「輪行」タグアーカイブ

南紀 滝の拝から小匠ダム

和歌山県東牟婁郡串本町潮岬「望楼の芝」

 少々蒸せたのものの風があったので快適に過ごせました。インナーがオールメッシュのこのテント、夏期平地限定の快適ギアです、まだ風雨に曝されていないので、その辺りの性能はまだ判りませんが。
 クロネコヤマトの荷受開始が8時からなので、日頃早くから走り出しているので、しまったなと思ったのですが、コーヒーを沸かしテントを撤収し、せっかくですので「望楼の芝」で「自撮り」とかしているとエエ加減な時間になってしまいました。
 8時前には潮岬を後にしますが、串本の街を見下ろせる場所にて。植生が成長して随分と見通しが悪くなりましたが、陸繋砂州に発展した串本の街が見渡せます。ただ津波の事を思うとちょっと恐ろしいです。
 クロネコヤマトに立ち寄り、預けておいた空箱を貰い、テントとマット他の入ったリュックを箱へ。、
 昨日走ってきたR42を少し戻り古座川河口へ、清流古座川に沿った県道38号すさみ古座線へ、も明神橋からは古座川の支流小川に沿った県道43号那智勝浦古座川線に入ります。
 明神橋から9キロ程で名勝と云うか奇勝「滝の拝」へ、しかしずいぶん道が良くなったと云いますか、新しくできた滝の拝トンネルを抜けて真っ直ぐ行くと左岸に渡ってしまうので、昔を知っている人は却って戸惑うかも。最近道の駅「滝の拝太郎」ができたのですが、駐車スペースにトイレと四阿、自販機が1台、そして展示室?があるだけで人の姿はありません。日曜日は何か販売されている様ですが、実際ここまで来る観光客は少ないでしょうね。
 道の駅ではトマジーニに乗ったローディが、ロードでこの先へ進むのかと怪訝に思ったら、ここで引き返して「一枚岩」へ行くそうです。奇勝「滝の拝」は道の駅の奥、狭くなった道の先にあります。河原を埋め尽くす甌穴は壮観です。ただ滝の拝で見た人影はトマジーニの彼だけ、道は良くなって、でも人は少なくなったのが紀伊半島の山中の現実かと。
 滝の拝を後にして更に県道を進みますが、滝の拝から先は昔のままの1.5車線路が健在でうれしくなってきます。県道那智勝浦古座川線と云ってもこの道で那智勝浦方面へ行く車はまず無いかと、稀にすれ違う車も地元の軽トラ位のものです。しかし横を流れる小川の水の美しさは格別、本流の古座川、清流と云っても今では上流に七川ダムがあります。
 西赤木、田川と小さな集落を抜けて小森川へ、ここから林道小匠小森川線と云う立派に基幹林道があって、トンネルを抜けると小匠ダム上流の高野へでるのですが、現在は崩土で通行止め、一昨日向かったvivvaさんは担いでも突破叶わずと撤退したそうです。もとより私は篭へ寄ってみたい事もあったので、このまま県道を行きます。
 小森川から県道はやや広くなって標高差300m余りの登りと、何度か登ってはいますがなかなか大変です、那智勝浦町の標識が現れるものの、そこがピークではなく2/3と云った処でしょうか。開通記念碑のある場所でようやく稜線に取り付きます。
 開通記念碑の前にへたりこんで、串本で仕入れておいたコンビニ弁当を。ここから県道は幅員1.7m制限、路面状態もかなり悪くなります、まさしく険道。

 那智勝浦町の最も奥まった集落となる坂足にて。
 篭へ到着、田村商店は閉まったままです、近所の人に聞いてみるとおばあさんはルピナス(那智勝浦町の老健施設)に入ったとの事です。篭は県道や林道が集まる処で、おばあさんに世話になったり、道を教えて貰ったサイクリストやライダーは少なくないはず。向かいの物置小屋もなくなり自販機1台だけが動いています。紀伊半島の山の中から、こんなお店がまた一つ消えました。
 さて小匠ダムへむかうのですが、右の高野林道を走っても通行止めですから、左の虹中野川林道へ入ります、現在は舗装されて県道45号那智勝浦本宮線に入ります。篭から県道を辿るより多少距離は短いかと。那智勝浦本宮線の出合橋から県道234号長井古座線へ入りますが、未だに古座へは繋がっていない道です。県道が途切れますが小匠ダムへは1~1.5車線の道が繋がっています。
 小匠ダムは正式には「小匠防災堰堤」、1959年に作られた古いダムだが、何よりダム筐体そのものに車を通行させるためのトンネルがぽっかり開いている知る人ぞ知る珍ダム。ところで何やら工事が行われて通行止めとなっています「仮設道路撤去工事」すわ何が行われているのかと、自転車を置いて歩いて見聞に。
 どうダム堰堤の高さまでのスロープ、道路が付けられているのです。下流側だけなら判るのですが、上流側もスロープで元の高さまで下りているのです。従って相変わらず水を貯めるつもりはなさそうですが、トンネルは塞いでしまうのでしょうか。工事の人に下の道(従来の道)が無くなるのかと聞いてみると、無くならないと云う、ただトンネルで大きな車が通れないからだと、だったらトンネルの開口を拡げればと思うのは素人考えだろうか。
 ダムより上流、高野側は通れなくなったと云う話だが(先の小匠小森川線の崩土とは別に)、古座川町の樫山(廃村)へはまだ行けるはず、ただ今日はそこまでの時間はないので、ダムから引き返す事に。帰路小匠集落に立ち寄ってみますが、ここにあった商店も閉ざされていました。カチンカチンに凍ったあずきバーに差し歯をおったり、乾さんだっけヤマタンさんだっけ、バーストしたタイヤに充てるガムテープを貰ったり、記憶だけが残ってしまいました。
 滝の拝~篭~小匠ダムと今日のミッションを終え、ゆったりと流れる太田川沿いの県道を下里駅へ向かいます。
 急げば下里1619に乗れたので「18きっぷ」だけで桜井まで帰る事もできたのですが、輪行袋を担いで混雑する天王寺での乗り換えを敬遠して、1718発の新宮行きに乗車、松阪から近鉄経由で帰途に就く事にしてのんびりと輪行支度を整える事にしました。本日の走行89.9キロ、都合2日間で300キロ走った事に。

 無人駅にワンマンカーが続いて入挟できないまま多気まで、そのまま近鉄に乗ってしまうとややこしいので、松阪行きの運転士さんにハンコを押して貰う事に「青春18きっぷ」3,020円分乗車。ただ近鉄大阪線が人身事故で遅れていて、最終間近の時間帯で足止めを食らったりすると大変なので、伊勢中川からは早く出発する特急に乗車する事に。昔々雨の影響で紀勢本線が遅れて松阪で泊まらざる得なくなった事がありました、18きっぶだけで帰る計画が余分な出費が、ともあれ日の変わらない内に桜井へ帰りつき事はできました。

 

北の海へ Part.Ⅱ


福井県小浜市 小浜公園にて

 東の海へ「鳥羽市鎧崎」、西の海へ「和歌山市加太」、北の海へ「宮津市由良海岸」に続いて南の海へとなる処なんですが、5月にNちゃんと行った「北陸本線廃線跡と河野しおかぜライン」の時に話題になった京都市街を車と信号に煩わされずに通過するルート。元より京都市内に土地勘のない私は、自転車道を嵐山まで走り、そこから北上する事はあっても、車の多い京都市街を走り抜けて鞍馬や大原方面に向かう事はありませんでした。Nちゃんの話によると桂川沿いの木津八幡嵐山自転車道の途中から鴨川の川べりを出町柳辺りまで走る事ができるとの事。京都市内に詳しい方なら当たり前の事なのかも知れませんが、自転車道から出町柳までワープできるとしたら今まで敬遠していた左京区方面へも足が延ばせると云うもの。早速Nちゃんに道案内をお願いして、取り残している大原村道路元標をゲットしつつ、鯖街道をまだ自転車では行った事のない小浜に向かおうと云う事になったのです。
 御幸橋さくらであい館前に7時に待ち合わせる事にして、桜井を4時過ぎにスタート、まだ暗い上街道を北上します。西名阪下、奈良市中辻町と木津川市梅美台西3で信号に捕まっただけで、足つき3回、停止時間1分00秒で流れ橋に6時19分に到着、休憩と時間調整をして御幸橋へ向かいます。
 さくらであい館前には既にNちゃんが到着、休日とあってローディの姿も多いです。さて桂川沿いの木津八幡嵐山自転車を北上し、いつもの久我橋を渡らずにそのまま鴨川の左岸を行きます、少々ダートと云うか未舗装部分がありますが良くしまっていて、雨の後でもない限りロードでもさして問題はなさそうで、通勤通学の自転車のルートとして結構利用されている様です。対岸に見えているのは阪神高速8号京都線。この後、近鉄京都線の鉄橋をくぐり、R24勧進橋で右岸に渡ります。
 JR奈良線と東海道線をくぐると暫くで七条大橋が見えてきますが、右岸側(写真左)は行き止まりになりますので、手前の塩小路橋を渡り再び左岸に。
 対岸に京都名物の納涼床が見えてきます。この辺りで時刻が8時になっていますが、時間とともに観光客が増えてくるそうで、自転車での通行は難しくなるとか、このルートは早朝に駆け抜けるのが肝ですね。鴨川と高野川が別れる処が見えてきたら出町柳です。川べりの道はまだ続いている様なのですが、だんだん走りにくくなる様ですので、一般道に上がり高野橋東詰からR367となります。なおここまでサイドバッグ支度でも問題はなさそうです。
 しかしR367に入ると車が多いですね、土曜日ですので、結構ダンプとかも多いです、時間が経つと観光バスなんかも多くなるかも。八瀬を過ぎた辺りからNちゃんのガイドで旧道を縫って走ります、こちらは快適です。
 大原ではコンビニ休憩の後、今回の目的の一つ愛宕(おたぎ)郡の大原村道路元標を訪れます。1,052基目となります。

 

 最初の峠となる途中越へ、滋賀県に入ります。トンネルを避けて集落の中の旧道へ。
 途中越の次は今日のルートの最高点になる花折峠(591m)、トンネルを避けて近畿自然歩道となっている旧道へ。ロープや鎖で車は入れない様になっていますが、比較的新しいアスファルト舗装が続きます。展望のない峠ですが、朽木鯖街道最大の難所だっただけに、峠名を印した立派な石碑が。

 朽木側で崩落している部分がありましたが、自転車の通行には問題はありません、現R367に合流してからも、断片的に旧道があるのですが、災害で流されたままで通れない区間もあります。
 12時過ぎに朽木宿に到着、道の駅のレストランは1,000円のバイキングだけだそうで、国道から離れ朽木宿の中の「丸八百貨店」へ、もとはその名の通り3階建ての百貨店だった様ですが、現在は観光案内所や無料休憩所の役目を、お茶と大したもんでもありませんか食事もできます。きつねそばとおにぎりを、しめて400円也。

 レトロさも魅力ですが、気さくなおばさんがいてアットホームな空間です。
 さて朽木宿を後にしてR367檜峠(写真左)とR303の旧道水坂(みさか)峠(写真右)を越えR303に合流、寒風トンネルを抜けると福井県です。
 このルートの目玉は熊川宿となるのでしょうが、なにやら時代劇のセットみたいで、ワタシ的には今一でした、道の駅の裏側より小浜よりの一画の方が静かで良いかも。
 一軒のお店で葛饅頭を頂きます。甘さ控え目で葛の風味が良かったです。私たちの次で売り切れになっていました。
 熊川宿を後にし一路小浜へ、R27と合流し上中駅を過ぎた辺りで脇道へ。

 堤防上の良さげな道を道を見つけて突っ込みますが、書いてある通りの「通り抜けできません」の行き止まりでした。その後は県道24号に入ります、田んぼの中の真っ直ぐな道で見通しが良くて走りやすいのですが陽射しと風がね、ただそのまま行けば「鯖街道起点」を売りにしているいずみ町のアーケードへ。
 Nちゃんが指差しているのが「鯖街道起点」のプレート。アーケードを抜けて海岸の小浜公園まで走り「北の海へ Part.2」完了です。R367~R303と些か交通量が多いのが難ですが、花折峠旧道や朽木宿は愉しめました。本当は小浜をゆっくり見て回りたかったのですが「青春18きっぷ」だけで桜井まで帰る目論みですので1729発の敦賀行きがタイムリミットとなります、それでも接続のスジが悪くて桜井帰着は2323着の終電に。別ルートでの再訪を愉しみとします、本日の走行156.6キロ。道案内とお付き合いしてくれたNちゃんに感謝。

 

北の海へセンチュリーラン

京都府宮津市 丹後由良海水浴場

 6月の東の海(鳥羽市鎧崎)、西の海(和歌山市加太)に続いて北の海を目指します。関西から北の海へのライドと云うとコースは様々ですが若狭小浜辺りを目指す人が多い中、そこはその天の邪鬼な私の事ですから、狙ったのは天橋立、あわよくば近畿最北端の経ヶ岬も狙えるのではと線を引いてみたのですが、さすがにこれには無理がありそうな。さてコースは上街道から奈良阪を経て嵐山八幡木津自転車道を走り、嵐山から六丁峠を越えて保津峡、水尾、越畑、日吉ダム、綾部から宮津へと走る200キロ近い道のり、なお日吉ダムから先はほぼ未踏区間です。

 帰途輪行の予定ですので、荷物は輪行袋と着替え一式、マウンテンスミスの小さい方のランバ―バッグ(ヒップバッグ)に、これ位の荷物ならオプションのショルダーベルトも不要でしょう、元来背中には背負わない主義ですが、夏場は肩当ても鬱陶しいものです。後サドルバッグをトピークからモンベル(本来はフロントバッグとして販売されているもの)と交換してゴリラポッドを押し込みます「自撮り」をしている余裕はないのですが、記念撮影位と思い持って行ったのですが、結局一度も使う機会はありませんでした。
 自転車道へは明るくなってから入る様に逆算して桜井を2時過ぎに出発します。流れ橋までは一昨年40往復した勝手知ったる道ですが、真っ暗な自転車道は危険この上ないのです、路肩が不明瞭だったり、車止めポールの蓋とか、ライトや反射材を持たずに走っているジョガーや犬の散歩とかトラップだらけです。上街道は西名阪下の信号で捕まっただけで足着き1回、京都府に入って木津川市梅美台のファミマで明るくなるまで小休止。
 自転車道に入るとついつい加速してしまうのですが、最近100キロ前後を走るペース配分やリズムに馴れてしまっているので、今日は先が長いのでセーブしながら走る心掛けを、流れ橋で2度目の休憩を。
 丁度7時に嵐山到着、休日の朝とあってか嵐山に近づくに従ってジョガーの多い事。ただ一大観光地の嵐山はまだまだ観光客の姿はまばらです。3度目の休憩の後、コンビニでおにぎりを1個と凍らせた飲料を補給、この先コース上にはコンビニの類いは綾部市街までないかと。
 府道50号京都日吉美山線、嵯峨野から六丁峠へ、登りきれるかと思ったのですが、対向車が2台続けて下ってきてアウト!
 一旦保津峡へ下りますが再び標高差400m程の登りが始まります。ところで今日はローディのグループの多い事、明日の美山の前乗り組なんでしょうかの、調子に乗って着いて行ったりすると後が持ちませんので、大人しく見送ります。追い越す時に声を掛けるのは勿論だとしても、グループと思って何台?と尋ねると速答できないのは何故、質問が突拍子もないのか、一緒に走っている人数を把握できていないのか。8時半には水尾に到着、自販機休憩。
 神明峠、ゲートのある亀岡方面へ下る林道へは峠になるのですが、府道はまだ標高差で100m程続く、サイクリストには悪名高い峠。緩やかなアップダウンが暫く続いてようやく下りに入ります。

 樒原(しきみがはら)へ、ここにはバスの車庫があってここまで山陰本線八木駅から1日3往復の京阪京都交通のバスがやってきます。京都市右京区には違いないのですが、園部市の経済圏になっています。こんな処に京阪の塗装のバスがいて怪訝に思いましたが、2004年に破綻した京都交通の路線を京阪グループが引き継いだとか。そんな訳でここから先は道は随分と良くなります。愛宕山の陰になるので宕陰(とういん)と呼ばれる樒原、越畑と過ぎ南丹市へ、神吉には北桑田郡の神吉村道路元標が残っています。
 天若(あまわか)湖と呼ばれる日吉ダム湖畔を行きます。峠を越えダム湖の上流側から下り基調の道を走っていると、このまま日本海側へ下って行ける様な錯覚を起こしますが、日吉ダムは桂川、日本海どころかまだ淀川の上流にいるのです。日吉駅から山陰本線沿いに走り胡麻駅へ、駅に隣接して食事のできる「胡麻屋」と云う店が、時間も11時になり走行距離が100キロを超えて疲れもでてきたので、ここでお昼と云う事に。
 カツ丼とかけうどんのセットにてんぷらを足して820円也、お味もボリュームにも満足してのんびりしていると「みずかぜ」が来るとの声。JR西日本、話題の豪華列車がやってきたではありませんか、上り普通列車との交換の為の運転停車です、なんとラッキーな。
 ところで胡麻と云う変わった駅名ですが、昭和30年まで胡麻郷村と呼ばれた土地、ただ胡麻の産地かと云うとそうではなく「駒」が転訛したものらしく。近年京都市内の胡麻屋さんが地名に馴染んで工場をここに建てたとか、ごま油とか胡麻由来の商品が並んでいます、胡麻そのものの原産地は海外が多く、国産ものはお高い様な。
 胡麻郷と云う処は高原状になっていて日本海側との分水界になっていて山陰本線はここを越えているのですが、嵐山から辿ってきた府道50号は美山に向かって行き止まりになり、何故か国道府道は一本もここを越えていません、今回は南側の農免道路の様な雰囲気の道を走り、R27下山バイパスをくぐり深い谷へ下って旧R27だった府道80号へ合流します。地形的に谷中分水界なのかなと思って、帰宅後調べてみると話はそう簡単ではない様な。和知駅へ立ち寄った後由良川右岸の府道59号を、交通量が少なくなかなか快適なコースです、その後R27となり綾部市街へ入ります、舞鶴若狭道のお陰か交通量は意外に少なかったかと。ただ胡麻から下り基調ながらルートを確認しながら走ったので結構時間がかかったと云うか長かったです。
 綾部に自転車で立ち寄るのは三度目、2008年10月と2009年8月、何れも道路元標蒐集の途上でした。駅前の通りではなく旧街道と思しき道を行きます、綾部駅近くまで来たのは既に14時近くになってしまいました。
 綾部から由良川に沿うと福知山を経由して遠回りになりますので、京都府道9号綾部大江宮津線にてショートカット、小さな無名の峠を越えますが「従是北丹後国加佐郷」と「従是東丹波国何鹿郡」と記された石標があります。宮津街道に係わるルートとして由緒がありそうな道です。
 由良川河畔に出た後、計画ではそのまま府道9号で宮津へ向う事を考えていたのですが、流石に標高400m超の普甲(ふこう)峠を越える余力は無く由良川沿いに丹後由良を目指す事に。ただ交通量の多い対岸(左岸)のR175には渡らず右岸の県道を継いで最下流の八雲橋まで北上します。最下流と云っても河口まで5キロ以上あるのですが、これより下流には道路橋はなく京都丹後鉄道宮津線の由良川橋梁しかありません。
 暫くR178を走るとその由良川橋梁を渡る列車が見えてきました、列車と云っても1両ですが、観光列車の「あかまつ」号の様で、徐行運転をしながら鉄橋を渡っていますので、撮影するチャンスに恵まれました。初めて宮津線を訪れたのは1970年代、当時は国鉄宮津線でしたが奈具海岸のほうへ行ったので由良川橋梁を真横から眺める事はありませんでした。しかし全長552m25連のガーター橋は壮観ですね。
  丹後由良の海岸に出てみます、夏休みの週末とあって海水浴場はかなり騒がしいのかと思っていたのですが、人出も左程でもなく意外に静かでした。丹後由良と云えば近畿でも知られた海水浴場だったのですが、今はそうでもないのでしょうか。この先R178を天橋立まで走る事も考えたのですが極力「18きっぷ」で帰る事を考えると1732発がタイムリミットの様です。京都や大阪鶴橋から近鉄を利用すればまだまだ頑張れるのですが、それでは金額的に「18きっぷ」のメリットを生かせませんし、わざわざこの時期に走ってきた意味もありません、とか何とか理由をつけて丹後由良で本日は打ち止めと云う事に。日帰り温泉とか海水浴場のシャワーとかもあるのですが、静かな無人駅のベンチで輪行支度を整え、ボディシートで身体を拭いて着替えを済ませて、車上の人となりました。しかし由良の海岸から見た丹後半島の遠い事、かすかに見える半島は伊根の辺りですからね、経ヶ岬は更にその向こう、少々曇りがちなお天気に助けられてここまで来れた様なものです。本日の走行185.8キロ、「18きっぷ」3,020円分乗車。さて残るは南の海は潮岬です。

 

「しまなみキャンプライド」(前日)

 朝には所用を済ませ、移動だけの今日はお昼まで少しゆっくりした後、桜井1309に乗車、前泊地となる倉敷を目指します。大阪鶴橋からJRを乗り継いで行くのが一般的なのですが「18きっぷ」の使えない今回、少しでも節約してやろうと、姫路まで近鉄~阪神~神戸高速~山陽と私鉄を乗り継いで行く事にします、所要時間ではとてもJRに敵わないのですが、阪神なんば線直通のお陰で乗り換え2回、改札を通る事もホームが変わる事もなく山陽姫路駅まで行く事ができ220円安くなります。ヘッド(フォーク)抜きですのでコンパクトにはなっているものの、キャリアを着けたままなのでそれなりの重量が、重い輪行袋を担いで姫路での乗り換えは些か大変です。サイドバッグ4つ他を宅急便で尾道の手前の松永宅急便センターに既に送ってあるのですが、リュックにフロントバッグと今夜の着替え等を押し込んで担いでいます。
 姫路1636発の播州赤穂行きに乗車、まだ通勤時間帯前なのですが、高校生が結構乗り込んできます。相生で広島行きに乗り継ぎます、幸い向いホームで乗り換えもスムースだったのですが、これから混んでくる時間帯のスジなのですが4両編成とは、案の定岡山の手前から超満員、果たして倉敷で輪行袋を持って降りれるのかと心配になりましたが、大きな駅だけに事なきを得ましたが、結構荷物が押されてしまった様な、それでなくてもタイトなマッドガード、歪んで無ければ良いのですが。
明日、集合場所の尾道駅前まで旧山陽道に沿って走るとすれば70数キロ、途中で別送の荷物を受け取り4サイド支度にし、空箱を畳んで生口島に送る段取りとかを考えるとあまり時間の余裕もありませんので、今日の内にasuka号を組み立てて駅東の駐輪場に預けておく事にします。無人無料の駐輪場ですが、3階まで押して上がってここなら安心して置いておけそうです、もちろん鍵は2つをアースロック。ただ心配なのがリアのマッドガードを固定するチェーンステー側のブリッジのダボがどうも甘いのです。

 今夜の宿は倉敷駅近くの「センチュリオンホテル&スパ倉敷」、倉敷で泊まろうとして「じゃらん」を見ていてたまたま見つけたもの、オープン記念のミステリープランとやらで、部屋数限定なものの何と税込100円也。取れればラッキーとばかりに「じゃらん」から予約したら簡単に取れてしまい、その上ポイントが使えてその100円すらも無しになって、実質タダに、付属のスパは別料金かなと思ったら、そちらも含めてタダ。ただサウナこそ付いているものの大したものでは無かったのですが。グーグルマップによると元は有料老人ホームの建物だった様で、1階の天井が低いとかホテルの建物らしからぬ感じ、しかし元が老人ホームだった知らなければ、シックな感じに整えられたワンランク上のビジホって感じです。
 おまけにオープンの記念の粗品まで。
 浮いた予算で美味しいものでもと考えもよぎったのですが、信号を挟んだ向かい側が山陽マルナカと云うイオン傘下のスーパーがあるので、明日午前中の分まで含めて買出しに出掛ける事に、弁当とお菓子を見繕って、ビールは明日の愉しみにおいておきます。すいません本日の走行0キロと云う事で。

プロローグ 前日 1日目① 1日目② 2日目 3日目

 

「しまなみ」へ行ってきます

 明日から「しまなみ海道」へ行ってきます。一昨年、今治の「シクロの家」のスタッフとして赴いたムラマサ君の企画による「第1回しまなみキャンプライド」に参加する為なのです。キャンピング仕様にできる自転車を持っていない人にも広く参加して貰おうと、食事を含めたサポートやキャリー、ガイドと手厚いもてなしで1泊2日の参加料が15,000円、サポートを必要としない身にはこれはあまりに高く、尾道での集合時刻や今治での解散時刻、輪行や荷物の託送を考えると、奈良からだと新幹線などの利用が必要、前後に泊まる事を考えても「18きっぷ」の期間でもなし、少なくともサイドバッグを送る運送料をも含めると4万以上の出費はさすがに痛いので一旦引いてしまったのです。なにしろ貧乏旅行が本分、昨年3月に~和歌山~徳島~今治~尾道と7泊8日で走った「四国ツーリング」の時の出費は32,424円ですからね。
 しかし折角のムラマサ君の企画、参加できないのは残念、他に参加しようなんて奇特な御仁がおられればと、ただ梅雨時とあって多少お天気回りの思惑もあったのですが。
 さて7月に入り前日の14日が午後からなら動けそうな案配、17日の海の日もフリーなので、2日目に今治に向かうツアーの一行と伯方大島大橋までご一緒し、見付島の無料のキャンプ場へ泊まり翌日は尾道に引き返すのも良いかもと。どうにか安上がりで有意義なプランは無いものかとはと思案の毎日、「18きっぷ」が使えたなら、2,370円/日で行けるものを桜井から尾道まで乗車券だけで5,050円、新幹線なら8,000円以上掛かる計算に。前泊は尾道のゲストハウスか福山のネットカフェでなら安上がり、他に最近はちょっと熱が冷めてしまっていますが道路元標巡りをしていた頃に定宿にしていた東横インのポイントが後1泊で無料宿泊券が貰えるので、福山か倉敷で東横インを使う手も。
 ところで託送する荷物の方なんですが、この季節ならテントも寝袋もコンパクトなもので済ませられ衣類も嵩張らないので、ほぼサイドバッグ4つだけに収まり、宅急便の140サイズ1個にして、ヤフオクで利用している「はこBOON」を使えば多少割安に。ただこのサービスは休止となり、7/10 17:59で受付が終了しているのですが、ただ発送は後でも良くキャンセルもできるので、とにかく自宅から尾道の手前の松永にある、ヤマト運輸の営業所までの25kgの荷物と、帰りの荷物を持ち込む生口島の瀬戸田の営業所まで畳んだ空箱を送る手配を済ませておきました。
 そして前日入りするなら倉敷から旧街道の山陽道(西国街道)を辿っても良いかなと、倉敷の宿の満室状況を調べていると、新しくオープンするホテルの信じられない様なキャンペーン価格を見付けて早速予約する事に。僅かですが予定外の副収入もあってようやくゴーサインを。加えてfacebookのお友達のK氏も16日夜の見付島キャンプを含めてご一緒して頂ける事になりました。

 殆どの荷物は送ってしまう事ができたので、輪行袋とフロントバッグを押し込んだリュックでの出で立ちです。ただ或る事情でリアのサイド枠を付けたままなので、ご覧の様に変則的なスタイルです。しかしロードと違って流石にasuka号は重いです。ご覧の様にエンド保護金具は不要になりますが、お陰で危うくリアのクイックシャフトを忘れる処でした。往路輪行は慎重にやらないと、最悪は目的地で輪行袋を解くと走れないなんて事になりかねません。
 さて倉敷まで一番安くて楽なそして混雑しないスジを考えなくては。

プロローグ 前日 1日目① 1日目② 2日目 3日目

 

北陸線廃線跡と河野しおかぜライン

旧北陸本線杉津~山中信号場間


 「CanCan謹製カレンダー」の常連モデルだったNちゃんと久しぶりに走りに行こうと云う事に、色々とプランも出たのですが、最近とみに鉄分多めのNちゃんからは「片鉄ロマン街道」こと片上鉄道廃線跡の案、ただ「青春18きっぷ」のシーズンでもないのに和気まで往復するのも何だか、ちなみに桜井から和気まで往復7,340円も掛かります。そこで廃線跡繋がりで敦賀まで往復輪行で北陸線山中越の廃線跡に行こうと云う事に、敦賀なら現在発売中のJR西日本「関西1デイパス」を使えば桜井から往復5,180円の処を3,600円で行って帰ってこれます、ただ「18きっぷ」の事を思えば割安感は些か少ないのですが。
 「関西1デイパス」季節ごとにタイトルや特典を変えて発売されているのもので、京阪神エリアの普通列車のみに乗車できるフリーきっぷなのですが、「18きっぷ」とは異なりこども運賃の適用があります。ただ発券時に乗車日の指定が必要で、従って当日朝に買いにくい駅からの乗車では注意が必要です。特典の方は水上バスとかは輪行サイクリストにはあまり縁のないものですが、6月4日分まで発売される「春の関西1デイパス」に関しては別途、新今宮から南海高野山、京都および鶴橋から近鉄長谷寺~室生口大野等の往復チケットを貰う事ができます。
 桜井から敦賀までJRのみ利用での始発では敦賀0950着となってしまいますので、奈良まで20キロ余りを自走して奈良0522に乗車、京都駅ホームでNちゃんと合流し湖西線経由で敦賀へと向います、ただ誤算だったのは近江今津で接続の福井行きは折り返しで反対ホームからの発車だった事。ともあれ0846には敦賀駅に到着、駅前に保存されている9600の動輪の前で輪行支度を解きます。
 北陸本線山中越の杉津(すいづ)線廃線跡については色々なサイトで紹介されていますので、ここで詳しく紹介はしませんが、1962年に北陸トンネルが開通するまで敦賀~今庄間を結んでいた線路跡で、多くは県道として利用され山越え区間に9つのトンネルが現存しています。私自身は2009年6月に3度目の金沢自走の途中に経由しましたが、その折はR8深坂峠を越えた後、敦賀市街には下らずに笙の川に沿って北上し池河内湿原から獺河内(うそごうち)に下り廃線跡ルートに入ったため、敦賀駅から辿るのは今回が初めてです。写真は北陸トンネルに入って行くサンダーバードですが、杉津線は木の芽川に沿った谷あいへと入って行きます。
 今回は下調べをしていなかった為に未踏の取り付き部分でで道を間違ってしまい西側の北陸道の上り線寄りの谷に入ってしまいました。お陰で建設中の新北陸トンネルの坑口を覗く事ができましたが。
 一旦R476まで戻って仕切り直しです、樫曲隧道はR476の歩道トンネルとして利用されていて、レトロな意匠の水銀灯が自動点灯する様になっています。葉原まではR476を辿れば良いのですが、断続的に旧道を取ります。この辺りでは廃線跡は北陸道とR476に再利用された形となっています。
 葉原界隈は田植えの真っ最中、獺河内から北は以前にも走っているのですが、記憶が曖昧と云うか、R476の改良で風景が変わってしまっている様な、少々道を間違えたりとご愛嬌。

 葉原からは廃線跡そのものが道路となり忠実に辿って行く事ができます。北陸道の上下線に挟まれる様な形で山越え区間の最初のトンネル、葉原隧道へ、抜けると一旦日本海側に出て鮒ヶ谷隧道~曽路地谷隧道~第一観音寺隧道~第二観音寺隧道~曲谷隧道~芦谷隧道~伊良谷隧道と続き、その間断続的に日本海の展望があり、最後の山中隧道で再び内陸側へと入ります。なお葉原隧道と8つ目の伊良谷隧道は交互通行の為の信号が設置されています。
 曽路地谷隧道を抜けた辺りにかつての杉津駅があったのですが、現在の北陸道の杉津PAに潰された格好になっています。海側から登ってきた道路と合流し県道207号今庄杉津線となります。
 先の樫曲隧道と後からでてきます湯尾隧道を含めた11のトンネル他が2016年に「旧北陸線トンネル群」として登録有形文化財に指定されています。現在山中隧道が補修工事中で土日祝と観光ツアー実施日以外の日中は2017年8月4日まで通行止との事ですのでご注意下さい。文化財になって観光ツアーもと云う事ですが、好天の日曜日なものそれらしき車や単車は数える程、自転車のペアが反対側から1組走ってきた程のものです。

 最後の山中隧道を抜けるとスイッチバックのあった山中信号所跡、左側は引き上げ線の跡です。ところで写真は誰が撮ったのかって、合成です(^_^)
 今庄に向って快適ダウンヒルですが、途中の大桐駅跡で小休止、ここにはD51の動輪が展示されています。
 今庄の街、宿場町の街道へ入ります、旅籠跡を再生した見学施設でお蕎麦を出しているので、お約束の今庄そばは此処で頂く事にします。

 おろし蕎麦のみのメニューで700円也、見学はともかくお蕎麦の提供はいつもやっている訳ではない様ですが、お蕎麦屋さんは他にも駅前や国道沿いに幾つもありますので。ゆっくりさせて貰った後、丁度13時に今庄を後にします。
 山中越えの杉津線からは離れていて見落としがちですが、同じく「旧北陸線トンネル群」として登録されている湯尾隧道です。


 
 今回のプランのキモとなったのは2013年に開通したこのホノケ山トンネル(2,709m)、敦賀スタートで帰途に河野しおかぜラインで南下しようとすると、どこかで内陸部から日本海側に出なければならないのですが、以前は武生近くまで北上して交通量の多いR8で山越えをしなければなりませんでした。R305がホノケ山トンネルで繋がった事で湯尾駅付近からショートカットする事が可能になりました、トンネル口まで登ればトンネル内は日本海側に向って下り、従って逆コースは考えたくはないです。交通量も多くないですが、平日は新北陸トンネルの工事で大型車の通行があるとか。
 「河野しおかぜライン」は以前は「河野海岸道路」と呼ばれた有料道路で現在は一般道路となっています。過去に二度ほど走った事があるのですが、やはり無料化が周知されると交通量は増える様でして。しかしR8を走る事を思えば、ただ敦賀市街まで戻るには杉津から10キロ近くはR8を走らなけらばならないのが、このプランのウィークポイントです。最後に少し遠回りですがR8鞠山トンネルを避けてフェリー乗り場から海岸寄りのルートを選んだのは正解だったかと。15時半に敦賀駅には到着、1623発の網干行新快速に乗り込む事ができました。本日の走行、奈良駅までの自走21キロとミスコースのロスを含めて95.7キロ、コース正味は70キロと云った処です。

東の海へ、センチュリーラン

鎧崎(三重県鳥羽市)

 海のない奈良県のサイクリストにとって海の見える処まで走るのはなかなか魅力的なものです。鉄人児玉さんも毎年の様に「東西南北の海へ」と云う触れ込みで走っておられたのですが。自身でも過去に鳥羽、和歌山、新宮、敦賀と一日で走った事はあるにはあるのですが…
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