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丹後半島ツーリング(1日目)

京丹後市久美浜町 小天橋にて
 
 桜井駅0543発に乗車、奈良、京都、福知山経由で城崎温泉駅に向かいます。 1本後の0607発でも京都駅0805発に乗り継ぐ事はできるのですが、京都駅の奈良線と山陰本線のホームは両端の位置にあり、まして平日の通勤時間帯に掛かりますから、輪行袋を担いでの移動はかなり大変、ましてこのスジは8両編成の前寄り4両が福知山行き、早く行っておく事に間違いはありません、乗り替え41分は長い様ですが、30分もしないうちに折り返しの列車がホームに入ってきます。
 お天気は概ね晴れ、暫くは青空が見えていたのですが、綾部から福知山にかけては雨、兵庫県に入るとまた晴れていると、せわしないお天気です。
 昨年は初めての丹後半島周回、海岸沿いのアップダウンに恐れをなして、福知山まで輪行し、与謝峠を越え丹後大宮まで57キロ走り1泊、翌朝に間人(たいざ)の手前からR178に入ると云うコースをとったのですが、何の事はないお昼には舟屋で風名な伊根に着いてしまいました。 今回はR178により海沿いの府道も含めて西の端から丹後半島を巡る予定です。
 
 1133城崎温泉駅着、早速支度を始めます。 なにしろ取り外しの多いヘッド抜き輪行ですから、部品一つで走れなくなってしまうリスクが、ロード以上に少なくありません。 asuka号はエイドブレーキを付けている関係でブレーキレバー側からブレーキワイヤーを外す事ができませんので、完全にハンドルを分離する事ができずにトップチュープに引っ掛けておくと云う変則的な方法になってしまっています、リアのブレーキワイヤーの処理に一考が必要です。 カンチブレーキの調整に不十分な処があって時間を取られましたが、それでも30分位で無事に出発準備完了です。
 
 今日は府県境界を越えて京丹後市の木津温泉で宿を取るつもりです、と云っても最短ルートですと20キロ程の距離しかありません。 時間は充分あります、と云っても温泉巡りをする程の余裕はないのですが、城崎の温泉街を少しポタりながらどこか適当な処で昼食にでもしようかと思っていたのですが。 お天気の方が写真から判る様に晴れたり曇ったり、と云うより晴れたり降ったり、時折夕立の様な雨が降ってきます、雨雲レーダーには全く影が無いのですが。 足湯とかで雨宿りする場所は幾らでもあるのですが、濡れない処に自転車を置いておける食事のできる店が全くと云って良い程に見つかりません。 とにかく問題なく走れそうなので「じゃらん」で木津温泉の宿を取る事にしました、温泉街の方ではありませんが、駅近くのR178沿いでは貴重なコンビニも近い「金平楼」と云う処、入湯税込、「じゃらん」のポイント割引で都合素泊まり4,900円、まぁ温泉ですから良いでしょう。
 
 食事はできないままですがお昼の分位の食料は持っていますし、お天気も落ち着いてきたので、14時前に城崎温泉を離れ円山川左岸の県道3号を北上します、距離的には城崎大橋を渡り飯谷峠を越えるのが短いのですが、一応最も外側を走るのが今回のテーマなもので、円山川最下流に架かる港大橋で対岸に渡り府県道11号に入ります(写真左)。 京都府との境の三原峠(写真右)、ここで久美浜湾の北側に出る道が別れていますので、左の小天橋(しょうてんきょう)方面へ。
 
 峠を下り久美浜湾を右に見ながら走っていると瀟洒なレストランが、湾の見えるロケーションも良いので、中途半端な時間になってしまいましたが、別に豪華な夕食が待っている訳でもありませんので、ここで遅いお昼を頂く事にします。 席からも抜群のロケーション、スムースジャズとボサノバが流れて、3匹の黒猫のいる空間です。 「ほうれん草とベーコンのパスタ」とパン、スープ、サラダのセットにコーヒーを頂いて1,706円、14時までだと何やらお安い様ですね。 それからロッジ「SEG」の名が示す様にどうやら素泊まりもできる様です。
 
 小天橋は日本海と久美浜湾を隔てる砂嘴です。 小さな天橋立と云う事で名付けられたのでしょうね。 一帯は海水浴場になっていますが、もうその人影はありません、台風の波を狙ったサーファーがやってきている様です。 いまだすっきりしないお天気ですが、例によって「自撮り」に挑戦、結構な風なのでストーンバッグが活躍します、陽射しが入るのを暫く待ってみたのですが、なかなかそうは旨くは行きません。
 
かれこれ小一時間程頑張ってみたのですが、時間が押してきたので出発し、久美浜湾をぐるっとまわり神野村道路元標へ、ここを訪れたのは2007年3月、その時に印象深かったのは丹後神野駅前から真っ直ぐ伸びる道の先にある桟橋、再び訪れる事にしました。
 木津温泉までは後1駅、R178を避けて海寄りの道を急ぎます。 宿は思っていたより大きな旅館でしたが、シーズンオフの平日とあって静か、自転車は広い玄関に入れさせて貰い、早速温泉に浸かる事にしました、本日の走行33.5キロ、明日は天気に恵まれそうです。
 
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丹後半島ツーリング(前日)

 今年の夏の「青春18きっぷ」、この機会に行きたい処は幾らでもあるのですが、予定の立たないうちに発売期間は過ぎお天気も思わしくありません。 しかし傘マークもいつまでも続かないだろとヤフオクで1回分をゲットする事にしたのですが、この天気模様だから値崩れするだろうとカレンダーを睨みながら入札をしたりするものの、なかなか相場は下がらない、結局は経費込みで3,140円かけて落札する事に。 そして向かう先は昨年と日程も同じく丹後半島へ、ところがお天気の方は突然発生した台風が本土直撃のコース、最悪は自転車は置いて消化試合と云う事になりそうな気配も。
 ところで肝心の自転車の方はどうなのかと云うと。 すったもんだでヘッド抜き輪行に対応させたasuka号、用意してあった分割式マッドガードに交換しようとすると、分割金具のリベットが新たに付け加えたキャリアのステーに干渉してクリアランスがとれなくなってしまっています。 急遽ブリッジへの取り付け位置をずらした分割式ガードの前半分を作り直す事に(参考:「分割式マッドガードの加工」)、ずらすと云っても範囲には限りがありますので、ブリッジへの固定と取り付け金具を共締めにする事となりました、やり方はスマートでないかも知れませんが、実用上全く問題はないでしょう。 マッドガード本体の突合せ部分を綺麗に仕上げましたので、オリジナルより綺麗に挟まっているかも。
 asuka号での始めてのヘッド抜き輪行ですから、早いスジに乗るために王寺駅や奈良駅まで未明に走っていてぶっつけ本番なんで無茶はようしません、自室でじっくり検討しながら輪行支度を済ませて駅まで担いで行く事にします、それに第一路面はまだ濡れています。 日頃初めて輪行する人にはフレームのキズなんて、一度やったら諦めがつくよ、なんて聞いた風な口を利いていますが、さすがに再塗装後1ヶ月のasuka号、しっかり養生をします。 エイドレバー、ロングケージと色々課題はあるのですが、なんとか輪行袋に収める事ができました。 実際サドルを下げるとKHSで使っている小径車用の「ちび輪」にも収まるのですが、キャラダイスの巨大サドルバッグが入りそうにないのと、袋を畳んだサイズが変わらないので、ロード用の「emu」に入れる事にしました。 しかしこうなると昨年暮れに新調した巨大輪行袋が無駄になってしまいます。
 
 ところでお天気の方は、台風は日本海へそれも若狭湾へ抜ける予想、通り過ぎても丹後半島は言葉通りの「余波」を受けるに違いありません。 今回は「18きっぷ」の最終日9/10に使って1泊、翌11日に普通の切符で帰って来ようと云う段取りですから余り遠くへも行けません、尾道へ向かって「しまなみ海道」を走って、虎の子の「えひめ旅行券」で今治に泊まってフェリーで帰ってくる案も視野に入れてみます。 しかし昔は地形図を用意したり色々な情報を集めたりとツーリングの準備はなかなか大変だったのですが、今ではネットとスマホのお陰で電車へ乗り込んでから行き先を決める事だって可能な、便利な時代になったものです。
 
 その後台風は速度を上げ予想より早く日本海に抜け、10日は多少の雨は覚悟が必要かも知れませんが、移動日と腹を括って丹後半島に向かう事にし、雨支度も整えて早めに休む事にしました。
 
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ちょっと奈良盆地ポタ

 久しぶりに天気予報から傘マークが消えたので、「延陽伯」号こと片倉シルクグロワール24(1983?)を駆ってポタってきました。 一応の目的は「ならサイクルスタンプラリー」のポイントゲットなのですが。
 
 大和川河畔を行きます。 自転車道ではないのですが、見通しの良い川沿いの道が続いています。
 
 庵治町でR24を跨いで旧街道の下ッ道に入り北上しますが、京奈和道のインターの完成で途中の風景が変わってしまいましたね。 写真右は「稗田環濠」、奈良盆地に点在する環濠集落の中でも綺麗に濠が整備され保存されています。
 
 近くにスタンプラリーのチェックポントである売太(めた)神社がありますので立ち寄って行きます。 少し寄り道して辰市村道路元標へ、長い事旧村役場の建物が廃墟の様に残っていたのですが、久しぶりに来てみると消防団倉庫となり道路元標も再建されていました、どうやらここが安住の地となりそうです。
 
 大和郡山市にはあまり来る事がないので、ひさしぶりに「本家菊屋」に寄って「城の口餅」を頂きます(300円)。 お店の佇まいは良いのですが、市役所のまん前とあって、結構前を車が行き交っています。
 
 チェックポイントの平城宮跡に寄りたいので奈良市街まで北上してきたのですが、雲行きが怪しくなってきたと思ったら雨がパラパラと、ほんと聞いていないよって感じです。 新大宮のローソンで菓子パンをかじりながら暫し雨宿り。 一応は輪行袋を持ってきてはいるのですが、どうやら通り雨で済みそうなので、おさまった処でチェックポイントの平城宮跡へ向けて再スタート。 その後西大寺から近鉄奈良線沿いに西へ、これが結構アップダウンがあるのですよね。 富雄でTRANSITさんに立ち寄ってバーテープをGETしてさらに西へと。
 
 往馬(いこま)大社で奈良盆地エリア10ヶ所を完了です。
 
 
 
 
 
  生駒からはR168を王寺方面へ走れば良いのですが、交通量がが多いのであまり好きではありません、何を思ったのかR308を富雄側へ越える事に、ここには榁ノ木峠と云う結構エゲつない峠があって、過去に西行きで越えた事はあるのですが、案の定私の脚力と「延陽伯」号の足回りでは登れるはずもなく、きっちり推しが入ってしまいました。
 せっかくですので富雄村道路元標に立寄った後、富雄川右岸沿いに南下すれば自転車道に自然と入りますので、大和八木経由で帰ってきました、走行81.1キロですが結構疲れました。

自在エンド金具の製作

 週末から鬱陶しい天気が続いていますが、こんな時にこそやっておきたい事を片付け様と思うのですが、だらだらしているばかりでなかなか何も片付かないものです。
 
 近々にも輪行ツーリングをしようと云う話があって、輪行袋を一つお貸ししようと云う約束としたのですが、よくよく考えると輪行袋は幾つもあるのですが、エンド保護金具は使いまわしているので1組しかありません、それも何かの時に不自由なので、マルト製の安いものをポチったのですが、1,118円也。 クイックシャフトがないのは承知の上なのですが、なんと樹脂製なのですね、今風の超軽量ロードバイクならともかく、うちのチョー重たいasuka号には荷が重たそうです。 まぁこれはさておき、花嫁修業中の「延陽伯」号、どこぞへ連れて行ってやろうと思いつつも、私の脚力と彼女の足回りでは、芋峠も西峠もちょっと厳しそうで、国中(くんなか、概ね大和盆地の事)から脱出するのは難しそうです。 そこで輪行してどこぞの旧街道の街並みを散策するものよさそうだと思ってみたものの、よくよく考えると彼女に合うエンド幅120mmのエンド保護金具がないではありませんか、どうやら今は市販もされていない様です。 そこで思い出したのがつっちーさんのブログ記事、長い物を切って継いでやればエエやんかと。
 
 手持ちのオーストリッチの金具を120mm幅になる様に切断、ホームセンターで買ってきた金具(100x25mm)で継ぐ訳です。 理由は判りませんがオーストリッチの金具には既に穴があいていますので、それを利用してM6のネジで固定します。 つっちーさんの作例では蝶ナットを利用していますが、準備に怠りさえ無ければ現場で長さを変える必要はない訳ですね、念のために常時携行している5mmのアーレンキーと10mmのスパナで調整できるボルトナットの組み合わせにしておきます。
 
 後はつっちーさんのブログにある様に安定を良くするためにゴム足を取り付けてみました。 分厚いゴム板を全面に貼り付けるのも良いかなと思ったのですが、ネジ頭部分を避ける様に加工するのが大変なので今回は見送りました。 シャフトに通すパイプは同様にホームセンターで買った13mmΦのアルミパイプから切り出しました、オリジナルの130mm用は12mmΦ肉厚1.7mmのパイプですが、なぜか12mmΦより13mmΦのパイプの方が安かったもので。 なお入手したのは肉厚1.2mmでした。 9さんのasukaロードが里帰りすれば必要もないのですが、材料があるのでついでに126mm用も作っておきました、だったら135mm用も作ったらて云われそうですが、今の処そう云う予定はありませんので、もしもエンド幅135mmの魅力的なお尻の大きな彼女が現われでもしたらその時考えます。 しかしオーストリッチもすぐ失くしそうな5mm差を埋めるアダプターを付けるなんてケチ臭い事せんと135mmにあったパイプを付けてやればと思いますがね。
 別にマジックインキで書いておいても良いのですが、120,126,130mmと記したテプラを貼っておきました、間違って持って出掛けたなんて嫌ですもんね。 
 出来上がり使用例はこんな感じですね。 強度的には十分でしょう、ジョイントしている金具が内寸ぴったりだと申し分ないのですが。 なおシャフトはオリジナルものは必要以上に長くなりますしあえて使わず、後輪から外して使いまわしています。 余談ですが輪行時に鬱陶しいので前後ともにシャフトは外す事にしています。 たとえ数mmでも邪魔臭くても、輪行は可能な限りコンパクトが鉄則です。

 組み立ては別として、加工に動員した工具はこんなものです、金工用の糸鋸の刃が見つからず、所詮アルミなんで100均で売っているマルチソーとやらで切断しましたが、綺麗に付き合わさる様にヤスリで仕上げる方が手間がかかりました。 ゴム足はナット止めだとジョイントしている金具に当たるのでM4のタップを立てました。 アルミパイプのカットはパイプカッターがあれば楽なもんです、どっかで安く売っていたシロモノなんですが。 さて、せっかく作って出番はいつなんでしょうね。

 

今月も無事に1,000キロ超え

嵐山八幡木津自転車道 近鉄京都線木津川橋梁にて
 
 名馬と云うにはおこがましいですが、無事これ何とかで… 本日の走行105.8キロ、今月も走行1,000キロを超えました。 7ヶ月連続、年間走行距離も9,000キロを超えて、一応の目標10,000キロは目前です。 しかし時間さえあれば10,000キロは誰でも走れますが、鉄人児玉さんの20,000キロは時間だけでは走れないとつくづく感じる今日この頃です。
 

 そうそうモンベルオンラインのファクトリーアウトレットでサイクルフロントバッグが2,798円で出ていたのをポチっていたのが昨日届いたので、早速asuka号のサドルバッグとしてチョイスしてみました、ホント誂えた様な色です。 フロントバッグとしては開口部が狭いので使い易いとは思えないのですが、3気室に別れていて工具やスペアチューブなどを入れるサドルバッグとして丁度良いかも、輪行袋や三脚を積む時以外はキャラダイスは大き過ぎますからね。
 

asuka号復活です

 先月からドッグ入りしていたうちのasuka700cツーリングですが、月曜にフレームを引き取ってきましたので、明日の「野迫川避暑サイク PartⅡ」にはこいつで参加しようと押っ取り刀でパーツを組み付ける事に、バラすにはバラしたものの、はてさて無事に組みあげる事ができるのか心配でしたが、どうにかご覧の様に。 
 1999年4月以来16年、延べ41,200キロ余り、北は能登半島、東は碓井峠、西は阿蘇まで酷使し続けてきたのですが、6月の末に鈴鹿のあびさん他へろへろ輪のキャンプにドタ参してみようかとと、リアキャリアを取り付けていた処、カンチ台座がちぎれてしまいました。 5月にkoga-miyataロードを潰してしまったばかりなのに災難続き、こやつのカンチ台座は直付けのシロモノ、ビルダーのシクロサロンあすかは親爺さんが倒れてからはフレームビルダーとしては事実上廃業状態ですので、T御大の伝手でエクタープロトン橋口製作所さんに修理をお願いする事にしました。 同じ台座も無いでしょうし、リア両側を交換して貰う事になりますが、火を入れるついでガードクリアランスの点で気に入らなかったシートステーのブリッジも付け直して貰い、再塗装して貰う事にしました。
 実はこの機会にやっておこうかと思っていた事が他にもありまして、ヘッド抜き輪行への対応。 ずいぶん以前からそう思ってタンゲの輪行用ヘッドパーツを入手してあったのです、ところが橋口さん処でその旨を伝えて元々のヘッドパーツを抜いて貰うと、なんとasuka号はイタリアン規格だったのです、何しろ自転車メカ音痴の私の事、走ってれば良しと云う人間ですからJISだろうとITAだろうとお構いなし、そんな事は露とも考えていなかったのです。
 ヘッド抜き輪行なんて文化はきっと日本だけだろうし、イタリアン規格の輪行用ヘッドなんてこの世にあるのだろうかと、T御大と橋口さんと3人で首を傾げるばかり。 しかし探してみるものですね、世の中にはあるもんです、ベロオレンジが出していました。 さっそく在庫のあった「ナニワ銀輪堂」へ直行です。 
 他にも心配事は無きにしもあらず、長年の酷使に、塗装を剥がしたらシワが入っているよなんて云われたら、もう万事休すです。 そしてasukaのデカール、前回2006年に塗り替えた時には上村塗装に手持ちがあったのですが、さて9年後の今回はどうなんでしょうか。
 修理と再塗装でお盆にはなるだろうかと思っていた処、今月5日に橋口さんから連絡が、どうやらフレームもデカールも問題なしの様です。 早速10日には引き取りに伺い、目の前で件のベロオレンジのヘッドパーツを圧入して貰い引き上げてきました。 再塗装はこれで3度目ですが、ずっと黄色がトレードマークだったasuka号ですが、今度はオレンジ色にして貰いました、想像していたよりちょっと派手な仕上がりに当惑気味、もう少し渋くても良かったかな。 別に阪神ファンから巨人ファンに成り下がった訳でありませんので、念のため。 
 さて部品を組み付け、シートピラーを入れ様としますが、なかなか入りません、もちろん塗装を綺麗に剥がしペーパーで磨いてグリスを入れた結果です。 シートピラー径は27.0mm、火を入れた事で多少の歪が出たのかも知れません、リーマーなんて結構なものは持っていませんし、近所にそれをして貰える処があれば苦労もしません。 力任せに押し込んだら抜き差しならなくなる事は目に見えていますし、さりとて細い径のピラーを買うにしても寸法はいか程のものか。 ネットでぼやいていると skuram氏から26.4mmと26.6mmならお古の手持ちがあるよとの事。 リアのアウター受けも痛んでいる事ですし「ナニワ銀輪堂」へお邪魔した後、神戸は六甲道まで拝借しに伺う事に、今日は夕方からシーサイドポタ企画もあったので、久しぶりにsantaさんにお目にかかる事もできました。 
 シートピラーの方はさすがに26.6mmがすんなり収まりました、かなりキツく締め込めたので26.6mmでは細すぎるのかも知れません、馴染んで緩くなってくるかも知れません、それに交換したアウター受けも挟んでしまっています。 その後輪童さんからも26.8mmがあるよとの事ですので、一度試させて貰う事にしましょう、途中とんでもない失敗(写真右)をやらかしたりしましたが、なんとか無事に組み上げる事ができました。 

 さすがにこのまま明日、野迫川の山中に持ち込む度胸はありませんので、マッドガード無しの状態で、明日香村界隈を栢森まで30数キロ走ってきました、クランクが緩む様な事もなく、サドルが沈む事もなく、フロントディレーラーの調整が必要だなと思う位で帰ってきました。 前回の再塗装では黄色に乗せる黒色がなかったからなんでしょうか「factory shop ASUKA R-165 nara japan」とビルダーの松村さんのサインも復活しています。 さあ明日までに頑張ってガードの取り付けです。
 カンチ台座破断以来、多くの皆さんからアドバイスやご尽力を頂き感謝しております、無事にasuka号復活です、あとはちょっとハンドル回りに手を入れてみようかとは思っているのですが、今後ともツーリングの折などにお目にかかる事もあると思いますので、その時はよろしくお願い致します。

高野~野迫川避暑サイク

奈良/和歌山県道<732>五條阪本線
 連日の猛暑の中、涼を求めて、高野山から野迫川村を走ろうと云うsyokoraさんの企画に参加してきました。
 南海電車の高野山駅へ0811集合、参加者は15名、3名は麓から自走、残り12名は輪行で向かいますが、一度に12名もが乗り込みますと顰蹙の輩ですので、可能な限り分散して乗る事にします。 私は未明に桜井を出発し、南海高野線学文路(かむろ)駅0624に乗車する事に。 たまたま同じく先行のダイバーてっちゃんと乗り合わせます、さすがにこのスジだと乗客は4名です。 待ち合わせの1時間前には高野山駅に到着、朝の爽やかな空気の中、輪行支度を解きます。 
 上がってくるケーブルカー毎に何人かが到着、高野山駅も昨年の高野山開基1200年を機会にリニューアルされ、エレベーターなども設置され便利になりました。 0811着のケーブルで京都組も到着して輪行組も揃いました。 
 全員の準備もできた様でそろそろ出発です。 こうや君と並んで2ショット、御歳82歳の鉄人児玉さんは孫娘の様なお二人に囲まれてご満悦。 

 今回は変則的な現地集合になるので、GPS機能付きスマホを持っている方には「スマココ」と云うアプリを入れて貰い、お互いに現在位置が判るようにしてみました。 高野山駅の位置は自走組には方向的には戻る形になるのですが、これでお互いロスなく高野山大門に全員集合する事ができました。 例年の「月うさぎキャンプ」などの現地集合の集まりの時など、キャンプ装備で走ってくる皆さんの到着時間が気になる処ですが、これが役立つかも知れません。 なお、左の画像は当日のものではありません。

 高野山駅をスタートし大門で自走組3名と合流し、全員で集合写真を、結構車が通るのでセルフタイマーでの撮影もなかなか大変です、3連写を2回でどうにかOK。 今では高野山にもファミマがあるんです、ここでお昼の食料を仕込みます。
  折角の高野山ですから何人かが奥の院へお参りに、私を始め何人かはのんびりとベンチで過ごす事にします、しかし高野山の気温は何と26℃、自宅のクーラーの設定温度より低いのであります。 (左下の奥の院の写真はsyokoraさんからお借りしました。 ) 
いよいよサイクリング本番のスタート、今日のコースリーダーであるsyokoraさんを先頭に、ちょっとキツいですが摩尼トンネルの手前から桜峠への道へ入ります。
 
連日の猛暑とは云え、標高1,000mの木蔭の道は快適です。 桜峠を登りきると天狗木峠へと緩やかに登って行きます。
 
天狗木峠から<53>高野天川線を野迫川村役場方向へ行くと、吉野大峯の山々を見渡せる絶景ポイントが待っています。
 
さらに高野辻の三叉路まで下ります。 実はこの先<53>高野天川線は野川上までの間通行止との情報があり、<734>高野辻堂線と平川釜落林道を迂回して再び<53<高野天川線に戻る予定だったのですが、高野辻まで来てみると地元の車が上がってきますので、尋ねてみると、とにかく今日は工事はやってなくて通行は可能だとの事、当然そちらを下る事になります、野川上まで隘路ですが300m程のダウンヒル、その先は広くなって快走ルートです。 
柞原の野川弁財天まで下り、弁天さんの裏にある、ステージの様なウッドデッキでお昼にします。 
お昼の後は近くの「高野豆腐伝承館」でアイスクリームやお豆腐、揚げたてのあつあげを頂きます、何と云う組み合わせ。 (写真左はUG兄さんからお借りしました。 ) 
紀和トンネルまで登り野迫川村を後にして再び和歌山県高野町へ。
 
今井峠から筒香への下り、路面の悪い事は重々承知なんですが、案の定犠牲者が2人ばかり。 鄙びた風景の筒香の村の中の走り、富貴から深い谷を見下ろすダウンヒルです、ただ下ってきた下界の暑かった事と云ったら。
 <732>阪本五條線を火打口まで下ってきた処で、橋本へ戻る皆さんとお別れして、自走で桜井を目指す事にしますが、夕立を警戒して早めに下ってきたのが災いしたのか、まだまだ暑い中を走る事になってしまいましたので、五條で一息入れたりしながら吉野川河畔の道を遡上してのんびりと帰途に就きました。 本日の走行126.6キロ、高野山への登りは輪行だったものの、5月に自走で往復した時よりくたびれましたが、来週は野迫川村のさらに奥へ行こうという計画なんです。
 

 集合写真を含む写真をうちのHPにアップしています。 [BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2015]と辿って下さい、大きなサイズの画像もダウンロードできます、参加者の方は再利用して頂いて結構です。 なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧になれませんのであしからずご了承下さい。 ログイン名は’pal’、パスワードはうちのFAX番号下4桁です、CanCan謹製カレンダー等でご確認下さい。

今月の月例「東吉野サイク」は

お気に入りの染谷峠を行きます。
 

毎月の様に走っている吉野~東吉野~宇陀の周回コース、今月は今週末に行く事にしたので、NちゃんとSさんに声を掛けてみたら、お二人とも来て頂ける事になってしまいました。 両手に華と云うよりも、それぞれ乗鞍ヒルクライムにGF吉野ロング経験者ですから、まぁこちらが軽く揉んで頂くと云う事で(^_^;)
 橿原神宮前駅まで輪行で来るNちゃんをお迎えに行き、奈良から自走のSさんと待ち合わせの明日香村石舞台へ、待ち合わせ場所の行き違いで少しスタートが遅れましたので、芋峠への道を急ぎます。 案の定Sさんには置いて行かれましたよ。 
 いつもの様に吉野町河原屋のローソンに立ち寄った後、対岸の県道を走り宮滝で再び国道へ入り、高見川に沿った県道で東吉野村へ、御馴染みのポイントでお二人にはやらせ写真に出て貰います。 

吊り橋ではないのですが、Sさんはちょっと駄目な様で、そこは百戦錬磨ののNちゃんが果敢に。

 
 
 東吉野と云えばもう定番です、木津(こつ)川の手打ち蕎麦「よしの庵」でお昼を頂きます。 今日の変わりご飯とのセットには目にも涼しい「夏野菜のゼリーよせ」が点いていました。 
高見山を見上げるいつもの定点観測ポイントで、そしてヒゲ爺は少し散髪して貰った様です、東吉野とは云えさすがに暑いですもんね。 
谷尻(たんじり)の古民家カフェ「月うさぎ」も何やら三日月ログの組み立てで何やら忙しそう、その上雑誌の取材とかで番頭さんも忙しそうです。 しかし標高600m超の「月うさぎ」は涼しいです、お湿り程度ですが少し雨が降ってきました。 
「月うさぎ」の後は一谷峠を越えて菟田野へ下る事が多いのですが、今日は染谷峠を越えて室生へ向かう事に、その前に滝野で「投石(なげし)の滝」へ、少し判りにくいかも知れませんが白馬寺の境内を抜けて行くとすぐで、自転車も押して行けます。 今日はT御大もmillonさんもいませんので泳いだりする人はいませんよ。 
 
シクロツーリスト誌の峠特集でも紹介させて頂いた染谷峠への道です、南側は峠近くはなだらかで良く手入れされた明るい杉林の中の道が続きます。 午後の陽射しが射し込むこの季節この時間が最高ですね。 ネタ切れの「CanCan謹製カレンダー」に使える写真も撮れた様な
 峠を越えると旧室生村(現宇陀市)、旧R369へ下って大内峠を下り栂坂バイパスを跨いで再び県道<28>吉野室生寺針線となり室生寺に向かって長いダウンヒルです。 タイミングが良いと云うのか龍穴神社の手前で再び雨が、今度は本降りです、神社前で暫し雨宿りしNちゃんはこのまま県道で室生口大野駅から輪行で帰途に就く事に、私とSさんはやまなみロードの室生トンネルが目の前ですので、雨の中先に出発させて貰います。
 室生トンネルを抜けると雨は全くと云って良い程降っていません、滝谷の集落を抜けて菖蒲園から三本松へ出て旧街道の阿保越伊勢街道を海老坂峠へ、更に登って行くといつもの私設展望台の手前で再び雨が、その上今度は雷まで、展望台の屋根の下に逃げ込みます。
暫く雨雲レーダーを見ながらこの先のルートを思案します、30分程でしょうか足止めを食らい、雨雲レーダーにはまで山添村あたりに強い雨雲が暫く居座る様ですが、北西の空が明るくなってきたので、鳥が飛び立ち蝉が再び鳴きだしたのを合図に再出発です、便利な世の中になりましたが、最後は長年の勘です。 向淵(むこうじ)の集落へ出る頃には西日に輝く雨上がりの風景が見事に輝いていました。
 Sさんを旧R25を越えた辺りまでお送りし、ここから先は県道80号を練習コースにしている彼女の縄張りみたいなものです、お見送りして桜井へと帰途に就きました、本日の走行129.3キロ、三山木まで自走しているNちゃんを含めて三人三様に100キロ超えをした一日でした。
 「大きな画面で見る」のリンクをクリックしすると「写真レポート」や「プロフィールマップ」がご覧になれます、またGPXファイルの出力も可能です。
 
 
     

青山~美杉~御杖 避暑サイク

高座峠にて(Microsoft Image Composite Editorを使用)
 
昨日、近鉄賢島駅まであと僅かの処を走っていたらスマホに着信が、UG兄氏が明日どこかへ走りに行こうとのお達し、既に走行距離は170キロを越え、明日は休足日だよと終盤のアップダウンを飛ばしまくって、本日売りつくしでお疲れ気味、なのに断れない浅はかさ。 どこか適当なところまで積んで行って貰って適当な距離を周回ならばと、では涼しいところをと云う事でコースを一任され、とりあえず名張市の比奈知ダムへデポして青山高原方面へ走りに行こうと云う事にして、T御大にも声を掛けて3人で走る事になったのですが。
 普通電車の乗り継ぎで桜井へたどり着いたのは23時前、輪行支度をほどいて風呂に入って速攻で寝て、3時過ぎには起き出してコースファインディング、ところが三重県の道路情報を見ているとあちこちで通行止の情報が、それを避けながらコースを練っていると周回75キロ程になってしまいました。
 
隣町のT御大宅へ7時集合と云う事なのですが、せっかくですので早めにでて蓮が見ごろの藤原京へ寄って行きます。 早朝とは云え休日とあって結構な人です。 
 
早速トランポのハイエースに自転車を積み込みます。 私は9さんのasukaロード、T御大はセンチュリオン、UG兄氏はHRモーリスです。 
 
 
デポ地の比奈知ダムを出発し少し下って三重県道<691>名張青山線に入ります。 今では伊賀コリドールロードと云う広域農道ができていて、この道を通う車は少なくなり、ずいぶんと道も荒れていますが、涼しげな木蔭の続く雰囲気の良い道です、取り付きはきついのですが、高座峠と云う名の峠を緩やかに越えて行きます。 峠を越えると昔は青山町だったのですが、今では伊賀市となっているので妙な感じです。 <29>松阪青山線に出て少し下り再び<691>となって種生集落へ、ここは吉田兼好所縁の地で兼好塚と云うのがあって、少し入ってみたのですが結構登らさせられそうなので引き返してしまい、涼しげな神社の境内で一休みする事に。
 
今度は<39>美杉青山線に入ります、結局は木津川の源流部にあたる名張川、前深瀬川、川上川の谷を跨いで走っている事になるのですが、<39>はメナード青山と云うリゾート地に向かうメインルートなのでやや車が多いです。
 
一応おにぎりとかの携行食は持ってきたのですが、メナード青山の案内所の隣にある「霧生そば」と云う蕎麦屋に入る事に、開田高原産の蕎麦が売りな様で、お蕎麦そのものは悪くはなかったのですが、冷たい山菜おろしを頼んだものの、結構なお値段の割には具がしょぼかった様な。 後で聞いた情報では案内所をはさんだ隣の「熊笹ラーメン」がいけるとか、標高500m超えとは云えこの炎天下でラーメンはちょっとね。 なお道路沿いに自動販売機の類はありません、ホテルの中と美杉側に少し下った処のテニスコートで見かけました。 で布引峠でお決まりの記念写真をば。
 当初ここから<755>老ヶ野古田青山線で桜峠を経由して伊勢奥津方面へ向かいたかったのですが、通行止とされているだけで状況が判りません、昔何度か通った事があるのですが、かなりデンジャラスなロケーション、県道と云うより林道。 今日は避けて<39>を家城へ下ります、標高差400m程のダウンヒルは快適なのですが、家城まで下ってくると標高が無いだけに暑い事と云ったら。
 
家城からは雲出川とJR名松線に沿って<15>久居美杉線を走ります、斜度は知れているのですが、昨日からの疲れかだんだんお2人さんには付いて行くのが辛くなってきます。 ところで名松線は2009年の台風禍で家城以南が不通となり、紆余曲折を経て来春運行再開と云う事であちこちで復旧工事が続いています。
 
ようやくR368との交差点にたどり着いて伊勢本街道に入ります、奥津宿の中の風情のある道を辿って、名松線の終着駅伊勢奥津駅へ、綺麗な駅舎は開放されていますが、ホームや蔦のからまるSL時代の給水塔の方へはは入れません。 しかしここまで登って来るとやはり涼しいです。
 
駅から少し西に行くと奥津宿休み処「かわせみ庵」と云う古民家を利用したミニ道の駅みたいなのがあります、冷たいお茶をサービスして頂いたのですが、お菓子やパックに入れたかやくご飯とかもあって、縁側のある和室で食べて行けるようです。 「みょうが餅」と云うのがあったので買って帰ったのですが、中は普通のかしわ餅なのですが、つつんでいるミョウガの葉の香りがなんとも、アホになりそう。
 ここからデポ地の比奈知ダムへ戻るには県境を跨いでさらに鎌広峠(465m)を越えて行かなければなりません、極力涼しげな旧道を縫って行くのですが、最後は置いて行かれましたよ。
 
道の駅「伊勢本街道御杖」に着くと何やらおふたりはピナレロに乗ったローディと歓談中、名張の方だそうです。 ところで道の駅「伊勢本街道御杖」は「ならサイクルスタンプラリー」のポイントですから1個GET、いずれ曽爾高原と一緒に回るつもりだったのですが。
 ここまで来れば後はR368を下るだけ、途中からダムサイトの対岸路が通る事ができてトンネルを通らずに天端道路を走ってパーキングへ。
 T御大宅までの自走を含めて本日の走行86.1キロ、健脚のおふたりと一緒で疲れましたが、明日は「大和高原早朝ラン」です。 最後の写真は道の駅から比奈知ダムまでご一緒して頂いたロードの方に撮って頂きました。
 
 
 集合写真を含む写真をうちのHPにアップしています。 [BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2015]と辿って下さい、大きなサイズの画像もダウンロードできます。 今回はG2を持っていったのですが、正直云ってロクな写真がありませんので、おふたりの写真にお世話になりました。 ログイン名は’pal’、パスワードはうちのFAX番号下4桁です、CanCan謹製カレンダー等でご確認下さい。

無駄にしないゾ「伊勢志摩ツーリング」

剣峠からの展望(Microsoft Image Composite Editorを使用)
 先日、有効期限が残り僅かだと云う事に気がついた近鉄の「株主優待乗車券」、春に名古屋方面からの帰途に利用しようと金券ショップで1,400円で買ったものなんですが、計画が変更になって使わず仕舞いになっていたのです。 貧乏性な性格なものでどうにも使わず仕舞いで無駄にしてしまうと云う事ができません、1,400円の元を取ろうとすると桜井からだと伊勢若松か五十鈴川より先に行かなくてはなりません、伊勢市でも1,380円ですから20円損する計算なのです。 そこで取り敢えず伊勢までは走る事にして、調子が良ければその先へ行ってみようと云う事にしました。
 伊勢志摩へは2月4日に「ツールド紀伊」のスタンプラリーで走っていったのですが、「ツールド紀伊」も今年は奈良県だけのスタンプラリーになってしまったので、特にそちらへ行く目的もないのですがとにかく伊勢南街道と云われる和歌山街道と和歌山別街道をできる限りなぞってみようと。 前回は冬場と云う事もあって6時に出発して伊勢の「おかげ横丁」にたどり着いたのは17時過ぎ、「伊勢うどん」も「赤福」もお店は仕舞いかけで、名物にはありつけずにコンビニのおにぎりで虫養いをして帰ってきたので、今度こそは15時までには着きたいと4時過ぎにに桜井を出発しました。
 
R165西峠を越えて宇陀市へ、いつもの芳野川沿いのルートをとってR166で佐倉峠を越えて東吉野村へ、新木津トンネルを抜けるといつもの定点観測地点です。 時刻は6時半、いつもとは赴きの違う高見山の姿です。 
2,470mの高見トンネルを抜けて高見ループを見下ろすいつものポイントで休憩を入れます。 600m近い標高の朝は日向でも涼しい位です。 
 
今日はできるだけ早く伊勢に着きたいのですが、やはり旧道と脇道巡りは外せません。 まずは波瀬の集落(左上)、極端に遠回りになる区間は端折っりましたが現R166を縫うように走る旧道を選んで行きます、そして忘れてはならない和歌山街道の名所珍布(めずらし)峠へ(左下)。 
珍布峠、今日は朝もやと岩盤をひたたり落ちる水が印象的です。 
 
 
 
櫛田川の対岸の県道を走ったりしながらR368桜峠に入ります、ここから和歌山別街道となります、旧街道をトレースして行くのがなかなか厄介なのと、標高も下がりそろそろ陽が高くなってきて暑くなってきます。
 丹生大師の向かいの「ふれあいの館」と云う道の駅の様な処でアイスでも買おうかなと入ったのですが、食事のできる店が開いていたので、少し早いですがお昼にする事に、日替わりで賄いが変わるお店で今日は洋食、パスタがメインのランチメニュー(800円)を戴く事にします。
 丹生から先は小さな山越えがあったりして玉城へ、田丸町道路元標に立ち寄ったりしながらも、暫くは我慢の走行が続きます。
 
13時20分、伊勢内宮「おかげ横丁」は「赤福本店」に到着、さすがにお伊勢さん、平日でも満員です、当然「赤福氷」(520円)、観光地の有名店としてはなかなかリーズナブルな価格だと思いますよ。
 ここまで約120キロ、時刻もまだ14時、「赤福氷」ですっかり元気を取り戻して、剣峠を越えて賢島は充分に射程範囲です、幸いお天気も少し曇ってきてくれた様ですので、とにかく剣峠へ向かう事にします。 
内宮へお参り、自転車連れですので、ここで失礼します。 宇治橋の前で礼をされている方は関係ありませんので、あしからず。 
 
剣峠は両方向から何度か越えていますが、標高こそ知れているものの素晴らしい雰囲気の道です、峠直下のつづら折れが始まるまで五十鈴川沿いにアップダウンのある1.5車線路が続きます、地方主要道ながら伊勢市側はガードレールが殆どないと云うのが。 峠の切り通しを抜けると駐車スペースと剣峠のモニュメントが、そして五ヶ所湾の展望。
 五ヶ所へ下り、遠回りですが海岸沿いに浜島経由で賢島まで行くのが机上でのプラン、海岸沿いに結構なアップダウンがありますが、いくらでもショートカットするコースが考えられますので、気楽に行きます。
曇り気味とあって展望は今一つですが、五ヶ所湾やあご湾を望みながら、磯笛峠展望台を回って、浜島の旅館街を抜けひたすら走ります。 真っ直ぐ行けば鵜方駅が目の前なのですが、帰りは優待券ですしここまで来たのですから終点の賢島駅まで行っても変わりません、大橋と云う程でもない賢島大橋を渡って18時40分賢島駅へ到着、走行176.6キロ。
 失敗したのは輪行支度を済ませてから駅構内の「駅ファミ」で何か買おうと思っていたのですが、何とここの「駅ファミ」は19時で閉店、結局は携行食にしていた大福餅の残り1個だけで桜井まで帰ってきました。 ちなみに宇治山田、伊勢中川のホームの「駅ファミ」は20時までした。 たまには缶ビールにつまみも良いかなと思ったのに、残念。


「大きな画面で見る」のリンクをクリックしすると「写真レポート」や「プロフィールマップ」がご覧になれます、またGPXファイルの出力も可能です。

7月18日の日記

先日、近鉄電車に乗る時にフト見た回数乗車券を見て愕然、有効期限が目の前に迫っています、いつも京都へ行く時に利用しているのですが、自転車で往復する機会が多くて使い切れなかったのです。 そして春に金券ショップで買っておいて使わず仕舞いの「株主優待乗車券」も今月一杯、こちらは1,400円以上でないと元がとれません、桜井からだと名古屋とか伊勢を通り越して磯部や賢島まで行かないといけません(^_^;) とにかくヒマはあっても金はない、そして貧乏性な性格ですから無駄にする訳には行きません。
 と云う訳で大阪まで往復する事に。 実はブレーキ台座の折れたasuka号をこの機会に修正と塗装のやり替えをプロトンにお願いしているのですが、ついでに懸案だったヘッドパーツも輪行用にしようとしていて、タンゲの輪行用ヘッドパーツは以前から用意はしてあったのですが、asuka号をバラして明けてびっくり、実はイタリアン規格だったのです、まぁ三流サイクリストの私の考える事ですから、こんなもんですわ。 T御大と橋口さんを3人で顔を見合わせてイタリアンの輪行用ヘッドパーツなんであるのだろうか、第一ヘッド抜き輪行なんて文化は日本だけではと。
 しかしあるもんなんですねそれが、ベロオレンジがイタリアン規格の輪行用ヘッドパーツを出していたんですね。 それをナニワ銀輪堂が在庫に持っている様なので直接買いに行く事にしました。
 鶴橋まで行ったのは良いのですが、大阪環状線が台風の影響とかで運休、地下鉄で代行輸送をやっている様なのでそちらへ行こうかと思案している内に運転が再開したのですが、大正までとんでもない満員電車で危うく降りられない処でした。
 せっかく大阪まで出てきたので梅田のヨドバシカメラとウエパーへ品定めに回ります、この値段は安いだろうとコンデジ用のケースを一つGET、ウエパーではランドナーバーが安かったのですがじっと我慢。 そのうちに土曜日の人出に疲れて来たので夕方になる前に帰途に就きました。

〇〇は光モノがお好き

 さて「ナイトランに備えて2灯化」に続いての光モノネタです。 だいすけさんみたいに4灯化なんて事ではありませんので、一緒にせんといて下さい。 しかし昔から光モノには目が無い様で(^_^;) うちの部屋のマシン群の裏側、2004年当時です、最近はかなり健全になってますが。

さてしょうもない事はおいといて。 ナイトランに限らず、先の「1泊2日南紀ツーリング(1日目)」の様に全行程の1割以上がトンネル、それも最近の高規格な道路のトンネルや、歩行者や自転車が稀な山中のトンネルとなると、自動車は結構なスピードで轟音とともに迫ってきます、果たして対向車以上に自動車を運転する人はこちらの事をちゃんと認識できているのかと心配になって、あまり精神衛生上好いものでもありません。 やはり頼りにせざる得ないのは視認性の高い反射材や尾灯の類ですね。

 

まずは珍品から、パイオニア精密と云う会社が作っていた「ランビーム」と云う商品、電磁誘導、即ちホイールに取り付けたマグネットでライト部分に仕込まれたコイル近くを通過する際に起きる電力でLEDを点灯させる仕掛けです。 取り付け位置が限られる事と、停車時には点灯しない事、自転車店のルートでは見かけた事はなく、ホームセンター等で売られていたせいか、回りで使っていたのは峠おやじナワールド氏だけでした。 つい最近までkoga-miyataに付けていました、なんと云っても操作や電池不要の手間要らず、あまりに強力なマグネットのせいでチェーンラインが崩れると云う話がありましたねぇ。
 
定番メーカーのキャットアイ製品、にしては数少ない「JIS規格適合リフレクター搭載」セフティーライト、照度と振動による自動点灯に残光機能。 ただシートステー専用なのが。 輪行袋の中でもけなげに点滅してくれますので、親切な人が気を使って「なにか電気点いてますよ」と声を掛けて頂いて恐縮する事に、で輪行の度に電池を抜いていたりしたら、カバーがユルユルになってしまいました。 最近は自動点灯モデルにはスイッチ付きもあるそうですね。
 
やはりマッドガード付き自転車に似合うのはこいつ、ソーラー式自動点灯の優れものなんですが、結構重量があってデリケートな本所の高級アルミマッドガードには荷が重い様で、今はステーのダルマネジを2個止めにしました。 それから充電池GP40BVHの寿命が長くないのと入手しにくいのが欠点、写真はブリジストンブランドですが、キャットアイからも同様のものが出ています。 マッドガード用なのにいずれも防水防滴はうたってはいません。
 
キャットアイの標準でクリップにもなるタイプ、大概のサドルバッグにはクリップできるベルトが付いていますよね、少なくとも私のTOPEAKとキャラダイスのバッグには付けられます。 電池は単4が2本、お手頃価格で充分な輝度です。 私はロードの時にはマウンテンスミスのランバーバッグ、いわゆるヒップバッグを使う事が多いのですが、その時はバッグに取り付けています、走行中も操作がしやすいので。
 
3月の「赤穂~日生 かきおこポタ」で子囃子師匠が付けておられて気になっていたバーエンドに取り付けるLEDライト、同じものではありませんが、こんなものを見つけたので早速ポチってしまいました。 2個1組だとは考えもせずに2つ注文したので4個になってしまいました、3台に取り付けて予備1個で丁度良かったです。 電池はLR1130が2個、100均でも入手可能なものです。 モーメンタリスイッチで点滅~点灯~消灯します。 プラスチック製のナットを回す事で間のゴムを押しつぶしてハンドル内径に合わせ(写真右下)押し込みます。 パッケージには16~23mmの範囲に使えると書かれています。 シリコンのスイッチ部分を押さえて強引に押し込むと接触不良を起す様ですので、枠の部分を持って押し込む様にするのが良いでしょう。 手元でオンオフができるのと、視界の隅で点灯が確認できるので安心感がありますね。 2個1組と云う事はハンドル両側に付ける事を前提に売られている様ですが、同行者の話では右側だけで充分だよとの事でした。 電池の持ちは記載されていませんでしたが、添付の電池で10時間以上は使えてます。 ブルホーンだとかフラットバー、ミラーが付いているよとか、変わった処でバーエンドコントロールだよなんて方にはこんなのがあります。
 
自転車用と云う訳ではなく夜間にジョギングされる方にもおすすめの腕に付けるLEDライト、この手のものは昔からありましたが、LEDとシリコンの成型で装着感の良いものになってます。 電池はCR2032が2個、防滴仕様、点滅100時間、点灯70時間との事です。 発光色は赤、黄を始め各色あります、ちなみに写真はオレンジ色です。 と云う訳で珍品を別にしてみんな点けちゃうとこうなちゃいます。
 
他にも光るボトルとか世間には色々とある様ですが、まぁあまり下品にならない程度にネ。
 
バーエンドに付けるものや腕に付けるものは位置的に距離感がなくなるでしょうか、車も大きく避けてくれる様です、ぎりぎりの処で追い越す無神経かつ性格の歪んだ運転者も少なくない昨今、寄れるもんなら寄ってみろと云う感じです、冗談。
PS:しかし今までで一番難しくて上手く行かなかった「自撮り」だなぁ…

 

 

 
     
 

踏み込んではいけない道へ…

 

日頃お付き合いのある方もブログ読者の方も、私が自転車メカに関しては触らない人、触れない人である事はご想像の通りなのですが。 知識もないし勉強しようと云う気持もないし、そんな事は自転車屋に任せるものと思っているのですが、自転車は乗り倒すもののことメカに関してはほったらかし同様、もちろんツーリング中に最低限度必要とするタイヤ交換やチェーンを継いだりする事や、バーテープやメーター、ライト、変わった処でマッドガードの加工取り付けはしますが、それ以上の事はできませんし、知識もなく専用工具も揃えていません。 と云うか性格的に凝り性なもんで、そっち方面に手をだすと泥沼にはまる事は目に見えています。 まして嗜好はマニアックな要素の多いツーリング系や旧車、その上幸か不幸か私のまわりにはその筋では一流の方々が… あえて踏み込みたくない領域なのですが、お世話になっていた「シクロサロンあすか」の親爺さんが体調を崩されてもう何年になるのでしょうか、私の暮らす奈良県中和地域にはいわゆるプロショップと云うのでしょう、スポーツサイクルを専門的に扱う店が皆無同様、何かと不自由を囲っております。 特にここ一年程は走行距離が伸びるに従ってあちこち不具合も、結局どうなんでしょうね、専用工具を揃える費用や余計な部材を抱えたりするロスと、自転車屋に任せる費用を天秤にかけると。 趣味的要素が多い点では自作PCと良く似た感じかと、まぁそちらの知識は仕事との関わりもある事ですが、お陰で身の回りはガラクタ同様になったいわゆるDOS/Vパーツで一杯、これと同じ事が自転車で起これば…

 ところが先日のkoga-miyataのトラブルに加えて、浮世の義理?で参加せざる得なくなってきた今月末のあるイベントにロードが至急必要となり、そんな事も云ってられなくなってきました。 旧知の九度山人さんが色々と気を使ってくれて、急遽asuka号を駆って45キロ余りの道のりを和歌山県九度山町へ。
 
旧知の龍(ロン)さんから昔譲って頂いたと云うカーボンロードはどうかな、と云うお話もあったのですが、目を付けたのは写真左下のasukaロード、その存在は以前から知っていましたが、ご一緒する機会はなかったかと。 フレームサイズ540mmは私には少し大きいのですが、これをお借りしてkoga-miyataのハンドル周りと、サドル、ペダルを付け替えさせて貰う事で、話がまとまると早速AMAZONに必要な部材をスマホから発注、便利な世の中になったものです。 ここまで走ってきた我がasuka号をブーン君に背負わせて、あつかましついでに桜井まで送って貰う事に。
 
慣れない手つきでハンドル周りを交換、ブレーキアウターはもちろん上出し、この長さに拘る方がおられましてねぇ、フレームサイズが大きくなった分ステムが長すぎるのですが、これは体を合わせる事に。 なぜかサドルはselle ITALIA STORIKA、初期の鋲付きモデル、これが私のお尻には合っているんですねぇ、養生もせずに輪行したりするもんでボロボロなんですが、新品なら3万円以上のプレミアが付いているとか、Mossのテントとかうちには時々分不相応なお宝があるのです。 ステムは良かったのですが、ピラー径は合いませんでしたのでシートポストはお借りしました、デュラやったのに残念。 ディレーラーはサンツアーのオーレ、26年ものの短命の珍品、さすがに変速まわりは触れません。 ペダルはSPDに換装。 実はこのasuka号、あすかの親爺の手になるものではないのです、私は三連勝のフレームだとばかり思っていたのですが、UG兄さんのお話でZUNOWのものだと初めて知りました。 少々ブレーキワイヤーの交換にてこずりましたが、無事に走れる様になりボジションを出しながら、隣町のT御大のお宅へ、ダメ出しを貰ってサドルとハンドルバーの調整、とにかく一応の格好は付きました。
 
 代車はさてとしてkoga-miyataの事もあるので自転車をバラバラする処までは工具を揃えるつもりです、少しはきれいに乗れる様になるかな。 しかし既に部屋の中はひっくり返っております。 まず使わないだろうDOS/Vパーツの入ったコンテナを片付ける事から始めなければならない様です。

カメラバッグをフロントバッグに

20150422b.jpg20150422c.jpg 先日のフロントバッグのリクセン化で、カメラバッグ等で使い勝手の良さそうなものをリクセン化してみようと云う話になっていましたが、とりあえず目をつけていたのはこれ、VANGUARDと云うブランドのカメラバッグで、以前からうちに転がっていて、カメラバッグとして持ち出す事もなく単なるカメラアクセサリ入れとして使っているのですが、サイズ的になんとなく中途半端だし、フロントバッグにすると前開きになってしまうのと、後ろ側のポケットを潰してしまう事になるので躊躇しているのですが…
 
20150422a.jpg ところがこんなのがあったんです、エツミ製のリュック型カメラバッグが、ずいぶん以前に買ったのですが、出番がないまま殆ど新品(このモデルは現在では廃番の様ですが)と云うか、ミニベロのフロントバッグにならないかなと云う考えは無くも無かったのですが… ミニベロのフロントの縦長の空間、このスペースを有効に利用しようと云う考えは10年以上も前から、かのシクロアルピニストと云われたKeroさんが実践されていて、手作りの帆布製縦長フロントバッグを愛用されていました。 (彼は「自撮り」の先人でもあります)
 
20150422d.jpg
 私のKHSはその機動性から北は会津から南は宮崎まで、いつもの「18きっぷ」輪行で、主に道路元標蒐集に活躍していて、泊りがけともなるとおのずと荷物も増えてしまいます、私はツーリングでは背中には担がないと云うのが基本ですので、かなり強引に小型のサイドバッグを装備している訳です。 そして輪行時には輪行袋とカメラやモバイル機器の入ったフロントバッグを両肩に担ぐスタイル、フロントバッグをリュック化できれば輪行時にかなり楽になってくるはず。
 ちなみにリクセンカウルのフロントアタッチメントはタイオガのフロントバッグホルダーを介してハンドルポストに取り付けています(写真右上)、なお写真にも少し見えていますが、この世代のKHS F-20にはリクセンカウルのヘッドチューブアダプターを取り付けられるダボが付いているのですが、ねじ穴が浅すぎて使い物になりませんでした。
 
20150422e.jpg さてリュック型カメラバッグの改造です。 背当て部分にリクセンカール互換のBASILのアダプタープレートを取り付けます、そんなんしたら背中痛いやんか、とお思いでしょうが、これが殆どこたえないのです、それに第一このリュックを担ぐのは輪行袋を担いで移動する乗下車や乗換えの時だけです。 フロントバッグとは云えリュック型になって容量が増えた分、重量はおのずと増えてくるでしょう、リクセンカウルのクリックフィックスだけでは強度に不安があります、そこで出てくるのが昨日の「EB金具」なのです、これでフロントキャリアに固定すると抜群の安定感、おそらく「EB金具」がなければリュックをフロントバッグにする事には踏み切らなかったでしょう。
 
20150422f.jpg リュック型カメラバッグの多くは上下2気室になっています、このバッグの場合、フロントバッグとして利用している時は下部を開く事はできませんが、マジックテープで固定されている仕切りを外すと1気室にする事は可能ですし、輪行袋等の走行中に必要のないものを入れておいても良い訳です。 少し困ったのはフロントバッグとして使用時に邪魔になるショルダー、ブラブラさせていると非常に危険ですが、たたんでリュック自身のチェストハーネスやヒップベルトでハンドルポストにしっかり固定すると大丈夫です。 今日は荷物満載と云う訳でもありませんが、結構重いUPSの交換用バッテリーを積んで40キロ程走ってきました、ちなみにDST40.2km、AVS17.4km/h、MXS41.1km/h
 
20150422g.jpg 今のところ課題はバッグの大きさの割りにクリックフィックスやEB金具を取り付けている部分に腰がないので、なかなかパチンと一発で固定できない点でしょうか、バッグを内側から押さえてやるとかしないとなかなかうまく取り付けができません。 なにかしっかりとした芯材を入れてやる必要があるかも知れません。 後はSTIのワイヤーが邪魔になる事、折角の後開きが生かせません、別にSTIレバーに魅力は感じていませんので交換する手もありますが、バーエンドコントロールにすると輪行時に邪魔ですし、使い慣れているダブルレバーでは台座と折りたたみのKHSゆえにワイヤーの取り回しをどうすれば良いのか、色々と悩ましいところです。

ツーリング用バッグの選択

20150414a.jpg古くからのツーリング車に乗るサイクリストの多くはデイバッグ等を背負いこむ事を良しとしない、方は暑いとか背中が蒸れると云う意見で私もそう思うし、重心も高くなってしまい身体の動きも制限される、大きなザックを背負い込んで走っているサイクリストを見るとちょっと可哀相にさえ思える。 背中の蒸れを改善するために考えられた商品も昔からあるし、実際買って使った事もあるが、ちょっとはマシかなと思う程度で、構造的に収納力も2/3位になってしまい、結局はホコリを被っている。 それと私の場合カメラを担ぐとデイバッグは邪魔になって仕方がないと云うのが大きな理由で、10数年前から愛用しているのはマウンテンスミスのランバーバッグのシリーズ、いわゆるヒップバッグを云うやつ、今では同様のバッグも多いが、マウンテンスミスのHPによれば、このアイデアはマウンテンスミス創業者のものだとある、それに独自のフィットさせるシステムでなかなか上手くホールドする事ができる。 写真上(Photo : KMT48さん)は現行のTOURの前身のものですが同じく8リットルの容量、ロード用の輪行袋に脱いだ衣類の1枚や2枚は楽に入る。 しかし基本は荷物は身に着けない事が一番、最近はフロントバッグとキャラダイスの大型サドルに間に合っている事もあって、ランバーバッグの出番はロードに乗る時以外は減ったのですが、最近「自撮り」で三脚を持って行きたくなってくるとお泊りで輪行袋が加わるとキャラダイスのネルソンでも追いつかなくなってしまいました。 ロングフラップモデルも考えてみたのですが、最近どうも入手しにくい様で値段も安くはありません。 そこでランバーバッグの再登場となるのですが。
 
20150414b.jpg写真左は現行のDAY(14リッター)の前身でMOUNTAINSMITH CYCLING GEAR MOUTAIN (TM)、かなり陽に焼けてしまっていますが、破れ等はなくのびてしまったショックコードさえ替えてやれば十分見られますので、カラーゴム紐を取り寄せて早速補修してやります、手芸用品ですので耐候性が心配ですが、また替えてやれば良いでしょう。
 ところで現行品と同様に左右にボトル等も収容できるポケットが付いていて、容量も大きいだけに目一杯荷物を入れると相当な重量になってしまい、さすがに自慢のフィッティングシステムでも支えきれません、それに私の様にお腹の出たウェストのない人間は引っ掛かりがないので特にです。
 
20150414d.jpgそこにマウンテンスミスではオプションでショルダーベルトがSTRAPETTESと云う商品名で用意されています、実は以前から持っていたのですが、いくら探しても見つかりません、どうも現行品は取り付け方法が変わっている様に見えるのです。 駄目ならバッグも新色に買い換えるかと取り寄せてみると、ちゃんと1999年以前のシリーズでの取り付け方法が解説されていまして一件落着。 ころころ仕様を変えて旧製品との互換性をなくすどこかのメーカーは見習ってほしいものです。
 
20150414c.jpg余談ですがマウンテンスミスには以前サイクルスミスと云う兄弟ブランドでバッグを出していました。 完全に自転車用のパニアバッグやサイドバッグもあって、ランバーバッグシリーズも異なるネーミング、機能的にどこが違うのか良く判らなかったのですが。 その後マウンテンスミスサイクルギアと云うブランドになっていました。 左は「MOUNTAINSMITH CYCLING GEAR WORLD CUP(TM)」と云うリュック、先の理由で出番はありませんが、ヘルメットを収納できるザックとしては初めての製品だったのかも。

道路元標は何処へ

山口から帰ってきた時点で「青春18きっぷ」は後1回分残ってしまったが、有効期限の最終日10日のお天気は思わしくない。 10日に中央線薮原まで輪行して境峠を越えて奈川村道路元標を経て奈川渡ダムを経て松本泊、11日は塩尻市と岡谷市に残る現表を回って飯田泊、12日は三州街道を元標を巡りながら岡崎まで走り抜ける2泊3日280キロのプランを暖めていたのだが、どう考えてもお天気は味方はしてくれそうにない、いよいよ消化試合の「乗り鉄」の旅かと考えた挙句、天気の一番マシそうな金沢方面へとりこぼしている元標目当てに出掛ける事にした。
 
せっかくの「18きっぷ」だから能登半島まで行ってみたいところだが、さすがに戻ってこれないので金沢駅から歩いて10数分の石川郡は戸板村道路元標に向かう事に、しかし目標の戸板小学校が見つからない、GoogelMapをよくよく見てみると、そこにあるのは全くの更地、この都会のど真ん中で廃校でもあるまいと、丁度昼時なので近くのラーメン屋に入ってネットで情報収集すると、どうやら移転したらしい。 さらに10数分雨の中を歩いて行かなければならない様である。 さらにググっていると戸板公民館のブログに旧の戸板小学校内にあった道路元標の記事が、公民館の方が近いしそちらへ移転している可能性も無きにしも非ずなので、念のために小学校跡地を一回りした後に公民館を訪ねてみる事に。 いままでも現存情報がありながら現地に行くと見当たらない事は何度かあった、昨年も愛知県碧海郡の棚尾村道路元標がそうだったが、その時はその後に知多半島を回る予定だったので深追いできなかったが、案の定あとでネットで調べるとすぐ近くに移設保存されている事がわかり悔しい思いをしてしまった。 とにかく今回は時間の許す範囲で追っかけてみる事に。
 
戸板公民館は写真のような立派な建物。 戸板と云う地名が先程から気になって仕方がなかったが、よくよく考えるとあのアイ・オー・データ機器のある場所だったとは。 公民館には女性の職員だけがおられてブログの記事を書いただろう館長も主事も不在との事、元標の所在についてもこの公民館も近く移転するとの事で、ここへ持ち込まれている事はないだろうとの事であった。
 
結局は新しい小学校を訪れる事になるのだが、女性職員なのか先生なのかは所在については知らないとの事、幸い出てこられた校長先生とお話する機会を得たが、二宮金次郎像はこちらへ移設したが、道路元標に関しては知らないとの事、やはり公民館の館長が詳しいのでそちらへ尋ねてみるのが良いだろうとの返事だった。 公民館へは後日メールで問い合わせみる事にし戸板を後にした。
 

 

石川郡にはあと1基、額(ぬか)村道路元標が残っている、JRで西金沢まで行き、北陸鉄道石川線で乙丸駅へ、幸いこちらは歩いて10分程額束神社の境内と云うか道路に面した場所に現存していた。

 

【1034】 2015/04/10 石川県 石川郡 額村(現 金沢市)

道路元標蒐集サイク(山口編2日目)

日本の道百選 萩市「菊屋横丁」
 

 

今日はまず萩町道路元標に立ち寄り、美祢郡の大田町道路元標を経て山陽本線の厚東(ことう)駅まで走って1238発に乗車し帰途に就く予定なのですが、走行距離は峠越えの55キロ程、昨夜萩市内に泊まったお陰で時間の余裕もありますしお天気も最高、早朝の観光客のいない時間を狙って萩市内をポタってみる事に、事前に何の情報も集めていなかったので宿にあった観光パンフレットをたよりに散策してみます、まずは萩町道路元標、高札場跡に保存されています。
 
そして日本の道百選に選ばれていると云う「菊屋横丁」へ、横丁と云うのもちょっと変な感じもしますが、路地と云うには広過ぎますし、せっかくですから「自撮り」を、休日の昼間ではできない芸当でしょうね。 白壁の街並みを撮ったりしながら萩城址へと向かいます。
 
こちらも地元の方が散歩したりジョッキングをしたりと云う感じでです。 しかしKHS、輪行には手軽で良いのですがどうにも日本の風景には馴染まないヤツです(^_^;)
 
そろそろ走り出さないといけない時間です、市内のコンビニで補給をしてから萩駅へ、今では街の中心は東萩駅寄りになってしまい、無人駅となったレトロな旧駅舎は重要文化財となり「萩市自然と歴史の展示館」となっています
 
萩から山口市を経て防府へは「萩往還」と呼ばれる旧街道が通じていて、今日は前半はその道をたどって行く事になります、道の駅「萩往還公園」の手前から旧道へ入ると鹿背(かせ)隧道で小さな峠を越えます、このトンネルは国登録文化財で案内板によると「鹿背隧道は悴坂(かせがさか)峠を貫通する隧道で、長さ約182m、幅約4.2m、高さ約3.9mの規模を有した県内では他に類をみない石造トンネルである。 施工には地元萩・阿武地域だけではなく、周防大島町久賀や大分県安心院出身の石工が工事を請け負っている。 工事は明治16年(1883)に着工、翌明治17年(1884)に開通したという。 明治10年代の石造り道路隧道としては大変稀少であり、総延長も我国最大の長さを誇っている、素朴ではあるが重厚な味わいを持つ切り石積みの坑口、総石張りの内部はまさに壮観で、山口県下最初の洋風石造隧道として貴重である。 」とあります。 
峠を下ると現在は萩市の一部となっていますが旧旭村、鄙びた風景が広がります。 やはり日本の風景に似合わないKHSです。 ここで「萩往還」とは別れ雲雀峠への道をとります、こちらも赤間関街道と呼ばれる旧街道で、それらしき峠への案内板があって一車線の舗装路がのびているのですが、ちょっと先々がヤバそうなのでここは県道を行く事にします。 
雲雀峠は大きく開かれた切り通しの峠、名前の割には雰囲気も何にもありません。 標高も知れているのですが、一応は陰陽分水嶺の峠です。 路肩に郡界標でしょうか、三角柱の標石が、美祢郡赤郷村、阿武郡明木村とありますから少なくとも昭和29年以前となります、改良された県道脇に再建されていて、現時点で5基の道路元標の現存が確認されている山口県ですが、この事からまだまだ未知の道路元標が残されている可能性があるかも知れません。 
分水嶺を越えて既に瀬戸内側に下っているのですが小さな登り返しがあり、何となく峠の風情で記念碑や「奈良の大仏さまのふる里」なんて看板も建っています。 どうやら明治維新の古戦場で「呑水(のみず)峠」と云う由緒ある峠の様です。 「奈良の大仏さま…」云々は近くに奈良の大仏の再建時に銅を産出した銅山跡があるとの事です。 
今日最後の目的地、美祢郡は大田町道路元標です。 裏面には「昭和二十七年六月」とあります、と云う事は道路元標が法的裏づけを失った現行の「道路法」が施行された年月と符合してしまいます、不可解ですね。 
予定の厚東駅まで後20キロ程、予定通りの時間で進んでいますが、小郡まで10キロ余りの標識が出てきます、小郡へは二本木峠と云う峠を越えて行くのですが、回りの風景を眺めてみても大きな峠がある様な雰囲気でもありません。 調べてみると二本木峠は標高126mしかありません、現在の標高を考えると殆ど片峠の様子、厚東駅へはダム湖畔を走って行くルートですが、それより二本木峠を越えて小郡の新山口駅へ走った方が何となく楽そうな雰囲気、予定を変更して二本木峠へ向かう事に。 二本木峠を越える県道はほぼ平行して「山口秋吉台自転車道」が通じている様で、ただあまり利用はされていない様で、路面状況は良くはありません。 あえて下りで使う価値はなさそうですが、反対向きなら車に追われながら県道を登るなら自転車道を利用するのも良いかと。
 
最初の予定では厚東駅1238発の岩国行きに乗車する予定でしたが、二本木峠を下りきった処で列車の時刻を確認してみると新山口駅1153発、無理すれば2本前のスジに乗れるではありませんか、後の接続はともかく新山口駅へ急ぐことに、駅に着いたのは23分前、ホームは跨線橋を渡った4番のりば、そこはKHSですがサイドバッグ装備、駄目元で輪行支度を、ご覧の通り乗車列車の写真を撮る余裕まで。
 順当に行くと岩国、糸崎、岡山、姫路、大阪、王寺での乗り継ぎで「18きっぷ」のままで桜井に2218にたどり着けるのですが、時間帯から云っても岡山5分、姫路2分の接続はタイトです。 そこで遅くはなりますが糸崎で赤穂線経由の播州赤穂行きに乗車し、野洲行き新快速に乗り継ぐと云う技、お陰で全行程を座って2323桜井駅に無事帰投しました。
 本日の走行57.7キロ、昨日の王寺駅までの自走を含めても100キロにも満たなかったですが。 道路元標以外の事は特に考えてなかったものの、萩の街を巡ったり、「萩往還」をたどったり、幾つか峠をGETしたりと有意義なツーリングになりました、機会があれば再びゆっくり訪れてみたいものです。
 
【1031】 2015/04/07 山口県 大島郡 蒲浦村 (現 周防大島町
【1032】 2015/04/08 山口県 阿武郡 萩町 (現 萩市)
【1033】 2015/04/08 山口県 美祢郡 大田村(現 美祢市)
 
新山口1153→1354岩国1355→1613糸崎1645→1927播州赤穂1931→2113大阪2143→2238奈良2254→2323桜井 8,750円分乗車

 

 

道路元標蒐集サイク(山口編1日目)

山口県周防大島町 蒲浦村道路元標にて
 
 
 後3回分残っている「青春18きっぷ」、週間予報を模様眺めている内に有効期限の4月10日が迫ってきました。 最悪は自転車抜きでのんびり「乗り鉄」の旅になってしまうかも知れませんが、とにかく未修の道路元標の残っている処で天気の良さそうな方角へ向かえる様に幾つかプランを練っておいたのですが、この様子から金沢方面か広島方面かと云う事で、3基残している山口県に1泊2日で向かう事に。
山口へは先日の「しまなみ」の時にも使った、JR王寺駅まで20キロ余りを自走し始発に乗るのが一番良いのですが、前夜から雨が時折強く降ってきます、雨雲レーダーの予報を見ると未明3時には止んでくれるはずなのですが。 とにかく3時05分にこれ以上は降らないだろうとの判断で、真っ暗な大和川河畔を王寺へと向かう事に。
 今回は3度の輪行での移動を考えているためにKHSで、三脚を持って行きたいがためにリアのバッグを2サイドにしたためキャリア上がからっぽで、泥除けがないため迂闊にもお尻を濡らしてしまう事に、
なのに闇夜の21キロを1時時間2分で平均20.3キロとは。
 
 
前回と同様、新今宮、大阪、西明石で乗換えを済ませ姫路へ先回りして新見行き先頭車に乗車します。 この後、山口県大島郡の蒲浦村道路元標の残る周防大島へは山陽本線大畠駅まで、岡山、糸崎、岩国と乗換えをこなして都合9時間余りの長旅、九州佐賀まで行った事が2度あるとは云うものの、iPodを忘れてきたのは大失態です。 従って退屈しのぎはいわずと知れたSNSで皆さんに遊んで頂くのですが、モバイルバッテリーからスマホへの充電が上手く行かない様なのです、ACアダプターは持ってきていますし、大畠に着いたら駅前のコンビニで電池式の充電器を買うかするまで、暫くこちらも省エネモードに。
 
広島前後では結構込み合ってきます、糸崎からの車両は115系でも運転席後にスペースがないタイプで、席から離れたトイレ前のスペースに輪行袋を固定してあるのですが、駅での乗り降りの度に気にしていると、何やら視線を感じます!? その先にはどこかで拝見した様なお顔が… facebookのお友達で広島在のS氏がわざわざ乗り合わせてきてくれたのでした、混雑する車内で1駅だけでしが、結構な頂き物まで、もちろんお渡ししましたよ、名刺がわりのカレンダー。 (写真はS氏から頂きました)
 
色々考えてみると、原因はリール式のUSBケーブル(左)かも、ミニならGARMIN用がありますが、マイクロはこれ1本です。 大畠駅で下車後、早速コンビニへ、さすがにケーブルだけは売ってませんが、ケーブルが一体でなくて一番安いものをGET、1,008円也。 案の定ケーブルを替えてみるとモバイルバッテリーからの充電はばっちり。 しかしうちにはこの手の充電器がまた増える事に。
 
大畠駅1343着、降り立つのは2度目ですがホームから大島瀬戸をはさんで周防大島と大島大橋がすぐそこに見えます、瀬戸内海では淡路島、小豆島に続いて大きな島で、一度一周してみたいものですが海岸線が入り組んでいて、道路で一周すると100キロ近くにもなります。
 今回のKHSのいでたちは小径車には珍しい2サイド装備、モンベルのフロント用とされている小型のもの、それでも2サイドですからそれなりの収納力はありますが、輪行袋の中に押し込んでしまうので、かなり重くはなります。
 
蒲浦村道路元標までは大した距離でもありませんが、大島大橋まで登って行かなければなりません。 海沿いの静かな村のなかなかのロケーションに道路元標はあります、海の見える道路元標は函館市道路元標を初め幾つかありますが、今日の予定はここだけですので時間もありますし、道路元標を入れた「自撮り」をば。
 
明日は萩市の萩町道路元標からスタートです、島根県に入ってしまいますが1FでJAZZ屋をやっている益田駅前のビジホ「とらや」に泊まって、始発で萩に移動しようかと思ったのですが「とらや」は満室、東萩駅前で宿をとります。 厚狭から美祢線経由で長門市駅へ、キハ120のエンジン音が旅情を誘います。 本日の走行、王寺駅までの自走を含めても38.2キロ也。 「18きっぷ」で10,430円分乗車。
 

天の邪鬼「しまなみ」へ往く(3日目)

豊浜大橋
 
今日の予定は今治港0825発のフェリーで岡村島へ渡り、いわゆる「とびしま海道」を走って呉線沿線から「18きっぷ」輪行で帰途に就く予定です。 岡村港から呉線仁方駅まではコースにもよりますが最短では40キロにもなりませんし、大阪鶴橋から近鉄を利用するとすれば仁方駅1655発と余裕の行程です。
 
昨日は時間切れで諦めた西条市の多賀村道路元標ですが、せっかくここまで来たのですから5時過ぎに宿を出て壬生川までの往復40キロ余りを走る事にしました。 真冬の陽の短い季節ならともかく明るなった頃に着いて戻っても今治港へ余裕で戻ってくる事ができました。
 
昨日facebookで仕入れていた情報では「とびしま海道」ではコンビニの類は皆無に等しいとの事、市内で補給を済ませ、今治城へ立ち寄った後、余裕で今治港へ戻ってきました。 話が前後しますが宿は港の目の前、自転車は玄関に入れさせて貰えました、部屋からはライトアップされた今治城天守が、そしてお土産と云う事で「今治タオル」まで頂きました。 そう云えば今治と云えばバリィさん、その縁だったのかムラマサ君がこの4月からNPO法人「シクロツーリズムしまなみ」に勤める事になったそうです、次に「しまなみ」を渡る機会があればお目にかかれるかな。
 
今治港0825発の岡村島行きフェリーです、しかし今日も最高のお天気です、伊良湖、淡路島、小豆島、天草等々、昔から船旅の時はお天気に恵まれる様ですね。  
 
昨日、尾道で貰っておいた「せとうちサイクルーズPASS」がここで役にたちます、今治~岡村の自転車込みの料金1,020円が930円になります。 しかし3日間有効とか邪魔くさいことをせずにせめて1年間有効とかにしてほしいですね。
 
今治~岡村航路は1時間の船旅、「しまなみ海道」の来島海峡大橋の下をくぐります。 写真は大橋と昨日登った亀老山の遠望です。  
 
 
岡村港を出るなり早速「自撮り」です。 ところで「とびしま海道」ですが「7つの島、7つの橋を…」が触れ込みになっていますが、実際には内2つの島は無人島で道路だけが通じていて、岡村島が愛媛県今治市、他は広島県呉市に属しています。 西側から→(安芸灘大橋)→下蒲刈島→(蒲刈大橋)→上蒲刈島→(豊島大橋)→豊島→(豊浜大橋)→大崎下島→(平羅橋)→平羅島→(中の瀬戸大橋)→中ノ島→(岡村大橋)→岡村島となっていて、無人島の平羅島と中ノ島を除いて、それぞれ北岸と南岸に沿って道路が通じていて、サイクリングロードは下蒲刈島を除いては南岸を走るコースが基本になっている様です。
 
岡村島南岸を回り、見えてきたのが左側から平羅橋、中の瀬戸大橋、岡村大橋。 岡村大橋を渡ると呉市です。

 

 

 

3つの橋を一気に渡ってしまうと大崎下島、ここには重要伝統的建造物群保存地区とされている「御手洗」地区があります。 あえて云えば「とびしま海道」の中で唯一観光地らしき処です。 時間もありますのでのんびりこんな写真を撮りながら過ごします。
 
ところで御手洗地区の天満神社境内には「中村春吉碑」と云うのがありまして、この地の出身である中村春吉はなんと「日本初の自転車による世界一周旅行者」との事で、昨日のなんやら訳の判らない「サイクリストの聖地」より余程に聖地であります。
 
それから御手洗地区の北側の大長地区は反対に生き生きとしたレトロな街並みがあります、私的にはこちらの方が好きですが。 
 
 
大崎下島南岸を行きます。 瀬戸内海らしい景観を望みながら快適なシーサイドコースに見えますが、実は強烈な向かい風に苦しめられています。 この後、豊浜大橋を渡り豊島は北岸を走る事にします、こちら側にはヤマザキYショップがありますが、品揃えは田舎のJAの売店って感じです。
 
豊島大橋と大橋から見下ろす上蒲刈島。 ところでそれぞれの橋へのアプローチですが「しまなみ海道」の様に自転車専用のループで斜度を緩やかにする様な考慮は特にされていません。
 
上蒲刈島も北岸を走りまして蒲刈大橋の見えるあたりまでやってきました。 蒲刈大橋を渡ると仁方駅まで8キロ余りの距離ですが、まだ時間がありますし100キロに少し足らない距離ですので、最後の下蒲刈島は南回りする事にしました。
 
下蒲刈島の南回りはかなり遠回りですが、車も少なくなかなかお勧めです。 そしてばっちりの「自撮り」ポイントを発見、セットをして走り出しますとうまい具合に左側から船が接近してきましたので、戻らずに2往復目に、タイマーの上限値である399枚にセットしていますので撮影はできるはずです。 船が正面に入った時には「やった」と思いましたが、戻ってみるとなんとカメラが動作していません、なんとバッテリが上がってしまっているのです、予備の電池はあるのですが、船は既にあっちへ行ってしまっているので意気消沈、取り直す気も萎えて撤収する事に、結局撮れていたのは、1回目の行きだけでした。
 
安芸灘大橋を渡ると本土です。 仁方駅へ行くか安芸川尻駅へ行くか迷ったのですが、「ゆめマート」と云う地元スーパーのある安芸川尻駅へ向かう事にしました。 なかなか弁当類も充実したスーパーでしたが、安芸川尻駅は島式ホームで上りも下りも跨線橋を渡る必要があります。 後で仕入れた情報ですが、仁方駅は両側に改札口があるそうです。 仁方駅へ向かってもコンビニがありますので、次があれば仁方駅に向かおうかと。 本日の走行104.5キロ、期せずして今年2度目の3日連続100キロ超を果たしました。 ゆっくりと輪行支度を済ませ安芸川尻1701発で帰途に就きました。
 
安芸川尻1701→1819糸崎1821→1949岡山1955→2121姫路2136→2238大阪2246→2302鶴橋(2307→2340桜井) 鶴橋駅まで5,400円分乗車。
 
【1029】 2015/03/25 広島県 神石郡 油木村 (現 神石高原町)
【1030】 2015/03/27 愛媛県 周桑郡 多賀村 (現 西条市)
 
 

 

天の邪鬼「しまなみ」へ往く(2日目)

向島から望む因島大橋
 

松永では駅から歩いて1分程の「ニュー長和島」と云うビジネスホテルをじゃらんで取りました、近くに食事のできる店やコンビニがあったので手っ取り早く済ませてしまうには福山や尾道と云った大きい街より便利かも知れません、自転車は階段室に入れさせて貰えました。
 
松永から海寄りの道を選んで尾道へ尾道大橋の下をくぐり市街です、「おのみち映画資料館」と云うのがありました、尾道と云えば大林宣彦監督の出身地でもあり、幾つもの作品が舞台となった街、いつかのんびりとロケ地巡りをしてみたいですね。
 
尾道から向島に渡る渡船は3航路ありますが、「しまなみ」を走る自転車での利用が多いのはこの駅前渡船、自転車込みで110円也。 乗船前に駅前港湾駐車場の受付まで行って「せとうちサイクルーズPASS」を貰ってきます、これで瀬戸内海の主な航路への自転車持込時に割引が適用されます、明日の今治~岡村島の航路で活用させて貰います。 3日間有効で適用航路、料金、発行箇所、時間に注意して下さい。
 
向島にて、今回初めての「自撮り」です、実は輪行袋と2泊3日の荷物をサドルバッグに押し込んだものの三脚を持ってくる事ができませんでした、走っていて良いロケーションを見つけてもちゃんとした三脚がなければ視線の高さを稼げません、視線での視界と地上すれすれからの視界は全く違ったものなのです、おのずと見通せる場所、見下ろせる場所を見つける事が先決問題なのです。
 
生口(いくち)橋、「しまなみ海道」は尾道大橋を除いて6つの橋があるのですが、いずれも橋へのアプローチは非常に緩やかに設計されていて、ママ■■■のおばさんの集団までがサイクリングに興じています、とにかく親子や家族連れ、女性が多いです、私の様なツーリング車が少数派だったりして。
 
生口島から見る多々良大橋。 せっかくですから橋をバックにできる「自撮り」ポイントを探すのですが、なかなか見つかりません。
 
 
多々良大橋へのアプローチでようやく見つけたポイント、しかしここまで近づくと橋が巨大過ぎて納まりません。
 
それよりもセッティング中に撮ったショットの方が面白かったりして、どこかの大学の自転車部の春合宿でしょうか、先程から何組もグループで走っています、クロスバイクやMTBにオルトリーブのバッグが多く今風なのがちょっと寂しいですが。 右の若い子達、後で道の駅でお知り合いになったので掲載の許可を頂きましたよ。
 
多々良大橋を大三島に渡った処にある道の駅「多々良しまなみ公園」には何やら「サイクリストの聖地」とありますが。 ここでのんびり一人で休憩してしていると記念撮影を引き受けさせられ続ける事請け合います。 いわゆるローディはスルーして行ってしまいあまり立ち寄らない様ですね。
 
道の駅を出て暫く上浦あたりの鄙びた漁村と海岸風景です。
 
 
 
 
大三島橋を渡ると伯方島。 伯方島では向かい風に苦しめられる事に、たまたま抜かしてくれたロードにしっかりしがみ付いて行きます、伯方大島大橋の入り口まで暫し楽させて貰いました、さすがにツーリング車に代わって引けよなんて云わないでしょうし。
 
伯方大島大橋を渡り大島へ下ってくる処です、手すりの支柱にショックコードで括りつけてみました。 このショックコードはどこかのアウトドアブランドのもので輪行や荷物の固定、テントの設営に重宝していて20年以上も使い続けています。 やはりゴリラポッドを買うべきなのか、しかしあのデザインはどうも私的には許せないのですが。
 
やはり橋が近過ぎて上手く写し込めませんが、ここでも微笑ましい風景が、すみませんおばちゃんには了解貰ってません。
 
ツーリング中は頻繁にfacebookでやりとりをしていますが、syokora氏から「しまなみ」へ行ったら亀老山へ登る様にとの指令が、丹後半島の折には云う事を聞かずに経ヶ岬へ行かずに後悔したので、今日は登らなければなりますまい、30分頑張ればとの事ですのでまぁ貧脚の私でも45分位あれば行けるでしょう、しかし標高300mと云っても殆ど0からスタートですからね。 それに今日は今治へ渡ってから多賀村道路元標まで往復40キロ走らなければならない予定が残っているのです。 亀老山へは東側から登って行くのですがルートが西側に回り込む辺りから眼下に来島海峡と大橋が、なかなかの展望です。 頂上の展望台からも同様の風景が見渡せますが、自転車を入れて写真を撮るなら途中の道路沿いからの方が良いでしょう。
 
頂上は360度の展望です。 売店の藻塩アイスが旨いとの事でしたが、この季節の平日とあってか売店は開いていませんでした。 ここの展望がすっかり気に入って多賀村道路元標の事なんかすっかり忘れてしまいました。
 
来島海峡大橋近くまで下ってきました。 ここでも手すりの支柱に括り付けて「自撮り」に挑戦してみましたが、ここで連続撮影が途中で止まってしまう事態が、なんとメモリカードが一杯、朝から「自撮り」ばかりやってましたからね、とりあえず空振りのショットをしこしこ削除しますが、これが結構な手間、SDカードですから今治に行けばどうにでもなるでしょう。
 

全長4キロを超える来島海峡大橋を渡り終える頃にはすっかり陽は傾いてきました、多賀村道路元標へ行くのは諦め、市内に「カメラのキタムラ」があったのでSDカードを調達し夕食を、今治港近くで取っておいた宿へと向かいます。 本日の走行103.0キロ。

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天の邪鬼「しまなみ」へ往く(1日目)

元来の天の邪鬼な性格で「びわいち」「あわいち」「しまなみ」ってのはご遠慮申し上げているのですが、今回なぜか「しまなみ海道」おまけに「とびしま海道」も回ってきました。 基本的に遠征ツーリングはまず初めに「道路元標」ありきなんですが、島根県、広島県、愛媛県に一つずつ残ってしまった道路元標を回ろうと云うかねてよりのプラン、出雲市まで輪行して島根県飯石郡飯南町の赤名村道路元標から三次市を経て、広島県神石高原町の神石郡油木村道路元標、尾道から「しまなみ海道」を経由して愛媛県西条市の周桑郡多賀村村道路元標を巡ってこようと云うもの。 ただ出雲市まで1日がかりで行き一泊するのも勿体無い話なので、今回は後の2基を回る2泊3日のコースに帰途「とびしま海道」を経由して本土に戻り、呉線のどこかの駅から輪行で帰途に就くプランを考えてみたのです。
 
平日ですので大阪を通勤時間帯に輪行支度で通らないで済む様にと、そして少しでも早く走り出したいのでJR王寺駅まで20キロ余りを未明の大和川河畔を自走します、既に今年3回目ですが、やはり闇夜は暗いです、ただ土地勘のない福山でナイトランになりそうなのでヘッドライトを2灯に強化してきたので安心感が違います。 ガード付きのasuka号、出きる事なら往路輪行はしたくはないのですが、慎重に輪行支度を済ませます、何か手落ちがあると走れずにスゴスゴ引き返してくる事になりかねませんからね。
 
王寺0436→0511新今宮0512→0529大阪0534→0640西明石0641→0715姫路0731→1049新見と絶妙の乗り継ぎで新見駅着、実はこの接続「乗換案内NEXT」では大阪0558→0728姫路となってしまい選択されません、大阪0534発の緩行線の普通に乗る事で加古川仕立ての播州赤穂行きに接続していて、特に18きっぷのシーズンに混雑する岡山方面行きへ姫路へ先回りできるのです、お陰で輪行袋の置き場所も確保できて新見まで座って行く事ができました。 1049新見着、早速準備を始めます、しかし最高のお天気ですね。
 
新見スタートにしたのはこれより先の接続が悪い事と、中国地方山間部の鄙びた道を走ってみたかった事と、小さな峠を越えて久しぶりに布原の元信号所を見下ろす道を走ってみたかった事なのですが、かつて谷あいの信号所を見渡せた道も植生に覆われて、通過する列車をどうにか垣間見る事ができる程度になってしまいました。
 
備中神代駅にやってきました、列車で通る事は何度かありましたが、駅前は40年以上ぶりです。 ここは映画「八つ墓村」あの「祟りじゃ~」が流行語になった1977年版のロケ地でもあります、萩原健一演ずる主人公が八つ墓村へ向かうシーンですね。 残念ながら当時の木造駅舎は取り壊されてしまいましたが車寄せの屋根だけが残されています。
 
備中神代駅で伯備線と別れた芸備線沿いのR182を走ります、R182は改良が済んでいますし中国自動車道が並行して走っていますので山深い雰囲気は無くなってしまいましたが、芸備線の方は1日6往復と云う超ローカル、その貴重な列車を市岡駅で待ち構えてみました。
 
東城の手前の野馳(のち)駅、開業当時の駅舎が現存しています。 この後道の駅「遊YOUさろん東城」で遅めのお昼の休憩をして、再びR182を福山に向かって南下します。
 
東城からは油木村道路元標の残る神石高原町まで登らなければならないのですが、暫くは川沿いの下り基調の道を快適に走り、その後このループ橋で高度を稼ぎます、ループ橋と云っても島根県境のおろちループ程の規模のものでもありません。
 
 
少し探しましたが油木村道路元標を確認、一列に「神石郡油木村道路元標」と記されています、どうも広島県は様式がまちまちな様です、とにかく現時点で現存が確認されている広島県下の6基の道路元標は全て履修できました。 今日の予定はこれで終了、今夜の宿は少しでも尾道に近づいておこうと福山と尾道の中間の松永駅近くのビジホを確保しました。
 
この後R182には福山に向かって下り基調だと思いきや神石高原町内では結構なアップダウンが繰り返されます、これには結構堪えました、結局福山市内に入り小さなピークを一つ越えてから一気に獲得標高を吐き出してしまいます、遥かに瀬戸内海を見える様になってからの下りの長い事、交通量も市街に近づくに従って多くなり、福山市街に入る頃にはすっかり暗くなってしまいました。 土地勘もない事もあって松永へ向かっては少し遠回りをしてしまった様ですし、旧街道の山陽道を走ったりしたので、これなら無理せず福山で宿をとるべきだったかと。 とにかく予定の20時には松永駅前に到着、本日の走行、王寺駅までの自走を含めて124.5キロ。
 

赤穂~日生「かきおこポタ」

赤穂市福浦海岸にて
 
今日はsyokoraさん主催の「かきおこポタ」へ参加してきました。 と云っても僕は牡蠣は駄目なんですけどね。
 
播州赤穂駅1000集合、大阪0800発の新快速に乗るお約束なのですが、このスジは敦賀始発で相生で岡山行きに接続していて、18きっぷのシーズンは混みますので、未明から王寺まで自走して先乗りする事にしました。 赤穂周辺の道路元標は既に履修済なのですが、生存確認に一巡します、尾崎村道路元標には写真のような案内板が設置されていました、こう云った形で道路元標が認知されるのは喜ばしい事です。
 
播州赤穂駅に着くと車でお見えのnoricさんが既に到着、電車が到着すると輪行を担いだおじさん達が続々と降りてきます。 今日は東叡とナショナルのデモンタがそれぞれ2台にグランテックと云う、みなさん往復輪行を意識した選択です。 すみません僕は場違いのKHSです、実はasuka号今度はフロントのガードを壊してしまいました。
 
さて総勢12名、準備を済ませてR250を日生(ひなせ)に向かうのですが、今日は今風ロードに跨った女性が3名、おじさん達には嬉しいサプライズです。
 
もちろんやさしいおじさま達であります。


 
 
 
R250をひた走り福浦峠で岡山県に入ります。
 
 
 
 
 
11時過ぎにはかきおこの店「福来(ふくろう)」に到着、人気店らしいので入れるかどうか心配していたのですが、時間も少し早めだったのが幸いしてか全員すぐに座れました。  
 
ほぼみなさんが「かきおこ」を注文、すみません僕は「イカモダン」です。




「かきおこ」の後は、日生漁協の魚市場「五味の市」へ立ち寄ってから、海岸沿いの道を赤穂へ戻ります。
 
 
 
 
赤穂御崎の神社前にて。 近くのケーキ屋さん「SANPOU」でケーキを買い込んで福浦の海岸でコーヒータイムとします。
 
 
福浦海岸の遊歩道を行きます。 幸いここまでお天気は持ってくれたのですが少し雨が降ってきました、この後は坂越(さこし)を回って帰途に就く予定だったのですが、福浦海岸でのコーヒータイムを最後に赤穂市街へ戻る事に、赤穂城で記念撮影した後、播州赤穂駅前で解散と云う事になり、輪行組6名は1706発の新快速まで駅構内のパン屋さんでお茶の後帰途に就きました。
 
「青春18きっぷ」5,610円分乗車、5回分を半月で使い切ってしまいました。 夏のシーズンは暑いだけなので今の季節に行きたいところが他にも一杯あるのですがねぇ。

 「かきおこポタ」の写真をアルバムにアップしました。 うちのHPから[BICYCLE]→[ツーリングの記録]→[2015]と辿って下さい。 なおご覧になるには認証が必要です。 ログイン名は’pal’、パスワードはうちのFAX番号の下4桁です、「CanCan謹製カレンダー」の奥付に記載があります(一昨年とは変わってます)。 なおオリジナルではありませんが1920×1280サイズの画像もダウンロードできます。

「Tour de 紀伊 2014」スタンプラリー全30地点達成しました。

20150313x.png意外とご存知の方が少なかった様なのですが、奈良県が中心となって和歌山、三重の3県で開催された「ツール・ド・紀伊」。 私自身も「ツール・ド」なんとかと聞いて、どうせレースまがいのイベントかなんかと思っていたのですが、実は3県に属する紀伊半島30ヶ所のポイントを巡る、スマートフォンを使ったスタンプラリーやフォトコンテスト、なかなか面白そうなイベントなんです、いかんせん昨年暮まで使っていたスマホ REGZA Phone T01-C で試してみたのですが、タコなGPS機能ではチェックポイントの取得がうまくできませんので諦め、フォトコンへの応募でお茶をにごしていました。 ところが暮れにスマホを最新機種に買い換えたのと「ツール・ド・紀伊」の実施期間が今年3月16日まで延長されたので、30ヶ所を巡るコースを検討してみると、以前から考えていた和歌山県那智勝浦町に残る色川村道路元標へ向かうプランを上手い具合に重なるので、にわかにやる気が湧いてきました。 さすがに700キロを一気にまわる訳にも行かず「青春18きっぷ」や「近鉄株式優待乗車券」を使った安上がりな輪行プランを組み合わせて走り、開催期限を目前にして、最後に1泊2日の紀伊半島縦断240キロツーリングで「道の駅おくとろ」「熊野本宮大社」「熊野那智大社」と回り、全30地点を回り終える事ができました。
 表向きはどうあれ結果早さを競ったり品評会の如きイベントに、脚力もなければ自慢できる様な自転車も持ち合わせていない、個人的には決められ与えられたコースを走って何が面白いのかと、自分で自分にマッチして自分が愉しめるプランを、情報収集から始まって考える事、自転車ツーリングの愉しみの1/3位はそれではないか思います。 順序こそ自由ですがオリエンテーリングの様な愉しみもあります。 紀伊半島の30ヶ所のポイントはいずれも過去に通った場所ではありましたが、新しい施設もあったりして色々と再発見もあり愉しむ事ができました。

20150313y.jpgスタンプ履歴
2014/12/27(土) 15:19 奈良公園
2015/01/08(木) 09:35 稲葉根王子
2015/01/08(木) 11:53 道の駅 志原海岸
2015/01/08(木) 13:40 イノブータンランドすさみ
2015/01/08(木) 15:49 道の駅 くしもと橋杭岩
2015/01/10(土) 13:02 鬼ヶ城
2015/01/10(土) 14:05 七里御浜
2015/01/10(土) 14:33 紀宝町ウミガメ公園
2015/01/10(土) 15:09 熊野速玉大社
2015/01/20(火) 15:43 石舞台古墳周辺
2015/01/21(水) 14:46 法隆寺駅周辺
2015/01/24(土) 10:37 鳥羽展望台
2015/01/24(土) 11:59 相差海女文化資料館
2015/01/24(土) 15:24 海女資料館
2015/01/25(日) 11:38 天誅組義士の墓
2015/01/25(日) 15:36 道の駅 宇陀路大宇陀
2015/01/28(水) 14:29 平城宮跡
2015/01/28(水) 14:57 西ノ京駅周辺
2015/01/29(木) 10:31 まちや館(五條新町)
2015/01/29(木) 15:52 金峯山寺周辺
2015/02/04(水) 16:44 外宮前観光案内所
2015/02/04(水) 17:09 美し国観光ステーション
2015/02/14(土) 13:22 吉野水分神社周辺
2015/02/15(日) 14:55 紀伊長島マンボウ
2015/02/15(日) 17:24 熊野古道センター
2015/03/05(木) 13:33 月の瀬温泉ぼたん荘
2015/03/05(木) 15:35 くじらの博物館
2015/03/12(木) 14:05 道の駅 おくとろ
2015/03/12(木) 17:24 熊野本宮大社
2015/03/13(金) 14:31 熊野那智大社

結果的には地元の国中(大和盆地内)の5地点を除いても930キロ余りを「ツール・ド・紀伊」のスタンプラリーのために走った計算になりました。

 残念ながら始めての企画だった事もあるのでしょうか、宣伝不足と云うか周知不足を云うか、最近の多くの自転車乗りのニーズや嗜好にマッチしていないのか、参加者は決して多くはなかった様です、一時的に多くの人が集中するイベントは何かと目立つでしょうが、この様な企画の方が観光や地域振興に寄与し、自治体の行うイベントとして相応しいのではないかと思います、是非ともこの企画が次年度も新たなポイントで続けられる事を願っています。

1泊2日南紀ツーリング(2日目)

 今日は紀伊半島の中でもお気に入りの道である<44>那智勝浦熊野川線~<45>那智勝浦本宮線を継いで那智勝浦町へ抜ける山越えのルートを走り、紀伊半島で現存が確認されていながら唯一未修の色川村道路元標と、那智高原公園経由で「ツール・ド・紀伊」の最後のポイントである熊野那智大社を巡り、那智駅から輪行で帰途に就く予定です。
 
「まつや」で朝風呂に入り6時前に出発です、どうやら「千人風呂」は増水のために利用できなかった様です。



R168を新宮に向かって暫く南下し、<44>那智勝浦熊野川線に入ります。 幸い小口の南方商店が開いていましたので菓子パンとチョコレートを補給。 小口にはキャンプ場がありソロやグループで何度か訪れた事があり、ここのお店でそこそこのものは調達できます。 自動販売機もここが最後で那智勝浦町籠まで25キロあまり何もありません。
 
小口を過ぎると<44>那智勝浦熊野川線は極端に狭くなり赤木川の渓谷に沿って行きます。
 
 
 
 
このまま渓谷沿いの道が続いてくれれば有難いのですが、静閑瀞と云う渓谷を避けて山越えのルートとなります。 こんな山の中でも人家があり、かつての小学校の跡が今も残っています。 
 
滝本集落を過ぎると「宝龍滝・野々滝」と書かれた立派な案内板が目に入ります、宝龍滝は裏那智の滝と呼ばれる落差51mのなかなかの名瀑です、過去3度訪れていて、今回はどうしようかと思ったのですが、そうは来れない場所です、今日は水量も多そうですしお天気も最高、時間は推してしまいますが、最悪もう1泊してもいいやと腹を括る事にしました。 荒れた車道を少し行くと駐車スペースの様な広場があり、ここに自転車を置いて歩きます、10分もあれば滝壺の目前まで行けます。
 
2段の滝なのですが(写真右上)上の滝は手前からでないと見えません。 やはり来た甲斐がありましたね。
 
 宝龍滝を後にすると那智勝浦町との境界に向かって再び登りとなりますが、那智勝浦町の標識を過ぎても暫く登りが続き、那智勝浦町小麦と記された県道標識を過ぎたあたりでほぼ登りは終わり、暫く緩やかなアップダウンが続きます。
 
 籠集落に到着、1日3回町営バスもやってきますが、標高400m那智勝浦町でも奥まった処にある集落です。 ここには田村商店と云うお店があって、ここのおばちゃんには昔色々とお世話になりましたが、お世話になったサイクリストやライダーも少なくないはずです。
 
 今回のツーリングの目的の一つ「色川村道路元標」です、今までに何度となくこの前を通っているのに気づかなかったんですねぇ。 ここで1,028基目の道路元標です。 
 
 
 

籠からは<43>那智勝浦古座川線に入ります、明るい南側斜面に開けた色川の集落の中を下って行きます。

 
 次の目的地は那智の滝のある熊野那智大社、普通なら那智駅側から登って行くのですが、観光バスとかが多いのであまり好きではありません、そこで余分に登る事にはなりますが、那智高原公園を経て元の妙法スカイラインを通り裏側から下って行く事にしました。 写真は<43>那智勝浦古座川線からの分岐、ここから10%勾配が2キロ続きます。
 
 

 標高546mの那智高原公園、(写真右)今走ってきた色川の集落が眼下に見えます。

 元の妙法スカイラインは熊野交通の運営していた有料道路でしたが、現在は県道となり<46>那智山勝浦線の一部となっています。 スカイラインと標榜していただけになかなかの展望です。 下って行くと見晴台と云う展望スポットがありますが、写真はさらにその上からでわざわざ那智高原公園まで登って下って来た甲斐のある眺望です。
 
見晴台にて。


 
 
 
 
 
 
 那智の大滝の前で「ツール・ド・紀伊」スタンプラリー30地点目をGET!
 
 
 
 
 那智駅まで下ってきましたが、最悪もう一泊泊まってでもと腹を括っていた割にはまだ2時間余りの余裕があります。 せっかくの那智勝浦ですから、「ツール・ド・紀伊」全30地点達成、自分へのご褒美として「マグロ」でもと勝浦方面へ、何も下調べもしていなかったので、国道沿いで見つけたお店へ、奮発して「マグロ贅沢丼」1,600円也、なかなかのものでした。
 

 

 紀伊勝浦駅近くまできましたのでここから輪行する事に、既に和歌山経由で帰る事のできるスジはありませんので、1718発で松阪経由、近鉄利用で帰途に就きますが6時間の長旅になります。 結局はJRが少し遅れて松阪での近鉄との3分接続では間に合わず1本遅れて、伊勢中川で五位堂行き最終に乗る事になってしまいました、ともあれ2338桜井に無事帰り着き、紀伊半島1泊2日ツーリングを無事終えました。

【1028 和歌山県 東牟婁郡 色川村 (現 那智勝浦町)

(1日目へ)

 

1泊2日南紀ツーリング(1日目)

奈良県下北山村 池原ダムにて

 懸案だったR169経由で北山村から蟻越峠をへて川湯温泉で1泊、県道44~45号で那智勝浦町へ越える1泊2日のツーリングへ、「ツール・ド・紀伊」のスタンプラリーを兼ねて行ってきました。

 

 早朝5時半に桜井を出発、吉野側への最短ルート<37>桜井吉野線へ入ります、2003年の新鹿路トンネルの開通以来、車が増えたのであまり使わないのですが、今日は150キロ余りの長丁場、先を急いでこのルートをとります、いつも忘れ物はないかなと復唱しながらスタートするのですが、多武峰への坂を登り出してから用意しておいた菓子パンを忘れて来た事に気が付きます、R169は吉野町を出るとコンビニの類は熊野市五郷までありません、ここまで登って引き返す気にもならず、まぁ菓子パン程度なら下北山村池原で買えるでしょう。 飯盛塚の集落を過ぎたあたり、右側の資材置場でしきりに犬が吠えています、ちゃんと繋いであれば良いのになぁと思っていると、1匹が道路へ飛び出してきました、かなんやっちゃなと思っていた処へ対向車が、ドンと鈍い音が。 車は立ち去り、犬も資材置場の中を走って行きました、その後無事なのかどうかは知る由もなく、防犯のためでしょうか放し飼いにしていて、こちらの落ち度はなにもない処か、対向車が慌ててハンドルを切ったりしようものなら、こちらが巻き添えを食っていたかも知れません。 そして全長2,000m超の新鹿路トンネル、吉野側へ向かって下り基調なのは良いのですが、トンネルの中で追い越しをかけてくる馬鹿な対向車が、今日はスタート早々ロクでもない事が続き、先が思いやられます。 予定では津風呂湖畔の県道を行くつもりだったのですが、車はあまり通らないとは云えブラインドカーブの多い道を避けて、今日は三茶屋経由でR370に入る事にしました。

 入野(しおの)峠を下り、国栖から<262>国栖大滝線でR169へ入ります。 大滝ダム、道の駅「杉の湯川上」で一息入れながら柏木へ。 大峯登山の宿場として賑わった集落です、レトロな「朝日館」は今も営業しています。

 標高で400mを過ぎるあたりから少し雪が舞ってきました。 大迫ダムを過ぎ、かすかに伯母峯ループ橋の見える処までやってきました。

 2003年に供用されたR169伯母谷道路は、伯母谷、栗の木、滝の脇、一ヶ山、大獄の5つのトンネルと伯母谷ループ橋で構成されています。 旧道の事を思うと斜度が平均化されたので走りやすくはなってますが、車が結構なスピードで走ってきますので、自転車にとってあまり気持の良いものではありません。

 伯母谷ループ橋、雪の合間に陽射しが。 

 
 
 

 R169の最高地点、新伯母峰トンネル(1,964m)に到着、R168の新天辻隧道と同様、新とは名ばかりの結構古いトンネルなので路肩も狭く、自転車にとっては最悪です。 この季節ですから行楽の車こそ少ないのですが、結構大型車がやってきます。

 新しく供用された和佐又トンネルを初めて通り道の駅「吉野路上北山」へ到着、菓子パンを買ってストーブの前でぼっこりします。

 池原ダムへ立ち寄ってから一旦池原へ下ってR169を離れR425を登り返します、このままR169を走った方が楽なのですが、下北山村道路元標の生存確認に迂回します、この登り返しのキツい事と云ったら、今日のコースで一番つらかった様な。 登りきった処にある明神池、なにやら七不思議のある池だそうです。 池神社にここまでの無事に感謝してお参りを。

 道路元標の残る下北山村役場を経て不動トンネルを越えるといよいよ日本唯一飛び地の村和歌山県東牟婁郡北山村です。 悠々と北山川が流れている様に見えますが、ここは小森ダムのダム湖です。 なかなかの「自撮り」ポイントなのですが、今回は巨大輪行袋にサドルバッグを占領されてしまい、ポンチョか三脚かの二択になってしまい三脚は諦める事に、スタンド程度の小型の三脚では高さが稼げず諦めました。
 
 北山村の道の駅「おくとろ」が「ツール・ド・紀伊」のスタンプポイントとなっています、無事28地点目をGET! ここで平日にもかかわらず1台のロードが、お話をしていると新宮の方で、奇遇にも2012年4月の「月うさぎキャンプ」に来られていたどらちゃんさんのお知り合いの方でした、世間が狭いのか、どらちゃんの顔が広いのか。
 
 北山村から先のR169はずいぶんと久しぶりです。 観光筏流しやカヌーのラフティングで有名な北山峡です。


 
 小松トンネルから奥瀞道路で再び奈良県へ、小松、有蔵、東野トンネルと橋で構成される新しい道路です、バイパス路の様に思えますが、この区間には昔から車の通れる道がなく北山村は他県を大きく迂回しなければ和歌山県の他の市町村へ入る事ができませんでした。 奥瀞道路の開通で距離こそ短くなりましたが、村全体が飛び地ゆえ今なお奈良県か三重県を通らないと和歌山へは行けません。 写真下中が新しく供用された奥瀞トンネルで初めて通ります、右側に旧道の田戸隋道が見えています。 トンネルをでると直ぐに工事現場となり旧道を下ります。
 
 奥瀞道路は今なお工事中で大型車の通行困難な蟻越峠がR169現道として健在です。 
 
 
 
 

 
  現在のR169を貫く様に奥瀞道路の工事が行われています。
 十津川村竹筒でR311と合流し再び和歌山県に入り、16時40分宮井大橋を渡ってR168へ。 
 
 
 
 R168を北上し熊野本宮大社で29地点目のスタンプポイントへ、今日の予定終了です。 R168も五條市の五條病院前のサークルKを最後に終点の新宮市街までコンビニの類は一切ありません、元の本宮町域(現在は新宮市)にヤマザキストアが2軒ありますが、朝8時頃から夜7時頃までの営業で、食事のできる店も早い時間に閉まってしまいますのでご注意を。 明日も補給のあてがはっきりしませんので本宮大社の前のヤマザキストアで補給を済ませておきます。
 

 今夜の宿は川湯温泉「まつや」、3回目になります。 温泉地に珍しいシングルルームのあるビジホ風のホテルで、本館にあたる「みどりや」の露天風呂や予約をすれば食事もできます。 主に熊野古道歩きのハイカーが利用している様です。 1台だった事もあるのでしょうが自転車はロビーに入れさせて貰えました。 川湯温泉ではこの季節、大塔川の河原を利用した「千人風呂」が有名ですが、水着を忘れてきましたし、150キロ越えの疲れもあるので「まつや」内の温泉で済ませ明日に備えて早々に休む事にしました。
 本日の走行153.1キロ。 しかし判っていた事ですが、始めての通る3つを含めてトンネルだらけのコースでした、主な処だけでも挙げてみると、新鹿路(2466m)、大滝(722m)、高原(495m)、伯母谷(445m)、栗の木(1297m)、滝の脇(207m)、一ヶ山(440m)、大獄(1030m)、新伯母峰(1964m)、和佐又(900m)、不動(2038m)小松(734m)、有蔵(306m)、東野(1389m)、四滝(1212m)、東敷屋(1380m)、二ツ石(798m)と17キロを超えて全行程の1割以上がトンネルだった事が。

(2日目へ)

道路元標蒐集サイク(新潟編2日目)

いつもの事ですが暗いうちに目を醒ますと外は雨の気配、今日は午前中に中頚城郡の8つの道路元標を巡る予定にしているのですが、このまま雨がやまなければ単なる乗り鉄の旅で終わってしまいます、雨雲レーダーの予測を見ながら暫く様子を見る事にします。
 
どうやらお天気は快方に向かう様で、少し雨もおさまってきたので6時過ぎに宿を出発し、既に2008年に履修済ですが直江津町道路元標へ立ち寄ります。

 
春日村道路元標です、道路元標は追分地蔵の建つ三叉路に並んで建っています、ここは加賀、奥州、北国街道と旧街道の集まる由緒ある場所です。

 
履修済みの津有村道路元標を経て高士村道路元標へ向かう道すがらレトロ風の建物が、「前島記念館」とあります、あの1円切手の前島密かな。 やはり前島密、出生地だそうで郵政博物館別館となっています、今は開館時間中ではないのですが、こうやってサイクリング中に偶然見つけた史跡とかに気軽に立ち寄って見学して行ける時間のゆとりがほしいです、目的地をこなして行く様なサイクリングをやっている様ではまだまだあきまへん。 何枚か写真を撮って、先を急ぎます。
 
高士村道路元標を経て櫛池村道路元標へ、今日は基本的に頚城平野の中をの平坦路を巡る予定なのですが、昨日の上早川村の様に少し谷あいに入った場所もあり、ここでは標高189mまで登る事に。 ここの道路元標は有形文化財に指定されている様で、「旧櫛池村役場前に設置されていた。 測量技術の開発されなかった時代の市町村を代表する『元標』で貴重なものである。 」と記した案内が並んで建っています。 記載の内容はともかく、こう云った形で「道路元標」が認知されているのは嬉しいものです。
 
次の牧村道路元標までは直線距離では2キロ程の位置なのですが、一つ北側の谷筋になり、山越えの道は積雪期通行止となっています、即ち除雪してませんよとの事です、つまりこれだけの雪が積もっている訳です。 登ってきた道を下る事に、しかし下りの寒い事と云ったら。
 
一度平野部に戻って再び登りへ、道路元標は元の牧村役場、現在の上越市牧区総合事務所前に保存されているとの事なのですが。 懸念していた事が、念のために穴蔵さん国道901号さんのサイトで確認してみますが、どうやらのこの雪の中に間違いなさどうです、さすがにこれでは手の出しようがありません。
 
意気消沈してすごすご再び登ってきた道を下る事に、ところでお天気の方ですが雨こそ止んだものの、ときおり霙の様なものが襲ってきます。 写真は北国の冬の光景ですね、なかなかの「自撮り」ポイントなのですが三脚は小型のスタンド程度のものを持ってきているだけなので、どこか高さの稼げるところがあればと思っていたのですが、チャンスはありませんでした。
 
道路元標の位置情報はGPSに登録してあるのですが、上杉村道路元標、ちかくまで来ているのですが回りをウロウロしている様で、なかなか見つけられません。 もしやあそこに見える二宮金次郎像の前にあるのは!? 資料を確認すると間違いなさそうです、小学校の中庭の様なのですが、柵とかはありませんしどちらから回っても雪の中を行くしかなさそうですので、強行突破です。 さすがにスパッツまでは用意していませんでしたが、替えのニッカホースもありますし、案の定50cm位は埋まってしまいました。
 
10時55分、今日6つ目の美守村道路元標までやってきました。 次の大瀁村道路元標まで6キロ程の距離なのですが、帰りの時間が迫ってきました、直江津駅1312発の北陸本線経由にするか、名古屋から近鉄利用になりますが1311発で長野~松本経由にするか、いずれにしてもパンクとかアクシデントを考えるとこれ以上足を伸ばすのは難しいので直江津方面へ向かう事にします。 それに大瀁村道路元標近くには今は無き頚城鉄道の車両などが保存されている処もあるとか、次の機会の愉しみとします。
市街のイトーヨーカドーで食料を調達して直江津駅へ、昨日と同じルートも何なので、長野経由をとる事にします。 しかし駅構内は鉄どもでごった返しています、高級デジイチを首からぶら提げ、手には三脚、中には脚立まで用意しているつわものも、ホームや車内を走り回り、視線がおかしい、概ね格好がダサい、一目瞭然です。 それにつけ込んでJRも商売上手で「ありがとう信越線」なる全席指定の臨時列車まで運転する始末。
 
長野までは座れましたが長野~松本間は座れず、写真は姨捨駅から望む善光寺平、上越と比べると雪は少ない様です。 ところで日本三大車窓って後2つはどこだっけ? 疑問があればすぐにググれる便利な世の中になったものです、「狩勝峠」と「矢岳越え」だそうです、納得。
 
中津川駅でのホーム違い4分の乗換えをこなしな名古屋駅へ、ここで下りる階段を間違えるととんでもない遠回りになりますので、広小路口側へ下りて近鉄との連絡口へ、14分と時間の余裕はあったのですが、3分台で伊勢中川行き急行へ、座れはしませんでしたが輪行袋の置き場所も確保、まだ2回乗り換え2時40分もありますが、近鉄電車に乗り込んだら帰ってきたも同然。
 23時11分桜井駅到着、1泊2日で輪行23時間、走行105キロ、道路元標蒐集の旅から無事帰宅しました。 支出13,843円、翌日に所用があって無理でしたが1泊2日はちょっと勿体無いなかったかと、でも最後の金沢~直江津~長野間に乗る事ができて良い思い出になりました。
 

 
本日の走行60.8キロ。 18きっぷで5,620円分乗車。
 
【1023】 新潟県 中頚城郡 春日村 (現 上越市)
【1024】 新潟県 中頚城郡 高士村 (現 上越市) 
【1025】 新潟県 中頚城郡 櫛池村 (現 上越市) 
【1026】 新潟県 中頚城郡 上杉村 (現 上越市) 
【1027】 新潟県 中頚城郡 美守村 (現 上越市)

道路元標蒐集サイク(新潟編1日目)

新潟県道<270>湯之河内梶屋敷停車場線
 
昨年11月以来の「道路元標蒐集サイク」です。 一昨日南紀からの帰り際、JR太地駅で春のダイヤ改正のあらましを見ていて、ふと北陸新幹線の開通で金沢~直江津~長野間の第三セクター化をいまさらながら知り「18きっぷ」で金沢以遠へ行けなくなる事に気が付きます。 新潟県にはまだまだ未修の道路元標が残っていて、この機会を逃すとますます行きづらくなります、今の予定では「18きっぷ」は後2回分残る計算ですから丁度良いのですが、3月16日までには「ツール・ド・紀伊」のスタンプラリーの最後の仕上げに1泊2日で紀伊半島縦断ツーリングの予定が、15日にはS氏主催の「カキオコポタ」で赤穂~日生へ、9~10日は所用があって、そうなるとダイヤ改正の14日までにはとても日程が組めません、それに週間予報では来週は日本海側は降雪の予報、こりゃ駄目なと思いかけていたところ、明日明後日ならありかもと、とんでもない考えが首をもたげます。 北陸新幹線の開通により在来線の優等列車の廃止や3セク化で消える車両もあるはず、ウザい鉄どもが押しかけるはずに違いない、まして週末ときた。 それともう一つ懸念材料が、と云うのは雪国の道路元標はこの時期は往々にして雪に埋もれてしまっている事が多いのです。 しかし一度思いつたらやめられない性格と動きの早さ、KHSは輪行から帰ってきたばかりで準備万端、道路元標の資料を整えて準備OKとなったのであります。
 
未明にJR奈良駅まで20キロあまりを自走し0448発京都行きに乗車します、もう1本後でも北陸本線の同じスジになってしまうのですが、輪行袋を担いでいるとかと不自由なもので、乗り換えに余計な時間がかかったり、普通なら座れる列車に座れなかったりするので、福井行きの始発駅の近江今津まで先回りする事にして、ついでに途中下車して滋賀県高島郡の今津町道路元標の生存確認へ向かう事に。 生存確認と云うより、現存する道路元標を先日からfacebookへのスポット登録を企んでいるのですが、すでに履修済みの1,000基余りを再び回るのはとても。 ちなみに道路元標の位置に関しては既に自分なりにデータベース化していますが、加えてGoogleMapでもマイマップ化を進めています。
 
福井行きは輪行袋の置き場所も確保でき座る事もできたのですが、これが帰って仇になって下りるのが最後になってしまい、その上福井駅での金沢行きへの乗換えがホーム違いで4分しかありません、混雑する駅のホームで無理はいけません、1本見送る事に。
 
 

ところで福井駅のホームのベンチに遠目に妙な人が座っているではありませんか、よくよく見ると恐竜のモニュメント、どうやら福井県立恐竜博物館の宣伝用らしいのです、輪行袋を置きフロントバッグを持たせて写真を撮り、facebookにポストすると早速反応が、福井駅前には巨大なモニュメントまで出来ているそうなんです、どうやら北陸新幹線の開業に合わせて福井まで観光客を呼び込もうと云う話とか。
 当初の予定でも新潟県に入るのは14時を回ってしまいますので、今日は道路元標はたとえ1つでも回れればと思っていて、糸魚川で大糸線に乗り換えて長野県北安曇郡の南小谷村道路元標まで往復しようかと考えていたのですが、南小谷までの往復は時間的にきびしくなったので、糸魚川の次の梶屋敷まで行き、新潟県西頚城郡の下早川村と上早川村の道路元標を回る事に変更する事に。 しかし1本遅らせたにも関わらず、金沢行では座れず仕舞いで富山まで行く事に。
 

 

富山駅にて、懐かしい451系と411系の混成による3両編成、153系東海型の流れを汲むデッキ付き電車もこれが最後なのかな、夜行の急行「立山」とかでお世話になりました、まぁ輪行袋を担いで乗り降りするには不自由な車両でしたが。
 
1622梶屋敷駅着、暗くなるまでそう時間もありませんので、さっさと準備を済ませて下早川村道路元標へ急ぎます、道路は完全に除雪されていて走行には全く問題はありませんでしたが、目的地に着いてみると懸念していた通り道路元標のある場所は雪捨て場に、幸い20cm程顔を出してくれていたので、まわりの雪をのけて撮影を済ませる事はできました。 次の上早川村は公民館の軒先の保存されていて問題なし。
 

ところで今夜の宿なのですが、富山駅で接続待ちの間に上越市内のいくつかのビジホをあたってみたのですがいずれも満室。 「じゃらん」で安いところ検索していて税込み3,980円で「働く人の宿 あいかわ」と云う所を見つけます、おっさん一人の自転車旅ですから泊まれれば十分、直江津港の近くで不便そうな処ですが、駅から自転車でなんぼもかからない距離です。 近くにコンビニと食堂がありますので不自由はなさそうです、エラく愛想の良いおばちゃんが出迎えてくれました、大きなお風呂は8時半までとの事ですので、近くの食堂で夕食を済ませてコンビニで少し買い物して戻り入浴して、ここ数日の寝不足を回復しようとさっさとベッドへ。 部屋も決して狭くなく清潔ですし、自転車も玄関に入れさせて貰いました。 佐渡へ渡る事があればまた使う機会があるかも知れません。

 奈良駅までの自走を含めて本日の走行44.6キロ。 18きっぷで7,340分乗車。

【1021】 新潟県 西頚城郡 下早川村 (現 糸魚川市)
【1022】 新潟県 西頚城郡 上早川村 (現 糸魚川市)
 

今年4度目の南紀ツーリング

太地町森浦にて
 
 今年は紀伊半島再認識の年にしようかと考えていたら、期せずして「ツール・ド・紀伊」のスタンプラリーのお陰で既に今年4度目の南紀ツーリングとなってまいました。 3月1日から始まった「青春18きっぷ」の春のシーズン、1日あたり2,370円で普通列車乗り放題の「18きっぷ」ですが、紀伊半島を巡る紀勢本線は乗ったまま一周するのが精一杯で、わが街桜井を始発に乗っても新宮や串本に到着するのはお昼を回ってしまいます、マトモに行くととても自転車で走る余裕などないエリアですが、今日は古座川町の「月の瀬温泉ぼたん荘」と太地町の「くじらの博物館」をまわります。
 
近鉄で大阪鶴橋まで出ても良いのですが、今回も未明の大和川河畔を王寺駅まで走りスタートする事にします。 4時過ぎに桜井を出発、真っ暗な堤防上の道ですからそうは飛ばせません、所要1時間15分。 DST 21.02km、AVS 17.6km/h、MXS 24.4km/h、TM 1:11:34
 
新今宮、和歌山で乗り継いで紀伊田辺で49分待ち、紀伊田辺以南は0755から1044まで3時間近くも列車がありません、車両も17系からロングシートの113系へ。 ここでは新大阪0733発の「くろしお1号」に抜かされます、嫌でも特急に乗れとの計らいですが、その「くろしお1号」ですら串本到着は1102になります、昔は夜行もあって早朝から走り出せたのですがねぇ。
 
2駅手前の串本で25分停車の後、1249にようやく古座駅に到着です、串本から走っていても変わらない様な。



さすがに南紀、暖かいなぁと思っていら、既に桜が。





清流古座川沿いに入るとご覧の風景が、決して時間の余裕がある訳で
はないのですが、写真を撮っていたりしてなかなか前に進みません。 
 
 
気持ちよく走っていたら、この橋は??? 1キロ程「ぼたん荘」を行きすぎてしまい慌てて引き返す事に、とにかく無事26地点目をGET!
 
 
予定では<227>田原古座線を走り地蔵峠を越えショートカットするつもりでいたのですが、あまりに天気が良くて気持が良いのでR42を走り、昔2度ばかり行った荒船海岸へ寄り道する事に、ちょっと頑張って走ればなんとか行けるでしょう。
 荒船海岸、入り口に国民宿舎があったりするのですが、ここはちょっとした穴場です。
 
R42に戻り少し走ってから下里村道路元標へ立ち寄り、太地町への<239>太地港下里線へ入り、27地点目のポイント「くじらの博物館」へ、これでスタンプラリーは残すところ3地点となりました。 ところで太地町には昔どういう経緯か知りませんが奈良交通が運行する路線バスが走っていました、車体横の鹿のエンブレムが鯨だったりして、信じられないでしょう。
 
R42沿いのコンビニに立ち寄り食料を調達して、余裕で太地駅へ、1700発の最終に乗り遅れるとどうしようもなくなるのでパンク修理が出来るだけの余裕は持って走っておかなくてはなりませんし、輪行支度を済ませて駅のホームでまったり過ごすのも良いものです。
 帰りはさすがに「18きっぷ」のままでは桜井へはとてもたどり着けませんので、松阪から近鉄を利用して帰る事になりますが、6時間がかりで桜井に無事帰投、トンボ帰りで走行時間は2時間にもなりませんが、春を感じさせるとても気持ちの良いショートツーリングでした。 王寺駅までの自走を含めて本日の走行59.2キロ。 18きっぷで7,450円分乗車。
 

 

100キロ走ってもネタにならない今日この頃

相変わらずアホみたいに走っています。 今年になって城陽行きの予定が原則毎週月曜日になったので、なかなか辛いものがあります、日曜日に自転車仲間とのイベントがあったりするとアルバムのアップロードやブログの更新を遅くまでやってしまうのでネ。 土曜に「吉野山サイク」で75.2キロ、日曜は「尾鷲ツーリング」で148.8キロ、さすがに月曜日はと思ったのですが、一応早起きできたら行っちゃおうと、いつもなら放ったらかしの輪行袋を解いて準備だけはしておいたのですが。 やや寝不足ではありますが、身支度を整えきっちり6時過ぎには桜井を出発、上街道を北へ。 しかし良いお天気です、走って良かったと云う感じです。 木津川の自転車道へ入り(写真左上)、ながれ橋でコーヒーとパンで一服(写真右上)、R1木津川大橋(写真左中)まで北上してから右岸路を折り返します。 15時半には仕事を済ませ、そのまま右岸路を南下します、ずいぶん陽も長くなってきて余裕もでてきて近鉄京都線の木津川橋梁で写真を撮る余裕も(写真右中)、奈良阪を越える頃にはさすがに少し疲れがでてきましたので、いつもの猿沢池で一息入れます、案の定桜井にたどり着いたのは真っ暗になってからですが、本日の走行103.5キロ、今月は既に800キロを越えてしまいました。 100キロと云ってもチンタラと走っている訳ですら別に自慢できる程の事でもありません、心身健康なら、少しの慣れで誰にでもできる事だと思っているのですがね、まぁ走るのが愉しいです。 帰宅すると黒猫の不在連絡票、そう云えば週末に密林に小物頼んでいたんだっけ。 HOYA(ケンコー)のラバーフード、BASILのリクセン互換アダプターを追加購入、TOPEAKのポンプの保守部品、なにげに使いやすそうなんでパナのタイヤレバー。 ラバーフードは正しくは「マルチレンズフード」、ブログを遡ってみると、2009年3月に買っていて、伸縮させる事は殆んどなかったのですが、ゴム部分がちぎれてしまいました。 フードと云うよりプロテクタとして重宝しています。   こんな感じのブツです、ネジ込み式ですから前側にネジの切っていない薄型フィルターを使っていると取り付けられません。 49mmΦから77mmΦまでラインナップされています。   TOPEAKのロードモーフとミニモーフをそれぞれ1本ずつ使っていますが、バルブ部分を無くしたミニモーフが1本転がってまして、TOPEAKは保守パーツを出している事は聞いていたのですが、送料が馬鹿にならないので、放ったらかしになっていましたが、AMAZONにもある事に気付いて(執筆時にはAMAZONでの在庫はなくなってました)一緒にポチっておきました、これでポンプを付け替え忘れて出てしまう事がなくなりますわ。 パナのタイヤレバーはまだ使っていないので、ああだこうだ云えません。 別にホームセンターや百均で売っているもので取り立てて不自由はしていなかったのですが、安くなっていた様なので。 困った事はいつも携行しているケースには3本は入らないのです、っていつも2本で間に合っているのです、間違ってます?