「自転車」カテゴリーアーカイブ

「南の海へ」205.3キロ ②

和歌山県東牟婁郡串本町 橋杭岩にて

 予定通りと云うか12時過ぎには熊野本宮に到着。七色高架橋を下り本宮道路を始めて走りましたが、従来熊野川が蛇行していた部分を3つのトンネルと2つの橋で一気に貫いてしまいますから、楽には楽ですが味も素っ気もありません、一昨年10月同様、北向きに走る時はやはり旧道かな。なお本宮道路を走ると道の駅「奥熊野古道ほんぐう」はパスしてしまいます。本宮の鳥居の前で十津川で買った「めはり寿司」を頂きます。
 最近「穴蔵」氏によって現存が確認された請川村道路元標を訪座、和歌山県下で現存が確認された18基目の道路元標となります。請川村は昭和31年のいわゆる「昭和の大合併」で本宮町となり、その後は「平成の大合併」により田辺市となりました。私にとっては1,053基目の道路元標です。
 道路元標の表通り、R168沿いにあるヤマザキストアにて補給、本宮前よりこちらの方が品揃えが良いです、営業時間は8時から19時。川湯温泉や大塔安川林道への県道241号への分岐に当たります。ここから新宮でR42に入るまでの約30キロが交通量も多くなってきて結構ダルい区間です。

 新宮市、旧熊野川町域に入り、1319にはR169との合流点宮井大橋へ。奥瀞道路の整備とともに架け替えられ、古い橋は撤去されてしまった様です。

 

 宮井大橋を過ぎ北山川と合流すると熊野川の対岸は三重県となり、三和大橋が見えてきます。これより下流はR42の熊野大橋まで対岸に渡る橋はありません。なお左岸には県道740号小船紀宝線が通じています。
 新宮市は熊野川河口右岸に発展した町ですが、南西側から山が迫っていてR168だと越路トンネル、R42側は小さな峠越えになります。自転車は古い方の越路トンネルへ誘導され、トンネルを抜けると新宮市街です。1430にR168を走り終えR42へ入ります。しかしまだまだほっとしてもいられません、潮岬までは後50キロは走らなくてはいけません、とにかく明るい内に潮岬到着が目標です。正直云ってこの先のR42がネックになっていたのですが、前半セーブしたお陰かここまで脚を残して走ってこれました。

 新宮市街では海を見られませんので三輪崎で海岸寄りの旧道へ、南の海です(写真左)。R42に入ってからは河川や線路を跨ぐ度に細かなアップダウンが続きます。基本海岸沿いなのですが、太地町と紀伊浦神~紀伊田原間で内陸側に入ります。紀伊田原で少し荒船海岸へ立ち寄ってみます(写真右)、ガードレールのない海岸の一車線路が続くのでなかなか絵になるのですが、既に日影になってしまっていて写真的には今一つ、次の機会に。
 古座町が串本町と合併したために古座川を渡るまで串本町の標識が現れるので些か奇異な感じが。そう云えば古座川町には海岸がなくて全て古座町でしたね。
 荒船海岸で既に大島が見えていましたが、橋杭岩まで来るとくしもと大橋と陸繋島の潮岬が見えてきました。 串本の街に入り、潮岬の入り口にあるクロネコヤマトで留め置きに荷物を受け取ります、リュックを入れていた空箱は、明朝また送るからと営業所に置いておいて貰う事に。リュックを担いで潮岬へ、キャンプ場のある望楼の芝まで5キロ程なのですが、標高で70m程登らなくてはなりません。ともあれ1745には本州最南端潮岬に到着です。色々と悩みましたがasuka号で来たのが正解だったのかも。重いのは重いのですが、ロードに比べると体にやさしいと云うか、気分的にも楽に乗っていられるのは200キロの長丁場には差がでたのかも。今年になって180キロ台は2度あったものね、何と7年ぶりの200キロ超。後半どうにかモチベーションを維持できたのも良かったかと。


 さて宅急便で送ったキャンプ用品はテントとマットだけ、夏の平地キャンプですので寝袋もなし、食事は元より外食のつもりですが、さすがにそれも寂しいのでお湯を沸かせる準備だけは。もう2年使っているケトルです。日曜の夜ですので先客は数名、自転車も2人程いる様です。
 設営を済ませ風呂と食事に串本の街へ往復、串本は町と云っても24時間営業のスーパ-やホームセンターなどもあって補給などにも便利な処です。街への往復を含めて本日の走行219.0キロとなりました。
 なかなか来れない南紀ですから、明日は瀧の拝~篭~小匠と回る予定です。

5/15 「東の海へ」(鳥羽市鎧崎)

6/13 「西の海へ」(和歌山市加太)

7/29 「北の海へ」(宮津市由良海岸)

8/19 「北の海へ Part.2」(小浜市)

 

「南の海へ」205.3キロ ①

和歌山県東牟婁郡串本町 潮岬

 東西南北の海を目指すツーリング、asuka号にするか、東西北と走ったErbaロードにするか二転三転、悩んだ挙句に結局はasuka号で行く事にしたのですが、フロントサイドはやめて、テントにマットと最小限のキャンプ道具だけをリュックに詰めて、串本のクロネコヤマトに営業所留めで送っておきました。帰りの時間を気にしながら走り、トンボ帰りの輪行をしなくても良いとは云え、200キロ余りを走り営業所の営業時間内に串本に辿り着く必要がります。なおキャリアはフロントだけにして、キャラダイスのサドルバッグ用にバッグサポーターだけ装着します。輪行袋と着替えの一部をサドルバッグに押し込みますので、身に着けるのはウェストポーチのみです。ロードの人が大きなバッグを背負って走っているのを時々見掛けますが、肩への負担や背中からの放熱を妨げるので、私はツーリングではやりません、ヒップバッグの類が精一杯ですね。ただ今回はヤマト運輸の営業所から潮岬までリュックを背負って数キロ往復するのですが。あと「自撮り」用の三脚をサドルバッグのフラップ部分に挟み込んでいます。
 さて、五條辺りで明るくなりだす様にと、0324桜井を出発します。真っ暗とは云え明日香村から吉野口駅前、重阪(へいざか)峠と走り馴れた道を走ります。予定通り東の空が白み始めた頃には五條市街へ入りR168へ。五條病院前のコンビニで補給を、このファミマは吉野川左岸側唯一のコンビニ、この先R168には新宮までいわゆるコンビニの類いは皆無、十津川温泉に商店、旧本宮町だった田辺市域にヤマザキストアが2軒ありますが24時間営業ではありません。もとより紀伊半島内陸部は何もないと思って貰った方が良いです。
 暫くは素直にR168は走らずに五新線バス専用道跡に沿った道を行きます。専用道跡、よいこは走ってはいけません。せめて生子(おぶす)トンネルだけでも通れる様にして貰いたいものです。
 宗川野で再びR168と別れ立川渡経由の旧道を、ここには西吉野大滝と呼ばれる立派な滝が、真横を通るので迫力満点、たっぷり冷気とマイナスイオンを浴びながら小休止。
 昨年、R168側の崩落で急遽仮設橋が架けられた区間も復旧がすんでいました。旧道は西野トンネル口で現R168に合流し、0743今日のピークとなる新天辻隧道(646m)に到着。まだ早い時間だとは思うのですが、休日とあってバイクが多いのには閉口します。な訳で騒がしそうな道の駅はパスして阪本へ下ります。
 旧大塔村には狭い区間も残っていますが、R168の高規格化がどんどん進んでいます。いつもなら旧道を縫って走るのですが、通れるか通れないかの案内が曖昧ですし、今日は先を急ぎますので、谷瀬の吊橋(写真右)を望む上野地以外は全てバイパス区間を行く事に。各所で行われているバイパス工事や災害復旧工事が落ち着いたら、旧道を縫って走って行くのも面白いかも。
 一応、果無を午前中に越えると云う目標を立てていたのですが、どうやら目処がついたので風屋ダムで休憩とし、五條で仕入れておいたコンビニ弁当を頂きます。ここには清潔に整備された四阿やトイレがあって、のんびり休憩するにはうってつけです。
 風屋花園バス停、30年程前でしょうか、初めて新宮を目指した時、とても明るい内にはたどり着けないと早々に諦めて、ここから奈良交通の路線バスに輪行させて貰い引き返した事がありました。確かその時はミヤタのロードでしたね。
 1035、道の駅「十津川郷」に到着。日曜日とかは足湯の横で市が、丁度めはり寿司があったので頂きます、350円也。
 十津川温泉、温泉位立ち寄って行きたいところではありますが、まぁ昨夏も浸かった事ですし、次の機会にと。
 天辻峠を越えると熊野川(新宮川)沿いに下り基調のR168ですが、十津川村の南端、果無山脈が熊野川に落ち込む処で標高差100m余りの登り返しがあります。短いトンネルを幾つか抜け、眼下に二津野ダムを見下ろす辺りから下りとなり七色高架橋へ、下りきった辺りで十津川村と別れ和歌山県となります。距離こそ折り返したものの、潮岬まではまだまだ100キロ近くあります。(つづく)

 

 

 

「南の海へ」さて、どうしたものか

 海のない奈良から東西南北の海を目指すライド、残るは「南の海」行き先は和歌山県串本町の潮岬、本州最南端でもある訳です。さて今週末の27日(日)に行く事に決めたのですが、潮岬へは過去何度も行っているものの、一日で潮岬まで走った事はありません。新宮までは同様に何度も行っているのですが、その先潮岬までの約50キロは、海岸沿いに交通量の多いR42を走らなけらばならない事、桜井まで日帰りとなると串本駅が1843発のくろしお34号が最終、まして「青春18きっぷ」で帰って来ようとすれば1649発が最終となってしまうのです。桜井から五條経由で200キロ余りの道のりを走り、この時間はかなり厳しいと云えます。
 まぁ何処かに泊まれば済む話なんですが、余計なお金は使いたくありませんし、ならば過去に何度も使っている潮岬の無料のキャンプ場(現在は有料となる期間があります)に泊まれば、串本町には食事のできる処は幾らでもありますし、スーパーマーケットもあります。泊まるだけの最小限のテント、マット、寝袋(この季節の潮岬ならまず不要)さえあれば、基本リュックなどを担いで走る事は良しとしませんので、とりあえずリュックに押し込んで宅急便にして、潮岬の入り口にあるヤマト運輸の営業所から少しだけ担げば良いかと。ならば輪行袋や帰りの着替えも送っておけば、ERBAロードを駆って殆ど身一つで走って行けるではないかと。
潮岬望楼の芝キャンプ場のご利用について(PDF)
 とその様に決まりかけていたのですが、翌々日の29日の夕方まで時間がとれる事になり、そうなるとただ泊まって帰ってくるだけでは勿体無い様な気がしてきて、周辺には行きたい処は幾らでもありますし、最近ちょっとご無沙汰の「自撮り」もしたいし、そうなると三脚も必要、ロードでは不安な場所もあるし。asuka号を28Cに、リアのガードを分割式に換装して走って行けないかと、良からぬ考えが首をもたげできたのです。asuka号で200キロ以上走った事は何度もありますが、28Cとは云えパセラで辛いかも、2010年7月にツアラーの28Cで周山まで往復222キロを走ったのが。

 

北の海へ Part.Ⅱ


福井県小浜市 小浜公園にて

 東の海へ「鳥羽市鎧崎」、西の海へ「和歌山市加太」、北の海へ「宮津市由良海岸」に続いて南の海へとなる処なんですが、5月にNちゃんと行った「北陸本線廃線跡と河野しおかぜライン」の時に話題になった京都市街を車と信号に煩わされずに通過するルート。元より京都市内に土地勘のない私は、自転車道を嵐山まで走り、そこから北上する事はあっても、車の多い京都市街を走り抜けて鞍馬や大原方面に向かう事はありませんでした。Nちゃんの話によると桂川沿いの木津八幡嵐山自転車道の途中から鴨川の川べりを出町柳辺りまで走る事ができるとの事。京都市内に詳しい方なら当たり前の事なのかも知れませんが、自転車道から出町柳までワープできるとしたら今まで敬遠していた左京区方面へも足が延ばせると云うもの。早速Nちゃんに道案内をお願いして、取り残している大原村道路元標をゲットしつつ、鯖街道をまだ自転車では行った事のない小浜に向かおうと云う事になったのです。
 御幸橋さくらであい館前に7時に待ち合わせる事にして、桜井を4時過ぎにスタート、まだ暗い上街道を北上します。西名阪下、奈良市中辻町と木津川市梅美台西3で信号に捕まっただけで、足つき3回、停止時間1分00秒で流れ橋に6時19分に到着、休憩と時間調整をして御幸橋へ向かいます。
 さくらであい館前には既にNちゃんが到着、休日とあってローディの姿も多いです。さて桂川沿いの木津八幡嵐山自転車を北上し、いつもの久我橋を渡らずにそのまま鴨川の左岸を行きます、少々ダートと云うか未舗装部分がありますが良くしまっていて、雨の後でもない限りロードでもさして問題はなさそうで、通勤通学の自転車のルートとして結構利用されている様です。対岸に見えているのは阪神高速8号京都線。この後、近鉄京都線の鉄橋をくぐり、R24勧進橋で右岸に渡ります。
 JR奈良線と東海道線をくぐると暫くで七条大橋が見えてきますが、右岸側(写真左)は行き止まりになりますので、手前の塩小路橋を渡り再び左岸に。
 対岸に京都名物の納涼床が見えてきます。この辺りで時刻が8時になっていますが、時間とともに観光客が増えてくるそうで、自転車での通行は難しくなるとか、このルートは早朝に駆け抜けるのが肝ですね。鴨川と高野川が別れる処が見えてきたら出町柳です。川べりの道はまだ続いている様なのですが、だんだん走りにくくなる様ですので、一般道に上がり高野橋東詰からR367となります。なおここまでサイドバッグ支度でも問題はなさそうです。
 しかしR367に入ると車が多いですね、土曜日ですので、結構ダンプとかも多いです、時間が経つと観光バスなんかも多くなるかも。八瀬を過ぎた辺りからNちゃんのガイドで旧道を縫って走ります、こちらは快適です。
 大原ではコンビニ休憩の後、今回の目的の一つ愛宕(おたぎ)郡の大原村道路元標を訪れます。1,052基目となります。

 

 最初の峠となる途中越へ、滋賀県に入ります。トンネルを避けて集落の中の旧道へ。
 途中越の次は今日のルートの最高点になる花折峠(591m)、トンネルを避けて近畿自然歩道となっている旧道へ。ロープや鎖で車は入れない様になっていますが、比較的新しいアスファルト舗装が続きます。展望のない峠ですが、朽木鯖街道最大の難所だっただけに、峠名を印した立派な石碑が。

 朽木側で崩落している部分がありましたが、自転車の通行には問題はありません、現R367に合流してからも、断片的に旧道があるのですが、災害で流されたままで通れない区間もあります。
 12時過ぎに朽木宿に到着、道の駅のレストランは1,000円のバイキングだけだそうで、国道から離れ朽木宿の中の「丸八百貨店」へ、もとはその名の通り3階建ての百貨店だった様ですが、現在は観光案内所や無料休憩所の役目を、お茶と大したもんでもありませんか食事もできます。きつねそばとおにぎりを、しめて400円也。

 レトロさも魅力ですが、気さくなおばさんがいてアットホームな空間です。
 さて朽木宿を後にしてR367檜峠(写真左)とR303の旧道水坂(みさか)峠(写真右)を越えR303に合流、寒風トンネルを抜けると福井県です。
 このルートの目玉は熊川宿となるのでしょうが、なにやら時代劇のセットみたいで、ワタシ的には今一でした、道の駅の裏側より小浜よりの一画の方が静かで良いかも。
 一軒のお店で葛饅頭を頂きます。甘さ控え目で葛の風味が良かったです。私たちの次で売り切れになっていました。
 熊川宿を後にし一路小浜へ、R27と合流し上中駅を過ぎた辺りで脇道へ。

 堤防上の良さげな道を道を見つけて突っ込みますが、書いてある通りの「通り抜けできません」の行き止まりでした。その後は県道24号に入ります、田んぼの中の真っ直ぐな道で見通しが良くて走りやすいのですが陽射しと風がね、ただそのまま行けば「鯖街道起点」を売りにしているいずみ町のアーケードへ。
 Nちゃんが指差しているのが「鯖街道起点」のプレート。アーケードを抜けて海岸の小浜公園まで走り「北の海へ Part.2」完了です。R367~R303と些か交通量が多いのが難ですが、花折峠旧道や朽木宿は愉しめました。本当は小浜をゆっくり見て回りたかったのですが「青春18きっぷ」だけで桜井まで帰る目論みですので1729発の敦賀行きがタイムリミットとなります、それでも接続のスジが悪くて桜井帰着は2323着の終電に。別ルートでの再訪を愉しみとします、本日の走行156.6キロ。道案内とお付き合いしてくれたNちゃんに感謝。

 

野迫川キャンプ(2日目)

和歌山県伊都郡高野町下筒香にて

 キャンプの朝は早いです、昨夜は寝不足とあって早々にダウンしてしまったのですが。Dさん達は結構遅くまで盛り上がってた様でして、何やら肴にされてた様な、テント越しに聴こえてきた会話の断片が記憶に….

 野迫川村は人が暮らしている処はすべて標高600m以上ありますし、この「アドベンチャーランド」も647mの標高点が記されています。昨夏手に入れたインナーがオールメッシュのこのテントでは夜中に多少肌寒く感じて敷いてただけの寝袋を被りなおす事に。まだ風雨には遭ってませんが、夏の平地なら快適に過ごせます、設営も簡単でコスパも最高ですし。
 さて、のんびり過ごしたい処なのですが、今夜は仕事の都合で遅くとも16時頃には桜井に戻らなくてはなりません。山深い野迫川村から一番楽に出られるのは野川から紀和隧道で高野町富貴方面に越えるルートなのですが、村でも南部のここから野川へ行くには1,000m前後まで登らなくてなりません、どう考えても私の脚力では後が持たないので、予定通りG氏に天狗木峠まで送って貰う事にします。
  0940、H氏に見送られて天狗木峠を出発します、野川に下るのもありきたりですので、昨日来た桜峠へ向い、高野山内には入らず摩尼隧道でR371を下ります。
 河合橋まで下った処で、久しぶりに丹生川沿いの筒香への道へ入ります、若干登り返しがありますが、紀和隧道を越えるのと大差はないでしょう。

 

 下筒香までやってきた処で、目の前に集落を見上げる素晴らしい風景が、今回は三脚を忘れてきたので「自撮り」は諦めるしかなかったのですが、ガードレールにカメラを括り付けて、どうにか撮る事ができました。
 中筒香の風景、丹生川に沿った山深い谷あいの風景が、筒香から富貴にかけては穏かな里山の風景に。 

 

 上筒香で紀和隧道から下ってきた川津高野線に合流します。

 

 出屋敷辻から県道<732>阪本五條線となり、お馴染み成金バス停を過ぎると富貴、先の筒香と富貴は昭和33年に高野町に編入されるまでは富貴村でした。野迫川村とは反対に奈良県側の五條市との関わりが強く、最近まで奈良交通のバスが通っていました。(写真右)昔はここに県界と云う名のバス停が、再び奈良県に入ります。
 紀の川へ向って豪快なダウンヒルが続き13時過ぎには五條市街へ、吉野ストアで小休止、まだ30数キロ残っていますが、筒香経由したとは云えなかなか微妙な時間です。天狗木峠まで送って貰っていて大正解、阿太から福神へいつものルートを越え、脚を残したまま吉野口から1時間以内で走り抜いて、1510無事に桜井に帰投しました。本日の走行74.5キロ。
 2日間で167.4キロ、些か強行軍の1泊2日のキャンプツーリングでしたが、ナイトランと涼しい内に高野山にアタックすると云う計画が功を奏して、8月としてはなかなか快適なツーリングを愉しむ事ができました。

 当日の写真をうちのHPの「ツーリングの記録」にアップしています。[BICYCLE]→[ツーリングの記録]→[2017]とたどって下さい。なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧頂けません。ログインは’2017’、パスワードは「CanCan謹製卓上カレンダー 2017年版」奥付右下の数字です。以前のログイン、パスワードも現時点では使用できます。私の撮影分に関しては参加者の方は再利用して頂いて結構です。

 

野迫川キャンプ(1日目)

奈良県吉野郡野迫川村 高野辻にて

 昨年は「十津川~龍神キャンプツーリング」で盛り上がったお盆のキャンプですが、今年は話しがまとまらないまま8月に、一人で出掛けても構わないのですが、格段のお盆休みがある訳でもなし人出が多くクソ暑いだけの何もこの時期にね、とか考えていた処にH夫妻が13~14日に1泊2日で野迫川に行くとの事、そこへD女史が高野山と野迫川へ宿坊や立里荒神の参籠所を利用して行くとの事で、13~14日だけでも集まろうと云う事に、ただ私は14日の夕方には帰ってこなくてはならないのがネックになったのですが、14日の朝にH氏が車で天狗木峠まで自転車ごと運んで貰うと云う事になり、あと明日香村のチネリ怪人Vivva氏が九度山デポで参加する事になり「野迫川キャンプ」の乗り合いが決まったのであります。
 11日の午後から時間が取れたので12日から走り出して一昨年の「野迫川紅葉サイク」の折に使った高野辻の四阿でゲリキャンしようかとも考えたのですが。asuka号の足回りに手を入れたり「しまなみキャンプライド」で痛めたマッドガードを直したりと準備に手を取られ結局は13日未明に出発する1泊2日となってしまいました。ただ今回はH夫妻は自転車抜きのオートキャンプですので、椅子やテーブルとかは持って行かず、見かけこそ4サイドですがテントも寝袋も夏支度で重量的にはかなり軽量化したかと。
 野迫川へのルートですが、重阪峠経由で九度山から7月2日の「高野山避暑サイク」で利用した細川から極楽橋への道を利用する事にし、明るくなり出すまでに九度山まで走り、涼しいうちに高野山に登ろうと画策してみました。
 結局何やかやで出発したのは0317、これでは五條辺りで明るくなってきそうですが、別に約束している訳でもありませんのでボチボチ行きましょう。今回は右側のサイドバッグに青色のLEDライトを着けています、追い越す車を威嚇するには充分でしょう。今夜は何とか流星群の日なのですが、いつのまにか曇ってきていて流星どころか月明かりもありません。0424吉野口駅、0449重阪峠、勝手知ったる道を快調に。
 明るくなってきた5時過ぎには五條市街へ、五條新町のローソンで最初の休憩を入れます。
 目的地は奈良県吉野郡野迫川村なのですが、高野山経由ですので一旦和歌山県へ入ります。0552県境を越え0610には橋本橋南詰を通過します。
 橋本橋南詰を過ぎ暫く紀の川沿いの自転車道を行きます、ここまで来て忘れ物に気が付きます、なんと「自撮り」用の三脚を持ってくるの忘れたのです、何のために早駆けしてきたのか意味がなくなってしまいました。

 一昨日から立里荒神の参籠所に泊まっているD女史から野迫川村の雲海の知らせが、しまったなこの季節見られる確率は低いのですが、頑張って高野辻でゲリキャンすべきだったかと。(Photo : Takako.D)
 0632九度山へ到着、このまま高野山道路(昭和62年まで有料道路でした)ことR370へ入るつもりでいたのですが、三脚なしでは「自撮り」もおぼつかないので一旦道の駅「柿の郷くどやま」へ入る事に。
 案の定道の駅では九度山デポのvivvaさんがお休み中、準備を始めだしたのですが、何やら二日酔いと寝不足でしんどそう、まぁそれでも彼なら追いついてくるだろうと細川の分岐まで先に行かせて貰う事に。
 朝の清清しい空気の中をまずまず快調に0740には細川の分岐まで登ってきました。標高的には大門までの1/3は登ってきた計算になるのですが、ここからは車に追われずに走れると思うとほっとします、お盆とあってか時間とともに車の量も増えてきている様な気もします。五條新町のローソンで調達しておいておにぎりを頬張っているとVivvaさんが到着、ここは影が少ないので八坂神社まで移動する事にします。
 八坂神社で小休止、まだ8時ですので高野山での昼食の時間を考えてものんびりと過ごせそうです。
 健脚のVivvaさんに少々離されてしまいましたが9時前には極楽橋駅への分岐に到着、このまま真っ直ぐ行くとケーブルカー横の激坂、不動坂ですので、高野七口の一つ「不動坂道」を引き返す形で北へ、森林鉄道の遺構だと云われる切り通しを抜けて高野森脇林道へ。目を付けていた「自撮り」ポイントでは代わりにVivvaさんに走って貰いますが、この時間では陽射しが回らないので想像していたのはちょっと違った様な。
 標高800m台の高野山内に到着、やはり高野山は涼しいです。このルートで入ると町役場のある処に出るので、大門に向って少し走ってコンビニで補給です。
 山内を走り抜けて奥の院へ。
 キャンピングで高野山へ上がったのは20数年ぶりです。
 お昼は奥の院と摩尼隧道の間にある「とんかつ定」へ、地元の人気店で以前から前を何度も通っているのですが、なかなか入る機会がなかったのです。店名からしていわゆる「とんかつ屋」と想像していたのですが、どちらかと云う洋食屋さんのランチと云う感じで、とんかつ以外のメニューもあります。なかなか美味しいのですが、私的にはちょっと外れでした。
 摩尼隧道の手前で右折して県道733号川津高野線へ、日頃は高野山駅まで輪行して来る事が多いせいか、キャンピング支度で下から登ってきた今回はかなりキツかったです、いつもなら峠から先のアップダウンも大した事はないのですがネェ。
 天狗木峠を経て標高1,000m台の稜線を走り高野辻でD女史と合流です。彼女はテント装備をH夫妻に託してあるので、フロントとサドルバッグのみのいでたちです。高野辻の四阿でゆっくりした後は標高差400m超のダウンヒルです。

 北俣川の深い谷に沿ったダウンヒルを堪能した後は川原樋川沿いに、引き続き川津高野線ですが、平集落を経由する林道の方が距離が短くて道路状態も良いのでこちら通う車は少ないです。秋の紅葉は格別です。
 平経由の林道と合流すると目的地のキャンプ場「アドベンチャーランド」に到着です。確か昔は4WDランドとか呼ばれていた処だと思うのですが、成り行きでキャンプ場となった様な感じですね。色々な4駆や救急車に至るまでマニアックな車が並んいるのですが、何と云っても目に付くのは名鉄7300系が1台、しかしこの山の中まで良くも運んできたものです。土建屋の資材置き場な感もありますが、関西で云うパラダイス的な場所です。ただ昔からあるのですが村との関わりは少ない様です。でも利用者は「野迫川温泉」の割引があります。
 既にH夫妻が到着していて準備万端、早速サイトにテントを張らせさて貰います。オートキャンプ用の区画がなされているのですが、上手くすればソロテントを4つ位は張れそうです。一応最低限の食事のできる準備はしてきているのですが、今夜はH夫妻にお世話になる事にして、野迫川温泉まで往復した後、夜の宴が始まりました。本日の走行92.9キロ。

 

ちょっと芋まで

奈良県道15号桜井明日香吉野線

 週末の野迫川キャンプに備えてasuka号のチェーンとスプロケットを交換、試運転がてら芋ヶ峠まで往復してきました。実はasuka号にはCS-HG400 9S 11-28T(11,12,13,14,16,18,21,24,28)のスプロケットを付けてあったのですが、先月の「猪名川キャンプツーリング」の折りに最後の登りに恐れをなしてお蔵入りしていた11~34Tに換装したのですが、調子が悪くロー側2枚が使えず仕舞い、11-28Tに戻したもののチェーンを痛めてしまったのか以来あまり調子がよくありません。実際タイヤのグリップ力とかを考えると34Tまでは使えないので、試しにCS-HG50-9S(11,12,14,16,18,20,23,26,30)を新調してみたのです。
 別にサイドバッグは必要はないのですが、ご愛嬌。後ろのマッドガードを「しまなみキャンプライド」の折に痛めたので修復作業中。写真はお馴染み明日香村石舞台古墳をロハで見下ろせる高台にて。

 石舞台を出て少し行くと木蔭でBJ嬢が休憩中、どうやら同じく芋へ向うらしいのですが、私では噛ませ犬にもならないので。案の定祝戸で抜かされ栢森に着くまでに戻ってきました、あんた早過ぎやろ。先日の大雨で芋ヶ峠への道は所々で水が流れています、そんな路面でパセラにリア30Tではスリップしてしまいます。確かに28Tの事を思えば楽なのですが、30Tの下が26Tと云うのは辛いものがあります。しかし飛鳥川のせせらぎとひぐらしの声が心地良いです。

 やはりこの季節、陽が傾いてきた頃から走り出すのが正解な様です、帰り道見知った顔とか2,3名の走る姿を見かけました、本日の走行32.6キロ。

 

RRCB 大和高原早朝ラン

 RRCB(Restoring and Riding Classic Bicycles)の夏の恒例行事「大和高原早朝ラン」に参加してきました。と云っても仕事の都合で針テラス(名阪国道針I.C.)7時の集合にはとても間に合わないのですが、先々週の「ヴィンテージレーサー観賞会」、先週の「奥千丈林道」とRRCBの行事に参加できなかったので、頑張ってコースを逆回りして迎撃、合流する事にしました。ところで「大和高原早朝ラン」いつごろから始まったのでしょうね、真夏の一日朝の涼しいうちに標高のある大和高原の50キロ余りのコースを駆け抜けよう云うものです。昨年は不参加でしたが最近では一昨年に参加させて貰っています。
 自宅の桜井市ではなく橿原市内の出先を出発したのが0840、初瀬街道(横大路)を東へ走り長谷寺から<38>桜井都祁線へ、一番の難関が初瀬ダムです。一行は針テラスをスタート、山田から田原と須川ダムの下流、京都府との県境近くまで北上した後、柳生経由で布目ダムまで戻って来るのですが、既に柳生だとか、これはちょっと早すぎ、エイドポイントになっている布目ダムでの冷たいスイカにはありつけそうにありません。
 10時半頃には針を通過し小倉から<127>北野吐山線へ、一行はとっくに布目ダムに到着して冷たいスイカを頬張っている様です。このままダムに向かっても途中でトンボ返りになりそうなので、コース上で一番嫌な坂である<80>奈良名張線と合流する北野口で待ち構える事にしました。ところでここからは日本の原風景とも云える素晴らしい山村風景を見下ろす事ができます。
 計算通り一行が坂を上がってきました、先頭は明日香村のチネリ怪人vivvaさんです。参加者はドタもあって私を含めると16名との事です、プログレスの三島さんの姿も。(写真右:kiyaさん)
 北野口から<127>北野吐山線を折り返します。起点の北野から下深川まで未改良区間が続きます、渓流沿いの木陰が続き真夏でも快適、<25>月瀬針線と広域農道に挟まれて通う車も殆んどありません。


 針テラスには丁度お昼前に戻ってきて「王将」へ直行です。「王将」の前にサンジェ、チネリ、デローザ、ロッシンetc.の名車が並びます。

 今日は16時から有志が再来週の鈴鹿でのチームTTの練習との事で、昼食後はそれまでの間に山辺高校の近くにある「ミモザガーデン」にスイーツに行く事になりました。並松(なんまつ)池を見下ろすデッキのある素敵なカフェです、私は「なつみかんのかきごおり」を頂きました。(写真左:ショコラさん)
 午後2時に「ミモザガーデン」を後にし集合場所の針テラスへ戻りますが、自走の私はここでお別れし帰途に就かさせて頂きましたが、来年はフル参加で。本日の走行59.8キロ。

 

 当日の写真をうちのHPの「ツーリングの記録」にアップしています。[BICYCLE]→[ツーリングの記録]→[2017]とたどって下さい。なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧頂けません。ログインは’2017’、パスワードは「CanCan謹製卓上カレンダー 2017年版」奥付右下の数字です。以前のログイン、パスワードも現時点では使用できます。私の撮影分に関しては参加者の方は再利用して頂いて結構です。

 ショコラさんのレポートはこちら

 

2017年8月の実績


 今月の走行1,033.7キロ、2017年累計5,960.2キロ、延陽伯号(片倉シルク グロワール24)の出番は無かったです、この季節小径車でポタリングなんて気分にもなれませんよね、ロードで爽快に走るしか… 高野山と倉敷→弓削島、桜井→丹後由良で100キロ超えが3回。
 何か周期的に上下している様なんですが、体脂肪率が10%台に。

 

 

北の海へセンチュリーラン

京都府宮津市 丹後由良海水浴場

 6月の東の海(鳥羽市鎧崎)、西の海(和歌山市加太)に続いて北の海を目指します。関西から北の海へのライドと云うとコースは様々ですが若狭小浜辺りを目指す人が多い中、そこはその天の邪鬼な私の事ですから、狙ったのは天橋立、あわよくば近畿最北端の経ヶ岬も狙えるのではと線を引いてみたのですが、さすがにこれには無理がありそうな。さてコースは上街道から奈良阪を経て嵐山八幡木津自転車道を走り、嵐山から六丁峠を越えて保津峡、水尾、越畑、日吉ダム、綾部から宮津へと走る200キロ近い道のり、なお日吉ダムから先はほぼ未踏区間です。

 帰途輪行の予定ですので、荷物は輪行袋と着替え一式、マウンテンスミスの小さい方のランバ―バッグ(ヒップバッグ)に、これ位の荷物ならオプションのショルダーベルトも不要でしょう、元来背中には背負わない主義ですが、夏場は肩当ても鬱陶しいものです。後サドルバッグをトピークからモンベル(本来はフロントバッグとして販売されているもの)と交換してゴリラポッドを押し込みます「自撮り」をしている余裕はないのですが、記念撮影位と思い持って行ったのですが、結局一度も使う機会はありませんでした。
 自転車道へは明るくなってから入る様に逆算して桜井を2時過ぎに出発します。流れ橋までは一昨年40往復した勝手知ったる道ですが、真っ暗な自転車道は危険この上ないのです、路肩が不明瞭だったり、車止めポールの蓋とか、ライトや反射材を持たずに走っているジョガーや犬の散歩とかトラップだらけです。上街道は西名阪下の信号で捕まっただけで足着き1回、京都府に入って木津川市梅美台のファミマで明るくなるまで小休止。
 自転車道に入るとついつい加速してしまうのですが、最近100キロ前後を走るペース配分やリズムに馴れてしまっているので、今日は先が長いのでセーブしながら走る心掛けを、流れ橋で2度目の休憩を。
 丁度7時に嵐山到着、休日の朝とあってか嵐山に近づくに従ってジョガーの多い事。ただ一大観光地の嵐山はまだまだ観光客の姿はまばらです。3度目の休憩の後、コンビニでおにぎりを1個と凍らせた飲料を補給、この先コース上にはコンビニの類いは綾部市街までないかと。
 府道50号京都日吉美山線、嵯峨野から六丁峠へ、登りきれるかと思ったのですが、対向車が2台続けて下ってきてアウト!
 一旦保津峡へ下りますが再び標高差400m程の登りが始まります。ところで今日はローディのグループの多い事、明日の美山の前乗り組なんでしょうかの、調子に乗って着いて行ったりすると後が持ちませんので、大人しく見送ります。追い越す時に声を掛けるのは勿論だとしても、グループと思って何台?と尋ねると速答できないのは何故、質問が突拍子もないのか、一緒に走っている人数を把握できていないのか。8時半には水尾に到着、自販機休憩。
 神明峠、ゲートのある亀岡方面へ下る林道へは峠になるのですが、府道はまだ標高差で100m程続く、サイクリストには悪名高い峠。緩やかなアップダウンが暫く続いてようやく下りに入ります。

 樒原(しきみがはら)へ、ここにはバスの車庫があってここまで山陰本線八木駅から1日3往復の京阪京都交通のバスがやってきます。京都市右京区には違いないのですが、園部市の経済圏になっています。こんな処に京阪の塗装のバスがいて怪訝に思いましたが、2004年に破綻した京都交通の路線を京阪グループが引き継いだとか。そんな訳でここから先は道は随分と良くなります。愛宕山の陰になるので宕陰(とういん)と呼ばれる樒原、越畑と過ぎ南丹市へ、神吉には北桑田郡の神吉村道路元標が残っています。
 天若(あまわか)湖と呼ばれる日吉ダム湖畔を行きます。峠を越えダム湖の上流側から下り基調の道を走っていると、このまま日本海側へ下って行ける様な錯覚を起こしますが、日吉ダムは桂川、日本海どころかまだ淀川の上流にいるのです。日吉駅から山陰本線沿いに走り胡麻駅へ、駅に隣接して食事のできる「胡麻屋」と云う店が、時間も11時になり走行距離が100キロを超えて疲れもでてきたので、ここでお昼と云う事に。
 カツ丼とかけうどんのセットにてんぷらを足して820円也、お味もボリュームにも満足してのんびりしていると「みずかぜ」が来るとの声。JR西日本、話題の豪華列車がやってきたではありませんか、上り普通列車との交換の為の運転停車です、なんとラッキーな。
 ところで胡麻と云う変わった駅名ですが、昭和30年まで胡麻郷村と呼ばれた土地、ただ胡麻の産地かと云うとそうではなく「駒」が転訛したものらしく。近年京都市内の胡麻屋さんが地名に馴染んで工場をここに建てたとか、ごま油とか胡麻由来の商品が並んでいます、胡麻そのものの原産地は海外が多く、国産ものはお高い様な。
 胡麻郷と云う処は高原状になっていて日本海側との分水界になっていて山陰本線はここを越えているのですが、嵐山から辿ってきた府道50号は美山に向かって行き止まりになり、何故か国道府道は一本もここを越えていません、今回は南側の農免道路の様な雰囲気の道を走り、R27下山バイパスをくぐり深い谷へ下って旧R27だった府道80号へ合流します。地形的に谷中分水界なのかなと思って、帰宅後調べてみると話はそう簡単ではない様な。和知駅へ立ち寄った後由良川右岸の府道59号を、交通量が少なくなかなか快適なコースです、その後R27となり綾部市街へ入ります、舞鶴若狭道のお陰か交通量は意外に少なかったかと。ただ胡麻から下り基調ながらルートを確認しながら走ったので結構時間がかかったと云うか長かったです。
 綾部に自転車で立ち寄るのは三度目、2008年10月と2009年8月、何れも道路元標蒐集の途上でした。駅前の通りではなく旧街道と思しき道を行きます、綾部駅近くまで来たのは既に14時近くになってしまいました。
 綾部から由良川に沿うと福知山を経由して遠回りになりますので、京都府道9号綾部大江宮津線にてショートカット、小さな無名の峠を越えますが「従是北丹後国加佐郷」と「従是東丹波国何鹿郡」と記された石標があります。宮津街道に係わるルートとして由緒がありそうな道です。
 由良川河畔に出た後、計画ではそのまま府道9号で宮津へ向う事を考えていたのですが、流石に標高400m超の普甲(ふこう)峠を越える余力は無く由良川沿いに丹後由良を目指す事に。ただ交通量の多い対岸(左岸)のR175には渡らず右岸の県道を継いで最下流の八雲橋まで北上します。最下流と云っても河口まで5キロ以上あるのですが、これより下流には道路橋はなく京都丹後鉄道宮津線の由良川橋梁しかありません。
 暫くR178を走るとその由良川橋梁を渡る列車が見えてきました、列車と云っても1両ですが、観光列車の「あかまつ」号の様で、徐行運転をしながら鉄橋を渡っていますので、撮影するチャンスに恵まれました。初めて宮津線を訪れたのは1970年代、当時は国鉄宮津線でしたが奈具海岸のほうへ行ったので由良川橋梁を真横から眺める事はありませんでした。しかし全長552m25連のガーター橋は壮観ですね。
  丹後由良の海岸に出てみます、夏休みの週末とあって海水浴場はかなり騒がしいのかと思っていたのですが、人出も左程でもなく意外に静かでした。丹後由良と云えば近畿でも知られた海水浴場だったのですが、今はそうでもないのでしょうか。この先R178を天橋立まで走る事も考えたのですが極力「18きっぷ」で帰る事を考えると1732発がタイムリミットの様です。京都や大阪鶴橋から近鉄を利用すればまだまだ頑張れるのですが、それでは金額的に「18きっぷ」のメリットを生かせませんし、わざわざこの時期に走ってきた意味もありません、とか何とか理由をつけて丹後由良で本日は打ち止めと云う事に。日帰り温泉とか海水浴場のシャワーとかもあるのですが、静かな無人駅のベンチで輪行支度を整え、ボディシートで身体を拭いて着替えを済ませて、車上の人となりました。しかし由良の海岸から見た丹後半島の遠い事、かすかに見える半島は伊根の辺りですからね、経ヶ岬は更にその向こう、少々曇りがちなお天気に助けられてここまで来れた様なものです。本日の走行185.8キロ、「18きっぷ」3,020円分乗車。さて残るは南の海は潮岬です。