「滋賀県」カテゴリーアーカイブ

御斎峠なのか御斉峠なのか

 先日の「NLC4’season 春のサイク」の帰りに一年ぶりに越えた「おとぎ峠」、滋賀三重県境として上野盆地の展望が素晴らしい標高570mの峠、古来伊賀と甲賀と分かつ峠として司馬遼太郎の小説「梟の城」の舞台となったり、本能寺の変の折に徳川家康の遁走ルート「伊賀越」として伝わる、歴史的にも由緒のある峠です。私が始めて越えた頃は滋賀県甲賀郡信楽町と三重県上野市の境界でしたが、現在はそれぞれ甲賀市と伊賀市となっています。写真は現在の車道峠より少し上野側に下った処にある「御齋峠跡」の石碑。
 その「おとぎ峠」を行くと峠名を記したものが2つ、切り通しになっている車道峠の案内板「御斉峠」と記され由緒が書かれている、もう一つは少し上野側に下った処にある三重県知事の書になる「御齋峠跡」の石碑、さてこの違いは。まず大前提として「斉(セイ)」と「齋(サイ)」はルーツの異なる別の字でして、なかんずく「齊」は「斉」の旧字体、「齋」は「斎」の旧字体となります。「斉」は整えるとか、揃える、並べると云った意味を持ち、中国周時代の国「斉」との意味があります。対して「斎」は「ものいみ」「神仏を祭るときなどに飲食や行為を謹んで、身の汚れを去る事」と云った他、同様の意味に多く用いられます、「斎王」「斎宮」「斎場」と云った風に。いわゆるさい藤さんの「さい」は概ね「斎」または旧字体の「齋」であり、「斉」を用いるのは意味の違いを無視して誤用して略したものと考えるべきでしょう、なかには私は「斉藤」だと主張する人もいる様ですが、斎藤氏のルーツを考えると「斉藤」はなく、登記時の誤字であってもひとたび登記されてしまえば、それを正しいとする原則が準用されているものだと思われます。
 さて話しを戻して「おとぎ峠」に当てはめる字はどちらかと云う事になりますが、案内板にあります鎌倉時代の夢窓国師の逸話からすると「斎」を当てはめるべきかと思いますが、辞書によっては「斉」にも「斎」の字と同様に「ものいみ」の意味を含む熟語「斉衰」「斉宿」等などを例としてあげているものがあります、どうやら「斎」と「斉」の誤用は「さいとう」さんだけではなく、結構根の深いものがあるのかも知れません。ただ家康の「伊賀越」関連でこの峠を「音聞(おとき)峠」としているものがあり、夢窓国師どころか後年になって音を当てはめた可能性もあります、しかし「斉」を「とき」或いは「とぎ」とするには問題が残ります。言葉や文字の意味成り立ちに無知ゆえ無頓着ゆえの誤用濫用、なにか自転車の事を「チャリ」と云う人に通ずる処がありますね。
 私としては「御斎峠」または旧字体を用いた「御齋峠」に軍配を上げる事にしますが、この事を調べて行くとんでもない事に気付かされます。
 そうなんです、それぞれの旧字体には「Y」のものと「了」のものがあって、どうもadobe-japanでは両方が採用されている様なのです。この辺りJISの考え方とadobeのスタンスの違いが成せる事なのでしょうが。さて似ていて非なる「Y」と「了」、象形文字まで遡るとこの部分は「齋」と「齊」では異なっているのです、その辺りを調べて行くと「誤用」なのか「混在」なのか判らなくなってしまい、それ以上突き詰める事は諦めました。

 余談ですが御斎峠の北にはかつて多羅尾代官所の仕置場(処刑場)があり、また月ヶ瀬村女子中学生殺人事件の死体遺棄現場だったりと、何かと曰くの多い峠でもあります。

「黄和田キャンプ場」へ(2日目)

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黄和田キャンプ場 滋賀県東近江市黄和田(旧永源寺町)
 
20160612b.jpg  お昼頃にはお天気が悪くなりそうだと云う事もありますが、キャンプの朝は早いです、8時過ぎには撤収開始。 あびさんのTOEIキャンピングとは前々オーナーからの付き合いですね(左下) 、なおじさんのカトーサイクルオリジナル、TOEIのサイドバッグとは(右下)。
 
20160612c.jpg Tさんが帰ってしまったので3人なんですが、記念写真を撮って、9時には撤収です。
 
20160612d.jpg 日野町役場まで20キロ程を戻るのですが、写真を撮ったりしているので、なかなか前に進みません(^_^)
 
20160612e.jpg 昨日と同様に愛知川右岸、国道421号の対岸路を行きます(写真右:あびさん)
 
20160612f.jpg 国道421号から離れて日野町へは主に県道508号とかを走るのですが、距離こそ短いものの結構アップダウンとかがあってキャンピングには大変なんです。
 
 
 
 
20160612g.jpg 11時前には日野町役場に到着、なおじさん、あびさんとはお別れして、ここから再び一人旅で桜井を目指します(写真左:なおじさん)。 近くの日野町道路元標に立ち寄った後、県道41号すなわち御代参街道と呼ばれる旧街道で東海道の土山宿へ越え、JR草津線甲賀は駅、道の駅「あやま」を経て伊賀上野へ向います、問題はどのあたりで降ってくるかなんですが。
 
20160612h.jpg 伊賀上野で「鍵屋の辻」に立ち寄ります、いつもなら山越えの鄙びた道を選ぶのですが、足回りに爆弾を抱えている以上、線路に沿ったコースを選択するつもりでR422寄りを南下するつもりだったのですがR368を走ってしまう事に、距離的には短いのですが、登りになるのと車が多いのが難点。 名張市へ入る頃にはいよいよ降ってきそうです。
 途中から旧道の名張街道へ入り近鉄大阪線の桔梗ヶ丘駅へ、フロントバッグとサイドバッグ4つにカバーを取り付けます、この季節の帰り道ですから身体が濡れるのは良いのですが、路面がかなり濡れてきて慎重にならざる得ません。
 
20160612i.jpg 名張市街の手前から旧街道に入り、室生口大野あたりまでは概ね車に追われる事なく走る事ができました、さすがに室生ダム湖畔は遠慮してR165を榛原へ出て西峠を越えます。 写真は阿保越伊勢街道三本松宿。
 
 1835、無事に桜井に帰投、走行115.0キロ、昨日の115.3キロに加えて1泊2日230キロ、トラブルを抱え承知の上とは云え久しぶりの雨中ランのキャンプツーリングでした、さすがに疲れがどっと。
 

 
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「黄和田キャンプ場」へ(1日目)

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府県道5号木津信楽線にて
 
 
20160611b.jpg 結局は寝たのか寝てないのか良く判らないまま未明3時に桜井を出発します。 奈良まではいつもの上街道、暗い中を何度も走っている道で、この季節なら奈良市街を過ぎる頃には明るくなってきますので丁度良い按配かと。 写真の「ならまち」を抜け猿沢池から興福寺と…
 
20160611c.jpg 京都府へ入り大仏線跡に沿った道から木津川河畔に出て恭仁大橋を渡ります。
 府道5号線に入ると、まだ5時台だと云うのにローディの姿がチラホラと、お馴染み和束南のローソンで小休止、今夜のおでん用に忘れてきた「だしの素」を仕入れておきます。
 
20160611d.jpg 湯舟を過ぎた辺りで、4月の「一府三県サイクリング」の折に目を付けておいたポイントで「自撮り」をば、しかし何やらごちゃごちゃしていていまいちですね。
 ところで心配なタイヤの方、折々にチェックしているのですが、問題はなさそうでこのまま今日明日の200キロ余りは持ってくれそうな感じです。
 
20160611g.jpg 7時半には滋賀との県境までやってきました。 待ち合わせ場所の日野町役場までは後30キロ程の距離ですから余裕です。 時間もある事ですし、ローディの多いコースでもありますし、通行人Aがやってくるのを待ってみたのですが、余計な邪魔者が(>_<)
 
20160611h.jpg しかし待っているとなかなかやってこないものでして、気が着くと信楽側からやってきたりして、キリがないので「Microsoft Image Composite Editor」のお世話になる事にして撤収、50分ばかり遊んでいましたが。 どこのどちらさんか知りませんが、有難うございます。
 
20160611i.jpg 神山からは旧道を縫って走り信楽駅前へ、駅前の巨大狸、セーラー服は脱いじゃった様です。 その後も国道は避けて大戸川沿いの道を雲井まで行きます、少々アップダウンはありますが、信号はなく車も全くと云って良いほどやってきません。
 
20160611j.jpg 信楽高原鉄道の踏み切りまでは交通量の多い国道を我慢しなければなりませんが、旧R307の小野峠への道へ入ります。 庚申山広徳寺への入り口から先はずいぶん昔から通行止になっているのですがどうにか通れるかと、今日も山仕事と思しき軽トラが入ってきていました、落石や木っ端に水も出ているのでロードバイクではかなり厳しい状況ですが。
 
20160611k.jpg 貴生川まで下った処で、なんと地元のniwa-chanさんが、地元とは云えまさかここで待っているとは、信楽駅前での時刻から小野峠を越えているに違いないと踏んだ様です。 日野町役場までエスコートして頂く事にして、近江鉄道沿いの道を走り、水口町道路元標に立ち寄って貰います。
 
20160611l.jpg 待ち合わせ場所の日野町役場には11時過ぎには到着、近くのコンビニでお昼を仕入れて戻ってくると、なおじさんとあびさんだけがいます、結局は主催の「へろへろ輪」は全滅で、これではなにやら「月うさぎ」メンバーではありませんか。
 
20160611m.jpg 日野町役場からも日帰りのniwa-chanさんが加わった4人で、現在の東近江市旧永源寺村へ向うのですが、結構アップダウンがあってここまで走ってきた身には堪えます。 途中何やら案山子と云うか、普通の農家の様なんですが、関西で云う処のパラダイスが。
 
20160611n.jpg ひろみワイナリーに立ち寄った後、八風街道ことR421を永源寺ダムへ。 ダムから先は対岸路を行く事にしたのですが。
 
20160611o.jpg 対岸路、ダムの天端道路はは車が通れない様に鎖が張ってあるので、車は入ってきませんが、落石片と何やら猿の糞が多い事、ダム湖畔の道にしてはアップダウンが多いもののラ系サイクリストにはなかなか快適なコースではあります、その上に先月の大黒屋さんに続いてなおじさんがキャンピング女子に。 (写真左上:なおじさん)
 
20160611p.jpg ところが調子こいていたら落石片に乗り上げてしまいます。 前輪は避けたものの後輪はまとも乗り上げてしまい、明らかにスポークが切れたと云う音が。 ニップルが突いてパンクもした様で、エアーも漏れる音が。 サイドバッグを着けているとパンク修理だけでも大変なのですが、ここまで丁度100キロ程走ってきてキャンプ場まで後数キロだったのに、どうやらスポークが1本ニップル側で折れていて振れ取りが必要な状況です。 なおじさんとあびさんにはまだ買出しとかもある様なので先に行って貰い、niwa-chanさんに手伝って貰う事に。 元々ガードクリアランスのないasuka号ですが、折れたスポークはフリー側なので抜けませんので、ケーブルタイ2本で隣のスポークに縛りつけ、前後2本づつを調整するだけで問題なく走れそうです。 (写真左:なおじさん)
 
20160611r.jpg 2,30分程の作業で再スタートして後を追います、niwa-chanさんは「くさ餅」を買って帰ると云うミッションを済ませ「黄和田キャンプ場」へ、どうやら買出しをしているお2人を追い越してしまった様で、こちらがキャンプ場入り口で待つ事に。 キャンプ場まで数キロ走った感触では、無茶さえしなければ明日もこのまま走って帰れそうな感じです。 最悪は荷物を宅急便にして軽量化し、念のために持ってきた28Cに履き替えれば、なんとか自走で帰る事ができるかと。
 
20160611a.jpg 設営完了、あびさん持参のタープいいなぁ。 心配なお天気も明日のお昼頃までは持ってくれそうな感じ、帰り道に降られる事は覚悟の上ですが、雨の中の撤収だけは堪忍して貰いたいものです。 なお「黄和田キャンプ場」、自転車は一泊600円です。
 
20160611q.jpg そうこうしていると、食材と七輪を積んでTさんが車で到着、明るいうちから宴の始まりです。
 
 前日 1日目 2日目
 

「黄和田キャンプ場」へ(前日)

20160610c.png 世間は梅雨入りしたと云うのに、「へろへろ輪」からキャンプのお誘い、場所は滋賀県東近江市の黄和田キャンプ場、琵琶湖に流れ込む愛知川(えちがわ)の永源寺ダム上流にあるキャンプ場で、桜井からですと約100キロの距離、実は昨年も乱入を画策していたのですが、準備中にasuka号のカンチ台座が折れる事態に断念した経緯があって、リベンジを果たしたい処なのですが、今月になってからなかなか気ままに日程が空けられない状況でして。 ところで今回はなんと「愛知川自転車キャンプサミット」などと云うご立派なお題目が付いていたのですが、テロならぬ天気予報が怪しくなってきたあたりから参加者が激減、だったら梅雨にするなよと云いたい処なんですが。 その気になったらやめられない悪い正格、とにかく万障繰り合わせて準備だけは整えておこうと。
 集合場所の日野町役場までは往路は奈良~信楽経由、復路は伊賀上野経由と云う事に、いずれにせよ100キロ強の行程になります。 4サイドでの100キロ超えは昨年10月に2日連続でこなしていますし、標高を考えると問題はないのですが、日野町役場12時はちょっとキツいかも、とにかく未明に出発すればどうにかなるだろうかと。
 
20160610a.jpg 前日になってどうにか参加できそうになり、暫くはキャンプツーリングの予定はないだろうと、先月28Cに換装していたasuka号を再び32Cに、走行距離が3,000キロを超えてきたので、そろそろかなと思いつつとにかく前後ローテーションだけでもと… なんとサイドに僅かですが穴が、圧を上げるとかなりヤバそうです、パナのパセラでAMAZONに在庫があるのですが、さすがに今の今では間に合いません。 28Cもパセラですがサイクルベースあさひ限定のケブラービートのライトモデル。 とにかく内側からゴム板をあてがって接着、往復200キロ超の4サイド支度に耐えられるかは微妙ですが、ケブラービートを良い事に28Cを一式積んで行く事に、最悪の事態には荷物を宅急便かゆうパックにして軽量化すれば、自力で走って帰って来れる様にして、前夜には出発準備を整えておきます。 さて黄和田キャンプ場まで走って行けるのでしょうか。
 
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天の邪鬼今度は「びわいち」の巻

 金曜土曜と天気が良ければ信州へ行って、今日は飯田から岡崎に向かって三州街道を走っている予定だったのですが…
 今日12日はRRCB(Restoring & Riding Classic Bicycles 要認証)の方の企画で「びわいち」だとか「魚ヶ渕」だとか、計画やメンバーが二転三転していて、いずれにしても車というものを持たない僕には他力本願でないと参加できない場所と時間、まぁ奈良まで自走して始発に乗れば「米プラザ」7時半スタートの「びわいち」の方は参加できなくもないのですが、金沢から帰ってきたばかりで、何となくそこまでしてもと気が進まなっかた処にtatsumi御大が参加表明、連絡をしてみるとその足で名古屋へ行くとの事ですが、輪行袋さえ持って行けば帰りはどうにでもなるだろうと行きは便乗させて貰い「びわいち」へ参加させて貰う事にしました。

20150412a.jpgのサムネール画像
集合場所は琵琶湖大橋西詰の道の駅「びわこ大橋米プラザ」に7時、tatsumi御大曰く2時間あったら着くだろうとしながら、迎えに来てもらって自転車を積み込んで桜井を出発したのは5時20分、案の定間に合う訳もなく、大橋東詰の「なぎさ公園」で待つとの連絡を入れて一安心と。
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一向にやって来ないと思っていると、既に本隊は近江八幡の長命寺まで行っているとの連絡、どうやら面子が揃った時点で7時半のスタート予定時刻を繰り上げしまった様で、待つどころか先に行かれてしまっていて逆に追いかける側に、45キロ先の米原の道の駅「近江母の郷」まで古い付き合いとは云え元国体チャンプ(第34回宮崎国体奈良県代表成年男子スクラッチ優勝)と2人で追走するはめに。
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向かい風の中やさしく引いて頂いて9時半過ぎに道の駅でどうにか追いつく事ができました(^_^;)
 本隊は4名と思いきや、地元滋賀のniwa-chanさんが、どうやら偶然居合わせて捕縛されたそうです。 都合7名、UG兄さん(エルスディアゴナール)、KMT48さん(コルナゴマスター)、ヤマタンさん(マリリンIII世号)、白栖窟さん(エルスランドヌーズ)、tatsumi御大(センチュリオンカーボンロード)、niwa-chanさん(キャノンデールカーボンロード)、私(コガミヤタカーボンロード)、RRCBにしてはカーボンロードが3台、とは云っても私とtatsumi御大はカーボンパイプにラグ接着と云うホリゾンタルフレームの年代ものです。
 赤パンにパーカーのおっちゃんは見物の人、ではありません、ちゃんと下にはZippyのチームジャージが。
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さて道の駅を出発です、ここからは楽させて貰えるはと思いきや、ここまでとあまり変わらないペース、今日は1人でも走ると云っていたUG兄氏が先頭を引いてくれるのと2人が7人になった位。 (写真:UG兄さん)
 
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きっと日本で一番走るエルスでしょうね。
 
 
 
 
 
 
 
20150412f.jpg写真を撮ろうと先行したものの、今度は追いつくのが大変。
 
 
 
 
 
 
 
20150412h.jpg信号以外では停まる事すらなく、やっときました最初の休憩ポイント賤ヶ岳トンネル。 朝3時過ぎにトースト2枚を食ったきり、補給食を買う間もなく、ここでtatsumi御大から大福餅2ヶを失敬。 この後どこか食事に入るでもなく、塩津のローソン駐車場で車座になって買い食い、なんやらブルベと変わらん様なお行儀の悪い事ですみません。
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満開の桜の海津大崎を行きます、今日ここには鈴鹿のあびさん一行がキャンプに来ているそうなの乱入およばれを画策していたのですが、見つけられず携帯電話もつながらず、残念。 (写真:UG兄氏)
 
 
 
20150412j.jpgしかし桜も満開ですが、人も車もそれに単車も多い事と云ったら、日頃平日に人の少ない処ばかり走っている自分はやや辟易ぎみ、それでも桜並木の向こうに残雪の比良山系を見上げたら感激ものですね、時計周りしていた皆さん気づかれました?ここで拉致してきたniwa-chanさん、このまま一周しては明るい内に戻れなくなるのでUターンする事に、ここまで有難うございました。 (写真左側はKMT48さんに撮って頂きました)
 
20150412k.jpgどうにか混雑の海津近辺を抜け出し琵琶湖西岸を行きます。 相変わらず先頭をUG兄氏が引いてくれます、tatsumi御大が先頭交代に上がってきますが「いらん事したらアカン、今日は意地でも1日1人で引くつもりでおるんやから」とたしなめます(^_^)
 
20150412m.jpgなんと1345には道の駅「しんあさひ風車村」に到着、結構なペースです、30分あまりまったりと休憩します、写真はUG兄氏に頂きました。 しかし今日は写真はともかくSNSに書き込む余裕など全くなく、ここで始めてのチェックインを。
 
20150412l.jpg 16時過ぎにスタート地点の「米プラザ」に戻ってきました、残念ながら先頭を引き続けたUG兄氏は後10キロを切った処で先頭を交代する事になりましたが、見事なペース配分と手綱さばきで、皆をだらけさせる事なく引っ張ってくれました、有難うございました。 このまま名古屋へ向かうtatsumi御大はデポ地へ戻るために琵琶湖大橋を渡り、私はお世話になりついでにUG兄氏に近鉄八尾駅まで便乗させて貰う事になりここで終了、走行148.2キロ、僕としては破格のAVS23.1キロ、「母の郷」までは25キロ超えてました、そして天の邪鬼らしく大橋を渡らずに「寸止めびわいち」となり、koga-miyataはエルスとともにトランポへ。
 

久しぶりの御斎峠

 今年になってモチベーションが下がり」っぱなし、時間ができても朝になったらくじけてしまう、で輪童さんの「風のたより」他に告知してみました。 急だったので釣れたのは輪童さんと天五さん、案の定朝にはすっかり走る気がうせているのですが、同行者もいるので少し早めですが6時15分に桜井を出発します。 初瀬ダムの坂を登ろうした頃に輪童さんから電話、約30分位後ろにいる様です、ところが坂を登っていると左膝に痛みが、昔寒い時期に無理をしたのが災いして、今なお冬場は痛む事があるのですが、走り込み不足と今年初めて膝を出したウェアに、朝の冷気が堪えた様です。 暖まると収まると思っていたのですが。

 初瀬ダム、小夫(おぶ)、天神社奥宮の水場と少しずつ休憩しながら、輪童さんを待ちます。 結構評判の名水とかで水くみの人が並んでいたりする事もあるのですが、さすがに時間が早いようで。
 案の定、今日もドッベルギャンガーでやってきました。 課題のステムの改造も済ませて、調子は良さそうです。
 旧都祁村に入って三陵墓古墳にて、県道から見えないので少しわかりにくいですが、清潔なトイレや四阿があって絶好の休憩ポイントです、テーブルのないのが残念。 ここを20分遅れで出発する事になり、上深川から入るコースを、ジェットコースターの様な農免道路でショートカットしたものの分岐を間違えてしまいどんでもない劇坂を登った末に農免道路に戻ってしまいました。  
 どうにか予定のコースに入ります、名張川の支流遅瀬川の上流から新しくできた上津ダムを経て<181>遅瀬西波多線に入る、かなりレアなコースです。 予定では上津ダムで15分位は休憩してから五月橋を予定の時間に到着する予定でいたのですが。 上津ダムを通過して五月橋0925着、どうやら他にドタ参はいない様です。

 旧R25(いわゆる非名阪)の五月橋、前後にポニートラスを持ったレトロなトラス橋です。
 近鉄の伊賀神戸まで輪行で来る予定の天五さんとは1030に伊賀上野の田楽の店「わかや」で落ち合う予定ですが、今度は20分も早く伊賀上野へ着いてしまいました。 そこで甘いものは別腹と云う事で鍵屋の辻の「数馬茶屋」でわらび餅を頂く事に。

 「わかや」前にて、一時ここで田楽を食ってから御斎(おとぎ)峠~信楽~御葉木峠を回って伊賀上野に戻り、「伊賀路」で「牛タンとろろ定食」を食って宴会になると云う、とんでもなくグルメと云うか高カロリーなツーリングがブームになりましたが、狂牛病騒ぎで一時メニューから「牛タン」が消えたのと<334>神山多羅尾線が暫く通行止めになったりした事もあって、いつまにか熱が冷めてしまいました。 しかしBlogなどなかった頃にツーリング系サイクリストにはルーツとも云える「ランドナー補完計画」の面子に峠おやじナワールドさんや今のSORAさんが参加していたり、また名古屋の「はづき」とのジョイント企画もあったりして、関西と中京のサイクリストに「わかや」は知られる様になってしまいました。 もちろん一般的にも休日には行列のできる伊賀上野の有名店ではありますが。

 伊賀上野から御斎峠へは<138>信楽上野線一本なのですが、高倉から直登の激坂区間があるので少し手前から裏道に入ります。 写真は途中にある水場。
 御斎峠へは春夏秋冬、四季を通じて何度も登っていますが、情けない事に今回が一番キツかったです、暖かい処か暑いと云う陽気なのですが、膝の痛みも時々出てきます。
 多羅尾にて、ここで小峠を越えて信楽側に出て、<5>木津信楽線で滋賀京都境を越えて加茂へ下るか、押原越から三国越林道で童仙房経由から下るかと思案した末に、車の少ない童仙房経由を選んだのですが...
 三国越林道は東向きには何度も走っていますが、西向きは初めて、それも疲れもたまった帰りに選択してしまったのは大誤算、こんなにアップダウンあったかと思う事しきり、思いっ切り押しも泣きも入ってしまいました。
 ようやく和束近くまで下ってきました。おなじみ和束のローソンで休憩の後、輪行で帰途に就く鈴童さんと加茂で、天五さんとは木津で別れます。 今年初めての100キロ越えでもう目一杯でしたが、ガード付きで輪行するのも邪魔くさいので、奈良阪さえ越えれば騙し騙しどうにか明るいうちに帰れるだろうと自走で桜井に向かいます。

  加茂にて木津川河畔、実は天五さんと初めて出会ったのはこの土手上のコ-スで2006年6月3日でした。以前なら「伊賀路」で「牛タンとろろ」の時間ですから、少々お腹が、途中で天五さんに貰った菓子パンをかじって7時前には桜井に無事たどり着きました。本日の走行135.0キロ

道路元標蒐集の旅(関東編1日目)


今夜の「ムーンライトながら」で東京へ向かう事にしたのですが、昨年から「ムーンライトながら」は定期列車ではなく臨時列車となってしまいました、ただ「18きっぷ」のシーズンとほぼ重なるように運転されているのですが、そうでないと夜行バス全盛の今では金額面でのメリットはありません。 それに以前は日付が変わってからの停車駅が大府だったのですが、今のダイヤでは大府に停まらず豊橋まで行ってしまうので、日付が変わって最初の駅までの乗車券+「18きっぷ」と云う使い方が以前より割高になってしまい、私の様に前夜に桜井から名古屋まで近鉄で移動するより、前日も「18きっぷ」を使っていないと金額的なメリットがなくなってしまいました。 そこで今日は滋賀県と愛知県で未踏の元標を回る事にしました。

最初は滋賀県甲賀郡の「水口町道路元標」、実は以前から「国道ML」上で「R307現道滋賀銀行前」として現存情報が挙がっていて2006年に探してみたのですが見つける事ができませんでした。 それが最近ネット上で現存情報を見つけてしまいました、どうやら旧R307と旧東海道が交差する旧市街の様です。 滋賀県ですから充分射程範囲なのですが、走る機会のないまま今回徒歩で訪問する事に、しかしJR草津線貴生川駅から最寄駅の近江鉄道水口石橋駅まで片道230円は高いです。

 再び貴生川へ戻り、草津、米原経由で尾張一宮へ、今度は名鉄尾西線に乗車、愛知県中島郡の「萩原町道路元標」へ、ネット上でも未知の元標でしたが、昨年秋に自転車仲間の方から神社境内に移転保存されている事を教えて頂いていたのですが、ようやく訪問する事ができました、ありがとうございました。


↑ 写真を撮っていると何処からともなく黒猫が、そう云えば隣の海部郡の甚目寺村道路元標でも黒猫がいましたが。

 次は東春日井郡の「勝川町道路元標」、JR中央本線の春日井駅から歩いて10分とかからない春日井市立郷土館の中庭に保存されています。 ただ開館日が毎週土曜日だけと云うのは、それでも最近午後のみから9~16時に拡大された様ですが。 なお門が閉まっていると全く見えず、挙母町、赤穂町や平福村の様に覗く事もできない。
 名古屋まで戻り東海道線で西小坂井まで行き「小坂井町道路元標」へ、ここまで来たらこのまま東京へ向かった方が良い様な気もしますが。
「ムーンライトながら」の大垣発時刻は22時48分なので、時間潰しをしながら大垣まで戻る途中、コンビニ補給がてら岐阜駅で下車、そう云えば北口へ出たのは何十年ぶり? 名鉄の軌道線が走っていた頃以来の様な…
 しかし青色LEDのイルミネーションはこの季節寒々しいですわ。 しかしこんな事なら峠おやじ氏を晩飯に誘っておけば良かったかと、まぁ連休は峠漁りに遠征していて岐阜にはいる筈は無いとは思いますが。

やってきたのは以前の373系ではなく、183系なのでちょっと失望、大垣から乗り込む乗客は減った様です。 しかし連休中とあって鉄ちゃんも多いのです、鉄道に限らずブームになって人口が多くなるとマナーの悪い族も湧いて出るもので、平気で前に割り込んできます、隠居の身なのでおとなしくしていたので、この後も側面のサボを撮っていると、再三割り込むのでのでさすがに頭に来たので注意したのですが、チラっと振り返っただけで無視して行ってしまいました。 自分は何か特別の人間だと思っているでしょうか、他は何も見えないのでしょうか、まさが嫌がらせをして歩いているとは思えませんから、殆ど子供か犬猫の精神構造ですね。 自転車はともかく道路元標がそうならない事を祈っています、まず心配はないと思いますが。

【801】 滋賀県 甲賀郡 水口町(現 甲賀市)
【802】 愛知県 中島郡 萩原町(現 一宮市)
【803】 愛知県 中島郡 勝川町(現 春日井市)
【804】 愛知県 中島郡 小坂井村(現 小坂井市)

道路元標蒐集サイク (北陸篇1日目)

 先週には梅雨入りしていたものの、幸い「弐千峠サイク」も好天で迎える事ができました。それでもどうやら来週には 本格的に梅雨入りしそうな予報なので、週末までに少し走っておこうと考えたプランがこれ。 最近現存が確認された滋賀県伊香郡の「塩津村道路元標」を履修して、R8深坂峠から旧北陸本線廃線跡(杉津線)を経て今庄へ越え、うまく行けば福井泊で翌日に石川県の道路元標を巡ってみようと云う計画。 北陸本線廃線跡は北陸自動車道と同様な経路でほぼ県道として現在も利用されています。廃線となった区間は敦賀をはさんで柳ヶ瀬線と杉津線と呼ばれていて、柳ヶ瀬線跡も県道となっていて、これを使うと深坂峠を越えずに、楽に滋賀福井県境を越えられるのですが、残念ながら柳ヶ瀬隧道は自転車通行禁止の様です。山中越えとなる杉津線区間にはかつて12のトンネルがあって、北陸道杉津PAで潰されてしまったトンネルを除き残りのトンネルは今も健在、峠区間でかつての難所と云っても鉄道の事ですから、斜度はたかが知れています。 滋賀県側から北陸へ自転車で向かうのは今度が3度目、最初は2000年10月に信楽~水口~八日市経由で高時川に沿って椿坂峠と栃の木峠の間に出て今庄へ、2度目は2001年10月に深坂峠~敦賀~河野海岸道路を走り越前海岸で一泊するコース。今回は走り慣れている信楽ルートで貴生川駅から近江鉄道サイクルトレインで米原までワープして、再び走り出そうと云う魂胆。ただ近江鉄道サイクルトレインの利用は平日は9時からなので、米原へ向かうには日野駅0910または貴生川駅1004発に乗車する事になってしまいます。 少し明るくなりだした0410に桜井を出発、和束のローソンと信楽駅で休憩の後、雲井駅を過ぎるあたりまでは裏道を走ったあとR307に入りますが、新名神のICができたりして交通量も多く路肩も狭いので、あまり走りたくはない区間です、信楽高原鉄道もサイクルトレインを実施してくれれば良いのですがね。ダラダラと登りきった処で、小野峠旧道に入ります。信楽側は庚申山への登り口で通行止めになっていますが、充分走る事のできる路面状況です。 貴生川駅はJRを挟んで信楽高原鉄道と近江鉄道のホームがあるので、サイクルトレインを利用するにはR307で草津線をまたいで駅の東側にまわりこんだ方が便利です、東側にはコンビニもありますし、ただエレベーターの入り口付近に自転車侵入禁止と書いてあって、階段を自転車担いで登り降りせよと云う事なんでしょうか、自転車をそのまま持ち込むサイクルトレインと矛盾しているのが… 有り難くエレベーターは利用させていただきましたが。米原までの運賃は970円、自転車の持ち込みは無料です。土日休日ならフリーきっぷが使えるのでなんと550円で一日乗り放題です。やってきたの流行りのゆるキャラ「ひこにゃん」にあやかった、「いしだみつにゃん」「しまさこにゃん」のキャラクタ電車です。米原1035着、直通なので所要時間は1時間半程ですが、乗り継ぎで八日市で待たされると走った方が早いと云う声もあるかも、しかし湖岸道路に出るにせよ、結構交通量や信号の多い処を走って行くので、この区間をパスできるの有り難いです、しっかり昼食も車内で済ませました。ただしこの季節走っている格好で冷房の効いた車内に乗り込んでいると体を冷やしてしまうかも、しっかりパーカーを着込んでいました。 途中からサイクルトレインにDAHOINの小径車で乗り込んできた方に、米原駅の西側にでる道を教えて貰って湖岸道路へ、長浜までご一緒して頂きました。R8の賤ヶ岳トンネルの上の旧道、琵琶湖の展望が素晴らしい飯浦大音線に入り、塩津村道路元標を経てR8深坂峠に入ります。 ようやく深坂峠にたどり着いたのが3時前、「とろろそば」の看板に、時間があればとよそ見していたら、石をはねてしまい深坂峠を下りはじめたらパンクしていました。 夏至まじかの一年で一番陽の長い時期とは云え、これからまだ二山越えなくてならないのに… 先が思いやられます。  R8から北陸本線杉津廃線跡ルートへ入るには普通は敦賀市街でR476に入るのですが、それではかなり下ってしまう上に信号や交通量も多いので、麻生口から県道140号に入り笙ノ川沿いの道を池河内へ向かい、標高320m位の池河内湿原まで登ることにはなりますが、緩やかな登りで車の来ない快適な道です。無名の峠を越えると反対側は激下りでR476の獺河内にでます。 北陸自動車道の上り線と下り線に挟まれた格好で廃線跡道路は最初の葉原隧道へ、ここから鮒ヶ谷隧道~曽路地谷隧道~第一観音寺隧道~第二観音寺隧道~曲谷隧道~芦谷隧道~伊良谷隧道と最後の山中隧道まで9つのトンネルが続きます。葉原隧道と伊良谷隧道は交互通行の信号がついていますが、いずれも元単線用トンネルだけに自動車の離合は困難です。 自転車にとっては曽路地谷隧道は500m近いものの照明がなくカーブしているので、ランプなしで突っ込むのは危険です。 いずれも漏水で路面は夕立の後の様な状態で、ガードなしではつらいと思います、今は閉鎖されてしまいましたがツーリングマップルに「西日本一の不気味隧道」と書かれた旧中辺路町の高尾隧道の様にカッパを着込まないと通れないと云う程ではないでしょうが。曽路地谷隧道を出ると北陸道杉津PAの下をくぐり海側に出て敦賀湾の展望が開けます。 Image108.jpg 山中隧道を抜けて振り返った処、左奥にスイッチバックの引き上げ線用の抗口が見えています。 この後、山中信号場や大桐駅跡の案内板があったりして今庄へ向かって下って行きます。 この後はひたすら福井駅前の今夜の宿を目指すだけです、武生を過ぎたあたりですっかり暗くなってしまいましたが、21時前にはたどり着く事ができました。走行197.2キロ、後3キロ走り回る余力はさすがに残ってませんでした。実は朝桜井を出て三輪近くまでメーターが回ってなかったのですが、それでも200キロには届かなかったですね。

信楽ツーリング

W氏の発案で旧阿山町(伊賀市)から岩尾越?牧杉谷林道で旧信楽町(甲賀市)に入り<16>大津信楽線?<12>栗東信楽線を回って「御斉峠ツーリング」でお馴染みの<50>伊賀信楽線御葉木峠を経由して戻るツーリングへ行ってきました。
 集合場所の「道の駅阿山」まで自走を企て朝6時前に出発したのですが、山添村の上津ダムで段差の大きなグレーチング(スノコ状のドブ板)でパンク、リムまでダメージがあって振れ取りをして走れる様にはなったのですが、集合時刻には間に合いそうになくなったので車で向かっている9氏に回収して貰う事に(^_^;)

<132>甲南上野線岩尾越はなかなか魅力的なコースで秋には紅葉が期待できそうです。


新しく開通した林道牧杉谷線、旧甲南町杉谷新田と旧信楽町牧を標高400m余りの山越えで結ぶ全線12キロ程の舗装林道。


快走、O氏の「愛のサンジェ」


帰途、お馴染み旧上野市(伊賀市)の「伊賀路」に寄りましたが、「牛タン」がメニューから消え「麦飯とろろ牛タン」は「麦飯とろろ豚トロ」になっています(^_^;)
「豚トロ」もそんなに悪くないけど、やはり「牛タン」が食べたいよ?

本日も走行距離、一部自走41キロを含め97.8キロ(^_^;)