直通運転もされ1日13往復もの特急が走る北側と、数往復の普通列車だけが走る南側に別れてしまっていて、今では全線を通して運転する列車はありません。 ← 智頭駅にて、鳥取側はJRのキハ40系((殆どは首都圏色)に若桜鉄道、智頭急行の車両が乗り入れてきます、津山側はキハ120の単行です。
東津山での姫新線への接続がタイトなので遅れが気になる処なのですが、間に合わなくても津山線経由で岡山回りでどうにか帰る事はできます。 どうやら雷雨も収まり、単行の津山行きキハ120が物見峠の長いトンネルを越え岡山県側に入ったものの、美作河井駅で停まってしまい、その後運転士と運転指令とのやりとりで降水量が規定値を越えたとかでこの先の運転が中止になってしまいました。
「18きっぷ」の期間とあっていつになく多い乗客、どうやら代行バスが用意される様で、運転士は一人一人に目的地を訪ねて回ります、どうやら大阪へ向かうものも私を含めて2,3人いる様です。 運転士に食ってかかる様な人はいませんでしたが、明らかに’鉄’とおぼしき族がなにやら嬉しそうにウロウロしたり、運転士に何だかんだと云うのがいささか目障りです。 代行バスは既にこちらへ向かっているのかと思っていたら、18時を回ってからようやく代行バスが津山を出たの情報が、津山駅と美作河井駅は道路で約28キロ、往復1時間半はかかる計算になります、それでは岡山に出ても「18きっぷ」では大阪まで帰れても、とても桜井へは帰りつけません。 大阪の実家で泊まると云う手も無くは無いし、最悪大枚はたいて新幹線で帰る手も。 岡山なら安いビジホもあるし、Let’Note持参で来ているので資料は整うので、岡山南部に残している元標3つを回る手も、香川県立図書館に行ってみたい気もするのですが、明日は夕方には帰っておいた方が都合が良い予定もあるので、とにかく大阪へ向かう事を優先する事にします。
私の向かいに座っていた人も大阪で、御堂筋線が動いている時間に帰れればどうにかなるそうです。 実は彼も”;隠れ鉄”;だったのですが(^_^)
18時45分、津山駅へ向かう代行バスと途中駅へ向かう2台のタクシーが到着、見送る運転士に「お世話になりました」と労ってバスに乗車、とりあえずは19時51分津山発の津山線岡山行きの快速には乗れそうなのですが。 ところでここ美作河井駅は元の加茂村ですから、「八つ墓村」のモデルになった津山事件のあった処です、この話を先の’隠れ鉄’氏と話していたら、バスの運転手が右手の山腹を示して「二十七人殺し」の場所はあの辺りですよとの事、ん、津山事件は三十人殺し(「八つ墓村」では三十二人殺しとなります)では、二十七人ってこのバスの乗客の数ですよ(*_*) 信号の無い県道で思ったより早く津山市街に、接続を再度「乗換案内NEXT」で検索すると、19時28分津山発の姫新線佐用行きに乗り智頭急行で上郡へ出ると、智頭急行の\470を払う事にはなりますが、大阪へ2258着で帰れる事が(^_^)v バス内でJR職員の電話でのやりとりを耳にしたのですが、「18きっぷ」で広島へ向かっていた乗客もいるとか、本来何の補償もない「18きっぷ」ですが、場合によっては新幹線利用で送って貰えるのかも、ゴネ得だったりして。 幸い八つ墓明神の祟りもなく無事に津山駅到着、佐用行きにぎりぎりで乗車でき、先の’隠れ鉄’氏とともに大阪へ帰ってきました。
大阪環状線ホームの雑踏へ、後はいつもの鶴橋23時28分の八木行き快速急行にさえ乗れば、五位堂で榛原行き最終が待っています。
桜井 0528 → 鶴橋 0622 (610円)
鶴橋 0629 → 大阪 0645 2,210円
大阪0652 → 姫路 0754
姫路 0800 → 上郡 0834
上郡 0902 → 智頭 0942 (1,260円+410円)
智頭 1009 → 鳥取 1055 570円鳥取 1410 → 郡家 1423 230円 郡家 1438 → 若桜 1508 (若桜鉄道420円)
若桜 1516 → 郡家 1546 (若桜鉄道420円)
郡家 1550 → 智頭 1619 1800円
智頭 1629 → 津山 ****
津山 1928 → 佐用 2027
佐用 2034 → 上郡 2053 (470円)
上郡 2121 → 姫路 2154 2820円
姫路 2157 → 大阪 2258
大阪 2303 → 鶴橋 2318
鶴橋 2328 → 桜井 0008 (610円)
「青春18きっぷ」で7,630円分乗車
高野ポタ追撃
ドッグ入りしていたKHS、朝から近鉄八尾駅までEさんに配達して貰いました。 このまま輪行して帰るのも何んなので少し走る事にして、大和川方面へ向かいます。
走ってみると体の調子も悪くありません。 今日は9さん一行が高野山内ポタの後、宿(やどり)温泉へ下る計画。 もう時間は9時ですが宿なら高野下まで輪行して少し走れば迎撃可能かもと、近鉄道明寺線に乗車。
いつも石川サイクリングロードから見ている道明寺線、乗車するのは何年ぶりでしょう。
9さんに連絡を入れると、高野山内には14時から14時半頃までいる予定とか、ならばと河内長野で南海電車に乗り換えて高野山へ。
先々週に続き極楽橋からケーブルカーに乗り換えますが、夏休みで日曜のこの時間帯ともなると観光客も多いですが、さすがに標高800mの高野山は涼しいです。
高野山内の喫茶店で無事合流しましたが、今日は基本的に「グルメポタ」と云うか「高カリリーポタ」です。
昼食は確か「天ぷら蕎麦膳」だっけ\1500也、ゴマ豆腐が美味しかったです。 なにせ仮の歯が入っているもので、いつになく食べるのが遅いです(^_^;)
食事の後は名物の「あんぷ」、1個戴きましたが、ものがものだけに慎重に戴きます。
摩尼トンネルから「やどり温泉」までは標高差500m以上のダウンヒル、今日は鉄人Kさん以外は全員小径車ですが、決して小径車で下る道ではありません、皆んなに先に行って貰いゆっくりと下る事にします。
宿(やどり)でdさん、Nちゃんと別れて温泉へ。
犬戻りで狼頭峠を越え自走で帰途に就く鉄人Kさんとお別れ、九度山へ向かい、ちゃっかりとら?さんの車に便乗させて貰い帰途に。 走行37.5キロ、走行時間は2時間程ですから輪行していた時間の方が長かったです。
‘マリーナシティ’には行けなかったけど…
右肩と上腕の痛みで9さん主催の 「暑いけれどもマリーナシティ 」への参加は無理だなぁと思っていたのですが、集合場所の九度山からR480市峠を皆と一緒に越えて行くのはともかく、集合時間が遅くなったので高野山まで輪行して先回りすれば、後は真国川沿いの下り基調の道なので何とかついて行けそう。 とは云っても和歌山線五条駅の下り始発に乗ろうとすれば夜中の3時過ぎには出発しなければならない、とにかく起きたら行ける処まで行くと云う事でKHSで出かける準備をしました。
3時過ぎ出発、月も沈んで真っ暗な道だが走り慣れたコース、予定通り吉野口駅前を1時間で通過、重坂峠を越え五条駅前にはKHSでは余裕の時間で着いてしまったので、南海紀伊清水駅まで走る事に、橋本の次と云うより対岸の紀伊清水まで来ると、乗換なしで階段を登り降りする必要がないので楽なのです。 でもここまでで既に38.4キロ走行してしまいました。
↑ 0540発高野山行きの始発に乗車します。
極楽橋でケーブルカーに乗換て0628高野山着、標高900m近いのでさすがに涼しいです。 なお高野山ケーブルは下の極楽橋で38‰、上の高野山で50‰を越える斜度があるので、あらかじめ先頭に乗っておくのが正解、でも輪行袋にSPDシューズではかなり階段がかなり危険なので、万が一のために他の乗客が登り終わって後から行くのが良いと、場所柄年配の人も多いですから。
予定のコースに入るには、元の高野山道路現R480を下り矢立から花坂、梨木ノ峠を越えれば良いのですが、最近新しいトンネルができて梨木ノ峠を越えなくても良くなっているのですが、花坂で今まで通りに右折したもののトンネルどころか元の峠まで登ってしまいました。 どうやら新しいトンネルは花坂をR370側に暫く行った処から入って行く様なのです。
↑ 梨木ノ峠、東側は知れていますが、西側は結構な峠道です。
合流点の下志賀には8時頃着、1時間近くは先行しているかも知れないので、道路元標の探索をしながら、のんびりと真国川沿いの県道3号から4号を細野キャンプ場のある垣内まで走ります、ここから先は新旧の道が錯綜しているので追い越されてもいけないので、暫し待つ事に。
← 9時半には一行8名が到着。
← 面子が揃った処で集合写真を、
実は待っている間にとアイスクリームに手を出したのが間違い、外側は白くて柔らかそうな’アイスまんじゅう’、中のあんこがカチンカチンに凍っていて、ガリッと差し歯を折ってしまいました(>_<) 実は昔々ツーリング中、那智勝浦町の山奥の小匠と云う処で’あずきバー’で同じように差し歯を折っているのです。
R370との合流する処まで下ってきました、echigo3さんとしばさんとは今回初めてご一緒します。
暫くR370を走ると、元の野上電鉄の廃線跡が歩道として供用されていて、重根(しこね)駅の跡はトイレもある休憩ポイントになっています。
← 今日はノートPCをフロントバッグに入れてきました、T5さんが自身のBlogを閲覧中。
肩と腕の痛みもさる事ながら、前歯がないので’マリーナシティ’へ行っても美味しいものも味わって食べられませんので、ここで皆さんとお別れして泣く泣く海南駅から輪行して帰途に就く事にしました。
皆さん、美味しそうな寿司やサシミをたらふく食って帰ってきたそうで、貴志川駅では残念ながら’タマ’駅長はお休みで逢えなかったそうですが。
和歌山駅まで来ると王寺行きには42分も時間があります、ならば以前から予定していたKHSのドッグ入り、今から預けに行こうと阪和線に乗り堺へ、で手ぶらになって混雑する休日のなんばを経由して桜井へ帰ってきました。 本日の走行100キロ越えました。
← 実は10代、20代を堺で過ごし、この駅も通学で通っていましたが、回りは様変わりしてしまった全く判りません。